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横田英史の読書コーナー

日本語の書き言葉はどう変わってきたか〜せめぎ合う漢字・ひらがな・カタカナ〜

釘貫亨、中公新書

2026.5.10  5:08 pm

 漢字やひらがな、カタカナ、さらにはローマ字(アルファベット、数字、記号)までが同じ文に共存する融通無礙で複雑な「日本の書き言葉」が、どのような変遷を経て生まれたかを追った書。こうした複雑な文字体系は、大正から昭和の大量消費社会とともに生まれ定着したと語る。筆者は、まず漢文と漢字から論考を始め、漢字を使った日本語転記、ひらがなのあゆみ、近世ひらがな文、カタカナのあゆみ、実用的カタカナ文、日本語の書き言葉の不思議へと議論を展開する。漢文・古文などが頻出するが、適当に読み飛ばしても大勢に影響はない(もちろん趣は損なわれる)。万人向けとは言い難いが、日本語の奥深さや豊穣さを知ることのできる書である。
     
 本書を読むと、柿本人麻呂(日本文字史の起点)や藤原定家、本居宣長、契沖など、日本史の教科書に登場する人物が「日本語の書き言葉」に果たした役割を再認識できる。とりわけ、貴重な文物を現在まで継承する冷泉家の源流である藤原定家の偉大さは際立っている。本居宣長と契沖については、1946年(昭和21年)の「現代かなづかい」制定まで、近代日本語の公文書を始めとする書き言葉を規制したする。
     
 少し身近ということもあり、江戸時代以降の議論が興味深い。江戸時代に各藩が経営した初等教育機関では漢字カタカナ交じり文が教えられた。これが後の五箇条の御誓文や大日本帝国憲法と続く(昭和天皇のポツダム宣言受諾書を最後に公文書での役割は終える)。一方で江戸時代の出版文化では、ひらがな文は文学、カタカナ文は実用的報告文としておぼろげながら棲み分けが行われたという。
     
 面白いのは明治期前半には全国共通の口語文体は確立していなかったという話。これは近代口語として期待された江戸上流の武家言葉を話す人々が東京政府の成立とともに地方に離散し、新しい支配者として流入したのが薩長土肥の下級武士出身の方言話者だったためである。確かにそうである。明治政財界の支配階級の子どもたちが成人して、ようやく東京語が生まれたという。

書籍情報

日本語の書き言葉はどう変わってきたか〜せめぎ合う漢字・ひらがな・カタカナ〜

釘貫亨、中公新書、p.256、¥1078

横田 英史 (yokota@et-lab.biz)

1956年大阪生まれ。1980年京都大学工学部電気工学科卒。1982年京都大学工学研究科修了。
川崎重工業技術開発本部でのエンジニア経験を経て、1986年日経マグロウヒル(現日経BP社)に入社。日経エレクトロニクス記者、同副編集長、BizIT(現ITPro)編集長を経て、2001年11月日経コンピュータ編集長に就任。2003年3月発行人を兼務。
2004年11月、日経バイト発行人兼編集長。その後、日経BP社執行役員を経て、 2013年1月、日経BPコンサルティング取締役、2016年日経BPソリューションズ代表取締役に就任。2018年3月退任。
2018年4月から日経BP社に戻り、 日経BP総合研究所 グリーンテックラボ 主席研究員、2018年10月退社。2018年11月ETラボ代表、2019年6月一般社団法人組込みシステム技術協会(JASA)理事、現在に至る。
記者時代の専門分野は、コンピュータ・アーキテクチャ、コンピュータ・ハードウエア、OS、ハードディスク装置、組込み制御、知的財産権、環境問題など。

*本書評の内容は横田個人の意見であり、所属する企業の見解とは関係がありません。