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2009年12月

ヒューマンエラーは裁けるか〜安全で公正な文化を築くには〜
シドニー・デッカー著、芳賀繁・訳、東京大学出版会、p.288、¥2940

2009.12.31

 人が原因の事故が起こったとき、それを教訓に将来の安全につなげるにはどうすればよいのか、逆に何をしてはいけないのか――。本書の論点を簡単に示すとこうなる。「責任を追及しすぎないことと、ヒューマンエラーを犯罪と呼ばないこと」の重要性を、多くの実例を引きながら強調する。示唆に富む情報が満載の書で“安全・安心”に興味のある方にお奨めだが、難点は翻訳。正確に翻訳しようとしたためもあるが、いかにも翻訳調で読みづらい。問題点の指摘はすばらしいが、解決策への言及が不足しているのも残念なところである。
 米国は事故調査委員会が中心となり、当事者を免責して徹底的に事故の原因を究明する。警察やFBIは動かない。対照的なのが欧州や日本。事故の刑事責任の追及に躍起になる(本書では「ヒューマンエラーの犯罪化」と呼ぶ)。マスコミや社会の空気はスケープゴートを求める。その結果、生け贄が差し出されトカゲの尻尾切りで終わる。尻尾にされかねない現場は本当の情報を開示せず、おざなりな報告で済ませてしまう。そのためシステムや組織の改善につながらず、同様な過ちが繰り返される。人間工学の専門家である著者の指摘はいちいちもっともである。
 本書が繰り返し強調するのが、裁判はヒューマンエラーの抑止につながらない、解雇・降格・停職などは個人や組織にとって安全性の向上につながらないということ。専門家が裁判にかけられると、安全性は犠牲になることを示す。組織や専門家は、安全性に投資するよりも、自らが検察の注意を引かないように努力する。筆者は実例を挙げながら、欧州や日本の仕組みの問題点を指摘する。
 あと知恵なら何とでも責任追及ができる、という指摘も納得できる。あと知恵による追求に対処するために、組織は官僚的になり、こまごまとした文書を作成する。組織を防衛することに血道をあげる。これらは、けっして現場の安全性確保に寄与しない。

 

天才と分裂病の進化論
デイヴィッド・ホロビン著、金沢泰子・訳、新潮社、p.295、\1995

2009.12.25

 アインシュタインやエジソン、カント、ベートーベン、カフカなど、統合失調症(精神分裂症)だったり、その傾向を色濃くもつ天才は多い。芸術や科学、音楽、政治、宗教における創造的な業績が、統合失調症の遺伝子の一部を受け継ぐ人々によって成し遂げられ、同時に戦争を仕掛け大量殺戮を行ったのも統合失調症の傾向をもつ独裁者たちだと本書は主張する。統合失調症の原因、産業革命との関係、人間とチンパンジーの脳の違いなど、著者は縦横無尽に持論を展開する。
 脳のリン脂質の生化学的性質の変化によって分裂症が引き起こされたり、動物性の脂肪(飽和脂肪酸)が多い食事が統合失調症に悪影響を与え、魚や野菜からの脂肪をとることで好転するという指摘は興味深い。知的好奇心が満たされる書だが、難点は専門的過ぎること。生化学の用語がぞろぞろ出てきて、門外漢の評者には少々読みづらかった。

 

長寿大国の虚構〜外国人介護士の現場を追う〜
出井康博、新潮社、p.235、¥1575

2009.12.19

 外国人看護士の受け入れを巡る騒動を通して、日本政治の貧困さと官僚の不遜さを暴いたノンフィクション。2010年春で休刊となるフォーサイトの記事をベースに加筆修正したこともあってダブリ感が多少気になるが、読み応えがある内容に仕上がっている。介護士の送り手側になるインドネシアとフィリピンの温度差を現地で直接取材して明らかにするなど、足で稼ぐ雑誌記事らしい良さがある。
 日本は急激に高齢化が進んでいるが、2014年には50万人の介護労働力が不足すると言われる。この人出不足を補うのが、日本とインドネシア、日本とフィリピンのあいだで結ばれたEPA(経済連携協定)に基づく外国人看護士受け入れである。2008年から始まっているが、この外国人看護士受け入れ制度にはさまざまなカラクリが施されている。例えば、日本人でさえ合格率50%の国家試験を、日本語で受験し合格しなければ本国に戻らなければならない仕組みなど、どう考えてもおかしい。

 

Change by Design:How Design Thinking Transforms Organizations and Inspires Innovation
Tim Brown、HarperBusiness、p.272

推薦! 2009.12.16

 人間工学に基づいたデザインで知られるデザイン・コンサルティング会社の米IDEO CEOによる経営論。実例を交えながら、デザイン思考(Design Thinking)の重要さと効用を説く。開発チームの構成法やプロジェクト・ルームの要件などを具体的に解説する。ちなみにIDEOは米Appleや米Microsoftのマウス、米PalmのPDA「Palm V」、無印良品の壁掛けCDプレーヤをデザインした会社として知られる。示唆に富む指摘が多いお薦めの書である。英語も比較的平易で読みやすい。
 技術指向が強くても、ビジネス指向が強くても製品やサービスは成功しない。本書は、成功する秘訣として三つの要素を挙げる。Insight(洞察)、Observation(観察)、Empathy(共感)である。そのためデザイン思考ではユーザの利用体験を中心に置き、そのうえで技術とビジネスのバランスをうまくとる。具体的にはFeasibility(実現可能性)、Viability(持続可能なビジネスモデルか)、Desirability(消費者にとって意味のあるものか)をもとに製品やサービスを洗練させていく。
 デザイン思考は、プロトタイプを素早く作り、繰り返し修正を加えて製品やサービズを作り上げるところに特徴がある。ソフトウエア開発におけるアジャイル開発と同じ考え方である。本書では、Second Lifeで仮想プロトタイプを作り、ホテルのレイアウトを行った事例などを紹介する。

 

神々の捏造〜イエスの弟をめぐる「世紀の大事件」〜
ニナ・バーリー著、鳥見真生・翻訳、東京書籍、¥1890

2009.12.9

 イエス・キリストの実在を証明する物的証拠「ヤコブの骨箱」を巡るノンフィクション。イスラエル警察が「世紀の詐欺事件」と呼ぶ古代遺物偽造事件を扱っている。考古学者、大富豪、政府高官、刑事などが続々登場して、インディ・ジョーンズのようなストーリ展開である。ミステリー小説といっても通用しそうである。ただし話が錯綜しているうえに行きつ戻りつするので、少々筋が追いづらい。
 イエス・キリストの実の弟といわれるヤコブの名前を刻んだ骨箱を軸に話は進む。精緻な偽造技術、偽物か本物か判然としない聖遺物の数々、爆発的に拡大した古美術市場、ソロモン王の第一宮殿にまつわる遺物など、考古学好きの評者にとって興味深い話が満載である。考古学が国家の求心力を保つ役割を果たすイスラエルの国情、戦争と考古学、信仰と聖遺物など、本書が扱う話題は豊富である。

 

暴走族だった僕が大統領シェフになるまで
山本秀正、新潮社、p.237、¥1365

推薦! 2009.12.3

 最初の数ページを読んで、「これは良書」と思わせる本に出会うときがある。本書もその一つ。米国の名門ホテルの料理長を務め、大統領就任パーティのシェフを経験した著者が半生記を綴ったもの。脚色があるとは思われるが、何となく勇気と希望がわいてくる。特に就活で悩んでいる大学生をはじめ、若い方々に読んで欲しい。評者のようなロートルが読んでも、心が軽くなる効能がある。多くの方にお薦めの1冊である。
 学生時代に暴走とサーフィンの明け暮れていた筆者は、父親の命令でイタリアの国立料理学校で料理人としての修行を始める。それからわずか6年後の28歳には、レーガン大統領の就任パーティにおけるシェフを務めるまでに腕を上げる。リッツ・カールトン ワシントンDCの総料理長になってからたった3カ月の大抜擢である。それにしても成功の階段の駆け上がり方がハンパではない。下からコツコツ積み上げていく日本式と大いに異なる、チャンスの国・米国の真骨頂を感じる話である。
 本書の特徴の一つは、小気味のいい人物評とレストラン評。とりわけ3人の米国大統領(レーガン、パパ ブッシュ、クリントン)とそれぞれの大統領夫人に対する、食事の嗜好を通した人物評は実に興味深い。なるほどと思わせる。調理法や食材、レストランの仕組みについての蘊蓄話も盛りだくさんなので、この方面に興味のある方も楽しく読める。

 

日本産業社会の「神話」〜経済自虐史観をただす〜
小池和男、日本経済新聞出版社、p.278、¥1890

2009.12.2

 「日本は集団主義の国」「日本人は会社人間」「長時間労働が競争力を強化」「成長は政府のお陰」など日本産業に関する“神話”に疑問を呈し、一つずつ反論を加えた書。多くの資料で裏付けをとっており、説得力のある論理展開である。昔から間違っていると指摘されていた“神話”が多く目新しさには欠けるが、歴史を遡って事実や史料を積み重ねながら論考する姿勢は買える。ただし癖のある文章なので、読みづらいと感じる向きがあるかもしれない。
 筆者が憂慮するのは、神話に基づき政策や企業戦略が組み立てられている点。もともとグローバル・スタンダードに近かったものが、「経済自虐史観」によってねじ曲げられ標準から外れ、それが国際競争力の低下をもらしていると筆者は懸念する。本書を読むと感じるのが、日本の言論におけるプロフェッショナリズムの希薄さであり、底の浅さ。原本や当事者、真っ当な研究/調査に当たるなどの手間暇を惜しむ。あるいは筆者があとがきで書いているように、「浅い」分析からの結論が横行する。その結果、誤りが増幅され、いつしか間違ったまま定説になってしまう。専門家と称する人間が世の中を甘く見ているのか、騙される方が悪いのか、何とも情けない状況である。

 

2009年11月

ネット評判社会
山岸俊男、吉開範章、NTT出版、p.232、¥1680

2009.11.26

 「安心社会から信頼社会」「日本の安心はなぜ消えたのか」などの著作で知られる山岸俊男が日大教授の吉開範章とともに、ネット時代の安心・信頼について論じた書。ネット・オークションやネット通販を利用している方、ネットでのビジネスに興味のある方にお薦めである。コンパクトにまとまっているので、2〜3時間もあれば読めるだろう。
 ネット・オークションや電子商取引で利用されている安心確保の仕組みと今後のあるべき姿、ネット社会とリアルな社会における「評判」の受け取り方の違いなどについて論じている。本書の最大の特徴は、電子商取引の安心を高めるために“評判”を使うことの有効性を、実証実験で裏付けているところ。Amazon.comなどでの不正行為が、理論的に求めた予測値に比べはるかに低い理由を実験で明らかにする。
 筆者は、ネット社会における安心を担保する仕組みの未成熟さに警鐘を鳴らす。評価が妥当なのかどうかを評価する機能(メタ評価と呼ぶ)が存在しない。にもかかわらず、ネットでは評判が評判を呼ぶとことの危うさを指摘する。評判はどんどん増幅して、評判は事実という雰囲気が生まれる。日本のネットユーザーは、情報源や情報源の信頼性を確かめることなく、ネットの情報を鵜呑みする傾向が強いだけに、騙される可能性が高い。ネットの不正確な評価が実世界に影響を及ぼすことに、筆者は危機感を募らせる。示唆に富む内容が多い書である。

 

ビヨンド・エジソン〜12人の博士が見つめる未来〜
最相葉月、ポプラ社、p.285、¥1575

2009.11.24

 「絶対音感」「青いバラ」など切り口がユニークなノンフィクションを手がけ、評者がひいきにしている最相葉月の新刊。大学や企業の研究機関で働く12人の科学者へのインタビューをベースにしている。著者の科学技術への暖かいまなざしが伝わってくる良書である。
 筆者はあとがきで、「幼いころに読んだ伝記や評伝に感銘を受けて、科学者になったという人はいるのだろうか。それを知りたいという思いから取材を企画した」と語っている。企画自体は成功している。ただ、Webの記事を単行本にまとめたこともあって、粗い感じが否めない。深耕型という筆者の特徴が生かし切れていない。成り立ちを考えれば仕方がないが少し残念である。
 12人の科学者は、アフリカの風土病・睡眠病と闘う寄生虫学者、恐竜を追う古生物学者、小惑星探査機「はやぶさ」プロジェクトに参加する宇宙科学者、南極の氷のなかに埋もれた「空気の化石」を研究する物理学者など、バラエティに富んでいる。女性の比率が高いのも特徴の一つである。  科学者たちの仕事だけではなく、挫折や悩みといった面にも切り込んでいる。ちょっといい話など、科学者たちの意外な側面にまで踏み込めているのは筆者の力量だろう。ちなみに登場する偉人は、エジソン、キュリー、シュバイツァー、中谷宇吉郎、マンデラといった面々。変わり種としては数学者の藤原正彦が登場する。

 

Googled:The End of the World As We Know It
Ken Auletta、Penguin Press HC、p.400、$27.95

2009.11.12

 「巨大メディアの攻防〜アメリカTV界に何が〜」(新潮社)などで知られるノンフィクション作家Ken Auletta(ケン・オーレッタ)の新著。さすがの力量に脱帽である。チョーチンをぶら下げたような礼賛本や記事が多いなかで、手練れのノンフィクション作家がGoogleの組織・経営・人材の問題点を鋭く突いた本書は高く評価できる。Google本は急激に増えてるが、現時点ではピカイチだろう。なぜか Google 本の装丁(特に色遣い)はいずれもよく似ているが、本書もその点は同じ。ここだけは減点である。400ページもある原書を読むのは平易な英語とはいえ大変なので、翻訳書が出たら読まれることをお薦めする。
 創設者のBrinやPage、CEOのSchmidt は当然として、取材対象は実に多彩。非常に多くの取材を通して多角的にGoogleを分析し、強さと弱さを見事に描き出す。とりわけメディア業界の大物のインタビューは興味深い内容が多いし、BrinやPageの人間像についての記述は秀抜である。二人の創設者とSchmidtとの微妙な関係も余すところなく描いている。大金持ちになり結婚をし子どももできて、Googleの経営への関心が急速に薄れている創業者に警鐘を鳴らしている点は類書にないところだろう。
 Googleの弱点は経営者の油断のほか、技術者集団にありがちな独りよがりのところ。理系思考で合理的すぎるところが世間と衝突する。社会的に無邪気で無知すぎて、傲慢な印象を生み無用な反発を受けるのだ。Google Book Searchやストリート・ビューが巻き起こした騒動は記憶に新しいところだろう。大きくなりすぎて官僚的になり始めたところや、イノベーションを生みだせなくなり Google を去る人材が出始めたことも陰りとして取り上げる。
 一方で新聞や雑誌など守旧メディアに対しては歯に衣着せぬ批判を浴びせると同時に、生き残りのための処方箋を書いている。評者のような立場の者にとって考えさせられる指摘が多い。

 

会社のアカスリで利益10倍!〜本当は儲かる環境経営〜
酒巻久、朝日新書、p.220、¥777

2009.11.10

 キヤノン電子の酒巻社長の経営哲学が、各所にはちりばめられた書。コストと考えられがちな環境対策が、実は省エネルギーだけではなく省スペースや無駄な時間削減につながり、会社の収益向上に寄与すると論じる。キヤノン電子の経常利益率を8年間で1.5%から14.1%へと高めた実績に裏打ちされているだけに、説得力がある。
 環境対策をどのようにコスト削減につなげるかを、オフィス、工場、設計・調達、物流、社員に分けて具体的に紹介する。オフィスにおける個人ゴミ箱の全廃や立ったままでの会議、パソコンの稼働時間制御などを例に挙げる。それぞれの対策の中身も興味深いが、特筆すべきなのはその徹底ぶりだろう。ある種の凄味さえある。
 全体に理想的に描かれているきらいはあるが、生産性向上と環境対策を両立させている具体的活動は参考になる。気軽に読める新書なので、時間がちょっと空いたときに読むことをお薦めする。

 

つぎはぎだらけの脳と心〜脳の進化は、いかに愛、記憶、夢、神をもたらしたのか?〜
デイビッド・J.リンデン著、夏目大・訳、インターシフト、p.352、¥2310

2009.11.5

 評者は脳科学の書籍を好んで読んでいるが、対象とする範囲の広さとまとまりの良さで本書はお薦めの1冊といえる。図も秀抜なものが多く分かりやすい。ただしコッテリとした内容なので、翻訳は悪くないものの最初から最後までを読み通すのは少々骨が折れるかもしれない。脳の設計、感覚と感情、記憶と学習、愛とセックス、睡眠と夢、脳と宗教といった具合に章が分かれているので、お好みの部分だけ読むのも手である。適当にピックアップして読んでも十分に楽しめる。
 興味深いのは、「脳の構造はいい加減」という指摘である。その場しのぎの進化を繰り返した結果、脳はツギハギだらけになってしまった。古い脳に付け足すようなかたちで進化したために、異様で非効率な作りになっているというのが筆者の結論である。この出来の悪さを、ニューロンの結びつきの強度やパターンを柔軟に変える可塑性がカバーする。迷路のような温泉旅館を、融通無碍なおもてなしの精神で補って高い評価を得ているようなものだ。
 人間の神秘を感じるのが「記憶」の仕組みである。短期記憶が定着して長期記憶になるプロセスや、夢が記憶の定着に果たす役割など興味深い話がてんこ盛りになっている。

 

狼・さそり・大地の牙〜「連続企業爆破」35年目の真実〜
福井惇、文藝春秋、p.229、¥1600

2009.11.3

 スクープの醍醐味が分かる良書。その昔、新聞記者は畳の上では死ねないとか短命だという話を聞かされたが、スクープを打ったときの達成感が何物にも代え難く、それが新聞記者を駆り立てるのだということを教えてくれる。
 題材は、35年前に起こった過激派による連続企業爆破事件である。この事件は、当時高校生だった評者の脳裏にいまも残っている。特に、多くの死傷者を出した三菱重工爆破事件の印象は強い。三菱重工だけではなく、三井物産、鹿島建設、大成建設などが爆弾の被害にあった。本書は、連続企業爆破事件の犯人逮捕時の写真を含め、スクープを飛ばし続けた産経新聞の取材班キャップが当時を振り返って取材過程の詳細を明かしている。スクープが汗と涙の結晶であり、取材先とのディープな付き合いの結果というのが文章の端々から伝わってくる。
 白眉は逮捕前後の話である。逮捕当日の朝にドンピシャあわせて特ダネを打ちたい新聞と、犯人が逃走するおそれから阻止したい警察との行き詰まる駆け引きからは緊張感がビシビシ伝わってくる。主犯である大道寺将司逮捕の瞬間を撮影した記者の話も興味深い。一度でもこうした緊張感を味わうと記者稼業はやめられなくなるし、逆に経験のない記者は不幸と言える。警察や検察の発表を右から左に流して満足するような現状の新聞に対する筆者の危機感とメッセージを感じる書である。

 

2009年10月

霞が関埋蔵金
菅正治、新潮新書、p.188、¥714

2009.10.30

 複雑怪奇な国家会計の仕組みを、中央官庁への取材を交えながら時事通信記者が解明した書。一般会計/特別会計の仕組みだけではなく、役人の狡猾な手口、役人の操り人形のような政治家の姿、ジャーナリストの勉強不足までも暴いている。本の帯に「官僚の論理に騙されるな」とあるが、霞ヶ関用語に煙に巻かれないためには本書程度の知識は不可欠だろう。霞が関埋蔵金の正体が分かる労作である。
 埋蔵金論議で気になるのが定義の曖昧さ。与党・政府、野党、官僚、学者がそれぞれの定義で語っているので議論がかみ合わない。定量的に把握可能な予算の話なのに実に奇妙である。それもこれも特別会計の膨大なデータと、真相を隠すための役所用語に立ちすくみ、誰も本質に切り込んでいかなかったからだろう。学者やメディアなどが本来の役割を果たしてこなかったともいえる。
 本書を読むと取材の大切さに気づく。情報公開に対する官僚の姿勢、予算査定の責任者である主計官でさえ特別会計の骨格を知らない事実など、字面だけでは分からない部分は多い。インターネットを検索すれば何でも分かるような錯覚があるが、リアルな取材の価値を改めて感じさせてくれる書である。

 

環境問題を経済から見る〜なぜ日本はEUに追いつけないのか〜
福島清彦、亜紀書房、p.271、¥2415

2009.10.27

 EUを中心に各国の環境政策を論じた書。EUの目は、二酸化炭素排出の削減、さらには排出ゼロの「炭素中立」だけではなく、大気中の二酸化炭素の回収/貯蔵にまで向いているというのは少々驚きである。鳩山首相が二酸化炭素を2020年に90年比25%削減を明言したことで騒がれたが、EUの考え方は一歩も二歩も先を進んでいる。環境問題を考える上で、お薦めの1冊である。
 化石燃料から再生可能燃料へというエネルギー源転換に対する投資に比重を置いているのがEUの特徴。それに対して日本は、途上国からの排出権購入と植林という小手先の対応に終始し、エネルギー源転換への投資には腰が引けているというのが本書の見立て。副題に「なぜ日本はEUに追いつけないのか」とあるが、彼我における意識の違いが大きすぎて絶望的な気持ちになる。
 本書は政策、経済、技術の面から環境問題を論じる。興味深いのは、新たなエネルギー源を「炭素収支」「エネルギー収支」「経済収支」といった観点から評価し、新しい産業と雇用を創り出そうというEUの動きだ。戦略的とはこうした行動パターンを指すのだろう。英国、ドイツ、フランスのエネルギー政策と産業政策を紹介しているが、欧州はしたたかである。
 もっともこの手の本には落とし穴がゴロゴロある。都合の良い数字やデータだけを取り上げて、強引に所期の結論に持ち込むのがよくある手だ(本書がそうだとは言わない)。とりわけ環境問題は油断ならない。例えば英国。本書は、2020年までに全家庭の電力を風力発電でまかなう目標を立てている国として英国を持ち上げている。一方で最近届いた FACT 11月号によると、英国は8年以内に電力不足に陥る可能性を政府自身が認めている状況にある。英国のシンクタンク研究員は、政府はエネルギー無策だと切り捨てる。何とも悩ましい状況である。
 もう一つ気になるのは、著者の数字の扱いが大ざっぱなこと。産業革命以前のCO2濃度の数字が、たった5ページのなかで3種類も出てくる。小さなことだが、本書の価値を台なしにしかねないだけに残念である。

 

厚生労働省崩壊〜「天然痘テロ」に日本が襲われる日〜
木村盛世、講談社、¥1575

2009.10.26

 新型インフルエンザの水際対策に関する参考人質問で、自らが所属する厚生労働省をこっぴどく批判した羽田空港現役検疫官の書。筆者のこれまでの行動・言動から予想される通り、「アホ・バカ・マヌケ厚労省」の話題が次から次へと出てくる。役所として抱える欠陥だけではなく、高級官僚の人格欠損ぶりもなかなかすごい。
 本書が問題視するのは厚労省の感染症対策である。天然痘を使ったバイオテロが起こった場合を想定し、平和ぼけした日本の現状を小説仕立てで暴いている。フィクションだが筆者の経験と知識に基づいた記述を含んでいるだけに説得力がある。筆者が責任者として任された、横浜港における新型インフルエンザ対策訓練も興味深い。寡聞にして初めて聞く話だが、役所間の連携(厚労省/検疫所、水上警察署、海上保安部、地方自治体と関係者は多い)はお寒い限りである。
 役所の悪口は楽しく読めるが、その反動で、国家としての検疫体制の問題点を指摘するという本書の主眼(少なくともタイトルはそうなっている)が霞んでるのは惜しい。感染病対策の専門家として正当に評価されていないという著者の思いが強く出すぎて損をしている。確かに著者の経歴をみると、この手の人を使いこなせないようでは国益を損なうとも思えるのだが・・・・

 

任天堂“驚き”を生む方程式
井上理、日本経済新聞出版、p.311、¥1785

2009.10.22

 任天堂の成功の秘密に迫った書。任天堂という会社だけではなく、山内溥相談役や岩田聡社長、宮本茂専務といった中核人物の魅力も直接取材を通してうまく引き出している。任天堂躍進の基礎を築いた故・横井軍平氏に多くのページを割いているのもうれしい。ちなみに筆者は、評者が日経コンピュータ編集長だったときの部下。異動先の日経ビジネスで執筆した特集記事が本書につながった。ベストセラーになったのも納得できる出来映えで、元部下の書ということを抜きにしてもお薦めである。
 最先端に背を向け枯れた技術を使いながら、特上の体験をユーザーに提供するのが任天堂の戦略。右肩上がりの技術トレンドを前提にした思考に陥りがちな評者に新鮮な驚きを与えてくれる。
 評者に経験に照らしても、任天堂は取材の難しい会社の一つ。商品の広報はするが、経営に関する取材に応じてもメリットがないというスタンスを貫く。そうしたなか執筆されたのが日経ビジネスと本書である。ベールに包まれた任天堂をうまく料理している。この手の企業モノだと“勝てば官軍的”になりかねないところを、多角的な分析を加えることで読み応えある内容に仕上げている。
 任天堂の経営戦略を迫力あるものにしているのは、「役に立たないものを作っている」という認識だろう。こうした危機感から、懸命にユーザーのニーズを考える文化が生まれる。山内溥相談役の「娯楽に徹せよ。独創的であれ」、横井軍平氏の「枯れた技術の水平思考」など示唆に富む発言を本書は取り上げる。Wiiのコンセプトが「お母さんに嫌われない」で、コントローラをあえてリモコンと呼ぶという企業文化は凄みがある。それにしても京都の企業はしたたかで素敵である。

 

メディア激震〜グローバル化とIT革命の中で〜
古賀純一郎、NTT出版、p.296、¥2310

2009.10.20

 情報技術やインターネットがジャーナリズムに与えている影響やメディア・ビジネスの今後の方向性を、落ち着いた筆致で論じた書。あのニューヨーク・タイムズが経営危機に陥ったり、日本の大新聞が赤字決算に陥るなど、メディアを取り巻く環境は厳しい。雑誌の休刊も相次ぐ。本書のテーマは時宜を得たものだが、内容的には可もなく不可もなくといったところ。全体によくまとまっているものの、新規の情報や知見があるわけでもなく、得るところはあまり多くない。
 本書が焦点を当てるのは主に新聞と通信社。雑誌や放送への言及はほとんどないのは残念である。メディア激震というタイトルを考えると、読者数が400万人を超えるBusinessWeekが身売りするなど、窮地にある雑誌業界を除外するのは少々バランスに欠けると言わざるを得ない。
 対照的に充実しているのが、筆者の出身母体である通信社の記述。全8章のうち3章を割いて通信社の歴史や現状を解説する。本書で筆者が力説するのは、通信社と新聞社の棲み分けである。一般ネタは通信社に任せ、日本の新聞記者は深みのある“読者をうねらせる記事”に専念するべきと主張する。これには大賛成である。最大の問題は、深みのある記事を書ける専門性を身につけた新聞記者がどれだけ存在するのかどうかだが・・・。

 

襲われて〜産廃の闇、自治の光〜
柳川喜郎、岩波書店、p.291、¥2205

2009.10.16

 産廃処分場問題に絡んで、当時の市長が襲われた岐阜県御嵩町(みたけちょう)。襲撃事件から13年を経て、当事者の柳川喜郎町長が事件までの経緯とその後を綴ったのが本書である。実体験に基づく記述とあって、迫力満点な書に仕上がっている。岐阜県との対立、利権に群がる輩が続々登場するなど刺激的な内容にあふれている。読み応え十分である。なぜ今になって手記を上梓したのか事情はよく分からないが、襲撃事件の時効が2011年10月に迫っていることが動機の一つになったのかもしれない。
 本書の特徴の一つが、当時の岐阜県政への痛烈な 批判である。とりわけ責任者だった梶原拓・岐阜県知事をやり玉に挙げる。産廃業者に荷担したとも思える知事の姿勢に手厳しい批判を加えている。本書を読むと、梶原県政の問題は裏金問題で語られることが多いが、御嵩町の産廃処分場問題も負けず劣らず酷い話というのがよく分かる。
 それにしても13年も昔の話となると、記憶もずいぶん薄れている。町長襲撃だけではなく2件の盗聴事件があったことや、当時珍しかった住民投票につながったことなど、まったく記憶に残っていない。それだけに本書は貴重である。日本社会の利権構造、地方自治の問題点など多くのことを教えてくれる。

 

日本の歴史 12:開国への道
平川新、小学館、p.370、¥2520

2009.10.14

 江戸時代についてもっている常識を覆す内容が満載された歴史書。開国までの過程を大航海時代の世界情勢のなかに位置づけ追っている。ステップを踏みながら江戸幕府は開国にいたったことがよく分かる。このほか、意外にも「世論政治の時代」だったことや、剣術道場の門下生の多くを百姓と町民が占めた「庶民剣士の時代」だったことなど、知られざる江戸時代の世相を明らかにする。事象を羅列した教科書的な記述が少なく、ダイナミックな歴史書として評価できる。
 江戸時代は、政策に民意を反映させる世論政治の時代で、その仕組みが260年の安定政権を支えたと指摘する。庶民の厳しい批判を幕府や藩が受け入れた懐の深さや政治的成熟度の高さには驚く。世論政治の事例として、灯油市場の改革を進めた下級役人・楢原謙十郎を取り上げる。官僚組織や既得権層と悪戦苦闘しながら進められた楢原の改革は、現在に通じるところも多い。大塩平八郎の乱や天保の改革などを、通説とは異なる切り口で分析しているところも興味深い。

 

一銭五厘たちの横丁
児玉隆也・著、桑原甲子雄・写真、岩波現代文庫、p.258、¥1000

2009.10.6

 田中角栄を立花隆とともに追い詰めた児玉隆也は、評者が好きなジャーナリストの一人だ。本書では、田中金脈追求でみせた切れとは全く異なる、ルポライター本来の地をはう取材の真骨頂を見せている。取材対象は政治家とは正反対の市井の人々。一銭五厘のハガキ(いわゆる赤紙)で召集され夫や息子、そして残された家族である。東京の下町・下谷に住んでいた銃後の人々を、アマチュア・カメラマンの桑原甲子雄が撮影していた。その写真を唯一の手がかりに、児玉は彼ら・彼女ら50数人の戦中戦後を丹念に追っている。
 取材したのは戦後30年をへた昭和50年ころ。田中金脈の追求と並行して、本書の取材に靴底をすり減らしていたのは驚く。大向こうをうならすような内容ではないが、抽象的な言葉を弄することなく、地に足の付いた表現は妙に心を打つ。職人への取材を振り返り、「この人のことばは、何と美しかったことか。リズムもテンポも、中庸を得て淡々と話し、さりげない『ございます』が、江戸前の節をつくっている。私は、会ったりテレビで見たりする政治家たちの話し方が、一介の家具職人の話しことばの足下にも及ばぬことを嘆いた」といったフレーズが実にいい。

 

実践 行動経済学〜健康、富、幸福への聡明な選択〜
リチャード・セイラー&キャス・サンスティーン共著、遠藤真美・訳、日経BP社、p.416、¥2310

2009.10.1

 行動経済学の適用法を分かりやすく解説した書。内容は具体的で、本の帯にある「“使える”行動経済学の全米ベストセラー」というのも必ずしもオーバーではなさそうだ。その分だけ、アカデミックさは感じられない。政治や企業だけではなく、個人の生活にも生かせる話が多いので一読をお薦めする。
 人間は経済的合理性ではなく、ヒューマンとして行動するというのが行動経済学の考え方である。経済学とはなっているが、どちらかというと心理学や認知科学に近い内容である。現実の経済を数式で定量的にではなく、むしろ人間の心理によって解き明かしていく手法は本書評でも取り上げた「ブラックスワン」や「アニマルスピリット」に通じる。
 原書のタイトルは“nudge”。聞き慣れない単語だが、英和辞書には「ひじでそっと突く、 軽く押す、(人の)注意を引く」などとある。本書は、あれこれ迷っている人をナッジして(ひじで軽くつついて)、適切な選択をするように導くにはどうすればよいかを論じている。著者が提唱するのは、自由な裁量を相手にもたせながらも、所望の方向に導いていく「リバタリアン・パターナリズム(自由主義的な家父長主義)」と呼ぶ手法。国や自治体、企業が制度設計にリバタリアン・パターナリズムを適用した具体例(401kや臓器移植など)を挙げているので議論に説得力がある。なかなか見事なストーリー展開である。
 ちなみに筆者が原則としているのは以下のNUDGESである。かなり強引だが、それなりに覚えやすい。
N=iNcentives(インセンティブ)
U=Understand Mappings(マッピングを理解する)
D=Defaults(デフォルト)
G=Give feedbacks(フィードバックを与える)
E=Expect errors(エラーを予期する)
S=Structure complex choices(複雑な選択を体系化する)

 

2009年9月

害虫の誕生〜虫からみた日本史〜
瀬戸口明久、ちくま新書、p.217、¥756

2009.9.28

 ゴキブリの話で本書は始まる。ゴキブリが身近な害虫となったのは戦後で、「コガネムシは金持ちだ」のコガネムシは実はゴキブリを指しているなど、書き出しは期待を持たせる。ただし単純な蘊蓄本だとと思って暇つぶしのために買うと失敗する。社会的、心理的な観点から害虫をとらえる、かなり学術的な内容を含んでいるので要注意。
 害虫の発生は江戸時代に「たたり」と考えられていた。人間の力ではどうにもならず、田んぼにお札を立てるくらいしか対応のすべはなかった。西欧でも中世は、害虫を宗教的な裁判「動物裁判」にかけて神罰を与えていたので、洋の東西で対処法は似たり寄ったりだったわけだ。それが近代化の進展にともなって、害虫は神頼みではなく、天敵や薬品の導入によって科学的・生物学的に駆除される対象になっていく。筆者はハエや蚊退治の歴史を詳細に振り返りながら、害虫と人との関わりを論じる。
 ちなみに筆者は京大 理学部生物学科を卒業後、文学部に入り直し、現在は大阪市立大 経済学部の教授という変わり種。筆者紹介には、「生命科学と社会の界面に生じる諸問題について、科学技術史と環境史の両面からアプローチしている」とある。怪しげだが、テーマとしては面白そうだ。

 

同和と銀行〜三菱東京UFJ“汚れ役”の黒い回顧録〜
講談社、p.269、¥1785

2009.9.27

 月刊現代(2009年1月に休刊)の連載に加筆したノンフィクション。同和問題の根深さ、三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)と裏社会の関わりなどを鮮やかに描いている。登場人物も多彩で、許永中や尾上縫などバブルを彩った面々が出てくる。西城秀樹や勝新太郎など、芸能界の話題も豊富なので呼んでいて飽きない。いずれにせよ、あの時代を振り返る意味でも貴重な書に仕上がっている。セコムの飯田亮との関係も興味深い。連載を単行本化したときにありがちな記述のダブりなど気になるところもあるが、ほとんどの人物が実名で登場していることもあって読み応えと迫力は十分である。
 本書の主役は、部落解放同盟の支部長で同和団体のドンと呼ばれた小西邦彦と、小西に対する三和銀行の窓口として汚れ役を引き受けた岡野義市である。当事者である岡野への取材を軸に話を組み立て、バブル期前後の小西と金融機関(三和に限らない)の行状をつぶさに描いている。小西の交際範囲は地方自治体、税務署、警察、暴力団、芸能界と実に広い。これらの太いパイプを巧妙に操り、硬軟織り交ぜながら、小西が自らの影響力と利権を拡大していくさまを本書は詳述する。自らの借金の利率を勝手に書き換えたり法規を無視する傍若無人ぶりと、それを許す警察や銀行、税務署の姿は想像できるとはいえ驚きである。
 本当の悪党は、小西ではなく金融機関だというのが本署の結論である。同和を利用した小西も、結局は金融機関に食い物にされたに過ぎない。多くのトカゲのしっぽを切り捨て、自殺者まで出しながら生き延び、モラルハザードのかたまりのような金融機関(一部は破綻している)を筆者は糾弾する。

 

腹八分の資本主義〜日本の未来はここにある!〜
篠原匡、新潮新書、p.191、¥714

推薦! 2009.9.24

 日経ビジネスオンラインで連載されていた「この国のゆくえ」を単行本化したもの。連載中から愛読していたが、紙のかたちになると良さがいっそう際立つ。筋の通った理念と信念に基づいて経営されている日本企業やスウェーデン企業、在るべき姿に向かって地道に努力している日本各地(なぜか長野県が圧倒的に多い)の取り組みから、日本の将来像を見出そうとしている。大上段に論を張る風がなく、肩の力が抜けているのがいい。多くの方に読んで欲しい良書である。
 筆者は、当たり前にことを着実に進めていくプロセスが大切であることを、丹念な取材に基づいて裏付ける。冒頭で取り上げるのは出生率2.04をほこる長野県下條村。日本の出生率が1.37だけに凄まじい数字である。この出生率を達成するために村がとった子育て支援策の数々を紹介する。そこに至るまでのプロセスを著者は追っているが、これを読むと地方分権の意味と意義とはこういうことなのかと得心がいく。このほか、矢作川の水資源保護をめぐる上流地域と下流地域の連携、従業員に占める身体障害者が90%を超すスウェーデンの高収益企業、企業理念の中心に社員の幸福を置く伊那食品工業など、示唆に富む話がてんこ盛りになっている。

 

偽装農家
神門善久、 飛鳥新社、94ページ、¥750

2009.9.23

 2006年にこの書評で取り上げた「日本の食と農」の著者によるブックレット。「日本の食と農」は、農家、農協、政治家、官僚、学者、マスコミ、消費者がよってたかって日本の農業をダメにしていることを糾弾した強烈な書だったが、本書も大筋は同じ。最近の情報を加味した内容になっている。もっとも「家族で読めるfamily book series」と名付けたシリーズ企画の1冊なので、かなり押さえた筆致である。
 筆者がやり玉に挙げるメンツは前回とほぼ同じ。その場しのぎに終始する農政、勉強不足のマスコミや識者の胡散臭さを糾弾する。ただし農協や学者に対する言及は少なく、怒りの矛先は「偽装農家」や「土地持ち非農家」により多く向いている。ページ数に限りがあるので、メリハリをつけたのだろう。「日本の食と農」との大きな違いは、提言部分に多くを割いているところ。農地の実態を定量的に把握するための検地の実施と農地削減を提言している。
 紙幅が94ページと少ないので、全体に神門善久ファンとしては物足りなさが残る。民主党政権の農政について言及した第2弾を期待したいところだ。

 

リスクにあなたは騙される〜「恐怖」を操る論理〜
ダン・ガードナー著、田淵健太・訳、早川書房、p.478、¥1890

2009.9.17

 テロ、ネット上の小児性愛者、麻薬、鳥インフルエンザ、地球温暖化、発ガン物質などを身近な事例を取り上げて、「人類史上、最も安全で健康な我々がなぜ不安に怯えているのか」について論じた書。数字のトリックや人間の心理を操って恐怖心を煽る手法を解説する。ジャーナリスティックな視点にあふれた良書である。本書評でも「リスクのモノサシ:安全・安心生活はありうるか」や「統計でウソをつく法〜数式を使わない統計学入門〜」といった類書を紹介したが、この手の本が出るとつい買ってしまう(行動経済学にも弱い)。タイトルに煽られているわけだが、この性癖は残念ながら直りそうにない。
 比較的小さなリスクを恐れ、大きな恐怖を頻繁にやり過ごす要因を、筆者は恐怖を売り物にするビジネスの興隆に見る。恐怖は儲かるというわけだ。民間企業やコンサルタントだけではなく、政治家、官僚、マスコミをやり玉に挙げて、恐怖ビジネスの実態を暴いていく。人がリスクを判断するときに、必要以上にバイアスがかかる18の要因を取り上げる。起こったら大惨事になる事象、馴染みのない事象、理解できない事象、自分でコントロールできない事象、子どもに影響が及ぶ事象などである。これらの要因が絡むと、恐怖のレベルが高まる。企業や政治家、マスコミはそこにつけ込む。ちょっとした言葉の言い換えによって、世論や消費行動に大きな影響を及ぼすことを具体的に示す。ジャーナリストの手によるだけに、なかなか読ませるストーリー展開である。

 

秘密とウソと報道
日垣隆、幻冬舎新書、p.205、¥777

2009.9.11

 マスコミをめぐる「トホホ」な実話を取り上げ、ジャーナリズムの危機を論じた書。取材源を守れなかったり、でっち上げ常習のライターや怪しげな話を容易に信じてしまうマスメディアの実態に、日垣隆が毒舌を炸裂させている。辛辣な書き口と独自の視点には好き嫌いが分かれそうだが、正鵠を射た指摘は役立つ部分が多い。
 本書が取り上げるのは、奈良の少年調書流出事件、朝日新聞の阪神支局襲撃時事件に関する週刊新潮の大誤報、名誉毀損訴訟における賠償額の高騰など。最近の話題を取り上げ批判する。本書を読んで感じるのは日本のジャーナリズムの底の浅さと、それに伴う脇の甘さである。プロフェッショナルとしての自覚と矜恃がない現状が続くと、ブログをはじめとするネットに簡単に淘汰されるのではないかと危機感が募る。自業自得の面があるとはいえ、ジャーナリスムの自殺はまずい。

 

Say Everything: How Blogging Began, What It's Becoming, and Why It Matters
Scott Rosenberg、Crown、p.416、$26.00

2009.9.7

 ブログの誕生から興隆までを扱った、おそらく初めての本格的書籍。動きの激しい分野を「先駆者たち」「興隆」と二つのセクションに分けて丹念に追っている。ブログが政治や社会、メディアに与えたインパクトを明らかにする。米国の本らしく内容が詳細で400超ページと大部なうえに、評者のボキャブラリにない言葉が多く含まれており読むのに難渋した。ただ有力な類書がない状態なので、この分野に興味のある方にとって必読の書だろう。
 登場人物は実に多彩。ブログという言葉が誕生する前の1993年から自らの生活をネットで公開し続けたJustin Hallがまず登場する。そのほか、Weblogという言葉を流布させたJorn Barger、BloggerやTwitterを立ち上げた起業家Evan Williamsをはじめ、ブログ向けのツールやサービスの開発者、ブログ・ジャーナリストをカバーしている。話題も豊富である。プライバシーの問題、ブログの内容で解雇された話、既存メディアとの確執といったトピックを取り上げ、ブログにおける試行錯誤の歴史をたどる。いずれも、なかなか読み応えがある。
 三つの出来事が、ブログにとって画期となったことを本書は明らかにする。第1は2001年の9.11同時多発テロ、第2は2003年のイラン侵攻、第3は2004年の米国大統領選である。これらはブログの力を社会に示すとともに、既存ジャーナリズムの欠点を明らかにした。特に2004年の大統領選におけるブッシュ大統領の軍歴捏造事件は記憶に新しい。ブッシュ大統領の軍歴詐称の証拠としてCBSが取り上げた文書が偽造であることを、市井の人がブログで暴いた事件である。

 

サバイバル時代の海外旅行術
高城剛、光文社新書、p.192、¥756

2009.9.1

 フューチャー・パイレーツ代表取締役というよりも、いまや沢尻エリカのダンナといったイメージが強い高城剛の旅行ノウハウ本。ガイドブックの選び方/読み方、荷物のパッキング法、便利グッズ、ネットや地図の活用法など実践的な情報が盛りだくさん。得体の知れないといったイメージが強い高城だが、違う側面が見えてくる。少なくとも旅行好きには楽しく読める本というのは間違いない。
 著者が強く主張するのは、日本の旅行ガイドブックの駄目さ。広告スポンサーがついている結果、バイアスがかかり旅行者が本当に必要とする情報が載っていないと嘆く。ライターがそもそも行ったことがない場所について書いているケースもあると指摘する。高城が拠点を置くスペイン バルセロナを例に、具体的にガイドブックの役立たずぶりを暴いている。パエリアはそもそも昼の食べ物で夜に出すのは観光客目当ての店、スペインの時間感覚では昼イチが16時とか17時を意味するなど、なかなか面白い。

 

2009年8月

知的創造のヒント
外山滋比古、ちくま学芸文庫、p.208、¥560

2009.8.30

 最近注目を集めているらしいので、久しぶりに読んだ外山滋比古。うまい文章の見本である。内容よりも、文章表現にえらく感心してしまった。本書は1977年に講談社現代新書として上梓したものの再刊である。当然だが、パソコンやインターネットの使い方への言及はなく、アナログの世界で閉じている。それでも古さを感じさせない。「知的創造のヒント」「知的生産の技術」といったテーマの基本は今も昔も変わらないと言うことなのだろう。
 本書の目的は、「覚える」ことには熱心だが「考える」ことを疎かにしている教育を補うというもの。まず著者は忘却することの重要さを説く。知識を詰め込み蘊蓄をたれるだけの糞詰まりを、知識人や物知りともてはやす世相を批判する。もっともだ。創造はグライダーではダメで、オンボロでもエンジンが必要という比喩は的を射ている。エンジンを動かして考えようとしている人たちに、筆者は気をつけておいた方がよいこと、頭の準備などについて多くの提示する。「知的な酒を造るには、素材と着想と寝かせる時間が揃ってなくてはならない」という著者の指摘は大いに納得できる。

 

公安検察〜私はなぜ、朝鮮総連ビル詐欺事件に関与したのか〜
緒方重威、講談社、p.236、¥1785

2009.8.28

 読後感のよろしくない書。筆者の緒方重威は、公安調査庁長官を経て高等検察庁幹事長にまで上りつめながら、朝鮮総連本部ビルの土地・建物の所有権移転に関し詐欺罪で訴えられた。2009年7月16日に東京地裁で懲役2年10月、執行猶予5年の有罪判決を受けた。その直後に出されたのが本書である(奥付では7月31日)。日経ビジネス8月31日号の『敗軍の将 兵を語る』でもそうだが、自らの脇の甘さを懺悔しつつ自己弁護を展開している。
 朝鮮総連本部ビルの事件は、元公安調査庁長官と朝鮮総連という異色の組み合わせとあって当初からマスコミの格好の餌食となった。監視する立場の公安検察の元トップが、監視対象に手を貸すという奇妙な構図なので当然の反応だろう。そのうえ検察は詐欺事件として立件したのに、本書によれば朝鮮総連側には騙されたという意識がない「被害者不在」という奇っ怪さ。著者は、北朝鮮強硬路線の安倍官邸の意向を、検察幹部が必要以上に忖度した結果の立件と謎解きをする。
 それにしても筆者の脇は甘い。本書では胡散臭い人間が次から次へと登場するが、著者はさして疑問を抱かず約束を交わし、巨額の資金を提供する。お人好しなのは間違いないが、検察エリートがこれほど世間知らずなのは驚きである。その昔、地方税務署における大蔵官僚の“バカ殿様”教育が話題になったが、それに近いものを感じる。
 朝鮮総連ビル詐欺事件はともかく、筆者が検察時代にかかわった事件についての裏話は興味深い。学生による新宿駅襲撃への騒擾罪適用、三菱重工ビルなど大企業を標的にした連続企業爆破事件、天皇をねらった列車爆破計画(評者の記憶にない)、オウム真理教に対する破防法適用など話題豊富である。

 

アニマルスピリット〜人間の心理がマクロ経済を動かす〜
ジョージ・A・アカロフ著、 ロバート・シラー著、山形浩生・訳、東洋経済新報社、p.323、¥2310

2009.8.26

 経済危機の仕組みを「アニマルスピリット(血気とか野心的意欲と訳される)」という切り口から解き明かす経済書。サブプライム問題に端を発する今回の世界経済危機を受けて出版されたもの。翻訳臭さが残るものの、さほど読みづらくない専門書に仕上がっている。なによりも数式が出ないところが評者にはうれしい。お薦めの書である。  筆者の問題意識は、「なぜ経済学が、いまの経済危機を予見し損なったのか」である。二人の筆者が問題視するのは、マクロ経済やファイナンスの専門家が合理性や効率性に重きを置きすぎていること。実は、社会を動かすもっと重要な力学があるのではないか。そこで出てくるのが、いま流行の行動経済学である。人間の行動は、「安心」「公平さ」「腐敗と背信」「貨幣錯覚(ちょっと分かりづらい)」「物語」といったものに基づいており、これらが経済活動を左右する要因となっていることを歴史をさかのぼりながら裏付ける。同時に、今回の経済危機に対する処方箋も示す。
 経済には合理的に予測できない部分があるという主張は、不確実性を論じた「Black Swan」に通じ納得性が高い。それにしても100年に一度の経済危機だけに、このところ多くの書籍や論文が出ている。人間や学問はこうやって発展していくのだということを実感できて実に楽しい。ちなみに二人の著者はともに経済学者。アカロフはノーベル賞受賞者。シラーはベストセラーとなった「投機バブル 根拠なき熱狂」の著者である。
 本書は八つの質問に答える形で議論を進める。なぜ経済は不況に陥るのか、なぜ中央銀行は経済に対して力を持つのか、なぜ仕事を見つけられない人がいるのか、なぜ不動産価格には周期性があるのか、なぜ貧困は条件の悪い黒人の間で何世代も続いてしまうのか、などの疑問にアニマルスピリットの観点から答を導く。経済学の理論は、多くの仮定の上に成り立っていることが多い。仮定自体が理論を正当化するために置かれたり、現実とかけ離れていたりする。アニマルスピリットは人間の行動をむやみに理想化せず、仮定が少ない。議論にはすとんと腑に落ちる部分が多い。

 

超ガラパゴス戦略〜日本が世界で勝つ価値創出の仕掛け〜
芦辺洋司、WAVE出版、p.246、\1995

2009.8.22

 コンサルタントという肩書きの著者にありがちな書。要するに「日本独自の強みを生かして世界に進出せよ」というのが主旨。これまで繰り返されてきた議論を、「ガラパゴス」という流行語をスパイスにしながら蒸し返している。残念ながら、この手の産業論を読み慣れた方にとって新味は少ない。
 個別に見ると、電動自動車や水ビジネスのケーススタディなどはそこそこの内容である。もう少し突っ込んだ内容にすれば、読後感はまったく違ったものになっただろうい。良くも悪くも、「ガラパゴス」という流行語に引っ張られすぎている。最近、「見ただけで吐き気がするPRの陳腐な決まり文句:そのワースト10」という記事を読んだが、どこか通じるところがある。ガラパゴスのほかにも、パラダイムシフト、グローバル・スタンダード、インテグレーション、モジュール、フレームワーク、グローバル化、競争優位、ブルーオーシャンといった言葉がわんさか出てくる。

 

全集 日本の歴史:徳川社会のゆらぎ
小野善邦、現代書館 、p.369、¥2415

2009.8.20

 現代社会と比べながら読むと多くの発見がある書。知られざる江戸時代の世相を教えてくれる。本書が扱う18世紀というと、江戸幕府が成立してから100年。元禄など成熟社会の象徴とも言える時代だが、実は相次ぐ地震や富士山の噴火、飢饉、火災に見舞われている。こうした災害が社会的な緊張を生み、一種のガス抜きとなり社会の安定を支えたというのが著者の主張。評者は歴史に詳しいわけではないが、あまり耳にしたことのない論点である。
 本書を読んで驚くのが、現代日本に通じるところが多いところ。中央に収奪される地方という構図、親の介護に苦しむ子ども世代、財政難をまかなうためのご用金制度(国債のようなもの)など、現代的な話題を本書は取り上げる。徳川綱吉(いわゆる犬公方)を戦略家として評価したり、打ち壊しを支えた仕組み(町火消や大工、鳶など家屋解体のプロが背後にいた)、富裕層と貧困層で異なるライフサイクル(結婚や子育て、隠居)、意外に多い高齢者、教師や医師への女性の進出など興味深い話が満載である。出生児の死亡率は高かったものの、70歳や80歳という高齢者自体はまれではなかったというのには驚かされる。
 武士の生活実態は身につまされる。格の高い武士の場合、結婚年齢が若く、結婚後数年で家督を継ぎ、しばらくして世継ぎが誕生する。家督を子どもに譲ってから10年は老後を過ごすことができる。対照的に中下層の武士は晩婚化が進み、結婚は8歳ほど遅い。死亡年齢は逆に9歳も低い。家の存続が保証されないうえに、老後がほとんどない人生だっという。

 

福祉政治〜日本の生活保障とデモクラシー〜
宮本太郎、有斐閣Insight、p.220、¥1575

推薦! 2009.8.17

 戦後日本の社会保障政策を斬新な切り口で分析した書。矛盾だらけの福祉政策を生んだ原因を、日本の雇用構造や政治的な裁量と関連づけて論じている。非常に出来がいい。今年最大の発見と言える。トップダウンの論理構成なのでとても読みやすい。政治の夏になっている現在、一読を薦めたい。筆者は北海道大学大学院教授で、与謝野馨財務相が主宰する「安心社会実現会議」の委員を務めている。与謝野が本書を薦めているというのも有名な話。ちなみに父親は日本共産党委員長だった宮本顕冶である。
 生活保障は社会保障と雇用保障から成り、戦後の生活保障がうまく回ってきたのは雇用保障が安定していたことが大きかったと述べる。社会保障に対する支出を抑える一方で、生産性の低い業界を保護することで雇用を保障し社会的な安定を支えてきた。高生産性の業界から低生産性の業界へ、中央から地方へといった所得の移転によって、日本社会の安定は図られてきたわけだ。しかし、そこには大きな陥穽が存在した。社会保障は明示的なルールを示さざるを得ないが、雇用保障は裁量的な行政と政治家の口利きによって進められる。結果として、「土建国家」「族議員」などさまざまな利権を増殖させてしまった。会社や業界が家族と連携して社会保障の代替として機能してきたのが戦後の日本だったことを本書は明らかにする。
 政治に対する評価が厳しいのも本書の特徴の一つ。日本の政治は、人々の利害対立を理念や原則にもとづいて調整するのではなく、対立と分断を利用した政権維持と延命の戦略に終始してきた。ところが雇用保障を支えてきた前提が、経済のグローバル化によって一挙に崩れ、矛盾が噴出した。それが現在の混沌とした政治状況を生んでいるというのが本書の見立てである。

 

Free〜The Past and Future of a Radical Price〜
Chris Anderson、Hyperion、p.256、$26.99

2009.8.14

 “The Long Tail”の筆者によるインターネット本。ネット時代を象徴する「何でも無料(Free)のビジネスモデル」をキーワードに、社会的なインパクト、歴史と仕組みなどを米国人らしく楽観的に論じる。ネット中心に、いま何が起こっていて、どこに向かおうとしているのかを知るうえで役立つ書である。256ページとコンパクトにまとまっており、英語も平易なので、さほど苦労せずに読み通せる。日本ではペーパーバック版が手にはいるので、持ち運びにも便利。この分野に興味のある方にお薦めの1冊である。
 ちなみに米国ではハードカバー版($26.99)とKindle版($9.99)がリーリースされているが、日本ではハードカバー版とペーパーバック版が入手可能。ペーパーバック版があるのはKindle版が流通しない代償ということだろうか。
 Freeには怪しげな魅力とともに、「無料だから価値がない」といった批判がつきまとう。本書は1章を割いて、こうした疑問(全部で15個ある)の一つひとつに丹念に反論する。反論には、キューブラー・ロスの「死を受容するまでの五段階」などを引き合いに出している。牽強付会の議論も見受けられるが、そこそこ納得できる論理立てである。「無料だから価値がない」とは言い切れないが、有料のものが対価を支払う価値があるかを問われているのが現状だろう。評者は最近、特にそう感じる。
 無料の荒波にさらされた業界は、反発しながらも適応を始めていることを本書は紹介する。例えば音楽業界。トップ・アーティストを先導役として、無料のコンテンツを撒き餌にユーザーを引きつけ、コンサートなどのライブやグッズで儲ける動きが顕在化している。ユニークなのは筆者が注目するのがコピー大国の中国というところ。正規の料金を支払わない社会環境で生き残りを賭ける中国企業の戦略は、Freeが前提のネット社会にとっての参考になるというのが筆者の見立てである。
 本書を読むと、“atom(物質)”から“bit(情報)”への移行が社会や産業構造にどのような変化をもたらしたのか、あるいは今後もたらしていくのかを理解できる。同時に、“atomからbit”というパラダイムシフトを14年前に見抜いたニコラス・ネグロポンテ(MITメディアラボの創設者)の慧眼に改めて驚かされる。

 

本気で巨大メディアを変えようとした男〜異色NHK会長「シマゲジ」・改革なくして生存なし〜
小野善邦、現代書館 、p.369、¥2415

2009.8.1

 NHK会長だった島桂次、通称シマゲジの評伝。島といえば、国会での嘘の発言や女性スキャンダルによって失脚した人物というのが評者の認識である。本書は、こうした“通説”に反論を加えつつ、先見性に富んだ島のNHK改革を紹介する。筆者がNHK時代の腹心だったということを割り引いて読むべきだが、それでも島の魅力に十分迫っている。インターネットやグローバル化の進展を的確に見据え、現在のNHKの状況を約20年前に予見していた島の見識は大したものだ。NHKの官僚的体質や組合問題、政治とのかかわりなど読みどころ満載の書。マスメディアに関心のある方にお薦めしたい1冊である。
 島の記者時代のエピソードは読売新聞の渡辺恒雄に通じるところがある。記者の枠を超え、自民党の派閥(宏池会、特に大平との関係が深かった)に頭を突っ込み人事までも左右する。あまりに奥深くは入り込んだため、報じない(書かない)記者となった。もっとも過度の政治への関与と当選回数の少ない議員への横柄な態度が、田中派の野中広務との対立を生む。それが島を追い詰める。このへんの自信が過信につながっていく様子を、筆者は生き生きと描いている。身近にいただけのことはある。時代を読む目をもつ島だったが、最後は政治や社会の変化を読み切れず引退に追い込まれていく。

 

2009年7月

大学の反省
猪木武徳、NTT出版、p.328、¥2415

2009.7.28

 魅力がすっかり薄れた日本の大学。国際競争力に乏しく、産学協同という言葉がむなしく響く。本書では大学の現状を分析し、教育制度の問題と奨学金など支援制度の不備を指摘する。筆者は日本の大学教育に対して三つの提言を掲げる。一つは古典を中心とした「教養教育」の強化。2番目は高等教育に対する公的予算の増額。最後が教師の職務の見直しである。
 とりわけ、教養教育を軽視する風潮に筆者は危機感を募らせる。古典に触れることなく要約などで済ませる、日本における“教養”の現状を鋭く批判する。原典の軽視が、抽象化や概念を導く力を弱めるという筆者の主張は納得できる。日本のエリートは定型的な事象には強いが、マニュアルが役立たない非定型なアクシデントには右往左往するというのは、日ごろ目にする醜態である。
 筆者は経済学者らしく、社会科学の専門家が政策決定に参画できない状況に批判的な目を向ける。しかし、これはちょっと疑問。ノーベル賞がすべてだとは思わないが、日本の経済学者は世界的にはきわめて影が薄い存在である。政策決定に参加しても、有益な役割を果たせるとは思えない。むしろ理系出身の評者から見れば、中国の政府に理系の要人が多い例を出すまでもなく、日本の政治における文系偏重こそ奇妙である。
 出来のよい書に仕上がっている。そこそこ読み応えもある。ただし作りにはダメ出ししたい。本文で参照する図表を巻末に載せるなど、完全に読者の使い勝手を無視している。最初は意図が分からずウロウロしてしまった。著者の考えなのか、編集者が愚かなのか分からないが、大いに反省すべきだろう。

 

差別と日本人
辛淑玉、野中広務、角川oneテーマ21、p.211、¥760

2009.7.26

 舌鋒鋭い在日朝鮮人・辛淑玉と策士の政治家で部落出身者・野中広務の対談。組み合わせの妙である。編集者の企画力を感じさせられる1冊。部落や在日に対する差別の実態、日本社会や政治の問題点を自らと家族の赤裸々な体験を交えながら語り合っている。差別問題の根深さを改めて考えさせられる。微妙な話題では、話がかみ合わない部分もある。それでもキレイごとではない本音の迫力に満ちている。重い話題を扱っているが、二人とも吹っ切れているせいかカラッとしたところが本書の特徴となっている。
 本書が扱うテーマは広い。在日や部落だけではなく、野中が政治家として関与した国旗・国歌、沖縄、ハンセン病の問題なども含んでいる。辛が突っ込み、野中がするりと身をかわすといった場面がいくつかあるが、辛淑玉の解説文を挿入することで足りないところを補っている。異彩を放っているいるのが政治家に対するコメントだ。辛淑玉の石原慎太郎や麻生太郎に対する猛烈な嫌悪は凄まじいが、野中の現役政治家に対する人物評も実に辛辣。ここだけでも読む価値がある。
 両者による後書きも秀抜。辛は野中を「談合で平和を作ろうとする政治家」と称しているが、深い理解も示す。一方の野中は、「心と心、魂がふれあうような気がした」と書く。不思議な魅力にあふれた書である。

 

強いられる死〜自殺者三万人超の実相〜
斎藤貴男、角川学芸出版、p.270、¥1575

2009.7.23

 10年間連続で3万人を超える自殺者を出す日本。こうした社会状況を生み出した背景に丹念な取材で迫ったノンフィクション。辛い話が多い。とりわけ30〜50代の働き盛りの男性が自殺の過半数を占める状況はかなり深刻である。自殺の要因の多くが個人の資質以前に社会的構造に起因するという著者の主張に頷かざるを得ない。
 本書では自殺の要因を大きく五つに分け、それぞれの実態を描く。パワハラ(欧米ではモビングというらしい)、長時間労働、多重債務、郵政民営化を挙げるほか、自衛隊や学校と言った閉ざされた空間でのイジメ問題も取り上げる。本書を読むと、優しい人間ほど生きづらい世の中というのがよく分かるし、人格が破壊されたような人間がはびこっている現実に慄然とさせられる。
 自殺につながる要因が多岐にわたっているため、本書は話題の間口を広げすぎたきらいがある。内容が気迫しているところが惜しい。斎藤貴男らしい深掘りを期待していた評者としては残念な気がする。筆者がWebマガジンや雑誌『創』に掲載した自殺関連の記事をまとめて単行本化したという事情も影響しているのかもしれない。

 

戦争詐欺師
菅原出、講談社、p.302、¥1890

2009.7.21

 イラク戦争でブッシュ政権が判断ミスを連発した舞台裏を描いたノンフィクション。筆者自身が直接取材したケースはアーミテージ国務副長官など少ないが、多くの文献や書籍をベースにブッシュ政権、ネオコン、国務省、国防総省の状況を網羅的に扱っている。イラク戦争とは何だったのか、ネオコンとは何か、当時の米国の政治環境を知るうえで有益な書に仕上がっている。
 筆者はエピローグでこうまとめる。「ブッシュ大統領が信じたヴィジョン、インテリジェンス、そして数々の政策は、チャビラのような戦争詐欺師が振りまいた幻想であり、カーブボールのようなペテン師がついた嘘であり、あらゆるレベルの政策当局者たちの個人的野心、嫉妬心や思い込み、組織同士の対抗意識などが生み出したヒューマンエラーの産物だった」と。イラク侵攻を指揮したトミー・フランクス司令官が、ダグラス・ファイス国防次官を「地球上で最低のくず」とののしった話を本書は紹介しているが、ブッシュ政権の内部抗争はレベルの低い酷い話である。「国務省・CIA」 対 「国防総省・副大統領室(ネオコン)」の抗争、保身、官僚主義、怪しげな戦争詐欺師たちの暗躍が誤った判断を生みだし続けたことを、本書は丹念の裏付けている。
 それにしてもブッシュ親子の識見の差はすさまじい。シニア・ブッシュはイラクに侵攻し占領することの問題点・危険性を、1991年の時点で的確に見抜いていた。そもそも外交と軍事力を絶妙に使いこなして、米国はサダム・フセイン政権を完全にコントロールしていた。それをブッシュ・ジュニアがぶち壊す。出口戦略がほとんどないまま戦争に突入し泥沼にはまった。紛れもない愚息である。

 

こうして特許製品は誕生した!
ベン・イケンソン著、 村井理子・訳、二見書房、p.190、¥1680

2009.7.15

 「こんなものにまで特許が成立しているのか」。意外な発見がある書である。飛行機やヘリコプター、冷蔵庫、指紋のDNA鑑定の特許は納得できるが、自由の女神や脱出機能付き棺桶、ニワトリ用めがね、猫砂、リーバイスのジーンズの留め具となると、ちょっと不思議である。本書にはそんな事例が満載されており楽しめる。見開き2ページに特許名、特許番号、公開日、出願者、設計図などをコンパクトにまとめており読みやすい。どこに特許性があるのか、もう少し深く知りたい気もするが軽い読み物としては仕方がないところ。肩のこらない本なので、夏休みにお薦めである。

 

指揮権発動〜造船疑獄と戦後検察の確立
渡辺文幸、信山社出版、p.240、¥2625

推薦! 2009.7.13

 1954年の造船疑獄事件における指揮権発動の背景に迫った書。指揮権発動から生まれた「正義の特捜」対「巨悪の政界」といった構図が幻想に過ぎないことを、関係者の証言をもとに明らかにしている。知られざる歴史の舞台裏を描いた一級のノンフィクションといえる。
 民主党の小沢一郎・前党首への献金問題(いわゆる西松事件)を契機に検察の姿勢に批判が集まり、日本政治が転換期にさしかかっている今、お薦めの書である。ちなみに西松事件で東京地検を厳しく批判している 特捜 OB の 郷原信郎(現在は名城大学コンプライアンス研究センター長)は、日経ビジネスオンラインに寄せた寄稿で、「戦後検察史の核心を突く迫真のノンフィクション」と本書を紹介している。
 著者は法曽担当の元・共同新聞記者。造船疑獄事件当時の政治状況と検察庁内部の権力闘争を丹念に追いながら、指揮権発動にいたる過程を明らかにする。鳩山やら麻生といった名前がしきりに登場するし、造船疑獄自体も政治献金にまつわる話で、この50年以上も進歩がない感じで情けない。造船疑獄事件の主役ともいえる佐藤栄作自由党幹事長の「検察は報道によって世論を作り、それをバックにしてやろうとする」という批判とか、指揮権発動は「吉田茂が指揮権発動ができるという形を見せたかった」「検察の正義よりも威信を優先した」という関係者の証言を読むと、日本の政治や社会の宿痾を見る気がする。

 

The Juggling Act:Bringing Balance to Your Faith, Family, and Work
Pat Gelsinger、Cook Communications Ministries Int、p.256、$13.99

2009.7.8

 信仰と家族、仕事の間でどのようにバランスをとって人生を歩むべきかを説いた一風変わったビジネス書。筆者自身の生活習慣を披露していることもあって、内容は具体的かつ実践的である。米国の経営幹部の私生活の一端を見ることができ興味深いが、日米の宗教観や家族観の差も感じさせられる書である。
 筆者は米Intelの上級副社長で、80386/i486/Pentium Proの設計者として知られる半導体業界の有名人。評者はIntel関連の書籍を可能な限り読んでいるが、何度もインタビューしているPat Gelsingerが著書を出しているのは日経コンピュータの編集後記を読むまで知らなかった。迂闊だった。それにしても、こんなに信仰に篤い人物だったとは驚きである。かなり印象と違う。ちなみに筆者は、「80386の全てを知る男」「Intelで最も出世が早い男(32歳で副社長、35歳で経営会議入り)」「高卒で技能職からスタートして、技術のトップCTO(Chief Technology Officer)に昇格した」などエピソードに事欠かない人物である。
 筆者がもっとも重視するのが信仰。次に家族、最後が仕事である。「偏執狂だけが生き残る」を標榜するAndy Groveが率いていたIntel で大成功をおさめながら、仕事がもっとも優先度が低いというのも凄い。本書では、ハード・スケジュールをやりくりして信仰と家族の時間を確保する方策を披露しているが、並外れた体力と使命感がないと真似できそうにない。
 Intel に関する記述はごくわずか。それでも Grove がメンター役を買って出たエピソードや、Grove 肝いりのプロジェクトよりも家族との時間を優先した話、信仰心が社内で物議をかもした事件など、興味深い内容が含まれる。Gordon Moore や John Crawford 、Ron Smith といった懐かしい名前が登場するので、それなりに楽しく読める。ちなみに、扉のページには「本書は個人的な見解を述べたものであり、Intel の見解とは無関係」との一言が入っている。

 

ものつくり敗戦〜「匠の呪縛」が日本を衰退させる
木村英紀、日経プレミアシリーズ、p.254、¥893

2009.7.2

 「匠の技」に基づく日本の技術は限界にぶつかり、理論に基づいて行動する欧米に負けるというのが本書の主題。横展開が可能な普遍性ではなく暗黙知を重視する姿勢に、戦前の日本軍の過ちを重ねる。システム思考の軽視が第二の敗戦を招くと主張する。制御理論を専門とする筆者が、理論軽視の日本の産官学に日ごろのウップンをぶつけている感もあるが、主張はそれなりに納得できる。ただし、「ものつくり敗戦」というタイトルの誘われて買うと後悔しそうだ。
 筆者が言うように、最近の物作りは複雑の度を増している。もはや勘と経験と度胸では対応できない規模と複雑度である。見えないモノを見える化したり定量化する技術や理論に昇華するセンスが求められる。ところが、日本では成果を普遍化したり抽象化するモチベーションが弱い。小さな成果で満足してしまい、そこで終わってしまう。目新しくはないが、正鵠を射た指摘である。
 本書の問題は、日本の「ものつくり敗戦」という主張を裏付けるための理論武装が壮大すぎるところと現場感覚が希薄なところ。特に新書の制約を考えると、前者の問題は大きい。大風呂敷を広げた結果、話が核心部分になかなか辿り着けない。読み進むうちに迷路にはまり込んで、そもそも何が核心なのか分からなくなる。科学史や半導体など専門外の分野にスコープを広げたために、「だろう」「ようだ」といった推測が入り議論の勢いが削がれているのは惜しい。背景説明はもう少し簡潔にした方が、ストレートに主張が伝わり説得力が増した。筆者には言いたいことが山ほどあることは痛いほど分かるが、そこを押しとどめて読者の視点に立つのが編集者の役割だろう。

 

2009年6月

名誉毀損〜表現の自由をめぐる攻防〜
山田隆司、岩波新書、p.244、¥819

2009.6.28

 現役の新聞記者が、「名誉毀損」裁判の歴史と問題点を解説するとともに、表現の自由を手厚く保障するための新たな枠組みを提案した書。ポイントを押さえた、よくまとまっている本である。副題にある「表現の自由をめぐる攻防」は評者としても無関心ではいられないテーマだが、ネットでの誹謗中傷などもあり、名誉毀損は一般の方々にとっても身近な脅威になっている。本書は問題点をうまく整理しており、一読をお薦めしたい。ちなみに著者は、記者として活動しながら大阪大学に学士入学して、法律で博士号を取得している。大したものである。
 本書は7件の判決を挙げて、それぞれの事件の背景説明と判決の持つ法的意味を解説する。森喜朗 vs 噂の真相、2ちゃんねるの書き込みに対して動物病院が訴えた事件、北方ジャーナル事件(出版事前差し止め訴訟の例)、女優 vs 女性自身や清原 vs 週刊ポスト(急騰する賠償金の例)などを取り上げる。公人と私人の違い、既存メディアとネットの違い、民事事件と刑事事件の違いなど、名誉毀損を判断するうえで考慮しなければならないパラメータは多岐にわたる。そのため裁判所の判断が揺れ動いていることが本書を読むとよく分かる。
 筆者が危機感を募らせるのは、最近の名誉毀損裁判でメディアに厳しい判決が下される例が多くなっていること。メディア側にも問題はあるものの、賠償金の高騰とあいまって報道姿勢が及び腰になりかねない。表現の自由にとって、大きな脅威となりつつある。そこで筆者は、米国の連邦最高裁判所が示した「現実的悪意の法理」の導入を提案する。これは、公人に対する報道では内容が間違っていたとしても、表現者に「虚偽についての故意または重過失」があったことを、訴えた公人側が立証しない限り名誉毀損の責任は問わないというもの。
 判決文で米国最高裁が示した見解は感動的でさえある。「公職者(政治家や高級官僚)に対する激しく、辛辣で、時には不快なほど攻撃を含んでもよい。そして、自由な討論において、誤った言説は不可避であり、表現の自由が生き残ることに必要な『息つくスペース』を持つためには、それは保護されなければならない」と。

 

創造はシステムである〜「失敗学」から「創造学」へ〜
中尾政之、角川oneテーマ21、p.222、¥740

2009.6.25

 失敗学で知られる中尾政之・東京大学教授による“発想法”の書。東大での講義をベースに、一般人向けに仕立て直している。「東大では今、こんなことを教えているんだ」と、評者の大学時代と大きく異なる授業内容に妙に感心する。教養学部から機械工学科への進学希望者が定員割れする時代である。大学教授にも客寄せする努力が求められているのだろう。
 本書のキモは、創造を生む思考の過程をシステム化しているところにある。いくつかのポイントを押さえれば、誰でもが繰り返し創造ができると説く。議論はそこそこ面白いが想定範囲内といった感じで驚きは少ない。出来としては、可もなし不可もなしといったところ。評者がちょっと役立つと感じたのは、成功を生む思考パターンに言及したところ。上位5件のパターンで全体の69%を占めるらしいが、その中身はなるほどと思わせる。具体的には、1位が「挿入付加」、2位が「分割」、3位が「変形」である。仕事に行き詰まったり、考えが堂々巡りして、ちょっと変化をつけたいときに応用すれば役立つかもしれない。
 筆者は新書という形態を考え、身近な話題を取り上げるなど分かりやすさに配慮している。ただ、どうしても「要件定義」「要求機能」「演算子」「非機能要件」といった言葉が登場してしまう。こうした言葉は、技術屋にはす〜っと胃の腑に落ちるが、一般の人にとって敷居が少々高いのではないだろうか。技術的な話題を取り上げるときの難しさを改めて感じさせる書でもある。

 

市場リスク 暴落は必然か、リチャード・ブックステーバー
遠藤真美・訳、日経BP社、p.447、¥2520

2009.6.23

 リスク管理の専門家が、乱高下する金融市場の仕組みを説いた書。筆者はMITからウォールストリート入りした元・経済学書。米モルガンスタンレーや米ソロモンブラザーズなどを渡り歩いた経験を生かし、金融の仕組みとともに、米国の金融業界の人間模様や組織構造を描き出す。400ページを超える嵩張る本だが、今の時期にお薦めの1冊である。
 本書は、サブプライム問題に端を発する経済危機が起こる前の2007年に発行された。世界的な金融危機を予言したともいえる書である。素人に向けて分かりやすく書こうとする努力の跡が、あちらこちらに見え評価できる。評者のような門外漢でも、つっかえながらも何とか最後まで行き着ける。細部まで理解できる訳ではないが、金融市場と金融工学の大枠の仕組みはおぼろげながら見えてくる。
 筆者は、「米国経済のリスクが著しく低下しているのに、金融市場の総リスクは増大している。金融システムに構造的な欠陥がある重大な兆候である」と述べる。その理由に金融商品が複雑になりすぎたことを挙げる。金融工学に基づいた商品は、計算(シミュレーション)の前提が崩れると、あらぬ方向に動き出す。そうした金融商品が複雑に絡み合うことで、市場は制御がきかなくなり乱高下する。しかも計算の前提が、「株価は突然急激に動くことなく推移する」「市場の流動性は高い」などと、そもそも危うい。グローバル化やIT化の進展も乱高下を増幅する要因となる。
 最後に筆者はこう提言する。「夢想だにしない出来事が次々に起こることが避けられない現実世界では、金融商品を単純化し、レバレッジを減らせば、より堅牢で製造能力の高い市場が創り出せる」と。示唆に富む指摘だが、人間の欲望がそうはさせないことも容易に想像できる。

 

「憂国」と「腐敗」〜日米防衛利権の構造〜
田中稔、野田峯雄、第三書館、p.415、¥2100

2009.6.20

 5兆円の防衛利権を扱ったンフィクション。口ではきれいごとの「憂国」を叫んでいる面々が、裏ではカネまみれで「腐敗」しているというのが本書の主張である。帯には、「憂国」の制服組と「腐敗」の背広組とあるが、これはミスリード気味である。妙な論文を発表して航空幕僚長を解任された田母神俊雄が少し登場するが、制服組の影は薄い。中心は政治家、防衛官僚、軍需産業、政商、怪しげなフィクサーたちである。多くは実名で登場するのでインパクトはある。
 一時期、大いに騒がれた守屋武昌防衛事務次官のスキャンダルを軸に話は進む。熱しやすく冷めやすいマスコミの常で守屋事件を忘れかけているだけに、本書のように冷静に後追いしてくれる書籍はありがたい。守屋をキャッチにしているが、筆者が本当に暴きたいのは「三菱重工をはじめとする軍需産業と政界の闇」。ただ話が整理されておらず、スイートスポットに当たっていない感じがある。切り口としては興味深いだけに、ちょっと残念である。
 防衛省や軍需産業の内部文書、国会の議事録、裁判記録、不動産の登記簿、報道資料などを丹念に読み込んで矛盾を突いてストーリーを組み立てるのが筆者のスタイル。取材が日米の政界、官界、産業界と広範に及ぶこともあって、資料はA4判にして3mに及んだという。ただ田中金脈のように数字に語らせることのできる対象ならよいが、防衛利権ともなるとベールに覆い隠されている部分が多い。黒幕たちの用心深さは尋常じゃないし、年季が入っている。筆者も述べているが、国のシステムとしてビルトインされている感さえある。矛盾がわんさかあって状況証拠的には黒であっても、なかなか断定できない。掻靴掻痒の感が否めない。関係者への取材を通して足りない部分を埋め核心に迫る必要があるが、当然だが取材には容易に応じない。会えたとしても、言葉巧みにはぐらかす。悪条件が揃っていることを考えると、敢闘賞もののノンフィクションである。後編もあるようなので、次回は金星を挙げて殊勲賞といきたいところだ。

 

日本人の好きなもの〜データで読む嗜好と価値観〜
NHK放送文化研究所世論調査部、生活人新書、p.212、¥735

2009.6.17

 NHK放送文化研究所が全国300地点、3600人(有効回答は2400人ほど)を対象に行った調査をまとめたもの。結果の羅列が中心で、男女別や年層別、地域別の少しばかりの分析というスタイルをとる。前回調査は1983年とあって、変わりゆく日本人の価値観や生活を定量的に裏付けた「新・日本人論」を期待したが、あてが外れた。「日本人は好き嫌いにこだわらなくなった」可能性を示唆しているところが目新しい程度。もう少し突っ込みが欲しいところだが、本書の趣旨とは違うのだろう。生のデータを提示するので、「皆さんそれぞれ考えてね」というスタイルである。
 調査結果から得られた平均的日本人像は「犬を連れて、桜を愛でて、すしを食う」。違和感のない結果だが、当たり前すぎてつまらないとも言える。調査は54項目について、選択肢方式と自由回答方式を組み合わせて回答を求めるもの。前者には62もの選択肢(複数回答可能)を用意した設問もある。好きな食べ物、飲み物、スポーツ、プロ野球チーム、タレント、山、動物、植物、音楽、方角、色といった項目がずらりと並ぶ。さぞかし、回答する側の負荷は大変なものだったろう。
 圧倒的に支持を得ているのが果物のイチゴと余暇にすることのテレビで、75%の支持率を得ている。好きなスポーツ選手ではイチローがすべての年齢層で、男女を問わず1位になっているのが凄い。好きな国のランキングは意外な結果になっているが、それは読んでのお楽しみである。しかし、さすがに54項目も並ぶと飽きてしまう。

 

科学技術と企業家の精神〜新しい産業革命のために〜
藤原洋、岩波書店、p.214、¥2205

2009.6.16

 インターネット総合研究所の所長である藤原洋氏の書。IPOしたときに脚光を浴びたのが懐かしく思い出される。それなりに期待して読み始めたものの、途中からガッカリ・モードに入る。IT業界に詳しくない人には、シンプルにまとまているので向くのかもしれないが、いまさらアルテア8800やBill GatesのBasicでもないだろう。全体に尖った議論が欲しかった書である。帯には、評者もよく知る京都大学 松本紘総長が推薦文を書いている。「心躍る思いで一気に読んだ久々の胸すく良書」というのは、ちょっと言い過ぎ。同業者としては、何カ所かある校正漏れも初歩的だけに気になるところである。
 「社会発展の原動力は、イデオロギーではなく、テクノロジーである」「経済力の基盤は科学技術力である」というのが本書を執筆した動機の一つ。正論なのだが、話が発散しすぎて説得できていない。イノベーション、研究・開発、教育、社会と総花的に話が展開する。著者の主張として24個の項目を掲げている。最初は上述の「社会発展の原動力は、イデオロギーではなく、テクノロジーである」だが、独自性の感じられない主張が多いは残念。そもそも200ページ強の本なので24個の主張は盛り込みすぎ。1項目10ページ弱では、深みのある、説得力のある議論を展開するのは難しい。読み進むにつれて、単に行数を埋めている雰囲気が漂ってくる。
 ただ筆者の好奇心の強さは、本書を読むとよく分かる。独特の嗅覚で、旬のビジネスに次々に顔を突っ込む感じである。そうして培った人的ネットワークが筆者の価値を高めている。特に大学の先生にとって、産業界との橋渡し役として貴重な存在といえるだろう。

 

Suicaが世界を変える〜JR東日本が起こす生活革命から〜
椎橋章夫、東京新聞出版局、p.224、¥1200

2009.6.10

 Suica(SuperUrban Intelligent CArd)プロジェクトを推進した機械技術者の手による開発物語。「エンジニアの仕事は面白い」と感じさせてくれる良書である。若い技術者や、初心を忘れてしまった古株エンジニアに薦めたい。2007年10月20日に起きた改札機の大規模障害にも触れているが、サラっと流しているのは本書の趣旨から外れるので仕方がないところだろう。
 本書を読むと、Suica だけではなく 日本の改札機がきめ細かい工夫にあふれていることがよく分かる。例えば磁気式の改札機。2枚重ねで乗車券を投入しても1枚1枚分離して読み取る方法や、裏表・縦横どのように乗車券投入しても的確にデータを読み取る機構など、実に興味深い。やり過ぎの感もあるが、いかにも日本のシステムである。Suicaの工夫はいずれも、日本の殺人的な通勤アワーをさばくため。改札機で少しでも人の流れが滞ると、駅は大変な状態になってしまう。ちょっと考えても大変そうな課題である。逆に言えば、技術者魂を奮い立たせる目標ともいえる。ちなみに改札機の最大処理能力は60人/分で欧州の2倍という。
 Suicaのほか、改札機や券売機の自動化の歴史なども紹介している。券売機の印刷の苦労話(すぐに乾かないといけない)や乗車券を薄くするときにチープ感をなくすために乗車券の手触りを工夫した話など、鉄道好きには楽しめる書である。

 

全集日本の歴史 10:徳川の国家デザイン
水本邦彦、小学館、p.370、¥2520

2009.6.9

 タイトルには徳川となっているが、江戸時代の国家アーキテクチャを、豊臣秀吉の刀狩りや検地などからの流れを踏まえ論じている。江戸時代くらいになると知っていることが多いはずなのに、「そんなことがあったのか」「そうだったのか」と意外な発見の多い書である。
 最初に取り上げるのは京都の話。徳川家康だけではなく、豊臣秀吉や織田信長と京都とのかかわりを論じる。現在の二条城は2代目で初代は信長が創建したとか、聚楽第は秀吉が京都の首都化のために打った布石といった話は本書で初めて知った。江戸の都市計画の話も興味深い。水問題やごみ処理問題、防火/消火のための仕組みなど、身近な話題が多い。庶民の暮らしにスポットを当てているのも本書の特徴である。荒廃地や新開地を抱えた領主や村が、積極的に農民をリクルートしていたという話も面白い。封建時代は身分制度に縛られ、庶民の移動はもってのほかというイメージがあるが、どうも実態は大きく異なっていたようだ。
 庶民を縛った村の掟は、ここまで決めるかといった感じである。就寝時刻や起床時刻を定めるほか、「作物は暮れ六つ(午後6時)以後は取り入れてはいけない」「落ち葉は2月1日から霜月1日までいっさい掻きとってはいけない」といった掟もある。庶民の暮らしぶりを垣間見ることができる歴史書である。

 

すべて僕に任せてください〜東工大モーレツ天才助教授の悲劇〜
今野浩、新潮社、p.205、¥1575

2009.6.6

 記者時代に取材した東京工業大学・今野浩教授(当時、現在は中央大学理工学部教授)の名前を見て購入した書。確か1990年代半ばに、カーマーカー特許について取材したと記憶する。OR(オペレーション・リサーチ)の大御所として話を聞いた。本書は、白川浩という若手研究者の学者人生を指導教官の目を通して描くほか、東工大の“職員室”や学者社会の実態、お役所仕事のデタラメさを活写している。よほど差し障りのある人を除いて、江藤淳や永井陽之助などの有名人が実名で登場する。大御所たちのハチャメチャな素顔を垣間見ることができる。昔から江藤淳がなぜ東工大なのか不思議に思っていたが、その謎も本書で明かされる。
 金融工学(理財工学)に白川という世界レベルの逸材がいたとは、寡聞にして知らなかった。奇人だがエンジニアらしく人柄のよい白川は、どんどん仕事を背負い込み疲弊する。直截的な物言いと人付き合いの悪さが周辺に敵を作ってしまう。金融工学が学際領域ということもあって経済学者や数学者には足を引っ張られるし、文系学者の政治的な動きにナイーブな工学者は翻弄される。著者ら先輩教授の後押しもあって理財工学研究センターの教授にまで昇進するが、最後は癌に冒され42歳の若さで亡くなる。象牙の塔にありがちな話が延々と続く。
 本書は夭折した弟子に向けた指導教官による鎮魂歌だが、閉鎖的な学者社会を内部告発した書としても読める。ただし、自己弁護的な話がときおり顔を見せることもあって、後味が苦く読後感はあまりよくない。

 

ハチはなぜ大量死したのか
ローワン・ジェイコブセン著、中里京子・訳、文藝春秋、p.320、¥2000

2009.6.4

 新聞などで話題になっている「ハチ失踪事件」を追ったノンフィクション。興味深い話が続々出てきて、一気に読ませる。それにしても不思議な話である。働き蜂がこつ然と姿を消し、死体さえ見つからない。本書によると、2007年の春までに実に北半球のミツバチの1/4が失踪したという。その結果、ハチの受粉活動に支えられていた果物/野菜農家は大打撃を受けている。こんなことが世界中で進行していたなんて最近まで知らなかった。原題は『実りなき秋(Fruitless Fall)』。レイチェル・カールソンの名著『沈黙の春』を意識したタイトルである。
 ハチが失踪する現象はCCD(Colony Collapse Disorder:蜂群崩壊症候群)と呼ばれる。本書はCCDの発生と進展、原因だけではなく、蜂の生態、養蜂の歴史、蜂蜜ビジネス、農業への影響などをカバーする。ハチを死に追いやる原因としては、ダニ、ウイルス(ハチのエイズ)、ストレス、農薬などが挙げられる。こうした原因の背景となっているのは、生産性向上を至上命題として生態系を破壊することに無神経な現代社会の仕組みだと、筆者は手厳しく批判する。ありがちなパターンだが、豊富な事例で説得力をもたしている。
 本筋とは関係ないが、興味深く読んだのは付録に出てくる「みつばちの飼育」の話。ネットで検索したら「飼育セット」が日本でも手に入ることが判明。手ごろな価格のセットもあり、ちょっとそそられた。もっとも買ったら周囲から総スカンを食いそうなので諦めたのだが・・・・

 

オバマの言語感覚〜人を動かすことば〜
東照二、NHK出版 生活人新書、p.222、¥735

2009.6.1

 オバマの演説の魅力を言語学的に分析するとともに言葉の影響力を問いた書。オバマ演説の内容の濃さとディスコース(言葉の使い方)の秀抜さに感服してしまう。こういう政治家を生み出す米国社会の懐の深さと力強さを痛感させられる。ちなみにオバマとの対比で、麻生の演説を分析している。完膚なきまでに叩きのめされるのは目に見えていたが、あまりの差の酷さに絶望的な気分にさせられる。日本でオバマ演説集がベストセラーになった理由も分かる。筆者はユタ大学教授の言語学者。この書評で高く評価した「言語学者が政治家を丸裸にする」の続刊が本書である。
 本書を読んで思い出されたのは、かなり昔に見たランディ・ジョンソン投手(この6月5日に45歳で300勝をあげた大リーガー)へのインタビューである。インタビューしたのは筑紫哲也だったと記憶している。野球選手にインタビューしても、日本人選手はエピソードしか語れないことが多い。深みもへったくれもない。一方で、ジョンソンのコメントがきわめて哲学的なのに驚いた記憶がある。
 オバマ 対 麻生の比較にもその構造が出ている。オバマの大統領就任演説を聞いて、麻生は「経済危機の認識を示した演説で自分と同じ」と我田引水して答えていたのをテレビで見た記憶がある。こんな感想しか持たないところに、筆者は麻生のセンスの悪さやリーダとしての資質の欠如をみている。オバマ演説は、経済危機の存在を前提に置きながらも、それを超えたアメリカ国民、人間としての誇り、責任、役割、義務、自信、充実感、希望、夢について語っている。現実的な経済政策を述べた演説と言うより、もっと根源的で哲学的な方向性、可能性、未来像を語ったものだと。
 二人の演説を言語学的に分析した結果、オバマの主語がほとんど「We」「Our」なのに対し、麻生は「私」というのも目線の違いを感じさせられる話である。目線はやはり、「下々の皆さん」なのだろう。言葉は人を表している。言葉の大切さ以上に、いろいろと考えさせられる内容を含んだ良書といえる。手軽に読める、お薦めの一冊である。

 

2009年5月

新世紀メディア論〜新聞・雑誌が死ぬ前に
小林弘人、バジリコ、p.301、¥1575

2009.5.29

 メインタイトルは月並みだが、副題の「新聞・雑誌が死ぬ前に」は強烈。確かに、ウェブメディアの台頭やサブプライム問題に端を発した経済危機によって、新聞・雑誌といった既存のメディア業界は大変な苦境にある。広告収入の激減や部数の減少が引き金になって、夕刊の廃止や有名雑誌の休刊が相次いでいる。本書は、危機に瀕する紙メディアと台頭著しいウェブメディアの在り方と今後を論じている。学者や評論家の空疎になりがちな話とは違い、現場体験に基づいた実践家の見解だけに説得力がある。筆者は日本語版ワイヤードやサイゾーを創刊、ガジェットを紹介するWebギズモード・ジャパンを立ち上げるなど、紙メディアとネットメディアの双方に通じている。日経ビジネスオンラインの寄稿を加筆修正して単行本化したのが本書である。
 筆者はこう指摘する。「高学歴な凡人サラリーマンのつくるメディアよりも、業態こそ違え、社会経験豊富な専門家の送り出すメディアの方が魅力的な時代」だと。ううむ、正鵠を射ている。辛いが反論できない。凡人・職業記者にとって生きにくい時代である。ちょっと手間をかければプロフェッショナルの見解にアクセスできる時代なので、凡人・職業記者の底の浅さは見透かされるし、頭で理屈をこねくり回しても空理空論はすぐに論破される。カンバンだけでは通用しない時代である。日経ビジネスオンラインにアップされた久保利英明弁護士のコメントにも通じる話である。久保利弁護士はこう語る。「今のように、インターネットで誰でも情報を発信できる時代に、メディアが素人に毛が少し生えただけ、中には毛も生えていないような人間に、影響力のある情報発信の場を安易に与えると、自らの首を絞めることになる」。
 しかし紙メディアや職業記者は捨てたモノではないと、評者は強く考えている。職業柄、多くの紙メディアとウェブメディアをアクセスしているが、ウェブメディアの限界を毎日のように感じている。ウェブメディアは玉石混淆で情報を得るには効率が悪いし、ビジュアル面の制約はいかんともしがたい。頭にす〜っと論点が入ってこないので気色が悪い。評者の読み方にも問題はあるのだが、論点と視野がピンポイントになりがちなので落ち着かない。見識と知識をあわせもつ訓練された職業記者の記事を紙メディアでしっかり読みたいと日ごろ思っている。筆者があとがきで書いているように、紙メディアはもっと「あがく」べきなのだと思う。その意味で、あがきたい人に対して「励ますこと・注意すること・触発すること」を基本機能とする本書の狙いは十分成功している。

 

日本の電機産業に未来はあるのか
若林秀樹、洋泉社、p.302、¥1575

2009.5.26

 小康状態とはいえ経済危機が収まらない現状を考えると、この時期に刊行するのは勇気のいる内容の書である。リアルタイムでの動きがあまりに急激で、月刊誌でさえ辛く、単行本ではとうてい追い切れない。内容的にどうしても陳腐になりがちである。本書にも東芝や日立の社長交代を扱っていないなど同様の辛さがあるが、20年にわたって電機業界を担当した元アナリストの筆者はさすがにうまく状況をまとめている。産業全体を俯瞰するうえでは真っ当な議論を展開しているので、電機業界に詳しくない方が読んで全体像を把握するには役立つ。逆に、少しでも業界を知っている方々には、刮目すべき議論が少なく退屈かもしれない。
 本書は5章から成る。2009年の見通し、2010年以降の中期予測、電機業界の再編、技術動向、エレクトロニクス企業について論じる。第5章のエレクトロニクス企業の紹介は完全にオマケ。読み飛ばしても構わない。最後に苦言を一つ。富士フイルムを富士フィルム、コニカミノルタをコミカミノルタと誤記しているのは、電機業界20年の元アナリストとしては少々お粗末。特に前者は全編通して徹底的に間違っており筆者か編集者が気づきそうなもの。見逃されたのは不思議である。

 

名作マンガの間取り
影山明仁、ソフトバンク クリエイティブ、p.111、¥952

2009.5.24

 「巨人の星」「天才バカボン」「サザエさん」「じゃりン子チエ」などのマンガやアニメに登場する、主人公の住む家の間取りを再現した書。見開き2ページで一つの家を紹介するスタイルをとる。111ページとコンパクトな本なので、ちょっとした空き時間の暇つぶしに向く書である。筆者は盛岡市の不動産業・建築コンサルタント。マンガ好きと本業が本書につながった格好である。
 42軒の家それぞれの所在地や入居者、構造/工法、平面図といったデータのほか、間取りを再現する際の苦労話など簡単なコメントを付け加えている。これがなかなか楽しい。それに平面図は多くのことを語ってくれる。今の家ではお目にかかることの少ない「濡れ縁」や「広縁」、「土間」など、評者が昔住んでいた家や祖母の家などを思いこさせてくれる。

 

健康格差社会〜何が心と健康を蝕むのか〜
近藤克則、医学書院、p.197、¥2625

2009.5.22

 社会疫学の入門書。社会疫学とは、健康は医学・生物学的な側面だけではなく、社会的・心理的な観点からもとらえるべきだとする学問。数多くの実証データを交えた論理展開は説得力があり、読み応え十分である。タイトルから、「金持ちは優れた医療が受けられ、貧乏人はその逆」といった主張を展開するはやりの“格差本”を想像していたが大間違い。学歴や職業、所得といった社会経済的な格差による慢性ストレスが心理面に影響を及ぼし、それが健康を蝕む要因になるというのが本書の主張である。
 本書は、格差社会が健康に悪い理由、健康教育や介護予防が機能しない理由、健康によい社会経済政策とは、といった切り口から議論を展開する。専門的な話だけではなく、「病は気から」はどこまで実証されているか、ポジティブな生き抜く力は命を救う、なぜ結婚や友達は健康によいのか、といった下世話な話題も取り上げ、幅広い読者層をねらっている。狙いの一部は成功しているが、豊富な内容を200ページ弱に詰め込んだせいで全体に説明不足の感があるのは残念。結論を急ぎすぎて説明が粗く、意味をとりづらい箇所が散見される。編集者がもう少し手を入れるべきだっただろう。

 

rown Up Digital:How the Net Generation is Changing Your World HC
Don Tapscott、McGraw-Hil、p.384、$27.95

2009.5.22

 のんびり読んでいるうちに翔泳社から日本語版「デジタルネイティブが世界を変える」が出てしまった。少々くやしい。本書で展開されるのは、日本を含む世界12カ国を対象した6000人に及ぶ400万ドルを費やした若者調査に基づくネット社会論。豊富なデータを使って説得力を増している。インターネットやパソコン、携帯電話と違和感なく付き合う世代が作っていく政治や文化、社会、ネット世代に向けた教育法やマネジメント法、マーケティング術など広範囲の話題を取り上げる。各章の最後には、旧世代(親や企業の管理職、政治家など)に向けて、ネット世代と付き合うヒントを掲げる。米国の本らしく冗長な感じもあるが、そこそこ面白いし、英語もプレーンなのですいすい読める。
 著者のTapscottは「ウィキノミクス」の共著者。当然、この分野はお手の物である。1998年には本書の前身ともいえる「Growing Up Digital: The Rise of the Net Generation 」も上梓している。前著はAmazon.comでランキング1位になったというが、今回は「目から鱗」の部分が少ないだけに、2匹目のドジョウは厳しい気がする。ちなみに筆者が“Net Genration”と定義するのは16歳〜29歳で、特徴として以下の八つを挙げている。
・Want Freedom
・Love to Customize
・Intense Scrutiny ・Look for Corporate Inregrity and Opennness
・Entertainment and Play in their Work、Education and Social Life
・Collaboration and Relationship Generation
・Need for Speed
・Innovator
 本書を読むと、マスメディアの世界の先行きに危機感が募る。出版(版を出す)、放送(送りっ放し)、広告(広く告げる)という旧来型マスメディアとは正反対の世界が本書には描かれている。このほか本筋から外れるが、米国の大学教育と家庭像を扱った個所は興味深い。先入観とえらく違う。例えば米国の親は早い時期に子離れ(子どもは親離れ)する印象があったが、どうも違う。最近は親に寄生するパラサイト・シングルが普通のようだし、子どものことが気になり上空をホバリングする“ヘリコプター・ペアレント”なる親も登場したようだ。

 

最強のコスト削減〜いかなる経営環境でも利益を創出する経営体質への変革〜
栗谷仁編著、A.T.カーニー監修、東洋経済新報社、p.236、¥2520

2009.05.09

 ITコスト、印刷代、施設管理費、広告費といった間接材コストの削減にどのように取り組むべきかを、コンサルタントらしく理路整然と説いた指南書。企業の経営者向けに書かれているので、現場の担当者からすれば「知っていることを羅列しただけ」といった意見が出そうである。
 本書の価値は、中途半端に終わっている各論ではなく、網羅的に間接材コストを取り扱っているところにある。印刷費やIT費用など、評者に土地勘のある章の内容は退屈だが、他の間接材を取り上げた部分は知らなかった指摘が多くそれなりに役立つ。いずれの章でも、間接材の取引先とコストをゼロから見直すことで必ず経費は下がると断言する(本書の趣旨からして当然だが)。しかも製造原材料のように設計段階まで戻る必要がないので、間接材コストの削減は即効性が期待できるので早急に着手すべきとアドバイスする。
 疑問を感じる部分もある。説得力をもたせるために市場データを使っているのはコンサル流だが、あまりにアバウトな話で現場での交渉で役立つとは考えづらい。数字のマジックには要注意だ。経営者向けということもあって、上から目線での書き口も少々気になる。もっともな指摘も多いが、現場には現場の事情があるのだろうとつい思ってしまう。

 

超簡単 お金の運用術
山崎元、朝日新書、p.211、¥735

2009.05.08

 このところ雑誌でよく顔をみる山崎元の投資本。普通の人にとって「ほぼベスト」で楽チンちんな投資法を指南しているというのがキャッチコピー。2008年12月末に上梓された本なのでリーマンショックを前提に書かれているはずだが、ざっと見たところ山崎は投資方針を変え様子は見えない。
 筆者が勧めるのは、国内外のETF(上場投信)一本ずつへの投資と実にシンプル。金融商品の大半は検討にすら値しない、銀行は資産運用には使わない、「ドルコスト平均法」は蓄財に有効とは言えない、普通の人が投資できる金融商品で一番ダメなのは外貨預金、など投資家の“定説”を根拠がないと断言してバッサバッサと切り捨てる。
 筆者は、三菱商事、野村投信、住友信託など12回の転職を経て、現在は経済評論家とともに楽天証券経済研究所の客員研究員を務めている。金融関係ドップリの社会人人生である。本書を読むと、マスコミからの引き合いが多い理由がよく分かる。とにかく主張がハッキリしている。取材先や広告主など四方八方に気を配ると、何を主張したい分からない記事になりがちだが、そうしたなかで断言調の山崎の主張は貴重なのだろう。

 

裁かれる三菱自動車
小林秀之、日本評論社、p.233、¥1575

2009.05.04

 三菱自動車工業製トラクターのタイヤ脱輪で母子が死傷した2002年1月の事故と同社の組織的リコール隠しを扱ったノンフィクション。いずれの事件も鮮明に記憶に残っているが、あれから7年以上もたっているとは少々驚きだ。WOWOWが、この事件を題材にした小説「空飛ぶタイヤ」をドラマ化したのを見て、改めて事件を辿ろうと考えたのが本書を購入したキッカケ。この事件を詳しく扱ったノンフィクションが本書しか存在しないのも驚きだったが・・・。
 内容的には、筆者の小林が直接裁判に関わった母子死傷故に重きが置かれている。筆者は一橋大学大学院教授(当時は上智大学)の法律家で、民事訴訟法や製造物責任を専門としている。本書以外に一般向けの書籍は手がけていないようだ。判決が出る前の2005年に上梓されたこともあって、記述は淡々として事実だけを押さえている感じが出ている。正直なところ、もう少し背景を書き込んで行間を埋めた方が読みやすいノンフィクションになっただろう。そのせいか、いまだに初版1刷りが入手できる。
 タイヤ脱輪事故とリコール隠しについては、東京高裁が三菱自工の幹部に対する有罪判決を2008年から2009年にかけて相次いで下した。本書が描くのは、亡くなった女性の母親と街の弁護士が立ち上がり訴訟に持ち込み、和解交渉のテーブルに着くが決裂するまで。大企業に挑む過程や、途中で弁護士がセクハラ事件に巻き込まれるなどドラマチックな要素が多いので、色気のない記述は惜しい。別のノンフィクションが登場するかもしれない。

 

全集 日本の歴史 9:「鎖国」という外交
ロナルド・トビ、小学館、p.370、¥2520

2009.05.03

 米イリノイ大学教授の米国人歴史学者の手による日本の歴史。鎖国の背景や実際を軸に、江戸幕府や庶民が持っていた外国観を紹介する。具体的には鎖国にいたるまでの経緯と成立、鎖国時代における海外との交流、江戸時代の庶民の国際感覚などを扱う。全集形式の歴史書は対象とする範囲が広くなり、内容が希釈されて雑ぱくになりがちである。この点、本書は対象を比較的狭めていることもあって、深掘りされていて読み応えがある。とりわけ、実は開かれていた江戸時代の姿を「富士山」の描かれ方に焦点を絞った部分は秀抜である。
 徳川家康・秀忠・家光によって鎖国政策が進められ、1630年代に国を閉ざしたというのが一般的な理解だが、著者はこうした史観は覆されたと主張する。最近の研究成果によると、鎖国以降も続いた朝鮮通信使や対馬藩の朝鮮貿易をはじめ、日本は東アジアと密接な関係を保ち続けていた。「鎖国」=「国を完全に閉ざしていた」という認識は否定されたという。琉球や蝦夷に対する江戸幕府のスタンスが一定しなかったことも興味深い。日本地図を作成するたびに、琉球や蝦夷が境界内になったり境界外になったりと揺れ動いた。

 

思考停止社会〜「遵守」に蝕まれる日本〜
郷原信郎、講談社現代新書、p.210、¥777

2009.05.01

 元検事で、現在は名城大学教授コンプライアンス研究センター長である郷原信郎の書。最近の新書にありがちな誇大表示ではなく、タイトル通りの内容である。要するに、「日本人は自分の頭で考えなくなった」「理不尽でも、法律で決まれば言われるがまま、なされるがまま」という日本社会の状況に警鐘を鳴らす。マスコミに対する批判も痛烈。郷原自身が調査委員としてかかわった「不二家の消費期限切れ原材料使用」や「社保庁の年金記録改ざん」などを取り上げ、ステレオタイプ的報道をまき散らし、検証もせずバッシングを繰り返すマスコミを糾弾している。指摘はいちいち耳が痛いが、調査委員という立場もあってバイアスを感じる記述も散見する。
 本書が挙げる思考停止の事例は多い。前述の不二家事件、社保庁問題のほか、シアン化合物混入で商品の自主回収を行った伊藤ハム、耐震偽装問題、ライブドア事件、村上ファンド事件、裁判員制度など多岐にわたる。これらの事件をマスコミは単純化して描き、的外れの悪者を作り出し、メディアスクラムを組んで一方向に突き進んだというのが著者の主張である。確かに、現場を知らない“頭でっかち”な記者は、足で稼ぐことなく、頭で記事を書きがちなのは否定できない。その結果、無理解や誤解に基づく記事が生まれる可能性が出てくる。しかもいったん貼られたレッテルは一人歩きし、報道内容にどんどんバイアスがかかる。郷原の主張は目新しくはないが、評者も含め反省すべき点を含んでいるのは間違いない。
 ちなみにマスコミ批判とともに本書の柱となっているのが、経済司法に対する問題提起である。ライブドア事件や村上ファンド事件を例に、経済司法の貧困さを明らかにしている。

 

2009年4月

「食糧危機」をあおってはいけない
川島博之、Bunshun Paperbacks、p.237、¥1150

2009.04.29

 食糧危機が迫っているような雰囲気がないだろうか。「発展途上国の人口爆発で、世界の食糧危機は避けられない」「BRICsの経済成長によって肉食が増え、飼料として大量に消費され穀物が不足する」「バイオ燃料の普及でトウモロコシなどの穀物が不足する」。本書は、これらの通説には根拠がないことを学術的に裏付けている。筆者はシステム工学が専門の東京大学准教授。統計データを駆使して食糧危機が起こる可能性が低いことを、噛んで含めるように説いている。
 食糧は実は余っている、あるいは増産の余地が大きいというのが筆者の見立てである。「発展途上国が経済成長すると、子供の教育への投資を増やすので少子化が進み人口は爆発しない」「生産性の向上や農業用地の拡大で食糧には大きな増産余地がある」「中国やインドでは文化的背景から牛肉(飼料の消費が大きい)の消費は拡大しないので穀物が不足することはない」など著者の反証は具体的で説得力がある。
 それにしても、食糧危機という空気が生まれているのだろうか。責任の一端は、食糧危機を喧伝するマスコミにあるのは確かだろう。なにせ論理が単純明快で分かりやすい。直感に訴えるので記事に仕立てやすいのは事実である。学者はどうしたのだろう。儲からない研究なんてしないのだろうか。よく分からない。

 

ウォール街のランダム・ウォーカー〜株式投資の不滅の真理〜
バートン・マルキール著、井手正介・訳、日本経済新聞出版社、p.472、¥2415

2009.04.23

 「世界で最も読まれている株式投資のバイブル」「こんなに株は面白い」というのがキャッチコピーである。素人でもすんなり理解できる書き口で株式市場のカラクリを説明する力量は大したものである。株価の挙動を学術的に探求した書なので、前者のコピーは納得できる。1973年初版で、すでに9版を重ねているので“世界で最も読まれている”かもしれない。しかし後者のコピーはちょっといただけない。本書で著者が主張するのは「退屈な投資こそが儲かる」。じっと我慢の子といった投資術が“面白い”とは少々言いづらいだろう。
 本書では、業者に騙されない賢い株式投資術が紹介されている。株式相場の先行きを読むための手法がこれまで多く提案されているが、いずれも根拠がないことをデータを用いて証明する。またバブルの構造を解き明かすとともに、証券会社による「騙しのテクニック」の数々を暴く。その手際は実に見事だ。大学教授で投資会社重役の肩書きを持つ筆者の面目躍如といったところである。投資に無縁な評者にも勉強になる話が多い。
 先にも述べたが、筆者の唱える株式投資必勝法は実にシンプル。「ダウやS&Pといったインデックスに連動する投資信託を買って、ずっと持ち続けよ」である。プロのファンド・マネジャーに運用させても、長い目で見ればインデックス投資にほとんどは勝てない。手数料が無駄なだけで、「チンパンジーがウォルストリート・ジャーナル紙の相場欄にダーツを投げて選んだ銘柄から成るポートフォリオでも、プロのファンドマネジャーと同じような成果を上げることができる」とさえ主張する。
 9版の本書が上梓されたのは2006年。ITバブル崩壊までをカバーしている。今回の百年一度の経済・金融危機で、本書が唱えるリスク分散の考え方が変わってきているはずなので、早期の改版が待たれるところである。

 

近藤義郎と学ぶ考古学通論
近藤義郎、青木書店、p.244、¥2940

2009.04.21

 発掘50年の考古学の大家が1996年に岡山文化センターで行った講義『考古学入門』を単行本化したもの。考古学を基礎から説いており非常に分かりやすい。発掘現場でのエピソードを交えながら、考古学に対する素人の誤解や勘違いをユーモアたっぷりに指摘している。講義を文章におこしたため雑ぱくな印象は否めないが、逆に名調子の語り口の雰囲気が出ている。講義を受けると楽しいのだろうなぁという思いにさせられる。
 本書は、考古資料(遺物や遺跡)の見方など考古学の基礎に始まり、自然科学とのかかわり、時代推定の仕方、貝塚や弥生土器、古墳の発見・発掘、考古学における発掘の意味と意義、日本の考古学事情など幅広い領域をカバーする。筆者は元・岡山大学教授で、現在は退官して発掘三昧の日々を送っているという。何とも愉快そうな人生である。

 

暴走する脳科学〜哲学・倫理学からの批判的検討〜
河野哲也、光文社新書、p.216、¥777

2009.04.15

 「脳を科学的に解明すれば人間の心や社会の動きは理解できる」という脳科学者の思い上がりを立教大学文学部教授の哲学者が批判した書。脳科学の知見に基づいているかのような誤解を与える「脳科学商品」や「脳トレーニング法」を疑似科学や似非(えせ)科学と非難する。脳科学者の思い上がりに対しても手厳しい。自分の専門を超えて政治や教育、健康などの分野で無責任な放言を繰り返し、それがあたかも科学的な裏付けがあるかのように受け止められている社会現象に対しても疑義を呈する。哲学者らしい上滑りした表現があり読みづらいところもあるが、そこそこ面白い。
 筆者が抱く最大の疑問は、「脳=心」なのか、脳科学を極めれば人間の行動をすべて解明できるのかという点である。筆者の主張は、人間の行動や心には外部環境によって規定される社会的な部分が少なからず存在し、脳の研究だけでは解明できないというモノ。「私ではなく、脳が決断するのであり、意志の自由という感情は幻想である」と主張する脳科学者を批判する。このほか脳科学の研究成果が医療や教育、犯罪捜査、裁判などに無批判に応用されることの問題にも言及している。例えば認知症などの病気の治療を目的に開発された薬を、スマ−トドラッグとして健常人の脳機能の拡張(例えば記憶力増進など)を使うことの問題を指摘する。
 哲学者が脳科学者を批判するという設定は編集者のアイデア勝ちだが、内容は予定調和のレベルにとどまっている。目から鱗の指摘があるわけではなく、人文科学から自然科学を批判する場合にありがちな主張が少なくない。

 

The Race for a New Game Machine:Creating the Chips Inside the Xbox 360 and the PlayStation 3
David Shippy、Mickie Phipps、Citadel Press、p.240、$21.95

2009.04.14

 PlayStation 3に搭載されているマイクロプロセサ「Cell」の開発物語。ジャーナリストではなく、開発に携わった米IBMのチーフ・アーキテクトとプロジェクト・マネジャーが筆をとっているところが珍しい。開発の途中で発覚した凡ミスやソニー 久多良木からの仕様変更要求、ソニーが特許を独占しようとした件、米MicrosoftがXbos 360向けチップ開発で途中で割り込んできた話など、トピックが多くて飽きない。開発設計チームのマネジメント論や米国の技術者採用事情といったところも興味深い。技術者の文章だが、読みやすく仕上がっている(日本の技術者の文章は読みづらいものが多い)。小難しい英単語や言い回しが少ないのもありがたい。
 ただし本書を読みこなすには、そこそこの技術的知識が必要である。out-of-order、ファンアウト、プリフェッチ、クロストークなどの専門語が無造作に使われている。PS3向けCellとXbox向けマイクロプロセッサの違いは、専門用語を知らないと正確には理解できないだろう。本書を一般書ととらえたときの難点と言える。Cellの開発にはIBMのほか、ソニーと東芝が加わったが、日本人技術者(評者が知っているか方も何人か登場)の技術力を認める一方で、英語力については手厳しい評価を与えている。技術者らしい率直な物言いだが、実名で登場しているソニーの技術者にはちょっと気の毒である。
 見所は、IBMがソニー/東芝とMicrosoftを二股かけたことに端を発するドタバタ劇。しかも同じオースチンの開発センターに拠点を置いたので、ソニーや東芝の技術者にバレないように四苦八苦した様子が描かれている。ソニーとMicrosoftのゲーム機に関する考え方の差も興味深い。Microsftはバグの存在を承知で当初の予定通り2005年のXマス商戦にXbos360を投入し、ソニーは2006年11月まで出荷を延期した。筆者はこの決定を、「Microsoftらしくリスクをとった」と皮肉っている。

 

高齢者医療難民
吉岡充、村上正泰、PHP新書、p.203、¥735

2009.04.06

 現役の医者と医療制度改革に携わった元厚労官僚(財務省から出向)が、高齢者医療制度の問題点を論じた書。構造改革と財政再建がない交ぜになって医療と介護の現場を混乱させ、大量の高齢者を行き場のない状況に追い込んだと指摘する。最大の問題は、財政再建の旗印のもとに介護療養病床を廃止(あるいは大幅削減)を実行しようとしたところ。これが11万人の“医療難民”につながった。
 本書を読むと政府と官僚の無責任体制と“お上”意識がよく分かる。「我々エリートに任せておけ、下々のものは黙っておれ」と国民に白紙の委任状を出させておきながら、現場を知らない制度設計を行ってしまい、結局は破綻する。本書を読むと、医療制度のような国の根幹となる制度にもかかわらず設計がいかにも杜撰である。データに基づいた定量的な分析が行われるわけでもなく、行き当たりばったりに終始する。唯一存在するのは財政再建と社会保障費の削減である。目標数字を達成するための辻褄合わせでお茶を濁し、将来に禍根を残ことになる。悲しくなるような実態を本書は明らかにする。
 「本質に目を向けず、表面上の問題ばかりをバッシングする」というマスコミの勉強不足への指摘も耳が痛い。思い当たることが多すぎて・・・

 

CIA秘録(下)
ティム・ワイナー著、藤田博司・山田侑平・佐藤信行・訳、文藝春秋、p.480、¥1950

2009.04.02

 下巻はケネディ政権に始まり、ニクソンやカーター、レーガンを経て、クリントン・、ッシュに至る。米国外交の焦点がアジアや中東に移った時代である。ベトナムでのサイゴン陥落、ソ連のアフガニスタン侵攻、湾岸戦争、ソ連崩壊、9.11、イラク戦争などでCIAを果たした(あるいは果たさなかった)役割を、公開された機密文書とインタビューに基づき明らかにする。イラクの大量破壊兵器の存在について、「カーブボール」に簡単に騙されたのも本書を読めば納得がいく。知られざるCIAの実態をすっぱ抜いた本書は一読に値する。上下2巻と分量はたっぷりなので、連休など長めの休みに読まれることをお薦めする。
 それにしてもホワイトハウス、国務省、国防総省、議会のガバナンスが利かないCIAの暴走は凄まじい。禁止されている米国民へのスパイ行為、記者に対する買収行為、大統領の歓心を買うために情報をねじ曲げる行為などのやりたい放題である。ベルリンの壁の崩壊がCIAに与えた衝撃は大きかった。「われわれからソ連を取り上げたら、ほかに何も残らなかった」という事態を招いたからだ。
 最終的には9.11やイラク戦争での失態によって国民や米政府からの信頼は地に落ちるが、その原因は中央情報局という名前に値しない情報の貧困さと、さまざまな情報から本質を見抜く想像力の欠如である。「民主主義を守るよりも、自分の引退後の計画や健康保険手当の方法が気になる」人間しか集まらない、人材の枯渇も目を覆うばかりだ。

 

2009年3月

お金持ち妻研究
森剛志、小林淑恵、東洋経済新報社、p.173、¥1680

2009.03.27

 年収1億円を超えるお金持ちの妻の人物像を分析した書。育った家庭環境(両親の学歴や所得)、夫と本人の学歴、キャリア、経済感覚(家計や税金対策)などを分析する。アンケート調査とインタビューを組み合わせて実態を明らかにしている。3面記事を読むような楽しさがある。
 お金持ちの妻というと、「玉の輿」といったイメージが先行する。しかし本書が明らかにするのは、一般的な中流家庭で勤勉で堅実に育ち、バリバリのキャリアを積んだ後に結婚した姿である。学歴は夫婦とも総じて高い。ブランドで身を包むような1点豪華の見栄を張る必要もないので堅実な生活を営む。これが、お金持ち妻の現実の姿である。

 

死体の経済学
窪田順生、小学館101新書、p.224、¥756

推薦! 2009.03.26

 知られざる葬儀業界を扱った書。アカデミー賞をとった「おくりびと」で脚光を浴びている納棺師もカバーしている。きっちりと取材したノンフィクションで、読み応えと驚きがある良書である。タイトルから移植に使うための人体売買を扱った「Body Bazar」(2001年に紹介)の類書だと早合点して購入したが、臓器売買にはまったく触れていない。
 葬儀の費用は平均231万円だが、実はほとんど葬儀社の利益になる。タダ同然のドライアイスで1日8000〜1万円、使い回しの祭壇のレンタル料で30万〜100万円といった原価構造が、「葬儀屋は月に1体死体がでれば食っていける。月に2体死体がでれば貯金ができる。月に3体死体はでれば家族そろって海外旅行に行ける」という高い利益率を支える。
 一部の葬儀社が力を入れるエンバーミング(遺体衛生保全)は興味深い。血液を抜いて、ホルマリンをベースにした固定液を注入することで、腐敗を防ぐとともに生きているような状態に遺体を保つ。公益社の場合、全葬儀件数の50%以上でエンバーミングが行われているという。15万円ほどかかるエンバーミングと同様の処置が、3000円で可能になる遺体防腐スプレー「ニュークリーンジェルスプレー」についても触れる。このスプレーが誕生するまでの経緯にはドラマがあり魅力的である。

 

CIA秘録(上)
ティム・ワイナー著、藤田博司・山田侑平・佐藤信行・訳、文藝春秋、p.472、¥1950

2009.03.25

 釣書には、「諜報機関を20年以上にわたって取材した調査報道記者が、その誕生から今日までのCIAの姿を全て情報源を明らかにして描いた衝撃の書」「匿名情報、噂の類は一切なし」とある。確かに、元CIA長官10人を含む諜報関係者300人以上のインタビューと、5万点におよぶ公開された機密文書に基づいて書かれているだけに説得力に富んでいる。CIAの秘密工作が失敗を重ね、米国の国益をどれだけ損なったか、いかに隠蔽を続けたかがよく分かる。本書の紹介文によると、筆者は米New York Timesの記者で、国防総省とCIAの秘密予算をすっぱ抜いてピューリッツアー賞を受賞している。
 駐日大使も務めたマンスフィールド上院議員はこう語っている。「CIAのあらゆることに秘密のベールがかかっている。経費も、有効性も、成功そして失敗も」と。本書はマンスフィールドの発言を裏付けるように、徹底した秘密主義、混乱、腐敗など、組織としての問題点を次から次へと暴く。それにしてもCIAの無能ぶりは凄まじい。世界の危機をことごとく読み誤り、それが数千人の外国人工作員を死に追いやった。小国ならともかく、大国の情報機関だけに質(たち)が悪いことが本書を読むとよく分かる。
 上巻が扱うのはトルーマン時代(1945〜53年)、アンゼンハワー時代(53〜61年)、ケネディ・ジョンソン時代(61〜68年)である。トピックは朝鮮戦争、スターリン死亡、自民党への秘密献金、ハンガリー動乱、スカルノ政権打倒、カストロ暗殺工作、キューバ危機、ケネディ暗殺である。そのなかでも興味深いのは自民党への15年にわたる資金提供だ。岸信介への徹底した支援が、その後の自民党の一党支配と日本政治の腐敗構造につながったと著者は断じる。

 

「退化」の進化学〜ヒトにのこる進化の足跡〜
犬塚則久、ブル-バックス、p.206、¥861

2009.03.20

 人間が進化する過程で、形や機能が縮小した「退化器官」、機能しなくなったが跡だけ残った「痕跡器官」について解説した書。具体的に言うと親知らずや足の小指は退化器官であり、男性の乳首は痕跡器官に該当する。知的好奇心が満たされるうえに肩の凝らない書き口なので、暇つぶしにはもってこいである。  人間に残る進化の跡は実に興味深い。サメの顎が退化した耳小骨、トカゲの眼のなごりの松果体、舌にのこる「二枚舌」の痕跡、男にもある「子宮」、サメ肌から生まれた歯などなど。生物の進化遺産が人間の身体じゅうに存在する訳だ。
 本書で最も興味深かったのは、「個体発生は系統発生を短縮して繰り返す」という生物発生原則。分かりづらい表現だが、要するに人間を含め生物は、受精卵から子供になるまでの間に、その生物に至るまでの進化の過程を反復するという法則。例えば発生初期の人間は、手足のない魚に近い形をもつ。その後、乳腺や耳介のない爬虫類的な段階を経て、尻尾が短く頭の大きいヒトになる。魚類から進化した過程をぐっと短縮して再現しているわけだ。

 

巨大銀行の消滅〜長銀「最後の頭取」10年目の証言〜
鈴木恒男、東洋経済新報社、p.343、¥1995

2009.03.16

 日本長期信用銀行の最後の頭取だった筆者が崩壊に至るまでの過程と背景を詳述した書。筆者が頭取に就任した2カ月後に長銀が国有化されただけに、自己弁護を含めた悔しさがにじみ出た内容になっている。当時の状況を当事者が語ったという意味で貴重な証言といえるが、自らの判断の甘さを棚に上げ、官や政治、マスコミへの恨みつらみばかりが印象に残る。ちなみに当時の長銀経営陣は粉飾決算と違法配当の罪に問われたが、2008年に最高裁で無罪判決が下された。本書は、最高裁での判決を待って書かれたものである。
 リーマンショックが起点となった今回の経済危機に役立つ知見が得られそうなものだが、嘆き節が前面に出てそのレベルに至っていいないのが惜しい。本書を読んで分かるのは、危ないと感じながらも無理やり屁理屈をつけて不動産融資にのめり込んでいく経営ミス、興銀になりたかった長銀の劣等意識、投資銀行という幻想、子会社の暴走を許したガバナンス欠如、経営会議の機能不全、コンサルティング会社の口車に安易に乗って組織や人事制度に手を入れた愚行といったところである。

 

全集 日本の歴史 8:戦国の活力
山田邦明、小学館、p.370、¥2520

2009.03.14

 『全集:日本の歴史』も8巻目。ようやく戦国時代までやってきた。躍動感あふれる時代なので興味を持って読み始めたが、残念ながら前半と後半は期待はずれ。いずれも登場人物が多すぎて、個々人に対する書き込みが希薄化している。切り口もなく、事実を漫然と書いている感じが強い。読んでいて楽しくない。中盤は少し面白い。大名の親子関係、大名とか家臣の関係、臣下の経済的困窮、徴税・賦役、大名間の関係など、ストーリに躍動感がある。
 本書が扱うのは応仁の乱から武家諸法度の制定までの140年間である(本の帯には戦国大名の誕生から大坂城落城までの150年間とあり、なぜか著者のあとがきと異なる)。筆者は序文で「戦国大名の立場に仮に身を置いて、家臣たちをまとめるにはどうしたらいいか、領国の経済破綻を防ぐにはどうすべきかという二つの問題を設定し、この視点から叙述を展開することにした」と書いているが、中盤を除いて成功しているとは言い難い。

 

無一文の億万長者
コナー・オクレリー著、山形浩生/守岡桜・訳、ダイヤモンド社、p.419、¥2100

2009.03.11

 免税店DFS創設者チャック・フィーニーの評伝。評者はDFSを一般名詞だと思っていたので、私企業の名称だと知って少々驚いた。フィーニーはDFSの大成功によって『フォーブス』には米国で23位の大富豪として掲載された。53歳のときに慈善福祉を行う多国籍企業をバーミューダに設立し、当時の財産のほぼ全額6億ドルをそこに寄付した。実はフォーブス掲載時点ですでに寄付を終えており、正確には誤報だったことになる。
 もっとも誤報にも情状酌量の余地がある。慈善事業は絶対匿名を条件に進められたこともあって、フィーニーが無一文と知る人間は限られていたからだ。最近はTVのインタビューも受けているようだが、当時は写真撮影を応じないこともあって、謎めいた大富豪だったことになる。
 興味深いのは、DFSの成長が日本人旅行者に支えられたこと(フィーニー自身も軍隊時代に日本滞在の経験があり日本語ができる)。日本人が好んで出かけたハワイや香港、グアムでの成功がDFS躍進のキッカケとなった。餞別、お土産という日本の文化が売り上げの増加に寄与した。ブランディのカミュ、スコッチのジョニクロ、ニナリッチなどが海外土産で人気があったが、DFSに仕組また結果ということが本書を読むとよく分かる。
 基本的にビジネス書なので仕方がないが、人間の描き方が少し 物足りない。フィーニーがなぜ桁外れの慈善活動家になったのか、イマイチよく分からない。「かれは金を儲けるのは好きだがそれを保有するのは嫌いだった」というフィーニーの性格は、両親から影響を受けたことを簡単に触れる程度である。

 

大平正芳―〜「戦後保守」とは何か〜
福永文夫、中公新書、p.300、¥882

2009.03.06

 大平正芳が総選挙のさなかに亡くなったのは1980年6月。評者が大学を卒業する年だった。その大平は、大蔵官僚から政界入りし、池田勇人を支え保守本流の道を歩みながら、最終的には総理大臣まで上り詰めた。本書はその評伝で、コンパクトにまとまった新書らしい新書である。大平の人生だけではなく、戦後日本政治の流れをざっくり理解することができる。池田勇人、佐藤栄作、前尾繁三郎、「三角大福」のほか、現在の二世議員の親たちなど、懐かしい政治家が次から次へと登場する。本書から感じるのは、政治家だけではなく、学生運動をはじめとする日本社会の熱気である。日本はすっかり中年の危機に陥っているという思いを強くする。
 個性の強かった三角大福が活躍したのは、評者が高校から大学にかけてのころ。それにしても遠い昔の話になったものである。田中金脈、ロッキード事件、椎名裁定、三木おろしなど、ものすごい権力闘争・派閥抗争を繰り広げていた時代だった。本書は、田中角栄、三木武夫、福田赳夫についてはそれなりのページ数を割いて、いい意味でも悪い身でも、彼らの魅力紹介している。
 評伝を書くには、対象となる人物に“惚れる”必要があると思うが、本書の描く大平像にもその雰囲気は漂う。大平の知性と教養、品格、政治哲学、人生哲学、人間としての深みを詳細に描く。池田が首相になったときに大平は、「徹底的に庶民にならなければいけない。庶民と隔絶した意識と生活のなかからは、庶民の納得のゆく政治ないし庶民の協力が得られる政策は生まれてこない」と諭し、ゴルフを慎み、お茶屋への出入りを自粛するという二つの約束を取り付けたという。ついつい現在の政治家と比較したくなるが、あまりの惨状に考えるだけバカらしくなる。

 

未来のモノのデザイン〜ロボット時代のデザイン原論〜
ドナルド・A・ノーマン著、安村通晃/岡本明/伊賀聡一郎/上野晶子・訳、新曜社、p.296、¥2730

2009.03.04

 米Northwestern University教授で元・米Apple副社長、認知科学者として知られるドナルド・A・ノーマンの新著。人間と機械の最適なコミュニケーション(対話)についての議論を中心に、認知科学とハイテクの最新状況を紹介する。ここでいうハイテクには、クルマ、カーナビ、ロボット、スマートホームなどが含まれる。ノーマンといえば『誰のためのデザイン』の筆者として有名。評者も『誰のためのデザイン』以降、ほとんどの著作を読んでいるが、本書の評価はそこそこレベルといったところ。ノーマン・ファンとしては多少物足りなさを感じる内容である。
 デザイナの役割を重要性するところはノーマンらしい。デザイナは、分野を超えてイノベーションできるジェナラリストでなければならない、と主張する。デザイナの教育にはビジネススクールのやり方が合っているという主張も興味深い。今はデザインの科学の時代というのがノーマンの見立てである。
 もっとも、「自然に学ぶ粋なテクノロジー」に続いて読んだせいか、ノーマンの技術志向の強さが際だって感じられる。もちろん技術を絶対視している訳ではなく、ハイテクを盲目的に信頼することの問題点や危険性、自動化の限界といった点にも目配りしている。例えば、技術志向が強い技術者が陥りやすい罠について、具体的な事例を引き合いに指摘する。納得性の高い議論の進め方はさすがである。

 

自然に学ぶ粋なテクノロジー〜なぜカタツムリの殻は汚れないのか〜
石田秀輝、化学同人、p.232、¥1785

2009.03.02

 徹頭徹尾、「自然って素晴らしい」「自然から学ぶ技術は多い」と訴えている書。筆者はINAXの元研究者で、現在は東北大学大学院環境科学研究科教授。INAX時代に地球環境推進室をつくるなど、環境問題や環境教育に一家言もつ人物である。
 筆者は、現在の技術をもってしても追いつけない生物の不思議を列挙しているが、これが実に楽しい。こうした生物の仕組みから筆者は「新しい暮らしの仕組みと物づくり」を提案する。例えば、洗浄不要の汚れないカタツムリの殻を洗浄不要のキッチンに応用できないか、天井を走るヤモリの足の仕組みから新しい接着の考え方が生まれないか、などなど。シマウマの縞は、熱を吸収しやすい黒と吸収しにくい白のあいだで温度差が生まれ、風が起こり自然の空冷となっている。これを都市のビルに応用できないかという話となるとハテナだが・・・。いずれにせよ、自然の凄さを感じさせる話が満載である。
 筆者の主張の肝は、完璧な循環をもつ自然を手本にして、省エネで環境負荷の低い技術「ネイチャーテクノロジー」を開発しなければならない、というところにある。これはこれで正しいし共感できる主張だが、「ネイチャーテクノロジーを作ることができるのは高度な自然観を持つ日本人だけ」「物欲をあおるテクノロジーから自然観をもった精神欲をあおるテクノロジーに移行しなければならない」とった主張となると少々思いが強すぎて付いていけない。

 

2009年2月

ルーストとイカ〜読書は脳をどのように変えるのか?〜
メアリアン・ウルフ・、小松淳子・訳、インターシフト、p.384、¥2520

2009.02.26

 タイトルが凝りすぎで分かりづらいが脳科学の一般向け教養書。しかし、『失われた時を求めて』の著者とイカがどういう関係なのか判然としない。ただ知的好奇心が刺激される良書であることは間違いない。
 サブタイトルにあるように、読書が脳の発達に与える影響のほか、ディスレクシア(読字障害)の四つの要因と早期発見の方法、ディスレクシアの教育法とは、外国語はどのように教えるべきか、日本語脳・英語脳・中国脳の違い、インターネットが読字に与える影響など、興味深い話題を詰め込んでいる。筆者は大学教授で、読字・言語研究センター所長を務める認知神経科学/発達心理学者。ちなみに本書は、読字に関する最良図書として「マーゴット・マレク賞」を受賞している。
 インターネットが脳に与える影響は刺激的な指摘に満ちている。膨大な量の情報が瞬時に表示されるコンピュータ提示型の文章一辺倒になったら、読字の中核を成している発展的な構成要素は変化しはじめ、もしかすると退化するかもしれない。一見完全に思える視覚情報がほとんど一斉に与えられた場合、その情報をさらに推論や分析、批判によって処理するのに時間をかけたり、処理しようとしたりする意欲がわいてくるだろうか、と筆者は危機感を募らせる。指導のないままに情報にアクセスすることに対してソクラテスが抱いた懸念は、古代ギリシアよりも今の時代に当てはまるのではないかと危惧する。評者のまわりの状況をみていると、筆者の心配はけっして杞憂ではないだろう。正直、とても心配である。

 

哲学は人生の役に立つのか
木田元、PHP新書、p.253、¥777

2009.02.23

 タイトルと内容にギャップがある新書。哲学者である筆者が自らの人生を語って、「あなたは哲学は役立つと思うか?」と答えを読者に委ねる。タイトルから期待されるノウハウ本ではなく、哲学に救いを求めようとしても突き放される。筆者の人生は、テキ屋の手先や闇屋を経験した哲学者という点ではユニークかもしれないが、戦争を経た人間の経験として特別すごいという感じはしない。

 

「集団主義」という錯覚〜日本人論の思い違いとその由来〜
高野陽太、新曜社、p.360、¥2838

2009.02.20

 「日本人は集団主義で米国人は個人主義」。この通説は、日本だけではなく欧米でも広く流布する。米国映画やTV番組でも、日本人や日本社会をステレオタイプ的に描いている例は少なくない。こうした日本人論の起源、流布した経緯を詳細に検証する。読み応え十分な研究書/学術書だが堅苦しさはない。一般読者に配慮した工夫もされており好感がもてる。
 まず筆者は、「日本人=集団主義」には何の根拠もないことを明らかにする。最近になって、個人主義と集団主義に関する実証的な国際的比較研究が盛んになっている。そこでは「日本人=集団主義、米国人=個人主義」という図式はまったく支持されていないという。なぜ支持されないのか、通説は間違いなのか、間違っていたのになぜ流布したのか、といった観点から議論を展開する。議論が構造化されており、とても読みやすい。
 筆者が検証する項目は多い。日本語の特性が集団主義と結びついているのか、「いじめ」は日本人の集団主義を反映した現象なのか、終身雇用や系列、年功序列は集団主義による経済行為なのかなど、しらみつぶしに通説を論破していく。実態とは異なるのに「日本人=集団主義」が成立したのは、対応バイアス、確証バイアス、可用性バイアス、錯誤相関、信念の持続、外集団等質性効果といった心理学的プロセスがポジティブ・フィードバックとなって働いた結果というのが著者の見立てである。畳みかける議論の展開は見事である。

 

農協の大罪〜「農政トライアングル」が招く日本の食料不安〜
宝島社新書、山下一仁、p.205、¥700

2009.02.17

 「農業を滅ぼすのは農民だ」「農民自体が農業を蔑視しているのではないか」・・・。元官僚の著者が、国内農業の将来など頭にない利権集団・農協と族議員、無為無策の農政を続ける農水省、農業の発展を妨げる兼業農家、御用学者の跋扈するアカデミックの世界を批判した書。著者は元農水官僚で内実に詳しいだけに、議論は説得力に富んむ。ただし、この書評で以前取り上げた神門善久氏の『日本の食と農:危機の本質』に比べると迫力で一歩劣る。官僚らしい感覚がどこかに残っているのか少々思いっきりに欠ける。
 農業の崩壊は、農業の振興や発展を図るはずの「食管制度」「農地制度」「農協制度」が機能しなかった点にあると断言する。農業を犠牲にしてきた農家と農協を守ったのが日本の農政であり。専業農家の志をくじき、組合員を食い物にしてきたのが農協というのが著者の見立てである。
 筆者は冒頭で2008年秋に起こった汚染米流通事件を取り上げ、背景に減反政策と米価の高止まりがあることを明らかにする。カドミウム米のときは不正転売をうまく防止した農水省が汚染米ではまったく機能しなかったところに、責任感や想像力の欠如など組織の崩壊が如実に表れている。国内農業を立て直す方策として筆者は、関税や補助金による農産物価格の買い支えを廃し、価格の下落を補うかたちで農家に所得保障を行う政策を勧める。ちなみにNBOnlineが著者にインタビューしている(ココ)。

 

雲の果てに〜秘録 富士通・IBM訴訟〜
伊集院丈、日本経済新聞社、p.233、¥1785

2009.02.16

 PCM(プラグ・コンパチブル・マシン)のOSをめぐる、米IBMと富士通の著作権闘争の裏側を克明に記したビジネス小説。米国の弁護士を巻き込んだ両社の虚々実々のやりとりが活写されている。小説仕立てだが、著者は富士通の交渉当事者だった鳴戸道郎氏。秘密協定が失効したのを機に交渉の内実を明らかにしたもので、内容はノンフィクションに近い。IT業界にかかわる人間にはぜひ読んでいただきたい2冊である。
 筆者はすでに、1982年に起こったIBM産業スパイ事件を題材にした『雲を掴め』を2007年に出しているが、本書はその続編という位置づけになる。日米IT産業の力の差が歴然としている現在からは考えられないような活気と熱情を感じさせる力作である。「IBMなにするものぞ」といった気概、ライバルであり盟友でもある日立製作所への対抗心など、読み応えがある。筆者は事件を追うとともに、その裏でIBMと富士通の自己崩壊が進行していたことにも言及する。後付けの感もあるが、現場に携わっていた人物の観察だけに説得力がある。
 評者は駆け出しのころに富士通・IBM訴訟を追っていたこともあって、本書を感慨深く読んだ。この事件を追いながら、技術ジャーナリズムの奥深さと面白さ、先輩記者との差を痛切に感じ、落ちこぼれないように勉強したことを思い出す。AAA(米国仲裁協会)が裁定結果を明らかにする記者会見にも足を運び、短い記事を書いた記憶がある。本書を読むと、その記事の内容はあまりに薄く、本質に迫れていなかったことを改めて思い知らされた。

 

Outliers:The Story of Success
Malcolm Gladwell、Little Brown & Co、p.320、$27.99

2009.02.13

 Outlinerとは、平均から大きく外れた事象を意味する。本書は、突出した成功をおさめたベスト&ブライテストの人物やありえない出来事を取り上げて、Outlinerが生まれる背景を探っている。筆者はニューヨーカ誌の記者で、「ティッピング・ポイント」「Blink」といったベストセラーを生んだことで知られる。BusinessWeekの書評に取り上げられたこともあって期待して読み始めたが、ちょっと予想とは異なる内容だった。特異な事例が多かったり、「成功の秘訣は一生懸命努力すること」「能力も重要だが、チャンスを得ることが大切」といった当たり前の教訓があったり、少々ガッカリというのが読後の本音だ。
 成功者として登場するにはビル・ゲイツやビル・ジョイ、スティーブ・ジョブス、スコット・マクネリ、ビートルズなど。彼らが成功したのは、そのための機会を偶然にせよ得たからである。例えばゲイツは、シアトルに生まれ1968年にワシントン州レイクサイドに住んでいたことが成功につながった。ビートルズはドイツのハンブルグへの過酷な演奏旅行が彼らを鍛えた。ロックフェラーやカーネギー、モルガンといった大富豪はいずれも1930年代に生まれたことで、鉄道の敷設期やウォールストリートの興隆期に活躍することができた。同じことが1955年前後に生まれ、多感な時期に世界初の個人向けコンピュータ「アルテア8800」に触れることができたゲイツらにも言える。

 

進化から見た病気
栃内新、講談社ブルーバックス、p.201、¥861

2009.02.05

 「病気には進化論的な意味が必ずある」という前提に立って、病気の本質を探るダーウィン医学の入門書。ヒトの進化過程や免疫の優れた仕組みなど、興味深い話が満載である。自然治癒力を重視する姿勢や現代医学の抱える問題点の指摘には共感できるところが多い。ちなみにダーウィン医学は医師のネシーと進化生物学者のウィリアムズが提唱した学問で、どちらかというと生物学に近い。本書の筆者も北大理学部の准教授である。
 ダーウィン医学の本質は、病気の本質を知り根源的な治療につなげるところ。病気の症状の多くがヒトの進化にとって有意義だったり、過去に有利な意味をもっていたと考える。例えば風邪で発熱するのは、体温を上げることでウイルスを撃退するためだし、倦怠感が出るのは休養をとることでウイルスとの戦いに全力を尽くすため。対症療法で解熱剤で体温を下げてしまうと、ウイルスを駆逐できず“ぶり返し”を生むと説く。
 「エイズの起源であるサルには共生している例があり、生物の進化のスパンで見ればヒトも共生可能と思われる」「カイチュウやサナダムシの消滅とともにアレルギーやアトピーが増えたことを考えると、実は共生生物だった」「つわりを起こす食物のなかには、胎児に奇形を起こす可能性を持ったものが多い」「つわりがひどいのは奇形が生じやすい妊娠色の3カ月付近」などヒトの不思議は感動的である。遺伝子と生殖細胞が両親と子供の間で連続性をもつことによって進化してきた歴史を無視する、代理母のような医療行為への批判もよく理解できる。

 

日本語が亡びるとき〜英語の世紀の中で〜
水村美苗、¥筑摩書房、p.330、¥1890

2009.02.02

 多くの書評で取り上げられているので期待を持って読んだが、完全に裏切られた。300ページにわたって著者のとりとめのない話と自己満足に付き合わされる。筆者の主張は、「今の日本語教育はなっていない」「インターネット時代の到来で英語がますます強くなり、古き良き日本語は早晩亡びてしまう」「学校では、文学が文学として成立していた近代日本文学(二葉亭四迷や樋口一葉など)を伝統的仮名(旧仮名)遣いで教えるべきだ」といったところにある。
 筆者は現代仮名づかいの表音主義を目の敵にする。伝統的仮名づかいこそ日本文学を文学たらしめたものであり、すべての国民が書けるようになることを理想としたところに日本の国語教育の誤りがあっと嘆く。「読まれるべき言葉」を読む国民を育てなかったことが日本文学をダメにし、文化の否定につながっていったと主張する。
 苦笑するのは「文学の終わり」を憂えている箇所。要因として三つ挙げているが、これがすごい。第1は科学の急速な進歩。科学に関する情報を知ることが小説を読むよりも重要になり、どこ国の大学でも文学部が容赦なく縮小されていると糾弾する。第2は文化商品の多様化。ビデオ、CD、ゲームと楽しい商品が増えて、小説の独占的地位が失われた。第3が大衆消費社会の出現。文学価値よりも流通価値(商品価値)が高い物が氾濫し、つまらない本がはびこるようになった。崩れつつある日本語を守りたい気持ちはよく分かる。これはこれで主張としては結構だし同感だが、筆者の思い描く理想郷はあまりに荒唐無稽である。
 本書の最大の問題は、結論に行き着くまでの道のりがあまりにも遠いこと。しかも論理が飛躍したり唐突な仮定が出現したりと、読んでいて疲労困憊する。理科系学部の出身で、多様化した文化商品を生業としており、大衆消費社会を楽しんでいる評者は、筆者にすれば想像したくない人間なので仕方がないのかもしれないが・・・。

 

2009年1月

機密指定解除〜歴史を変えた極秘文書〜
トーマス・B・アレン著、佐藤正和・訳、日経ナショナルジオグラフィック社、p.360、¥1995

2009.01.28

 ワシントンの国立公文書館で機密解除された50通の極秘文書をまとめた書。各国の諜報活動や虚々実々の駆け引きなど、戦争の舞台裏を描き出す外交文書を写真付きで紹介する。貴重な内容をぎっしり詰め込んだ本だが不満を感じるところもある。一つの極秘文書に費やすのは、ほとんどが10ページ未満と少ない。しかも事実を淡々と述べる文体で、誇張がほとんどない。タイトルから劇的な内容を期待すると物足りない。ちなみに巻末には、佐藤優がインテリジェンスの教材として使えると絶賛している。
 とにかく、本書には普段は触れることにない情報が満載である。アルマダ海戦における英国とスペインのスパイ合戦、リンカーン暗殺につながった100万ドルの機密工作費、ポーランド侵攻を正当化するためにドイツが使った策略、ブッシュ大統領に届いていた世界同時テロの警告文書、ルーズベルトとチャーチルの交信の盗聴記録、ノルマンディ上陸作戦をカモフラージュするための大がかりな工作、5セント硬貨に仕込まれた暗号文書、CIAの非合法活動17件を列挙した「内輪の恥」文書などである。嘘をつかないはずのワシントンのウソといった話も登場する。

 

日本の歴史 7:走る悪党、蜂起する土民
安田次郎、小学館、¥2520

2009.01.26

 小学館の85周年企画である全集『日本の歴史』も中盤にさしかかった。本書は、鎌倉幕府の崩壊から、後醍醐天皇の建武の新政、応仁の乱、室町幕府崩壊までを描いている。国内的には悪党や土民たちが徒党を組んで“お上”である守護・地頭と戦い国盗り合戦を繰り返し、対外的には元の脅威に直面した時代である。「物狂いの沙汰」と評された後醍醐天皇を除くと登場人物が地味で、ワクワクが不足気味なのは致し方ないところだろう。
 人物は地味だが、興味深いエピソードが眠気から救ってくれる。皇位を狙っていた足利義満、瀬戸内海を東と西に二分して猛威をふるった海賊、くじ引きで選ばれた将軍・足利義教など3面記事的な話にはつい引き込まれる。文化面の話も興味深い。佐々木道誉の婆娑羅、匂いにまで演出の工夫をこらした田楽、無礼講の場だった連歌、ワビ・サビの世界からほど遠かった茶道/茶会など、初めて知ることも多かった。

 

闘う社説〜朝日新聞論説委員室 2000日の記録〜
若宮啓文、講談社、p.287、¥1575

2009.01.21

 社説作りの舞台裏を朝日新聞の元論説主幹(現在は同社のコラムニスト)が描いた書。産経新聞や読売新聞といった新聞社だけではなく、NHK、自民党の政治家などとの闘いの歴史を綴る。論説委員という人種の人間味が出ていて興味深い内容に仕上がっている。同業に身をおく評者にとって得るところの多い書だが、社説の読み方の指南書にもなる。社説や記事には、どのようにして伏線が張られているかを理解できる。
 筆者は論説主幹になったときに「闘う社説」を宣言したそうだが、5年7カ月の就任期間中に実に多くの論争を仕掛けると同時に、逆に論争に応じている。日経、朝日、読売の社説を見比べることができるサイト「あらたにす」が存在するが、これほどまで社説でお互いを叩き合っているとは多くの人は知らないだろう。
 匿名が基本の社説だが、本書では執筆した論説委員が実名で登場する。細心の注意を払いながら書いた社説が、想定外のところで落とし穴にはまり戸惑う場面が登場するが同業者として共感できる。本書の特徴は、論説委員たちの真情や悩みをかなりのレベルまで吐露しているところだろう。筆者自らが、「正直に言えば、個人的には必ずしも自信を持てない社説だってある」と語っているし、「慰安婦番組問題で自民党やNHKと正面衝突した」件は脇が甘かったと認めている。イラクで3人の日本人が人質になった事件に対する社説については、「苦渋に満ちた」という表現で当時の苦悩を明らかにする。

 

医学は科学ではない
米山 公啓、ちくま新書、p.203、¥714

2009.01.19

 医学とは医者と患者でつくる幻想---筆者はこう語る。医学に関する迷信と日本の医学会の根深い問題などに切り込んでいる。「臨床医学の虚構を暴く」と宣伝文句にあるが、これはちょっと大げさ。確かに学閥中心の日本の医学研究やダイエット情報の嘘、BMIの虚構といった話は出てくるが、全体から見ればミスリード気味。臨床の現場がどのようなものか垣間見える好著である。
 本書を読むと、「医学は科学ではない」というのがよく分かる。例えば、EBM(実証に基づく医療)による診断や治療が行われているのは医療行為の半分に満たない。医者の経験に基づく判断と勘で治療がなされている。勘と経験と度胸がものを言うソフトウエア開発現場とよく似ている。平均値医療の限界にも言及する。平均的に効く治療法や薬品にのみ価値を置いているため、個性を重視し遺伝子の違いを考慮するようなテーラーメード医療にほど遠いと主張する。医療とビジネスの関係も微妙である。例えばMRI。日本のMRI普及率は世界一だが、投資に見合う収入を得るには年間100件の開頭手術が必要。ところが、これをクリヤできる病院は少ないために、投資をまかなうために脳ドックに走ったというわけである。
 サプリメントや民間医療に対する著者の見方は興味深い。いずれも西洋医学から見れば科学的根拠に乏しい面がある。しかし西洋医学は科学的な解決を目指しすぎたために、患者の心とは別の方向を向いてしまった。それを補うのがサプリメントであり、代替医療(鍼灸、カイロプラクティック、アリマテラピーなど)というのが著者の見立てである。最後にこう述べる。「医者も30年くらい続けているとほとんど同じ結論に達する。医学の限界と、西洋医学以外の存在を肯定するようになること、医者は患者から学ぶべきことが多いと気づくのだ」。

 

The Pixar Touch:The Making of a Company
David A. Price、Alfred a Knop、p.304、$27.05

2009.01.16

 「トイ・ストーリー」「バグズライフ」「ファインディング・ニモ」などを制作したことで知られる米Pixar Animation Studiosの誕生から興隆、米Disneyに買収されるまでを描いたノンフィクション。コンピュータ・アニメーションやグラフィックスの歴史についても学べる。それにしても登場する人物と企業は華やかなうえにキャラが濃い。Disneyとの確執や米DreamWorksとの因縁など、興味深いエピソードが満載された書である。極めつきは、Steve JobsがPixarを何度も売り飛ばそうとしたという話だろう。売り先の候補として、Paul AllenやOracle、さらにはMicrosoftの名前が挙がっている。
 多彩な登場人物のなかで、ひときわ存在感があるのがJobs(今では考えられないくらい太っていた時代のJobsの写真も掲載されている)。本書は一種のJobs本ともいえる。「PixarをDisney、Steven Spielbergに次ぐ、第3のブランドにしたい」とはJobsのコメントだが、12歳以下の親子に対する調査ではPixarブランドはDisneyを上回っているという。米Appleを追われたJobsが1000万ドルで買収したころには米Lucasfilmのお荷物部門だったことを考えると大出世である。
 本書で初めて知ったが、Pixarはもともとグラフィックス・コンピュータの会社。その後、レンダリング・ソフト「RenderMan」なども手がけたが業績は上向かず、CM製作などで糊口をしのぐ時期もあった。運が向き出したのはDisneyとの契約からである。「トイ・ストーリー」を皮切りにヒット作を次々生み出し、それに伴いJobsはどんどん自信を持ち出し強気になっていく。Disneyの会長兼CEOだったMichael Eisnerと対立し、結果的に追い出するところが本書のクライマックスである。ちなみにアニメということで小学館や宮崎駿が登場する。宮崎駿への敬愛はすごい。

 

「信用力」格差社会〜カードでわかるあなたの“経済偏差値”〜
岩田昭男、洋経済新報社、p.251、¥1680

2009.01.06

 信用力から見た格差社会の問題点を扱っているが、途中でクレジットカード選択術が紛れ込んでいるなど企画の腰が定まっていない。サブプライム問題の元凶ともいわれ、経済アナリスト・森永卓郎が日本導入に大反対する「クレジットスコア」に関する情報が載っていたり、有意義な内容を含んだ書だけに残念である(森永の記事は「人間の価値を金で測るクレジットスコア導入に大反対する」を参照)。筆者は消費生活ジャーナリストを標榜し、オールアバウトジャパン「クレジット・カード・サイト」のガイドを務めている人物。本書のような作りになるのは仕方がないのかもしれないが惜しい気がする。
 本書は、クレジットカードの審査の仕組み、リボ払い専用カードや消費者金融の問題点、与信の仕組みについて解説するほか、アメクスのブラックカード獲得法やクレジットカード最強の2枚選択法について触れるなど、ごった煮の構成になっている。個々の情報はそれなりに有意義なのだが、まとまりに欠ける。そのなかで読み応えのあるのが、クレジットカードの利用履歴に基づく信用力(クレジットスコア)の部分。クラジットスコアとは何なのか、米国ではどのように利用されているのかを紹介する。就職に大きな影響を与えるなど興味深い話が多い。借金の多寡や借金をすること自体は問題視されず、着実に返済することが信用力を高めることにつながるという。

 

お金は銀行に預けるな〜金融リテラシーの基本と実践〜
勝間和代、光文社新書、p.230、¥735

2009.01.03

 このところ雑誌・新聞に頻繁に登場し、本も書きまくっている勝間和代の書。これだけ露出が多いと逆に読む気が失せてしまうが、正月休みを利用して試しに1冊購入。あまり特徴がない書である。可もなく不可もなくといったところだが、勝間ブームに乗って売れるのだろう。本書では、資産形成の基礎をオーソドックスに説いている。この手の本にありがちな「必ず儲かる」と大言壮語することなく理詰めで話を進める。資産形成の第一歩は投資信託を利用することだという。お金を4分割し、国内債券、国内株式、海外債権、海外株式に分散投資することを勧める。アドバイスとしてはありがち。ファンドはアクティブ型よりもインデックスを買えというのも常識的な話である。
 本書の出版は2007年11月。当然だがサブプライム破綻、金融崩壊時代の資産形成法には言及していない。取り巻く経済環境が大きく変わってしまった現在なら、筆者はどのような処方箋を書くのだろうか。ちょっと興味がある。ちなみに預金しかももたない評者のような人間は、筆者に言わせると大きな機会損失に気づいていない愚か者だそうだ。それにしても勝間バブルともいえそうな状況が今年も続くのだろうか。そろそろ賞味期限も切れそうな気がするが・・・

 

世界を変えた100日〜写真がとらえた歴史の瞬間〜
ニック・ヤップ著、日経ナショナルジオグラフィック社、p.313、¥2940

2009.01.01

 サブタイトルの「写真がとらえた歴史の瞬間」が内容を端的に表している。掲載されているのは、米国の雑誌National Geographicと写真ライブラリ会社Getty Imagesが選んだ報道写真。250点あまりが載っている。それぞれの写真に時代背景や写真技術の変遷を説明した解説文がつく。どちらかというと評者には後者の話が興味深かった。死体の写真も何点か載っているが、基本的に露悪的な衝撃写真は少ない。大判のページで見る鮮明な歴史的写真に興味は尽きない。2940円を払って購入するだけの価値はあるだろう。
 掲載しているのは、1951年5月1日の第1回万国博覧会に始まり、リンカーン大統領暗殺と犯人グループの処刑写真、ビクトリア女王、ライト兄弟の初飛行、マチュピチュの発見、ツタンカーメン王の墓発見、アポロ11号の月面着陸、チェルノブイリ原発事故、2005年8月25日のハリケーン・カトリーナで終わる。写真のもつ凄さに浸れる一冊である。

 

横田英史(yokota@nikkeibp.co.jp

1956年大阪生まれ。1980年京都大学工学部電気工学科卒。1982年京都大学工学研究科修了。
川崎重工業技術開発本部でのエンジニア経験を経て、1986年日経マグロウヒル(現日経BP社)に入社。
日経エレクトロニクス記者、同副編集長、BizIT(現IT Pro)編集長を経て、2001年11月日経コンピュータ編集長に就任。
2003年3月発行人を兼務。2004年11月、日経バイト発行人兼編集長。
記者時代の専門分野は、コンピュータ・アーキテクチャ、コンピュータ・ハードウエア、OS、ハードディスク装置、組み込み制御、知的財産権、環境問題など。