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2008年12月

子どもの最貧国・日本
山野良一、光文社新書、p.280、¥861

2008.12.31

 日本の子どもが置かれている経済環境が、米国並みに貧弱であることを統計データや自らの実体験をもとに論じた書。子どもに焦点を絞った“格差本”である。日本では7人に1人の児童が経済的に困窮しており、ひとり親の家庭はOECD諸国のなかで最も貧困という。画期的に目新しい情報や鋭い指摘があるわけではないが、日米で福祉に携わった著者の経験を生かして説得力をもたしている。
 日本の現状で情けないのは、政府が福祉に介入することによって経済環境がかえって悪化してしまう点。現場を知らない官僚が、税控除や扶養手当、児童手当といった社会保障制度をこねくり回すことが日本の状況を悪化させている。老人医療や介護の現場を悲惨にしたのと同様の構造といえる。
 日本社会にとって最大の問題は貧困の再生産である。特に学童期に家庭の所得が低いと、低い所得と教育レベルの階層から抜け出せないサイクルに陥る。所得の多寡は非常に重要であり、親の学歴よりも所得の方が貧困の再生産に対する影響が大きいという。子どもの貧困は、いずれ生産性の低下などによって顕在化し、再教育への投資など社会が負担しなければならない。本書を読んで感じるのは、必要なときに必要なもの(多くはお金)を提供しない社会保障の欠点が顕在化したのが、日本における子どもの貧困問題ということである。

 

「声」の秘密
アン・カープ著、梶山あゆみ訳、草思社、p.295、¥2310

推薦! 2008.12.26

 知っているようで知らない「声」について、多彩な切り口から解説した書。知的好奇心を満足できる。声を介してつながる母親と胎児、声に関する赤ちゃんの驚異的な能力(ありがちな話だが興味深い)、人間関係に声が与える影響、女性の声に対する偏見、政治家と声などに焦点を当てている。著者はイギリス人ジャーナリスト。翻訳がよいこともあり文章は読みやすい。日本人の声にも紙面を割いており、この手の本としては珍しい。ただし著者の論理に飛躍があったり、科学的に正しい内容なのか疑問が残るところもある。それはそれとして認識して読めばよいだろう。
 国によって声に高さは異なっていると指摘する。女性の声で高いのは日本。米国、スウェーデン、オランダの順に低くなっていく。ここでは、アナウンサーの小宮悦子が声を低くするために訓練を重ねた話が紹介されている。赤ん坊の話も秀抜である。絶対音感を持って生まれてくるとか、生まれてしばらくはどんな言語に対応可能な状態だが、一つの言語に強い関心を持つため徐々に処理系が最適化されていくといった話は、へぇ〜と思わせる。
 政治家の声の分析は何となく納得させられる。取り上げているのは、フランクリン・ルーズベルト、チャーチル、ヒトラー、レーガン、サッチャーのほか、なぜ大統領選挙でゴアやケリーがブッシュに破れたかを声を元に分析している。100%の敗因とは言えないが一理はありそうだ。

 

セブン‐イレブンの正体
古川琢也、金曜日取材班、金曜日、p.123、¥1260

2008.12.22

 セブン‐イレブンが繰り広げるビジネスの裏側を克明に追った書。セブン‐イレブンの高収益の仕組みについては、ビジネス誌や週刊誌などで過去にも多く取り上げられている。本書も基本的には同じ路線だが、暴露調にならないように、表現に細心の注意をはらった筆致で話を進める。ちなみに、「(取り次ぎの)トーハンが委託配本を拒否した」と筆者が自身のブログで取り上げ、インターネットで一時話題になった。同じブログで配本停止は解除されたと筆者は書いているが、残念ながら評者がのぞいた書店では見かけなかった。
 セブン‐イレブンの高収益は、本部が一人勝ちになる会計制度や発注業務といった仕組み、フランチャイズ店の勤務形態、取引先との関係などで支えられていることを本書は明らかにする。このほか、人気商品である「おでん」販売の問題点といった身近な話題やマスコミへの圧力といった話題も盛り込んでいる。最後に筆者は、巨大でありながら実際は何もしていない会社、控えめに言ってもコンサルタント業務を営むに過ぎない会社とセブン‐イレブンを結論づける。

 

日本の歴史:京・鎌倉 ふたつの王権〜院政から鎌倉時代〜
本郷恵子、小学館、p.370、¥2520

2008.12.20

 院政期から鎌倉時代を扱っている。この時代になるとよく知った名前が次々に登場してくるので楽しく読める。学者っぽくない筆者の文章力はなかなかだし、平氏と源氏の対比、なぜ幕府は朝廷を滅ぼさなかったのか、宗教的パフォーマンスとしての東大寺再建、庶民の大いなる勘違いを生んだ徳政令など、テーマの選び方も読者の興味を惹くものになっている。
 院政というと権力構造や権力闘争といった連想が働くが、筆者は迅速な決定を必要とする事態が次々と起こる社会状況に対応するためのシステムだったと位置づける。しかも何ごとも“過剰”な時代であり、地方から中央へと流れ込む富を蕩尽するための装置が院政という見方も興味深い。何か実行したいから予算措置をとるのではなく、お金があるから何かを始めた時代だったおいう見立てである。院政時代の主役は、57年にわたってその地位に座った後白河院。ライバルが次々と倒れるなか残存者利益を享受した。そして後白河院を支えたのが学者政治家の藤原信西である。中世社会のグランドデザインを描いたと著者は高く評価する。
 殺伐とした権力闘争、京と鎌倉、公家と武士、俗から聖への富の移動など、鎌倉時代の話はかなり盛りだくさん。ページ数に限りのあるなか、駆け足で話が進むところが少々残念である。

 

サブプライムを売った男の告白〜米国住宅金融市場の崩壊〜
リチャード・ビトナー著、金森重樹・監修、金井真弓・訳、ダイヤモンド社、p.280、¥1680

2008.12.16

 米国の金融危機から世界規模の景気後退にいたる危機の連鎖は、そもそも米国におけるサブプライムローンの破綻(住宅バブルの崩壊)に端を発したものである。本書は、サブプライムローンの貸し手だった筆者がその経験に基づき実態を暴いたもの。融資現場での融資基準とその抜け穴、不正の手口を具体的に語っている。暴露モノのようにも読めるが、分析もそこそこなされており中身は比較的まともである。有効性や妥当性はよく分からないが、解決策にも言及している。
 今回の惨事は、起こるべくして起こったということを本書を読むと実感できる。米国の住宅バブルやサブプライムローン破綻の原因の一つとしてモラルの欠如が指摘されているが、仕組み自体に不正を誘発する要因が含まれていたいうべきだろう。身の丈を越えた浪費や拝金ブームに遅れてはならじと、借り手、貸し手、その間に入るブローカーが寄ってたかって不正に手を染めた結果がバブル崩壊である。しかも証券化の仕組みによってサブプライムローンの欠陥は隠蔽され、さらには格付け会社によってお墨付きを得ることで、厄災は世界規模に広がっていった。

 

大人の時間はなぜ短いのか
一川誠、集英社新書、p.206、¥735

2008.12.14

 間もなく正月。この歳になると1年はあっという間だ。「もう正月!」「また歳をとるのか」「子供のころは、こんなことなかったのに」といった繰り言を口走ってしまう。実験心理学専攻の千葉大学准教授である筆者が、こうした時間をめぐる疑問に答えてくれるのが本書である。ただし本題に入るまでに錯覚・錯視の話が延々と続き、ちょっと興ざめなのが残念である。
 物理的な時間には厳密な定義があるが、長さの感じ方は人さまざまだし、置かれた環境でも異なることを本書は実験をベースに明らかにする。例えば、能動的な観察の方が受動的な場合よりも精度が向上する、年をとるほど身体的な代謝が低下して心的時計の進み方が遅くなる、交通事故の瞬間など極度の緊張状態では心的時間の方が物理的時間よりも早く進行する(目の前の出来事がスローモーションのように見える)話など、なかなか興味深い。このような時間の多様さを認めない現在社会は大きな危険をはらんでいると筆者は警鐘を鳴らす。限られた時間のなかに色々な作業を詰め込んだ秒単位の行動計画には無理があり、JR西日本の福知山線事故につながったと指摘する。その裏には人間に対する過信が存在するというのが筆者の見立てである。

 

Crowdsourcing:Why the Power of the Crowd Is Driving the Future of Business
Jeff Howe、Crown Business、p.320、$26.95

2008.12.11

 このところ「クラウド」に注目が集まっている。一つはクラウド・コンピューティング(Cloud Computing)。米Googleや米Amazonなどが活発な動きをみせているし、米Microsoftもやる気満々だ。もう一つのクラウドが本書の取り上げる「Crowdsourcing」である。ネットを介して衆知を集めることで、より早く、より精度の高い解決策を見つけようとするトレンドを指す。本書は、この書評で2006年に取り上げた、『「みんなの意見」は案外正しい』の続編といった感じである。
 筆者はCrowdsourcingを大きく四つに分類している。(1)Collective intelligence、 or crowd wisdom、(2)Crowd creation、(3)Crowd voting、(4)Crowfundingである。米国のビジネス書らしく、それぞれについて事例が豊富に紹介されている。少し多すぎるし、Wikipedhiaなど雑誌や他書で取り上げられる事例が多いこともあって、最後の方は飽きてくるが本書の趣旨からすれば仕方がないところだろう。それでも、専門家がネットワークを形成し、顧客企業にソリューションを提供して報酬を得る「InnoCentive」や、Tシャツ・デザインのアイデアを継続的に募り、優れた作品のデザイナに報酬を与える「Threadless」などは興味深い。オバマの選挙運動を取り上げるなど最新の状況を知るには打って付けの書である。いずれにせよWired誌の記者らしい内容といえる。

 

新聞と戦争、朝日新聞「新聞と戦争」取材班
朝日新聞出版、p.591、¥2415

2008.12.1

 軍部に迎合し事実を正しく報道しなかったうえに、国民を煽ってミスリードした新聞の戦争責任を、関係者の証言や発掘資料をもとに検証した書。「包括的な検証をしたことはなかった」という認識のもと、朝日新聞が自らの過去を弾劾する形になっている。読者に判断を預けるような部分もあるが、基本的に厳しい姿勢を貫いている。ただし、反省を実践に移しているかという疑問がわいてくる。内向きな論理、他紙との競争が最大の行動原理というのは相変わらずで、戦前と同じ道を再び歩む危険性がゼロではないというのが正直な感想である。
 最大の見所は、「1931年の満州事変を境として、朝日新聞はなぜ戦争の拡大と翼賛に論調を転換したのか」を検証した部分である。戦況を速報したい新聞に軍は最も協力者にしたい情報提供者だった、大事なのは会社を守ることであり事実を伝えることではなかった、不買運動を中止させるために軍の力を借りた、などを問題点として挙げる。それにしても2.26事件で襲撃されながら、翌日の社説に「外国の話題」をもってくるという姿勢には驚かされる。  本書は、外岡秀俊・前ゼネラルエディターの発案のもとスタートした連載がベースになっている。そのために1話の長さがかなり短い。これから佳境に入るときに、話が終わるケースが散見される。実際には次ページに話はつながっていくのだが、ブツ切りで断片的という印象を受けてしまう。少々残念である。単行本化するときに、もう少し手を入れた方が、読みやすくなったように思う。

 

2008年11月

津山三十人殺し〜日本犯罪史上空前の惨劇〜
筑波昭、新潮文庫、p.364、¥620

2008.11.26

 岡山県の山村で昭和13年に起こった大量殺人事件を扱ったノンフィクション。供述調書や検事調書に基づいて、犯行を詳細に再現している。当時の写真や殺害現場の見取り図などが実に生々しい。
 本書が取り上げるのは、猟銃や刃物を使って、一晩のうちに29人の村人を次々に殺害した「津山事件」。犯人は都井睦雄(22)という青年で、小さいときは成績優秀だったものの結核にかかるなど体が弱く、事件当時は働かずブラブラしていた。都井は集落23戸のうち12戸に押し入り、恨みを抱いていた村人だけではなく、自らの祖母までも手をかけた。今なら心神喪失と判断されるかもしれない。
 津山事件で特異なのは犯人の風体や殺害の手口である。とにかく猟奇性や異常性が際だっている。例えば殺害時の都井は、ハチマキに2本の懐中電灯をくくりつけ、首からは自転車用ランプを提げ、手に猟銃、腰に日本刀、ポケットに2本の匕首といった格好だった。本書には、不鮮明だが再現写真が掲載されている。風体からも分かるように、横溝正史の「八つ墓村」のモデルになった事件である。評者は読んだことがないが、松本清張の「闇に駆ける猟銃」も「津山事件」にヒントを得ているという。

 

オオカミ少女はいなかった〜心理学の神話をめぐる冒険〜
鈴木光太郎、新曜社、¥2730

推薦! 2008.11.21

 興味深い話題が満載の書である。今朝読んだ朝日新聞の書評でも高く評価されていた。心理学者が世間に信じ込ませた“トンデモ学説”や“トンデモ実験”のまやかしを暴いている。どこが問題なのか、どのように広まっていったのかを、歴史的経緯をたどったり学問的な裏付けを取ると同時に、著者の推理を交えて論じる。トンデモ実験の多くは追試もできず、心理学的には否定されたモノが多い。しかし、いったん庶民の脳裏に刻み込まれた記憶は、なかなか消えず現在に至っている。なかには心理学の教科書に堂々と載っているトンデモ学説もあるし、「サブリミナル」に至っては放送を規制する裏付けとして使われている。後半息切れが感じられるものの、知的好奇心を刺激される良書である。
 本書で取り上げている神話の一例を示すと以下のようになる。
■オオカミ少女はいかなった(証拠写真や記述に不自然な点が多い、専門家は誰も見ていない)
■まぼろしのサブリミナル(マスメディアが作り出した神話、論文や報告書が存在しない)
■3色の虹?(言語や文化によって色の見え方が違う、イヌイットは100種類の雪を区別しているというのも同様の伝説)
■なぜ母親は赤ちゃんを左胸で抱くのか(母親の心音を聞くことで安心するという神話)

 

プラネット・グーグル
ランダル・ストロス著、吉田晋治・訳、日本放送出版協会、p.304、¥2100

2008.11.19

 「マイクロソフト・ウェイ」を書いた米サンノゼ州立大学教授のランダル・ストロスの新著。Google創立10年の2008年9月に日米で同時に発行された(原書はハードカバーとペーパーバックが同時発行)。一時の勢いこそなくなったが、それでも最も注目される米国企業の一つである米Googleを題材に取りあげている。業界事情に通じた著者らしい力作である。明るい面が描かれることの多い米Googleだが、その影に近い部分に迫っており読み応えがある。本の帯には「あなたの知らない Google の本当の野望」とあるが、当たらずとも遠からずである。チョーチンをぶら下げたGoogle本が多いなかで、現状ではNo.1の出来映えだろう。
 Googleというと「Don't Be Evil」というフレーズが頭をよぎるが、「Don't Be Evil」らしくない行動を取らざるを得ない、失うモノを抱えている大企業Googleの姿が本書では描かれる。New York Times は“Is Google Evil?”と題したディベートを行っているが、 投票は真っ二つに分かれているようだ。本書では、スタートアップの時代と現在とで食い違う発言、技術者天国に押し寄せる MBA 取得者に対する社内の懸念といった話題もきっちりカバーしている。
 創設10年の Google だが、けっこう多くの問題を抱えている。一つは、物事にのめり込んでしまい全体像が見えない、技術者らしい狭量さが生む摩擦。もう一つは強さが弱さに繋がりつつあるところ。インターネットの規模の拡大についていけなかった 米 Yahoo を Google が打ち負かす原動力になった「アルゴリズム至上主義」が、逆に足を引っ張っていることを本書は指摘する。例えば Google News がこれに該当するが、 いわゆる「イノベーションのジレンマ」に Google も無縁ではないという訳だ。

 

死体が語る歴史〜古病理学が明かす世界〜
河出書房新社、フィリップ・シャルリエ著、吉田春美・訳、p.349、¥2940

2008.11.14

 タイトルに興味をそそられ購入した書。発掘されたり博物館に保存されている死体やミイラ、遺物を医学的に分析することで得られた知見を分かりやすく紹介している。例えば、性別や年齢、健康状態、死因(権力者の場合は毒殺か病死か)だけではなく、当時の生活や社会の様子までも類推可能である。著者は古病理学のパリ大学教授。1977年生まれなのでかなり若いが、2006年に始まったジャンヌ・ダルクの遺骨鑑定チームでリーダーを務めている。この調査の結果は2007年に新聞で紹介されており、ジャンヌ・ダルクの遺骨は偽物で、火あぶりになった形跡はなくエジプトのミイラの一部と判断されたという。
 人の皮のマスク、吸血鬼伝説、魔女といった話も出てくるし、先史時代からファラオ時代のエジプト、インカ帝国、中世など幅広い時代をカバーしている。ジャンヌ・ダルクの遺骨・遺物の話やフランス国王の心臓の行方といった話は野次馬的な興味で読める。エピソードの一つひとつが短いので暇つぶしに向く書である。翻訳も悪くない。ただ逆に、話がブツ切りで満腹感を得られる前に話が終わってしまうともいえる。より深く知りたい向きには欲求不満が残るだろう。
 興味深いのは、日本人と欧米人の死体に対する感じ方の違いで。本書を読むと、遺体を切り刻んだり死体から心臓を取り出して別に安置する行為が出てくる。西欧の「聖遺物崇拝」に関係するようだが、どうも違和感が残る。ミイラの一部から顔料を作り絵の具として使ったり、粉にして薬として売るというのもかなりである。

 

日本は財政危機ではない!
高橋洋一、講談社、p.286、¥1785

2008.11.11

 竹中平蔵のブレーンとして知られる高橋洋一が、いつもの調子で埋蔵金話、官僚と政治家への批判を繰り広げている書。文書なかにこっそり罠を仕掛ける官僚の作文術や、訳の分からない倒錯した役人の論理、自らの主張に都合のいいようにねじ曲げる数字のまやかしをやり玉に挙げる。その役人にいいように使われる政治家、勉強不足と理解不足のマスコミのだらしなさ、識者と呼ばれるモノ知らずな面々なども、当然ことながら攻撃の対象となっている。いずれも具体的な内容を取り上げて説明するので説得力がある。
 もっとも、これまで「財投改革の経済学」、「さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白」「霞が関埋蔵金男が明かす『お国の経済』」を読んできたが、だんだん得るところが少なくなってきた。丹念に読み込めば、これまでの著書との違いや新規追加分が分かるのかもしれないが、ざっと読むところ大同小異だ。しばらく高橋本はお休みした方がよさそうだ。

 

全集 日本の歴史 5 躍動する中世
五味文彦、小学館、p.370、¥2520

2008.11.8

 小学館の85周年企画「日本の歴史」シリーズは歴史の単なる紹介にとどまらず、物語性を重視したところが気に入って第1巻から購入している。歴史小説とまではいかないが、歴史上の登場人物や庶民の生活が生きいきと描かれているおり、従来の日本史全集と一線を画している。この観点からすると、5冊目である本書は“はずれ”といえる。ありがちな歴史紹介にとどまっており、残念ながら時代のにおいを感じさせてくれない。
 中世ともなると、史料がそれなりに充実しているために、思い切り創造をたくましくできないのは理解できるが、それにしても生活観に乏しい気がする。このシリーズの釣書には「政治や経済中心の権力者を追った歴史だけでなく、庶民の生活や文化にも注目。人びとを鮮やかに活写しながら、現代社会につながる生きた歴史に迫ります」とあるが、これを実現できているとは言い難い。
 評者が期待した内容から外れているものの、歴史書として見れば悪くない出来である。「躍動する中世」を紹介しようと多くの事柄を詰め込みすぎ、そのために焦点がボケたともいえる。もっと深彫りしてくれれば、面白い歴史書になったと思われる項目はいくつもある。例えば庶民の住居の話などは興味深いが、これだと“全集”という趣旨から外れてしまうのだろう。

 

間メディア社会と〈世論〉形成―TV・ネット・劇場社会
遠藤薫、東京電機大学出版局、p.260、¥3045

2008.11.5

 インターネットや携帯電話、新聞、TV といったメディア が世論形成にどのような影響を与えたかを論じた書。新聞や TV は言い尽くされたところがあり、本書における議論の中心はインターネットである。筆者がこれまで書いた論文を寄せ集めて作った本とあって、全体に散漫な印象を受ける。インターネットに対する筆者の理解が浅いのか、評者の読み方が悪いのか分からないが、当たり前のことを重要な発見のように論じるところに違和感がある。それにしても「間メディア」という造語は分かりにくい。間メディアとは、新聞・TV ・インターネットといった複合的なメディア環境における、メディアとメディアの相互作用や関係の変容を表す言葉と定義しているが、直感的には理解できない。  本書では、2004年の米国大統領選(ブッシュ対ケリー)におけるインターネット活用法を紹介し、その影響を分析している。ただし「インターネット利用が今後拡大していく」という月並みな話で終始しており、内容に目新しさはない。唯一、2008年の大統領選挙でオバマが勝った要因の一つと言われた「少額献金」について数行触れているのが目立つ程度である。  本書の趣旨からすれば、今回の米国大統領選は格好の材料である。2004年がインターネットの選挙利用の黎明期とすれば、2008年の大統領選は成長期である。多くの知見が得られただろう。サンフランシスコで開催されている Web2.0コンファレンスで政治ブロガー・ハッフィントン氏は、「インターネットの力がなかったら、オバマは大統領になれなかった」と述べている(TechCruch 日本語版の当該記事)。インターネット選挙の教祖といわれる民主党の選挙参謀トリッピ氏の「オバマのYouTube動画は全部で1450万時間分の視聴時間を集めている。オバマはオンライン動画からブログ、ソーシャルネットワーキング、選挙資金集めに至るまで、本当に選挙のあらゆる面でネットをテコにフル活用した」という発言も興味深い。インターネットが当選に向けてのレバレッジとなった訳だ。レバレッジがなくなった後の“素”のオバマも興味深い。

 

生活保護が危ない〜最後のセーフティーネットはいま〜
産経新聞大阪社会部、扶桑社新書、p.25、¥798

2008.11.1

 日本の生活保護の実態と問題点を追った書。産経新聞大阪版の連載がベースになっていることもあり、生活保護率が政令都市で突出して高い大阪市の現状を中心に構成されている。本書を読むと生活保護と最低賃金、年金といったセーフティネットが相互に矛盾をはらみ、ボロボロになっている状況がよくわかる。生活保護の給付金よりも、最低賃金や年金の額が少ないのはどう考えても不可思議。年金を支払わなくても生活保護で助けてもらえると思う層が現れるには至極当然だろう。国の政策に社会保障の仕組みを俯瞰する視点の欠如が酷い状況を生んでいるのは確かである。
 本書で明らかにされるのは、生活保護の制度疲労だ。2代、3代にわたって生活を保護を受け貧困の連鎖が生じてる状況、制度を悪用する人間に食い物にされている状況、矢面に立つ現場担当者の疲弊、現場音痴の厚生労働省の施策、「弱者」と「モラルハザード」のステレオタイプで現状を語る報道などである。驚くのは、日本の生活保護が制度的には先進国の中でトップクラスにもかかわらず、公的扶助を受けているのが少ないという現実である。ケースワーカーや役所は生活保護を受けさせないように努める結果、生活保護水準以下で暮らしている人が13%いるにもかかわらず、実際に給付を受けているのは0.7%にとどまっている(恥の文化の影響もあるだろう)。矛盾うずまく社会保障には、考えさせられるところは実に多い。

 

2008年10月

オタクで女の子な国のモノづくり
川口盛之助、講談社、p.237、¥1575

2008.10.30

 日本人が自ら弱点と考えている「オタクっぽい」「子供っぽい」といった特質を活用すれば、世界にアピールする製品・サービスが可能になると主張するビジネス書。日本の製品作りで How(いかに作るか) から WHat(何を作るか)への転換が重要になっていると、著者は前書きで主張している。これはもう10年以上も前に盛んに行われた議論で、著者のセンスを疑わせ前途多難を思わせる書き出しであるが、全体的には読ませる内容に仕上がっている。『頑張れニッポン』を意識するあまり、議論の進め方が少々強引なところは本書の趣旨を考えれば仕方がないだろう。ちなみに著者は、日立製作所やなどを経てアーサー・D・リトル・ジャパンで製造業の研究開発や商品開発のコンサルティングを行っている。
 著者は、トイレで用を足すときの音を擬音で消す「音姫」、お馴染みのウォシュレット、野菜のビタミンを増加させる冷蔵庫、抗菌コートの預金通帳などを、日本的なユニークな製品・サービスとして挙げている。確かに、日本人の便利さに対する要求度の高さを納得できる事例が並ぶ。こうした製品から筆者は10の法則を導く。(1)擬人化が大好き、(2)カスタマイズを志向する、(3)人を病みつきにさせる、(4)寸止めをねらう、(5)かすがいの働きをする、(6)恥ずかしさへの対策となる、(7)健康長寿を追求する、(8)生活の劇場化を目指す、(9)地球環境を思いやる、(10)ダウンサイジングをはかる。的を射た指摘もあるが、10項目にこだわったためか無理も見える。上記の10項目は、筆者の意図に反し日本の製品・サービスをオーバースペックにしている元凶が並んでいるともいえる。最後に筆者は「ガラパゴス論」を欧米式の論理に基づく誤った理屈と一笑に付しているが、これには少々疑問が残る。

 

リスクのモノサシ:安全・安心生活はありうるか
中谷内一也、NHKブックス、p.251、¥1019

2008.10.29

 心理学者の立場から、日常生活においてリスクをどのように評価し対策を立てるべきかを説いた書。ここでいうリスクとは、喫煙によるガン発病、パンデミック(鳥インフルエンザ)、BSE(狂牛病)、アスベストによる健康被害などを指す。こうしたリスクに直面しながら安全で安心な生活を営む秘訣は、適切な“モノサシ”でリスクを測り、リスクの大きさを適切に把握することが肝要と著者は主張する。モノサシの使い方が悪いために、リスクの大きさが一般人にはぴんとこない。そのため小さなリスクを針小棒大に扱い、必要以上のコストで対策を打ったり、逆に大きなリスクが顧みられず危機に瀕するといった事態に陥っているのが、いまの日本の現状というのが著者の見立てである。
 リスクのモノサシとして、およそ1桁ずつ異なる以下のような事象を想定する。10万人当たりの年間死亡者数は、ガンが250人、自殺が24人、交通事故が9人、火事が1.7人、死産災害が0.1人、落雷が0,002人である。これらの基準に対し、リスクの度合いを知りたい事象がどこに位置するかで、リスクを感覚的に把握するわけだ。例えばアスベストによる中皮腫のリスクは、全国平均なら0.75で死産災害よりも死亡率は高いが、火事ほどでもないことになる。ところがクボタ旧神崎工場周辺500mにすむ女性の場合だと12.9にまで跳ね上がり、交通事故を上回ることになる。
 筆者は三つの要因が安心・安全を阻んでいると指摘する。一つは、パニックを煽るようなマスコミの報道。第2は専門家が言葉足らずだったり、自らの意見に固執して全体像が見えなくなっている点。最後がリスク情報を受け取り、解釈する心の仕組みである。これらについて、説得力のある具体例を示しながら論考を重ねる。

 

投資銀行バブルの終焉:サブプライム問題のメカニズム
倉都康行、日経BP社、p.232、¥1785

2008.10.27

 現在の金融動乱はサブプライム問題が発端になり、リーマン倒産が引き金を引いたといえる。そのリーマンが破綻したのは9月。本書は、リーマンをはじめとする投資銀行の滅亡を今年7月の時点で“予言”していている。さすがに現在の円の独歩高は予見できていないが、その他の部分はほぼ著者の予想どおりだ。金融の仕組みを知らないと理解が難しい箇所もあるが、評者のような門外漢でもほぼ理解できる。筆者は、東京銀行、チュースマンハッタン銀行で現場を経験した金融マン。現在はコンサルティング会社を営んでいる。
 本書を読むと、投資銀行、商業銀行、格付け会社の生態がよく分かる。それにしても花形と思われていた投資銀行がバタバタと倒れ、あっと言う間に商業銀行に衣替えしたのには驚かされてしまう。もてはやされた金融工学を駆使したデリバティブや債権化といった仕組みは、実に脆い土台の上に成り立っていた。格付けという偶像への崇拝や流動性への盲信を含め、まさに数字上のバーチャルな世界であり、その多くの部分がこの数カ月で吹き飛んだ。
 本書を読んで思い出されるのが、この書評でも取り上げたNassim Talebの“The Black Swan”。Black Swan という言葉は使っていないが、筆者の考えとほぼ一致する。Talebはこう述べる。「世の中を動かすようなBlack Swan事象は不規則でランダムに発生し、予知は不可能」「経済学や自然科学では正規分布を仮定して発生確率を弾き出しているが、Black Swanはサンプル数が少なすぎて正規分布による予測はあてにならない」「Black Swanの現象は抽象化すると、社会的な事象が本質的に持っている複雑性を覆い隠してしまうので本質が見えなくなってしまう」「シミュレーションをどれだけ精緻に行っても、未来は正しく予想できない」。まさに、Black Swanが生じたのが今回の金融動乱である。

 

大本営発表という権力
保阪正康、講談社文庫、p.258、¥580

2008.10.24

 「大本営発表」と当時の新聞紙面を通して、現在に通じる日本の社会と組織の欠陥をえぐった書。客観的に戦況をとらえ説明する能力に欠け嘘をつくことが仕事になってしまった日本軍部と、その嘘の片棒をかついだ報道機関(新聞)を痛烈に批判している。同時に、現在の官僚組織に当時の軍部との間に類似性を見出し警鐘を鳴らす。ちなみに大本営発表とは、「陸軍と海軍に横串を指した組織である大本営が、太平洋戦争期間中に国民に向けて行った戦況報告」。ウィキペディアでは、「内容を全く信用できない虚飾的・詐欺的な公式発表」となっている。本書は光文社から新書として出版されたのち、一部加筆して講談社文庫に衣替えして再登場した変り種である。

 

[非公認]Googleの入社試験
竹内薫、徳間書店、p.192、¥1000

2008.10.22

 飛ぶ鳥を落とす勢いの米Googleの入社試験を、ネットに散らばった情報をかき集めて再現した書。Googleが正しいと認めたわけではなく真偽のほどは分からないが、何となくそれらしい珍問、奇問、難問が並んでいる。全部で37問が、難易度で分類して掲載されている。もし本気で全部を解こうと思ったら、少なくとも1週間は必要だろう。
 「むかしMicrosoft、いまGoogle」といった感じで、Googleは世界中の英才を集めている。その英才たちの能力を試験問題から測ろうという筆者の企画は、怪しげな匂いを放ちながらも成功している。ちなみに筆者は科学ジャーナリストで、「99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方」「天才の時間 」といった著書がある。本書では、著者だけではなく木村美紀(現役の東大大学院生タレント)、現役IT技術者、数学科卒塾講師、物理系大学院生、グーグル系プログラマらが入社試験に挑戦する形をとって話を進める。架空の設定かもしれないが、回答はそれぞれの特徴が出て面白い。
 入社試験は正直言って難しい。学会誌に登場するような難問がさりげなく出題されている。しかも問題の意図がどこにあるのか分からない設問が少なくないので、真面目に応えるのか、ウイットを利かせるべきか大いに戸惑う。「脳のスタミナ」が試されている気もする。考え方が柔軟で、しかも気力が充実し持続もする若い人を、Googleが求めているのがよくわかる。評者のような年寄は根気が続かない。もちろん頭の回転が最盛期だった大学入試のころでも、どう考えても歯が立たない問題も多いが・・・。ちなみに評者のお気に入りは以下の問題である。
How much should you charge to wash all the windows in Seatle?

 

Once You're Lucky
Twice You're Good:The Rebirth of Silicon Valley and the Rise of Web 2.0、Sarah Lacy、Gotham Books、p.304

2008.10.21

 1996年の米NetscapeのIPO騒動に始まり2000年に破裂したドットコム・バブル。本書は、バブル崩壊後、どのようにシリコンバレーのネットベンチャーと起業家が復活したかを追っている。シリコンバレーの人間関係や人の流れ、成功を収めた起業家がどういった経歴をもっているかがよく分かる。シリコンバレーの裏事情が詳しく載っているので、ネット・ベンチャーの立ち上げに興味のある方には貴重な情報が詰まっているのかもしれない。ただ、評者は少々退屈だった。いまさらWeb2.0といわれても新味がないのも影響しているのだろう。筆者自身もWeb2.0のインパクト不足をエピローグで語っているし・・・。ちなみに、Googel がすでに成熟期に入っていることを理解できるなど、このエピローグはなかなか読み応えがある。
 本書の中心となるのはWeb2.0系の企業。評者が知っているところではTwitter、Six Apar、YouTube、MySpace、Digg、Facebookなどが登場する。特に学生向けソーシャルネットワーク・サービスFacebookに入れ込んでいる。筆者のSarah Lacyはシシコンバレーに関するレポートを得意とするライターで、BusinessWeekなどに記事を執筆しているという。筆者が比較的大きく扱っているのが、Facebookの創業者Zuckerberg。インタビューの思い出を語るなど、Zuckerbergに多くのスペースを割いている(フルネームではなくZuckと呼ぶのは行き過ぎと思うが・・・)。もっとも、親しかったり詳しいからといって、FacebookやZuckの話が面白いかというとそうでもない。
 むしろ、終わり近くになって登場するソーシャル・ニュース・サイトDiggの話が面白い。Rupert MurdochのNews Corp.やAl Goreが会長を務めるCurrentTVがDiggを買収しようと話を持ちかける。しかし、いずれも合意しない。こうした大人が登場すると、ぐっと緊迫感が出るのは不思議である。Goreの逸話は別の意味でも楽しめる。

 

住まいと家族をめぐる物語―男の家、女の家、性別のない部屋
西川祐子、集英社新書、p.222、¥735

2008.10.7

 日本人の住宅と家族の在り方がどのように変遷したかを140年のタイムスパンで追った書。「いろり端がある家」「茶の間のある家」「リビングがある家」と区分し、それぞれと家族の在り方を関連づけて論じている。茶の間のある家と応接間(客間)との関係など、実に興味深い話が盛り込まれている。長屋や公団の話があったり、とても懐かしい気分にさせられる本である。

 

深層「空白の一日」
坂井保之、ベースボール・マガジン社新書、p.235、¥819

2008.10.2

 初めて読むベースボール・マガジン社の新書。著者はコンサルタントからプロ野球界に転じ、球団社長や球団代表で辣腕をふるった人物。経営の分かるフロントとして活躍し、西武の黄金時代を築いたことは有名である。その人物から見たプロ野球界の不合理を綴ったのが本書。タイトルを見ると江川事件の舞台裏が全編にわたって書かれているような印象をもつが、6章のうち2章を割いているに過ぎない。少々ミスリードだろう。
 全体を貫くのは、球界に巣くう巨人的体質への反感である。巨人そのものはもちろんだが、江川事件や1リーグ騒動(あのホリエモンと楽天が新球団設立で競合)を例に、その横暴を許す球界自体の前近代性を問題視する。江川騒動が起こったのは1978年11月21日である。「空白の一日」という詭弁を使ってドラフト制度を破り、巨人は江川の入団を強行した。筆者は、このときのドラフトに参加した当事者として舞台裏でのバタバタ劇を描いている。江川の自宅を訪問したときの父親との会話や、巨人と他球団の駆け引きは実に生々しい。政治家やその取り巻きが登場して胡散臭さと腐臭が漂う話である。

 

磯崎新の「都庁」―戦後日本最大のコンペ
平松剛、文藝春秋、p.476、¥2300

2008.10.1

 1985年に行われた、新宿の新都庁舎コンペをめぐる虚々実々の駆け引きを、建築家・磯崎新と彼のスタッフを軸に描いたノンフィクション。建築のコンペの舞台裏が垣間見えるし、登場人物が人間味にあふれていて楽しく読める1冊である。
 とりわけ秀抜なのが、磯崎の師匠に当たる丹下健三。主人公を引き立てるためのバイアスが多少感じられるものの、老練というか、狡猾というか、大建築家の個性が生き生きと描かれている。「ぶっちぎりで勝とう」を連呼する姿にすさまじい執念を感じる。それにしても丹下が描く都市計画のスケールの大きさには驚かされる。傑物である。わずかしか登場しないが、岡本太郎の強烈な個性も光り輝いている。
 新都庁は結局、丹下が設計した高層ビル「ツインタワー」になるが、本書は磯崎が設計した、コンペで唯一提出された「低層案」に焦点を当てる。模型(これは実にすばらしい)やイラストが掲載されているので、その魅力はおおよそ想像できる。磯崎のアイデアのエッセンスを、丹下がフジテレビのお台場・新本社ビル設計に借用したかに思えるところは実に興味深い。
 筆者は、『光の教会――安藤忠雄の現場』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。早稲田の建築学科を卒業し現在も建築設計事務所に勤務するが、文章力はなかなかのものである。

 

2008年9月

iPS細胞 ヒトはどこまで再生できるか?
田中幹人、日本実業出版社、p.256、¥1575

推薦! 2008.9.25

 iPS(induced pluripotent srem cell)細胞について知ってはいるが、知識があやふやな方にお薦めの入門書。素人にも分かるバイオテクノロジーの本である。研究を巡る周辺状況への目配りはしっかりしておるし、説明の仕方も秀抜で分かりやすい。的確な比喩とイラストは、評者のような同業者にも非常に参考になる。こういう書を読むと、技術/科学ジャーナリストという仕事の重要さがよく分かる。
 本書が扱う中心的話題は、京都大学の山中伸弥教授が世界に先駆けて開発(作成かな?)したことで騒がれた「ヒトiPS細胞」。本書では、多能性細胞や万能細胞の意味、iPS細胞の作成法、再生医療や新薬開発におけるiPS細胞活用法と現状、日本の研究体制と特許戦略の不備といった話題をカバーする。筆者は理学科出身で、現在は早稲田大学ジャーナリズム・コースの講師。そのせいか啓蒙一辺倒ではなく、ジャーナリスティックな視点もあり、読んだ後の満足度は高い。
 評者が最も興味を引かれたのがヒトiPS細胞の作成法を見つけ出す過程である。従来の「試験管内で行う」「生体内で行う」という実験法に加え、「コンピュータ内で行う」という手法を活用したこと。インターネットと公共のデータベースを使って、ヒトiPS細胞を作成するのに必要な遺伝子を見つけ出した。実に今的である。ちなみに iPS と命名するときに、iPod を意識したといったトリビア的な話題も挿入されている。

 

気骨の判決―東條英機と闘った裁判官
清永聡、新潮新書、p.203、¥714

2008.9.23

 雑誌や新聞の書評で扱われたために人気沸騰で在庫切れなのか、この書評を書いている9月24日時点でAmazonで入手できない書。版元の新潮社にとって想定外の反響だったということなのだろう。確かに悪い本ではないが、売り切れになるほど凄い内容かというと少々疑問もある。軍部の圧力に屈することなく筋を通した人物の物語という切り口自体に目新しさがあるわけではないので、初刷りの部数をさほど増やさなかったのも致し方ないだろう。
 本書の主人公は大審院(現在の最高裁判所)の判事だった吉田久。昭和17年に行われた衆議院選挙は、政府(首相は東條英機)が批判的な立候補の選挙を妨害し、落選させることを狙った「翼賛選挙」だった。特高に尾行されたりするなど官憲の圧力にさらされながらも、昭和20年に翼賛選挙を無効とする判決を下したのが吉田判事である。反論しづらい美辞麗句を錦の御旗にして戦争を正当化する昭和10年代は現在の状況にもどこか通じており、本書の描く世相はデジャブ感をもって迫ってくる。このあたりも、在庫切れにつながっているのかもしれない。
 裁判官の間で名判決と語り継がれた吉田の判決文は、空襲や敗戦のドサクサで行方不明になり、判例集にも掲載されないこともあって“幻”となった。判決文は後に発見されたが、政府に迎合したチョーチン判決は見つかっていない。裁判所のなかに目利きがいたということなのだろう。吉田の判決と吉田個人に興味を持ったのが NHK 記者の筆者である。ニュースで取り上げたあとも地道にインタビューを重ねた努力が、本書に結実した。

 

集・日本の歴史 4:揺れ動く貴族社会
川尻秋生、小学館、p.370

2008.9.21

 小学館の85周年記念事業となる全集「日本の歴史」は、歴史を活写するという切り口を売り物にしており、淡々と事実だけを積み重ねる学術書とは一線を画している。この書評でも1巻から3巻まで取り上げたが、いずれも読み応えのあった。この趣旨は本書にも反映しており、著者は前書きで「人間の息づかいが聞こえる歴史をえがき出す」と意気込みを語っている。大いに期待して読み始めたが、読み終わってみての印象は「平板で、少し奥行きが足りない」だ。本書が扱う平安時代ともなると、想像をたくましくして自由自在に描ける古代とは異なり史料も多くなる。小説でない以上どうしても制約があり、人間の息づかいの描写に限界が出てくるのも致し方ないのだろう。
 本書のターゲットはタイトルにあるように貴族。それだけではなく、庶民の生活にも目配りしている。華やかなイメージのある貴族や平安時代だが、干ばつや飢饉、疫病、地震といった自然災害、平将門や藤原純友などが起こした争乱における戦争犯罪などにも焦点を当てている。疫病(麻疹)の流行によって長兄たちがバタバタと倒れたことで出世の道が開けた藤原道長の話など、下世話な出世話はなかなか興味深い。発掘された建築物から推察できる平安貴族の生活といった話を読むと、歴史はロマンだなと改めて思ってしまう。

 

ITリスクの考え方
ロバート・ライシュ著、雨宮寛・今井章子訳、東洋経済佐々木良一、岩波新書、p.212、¥777

2008.9.17

 情報セキュリティに関する入門書。ウイルス、情報システム障害、個人情報流出といったリスクと、そうしたリスクにどのように対処していくかを論じる。筆者は元・日立製作所の研究者で、現在は東京電機大学教授。そこそこの現場感を持っているので、上滑り感は少ない。ポイントを的確に押さえ議論を進めている。粗製濫造の傾向が強い最近の新書のなかでは、比較的高いクオリティをもった書といえる。
 本書でユニークなのは、西暦2000年問題(いわゆるY2K)についての総括がなされていること。2000年問題は騒ぐだけ騒いだという印象が強いが、その分析は十分ではない。本書は一つの章をY2Kの検証に充て、企業情報システムだけではなく組み込みソフトの西暦2000年問題までカバーしている。マスコミがY2Kをどのように扱ったかを日米で比較した部分は興味深い。米国では技術者が専門家の立場で積極的に発言したのに対し、日本は危機を煽ることに熱心な社会科学者が主体だった。日本のY2K報道にバイアスがかかったのは確かだろう。

 

暴走する資本主義
ロバート・ライシュ著、雨宮寛・今井章子訳、東洋経済新報社、p.379、¥2100

推薦! 2008.9.14

 間違いなく良書。現在の資本主義の行き過ぎた状況(いわゆる超資本主義)、企業のロビー活動によってもたらされた民主主義の危機について明確な分析を展開し、それなりの処方箋を与えてくれる。なぜ企業は暴走するのか、それをなぜ国民が止められないのかについての分析は実にクリアで的確である。米国に焦点を当てて論じているが、米国流の資本主義を手本にしている(手本にしたがっている)日本の状況にも少なからず当てはまる。
 著者の危機感は、資本主義が本来の境界線を乗り越え政治に介入し、米国民から市民としての力を奪っているところにある。その一方で市民は、消費者や投資家として企業とかかわり、“暴走する”企業によって恩恵を受けているという構造がある。つまり企業を暴走に駆り立てているのは、価格に厳しい消費者としての市民(発展途上国での低賃金労働に支えられた安価な商品を手に入れる市民)であり、株主として企業を厳しく評価する市民(株価の上昇によってキャピタルゲインを受ける市民)なのである。こうした状況によって資本主義が政治を飲み込み、米国の民主主義は危機の淵に立っているというのが筆者の認識である。本書が秀抜なのは、感情的な議論を排し、政治経済社会の仕組みを丹念に解剖し、病巣の在処を突き止めているところである。
 著者のロバート・ライシュはクリントン政権の第1期で労働長官を務め、現在は UCバークレーで教鞭を執る政治経済学者。米国のリベラルな考え方の一端が垣間見える書である。ちなみに原書のタイトルは Supercapitalism(超資本主義)。本書の目配りの行き届いたフェアなトーンの議論からすると、この刺激的なタイトルで損をしてる気がするのは残念である。

 

女女格差
橘木俊詔、東洋経済新報社、p.344、¥1890

2008.9.10

 格差問題の権威である同志社大学経済学部教授・橘木俊詔の新刊。格差本は一つのジャンルを作るほど数多く出回り世の中を煽っている。正直なところ、二番煎じ、三番煎じで得るところが少ない本が粗製濫造されている状況である。本書は女性間の格差に焦点を当てることと、筆者が得意とする統計データを駆使することで類書と差別化を図っている。情緒的なところが少ない点は買えるが、著者のねらいが大成功しているかというと少々疑問。数字に基づいて客観性をもたせているところはよいのだが、全体にインパクトが不足している。データから導き出される結論が少々ありきたりで、「やっぱりそうなのかぁ」といった感じに終始する。
 多彩な切り口で格差を浮き彫りにしようとしている努力はうかがえる。切り口として取り上げるのは、低学歴と高学歴、結婚と非婚、子供の有無、正社員とパート、、総合職と一般職、美人と不美人など。関心の高そうなテーマを選んでおり、狙いは悪くない。ただ先にも述べたが、残念だが想定の範囲内に収まっている結論が多い。女女格差は実は男性の問題でもあるという指摘は注目されるが展開力が弱く、これもありきたりな結論に終わってしまっている。

 

里山ビジネス
玉村豊男、集英社新書、p.185、¥714

2008.9.8

 玉村豊男といえば食通でエッセイストとして知られる。その玉村は体を壊したのを機に生活の場を山梨に移し、ワイナリー兼レストランを営んでいる。バスも通らない人里離れたへんぴな場所だが、大繁盛しているようだ。本書は、ワイナリーとレストランを軌道に乗せるまでの奮戦記と、失われていく里山や崩壊する日本の農業に対する思いを綴ったもの。肩の凝らない読み物なので、ちょっとした時間をつぶすのに向く。
 本書の前半部は、素人商売の悪戦苦闘、ワイナリーを立ち上げるための経費といった話題が続く。後半部はビジネスモデル的な話が中心になる。最後には「愚直で素朴なビジネス観こそ、グローバル化の嵐の中の有効な処方箋である」といった大きな話に展開する。このあたりはLOHAS的な世界観であり、評者には共鳴するところがある。田舎暮らしにあこがれながらも、しばらくは都会から離れそうもない評者としては「そんな生き方や考え方もいいけど、もう少し歳をとらないと踏ん切りがつかないな」といったところが読後感である。

 

創造的破壊とは何か日本産業の再挑戦
今井賢一、東洋経済新報社、p.270、¥3360

2008.9.5

 崖っぷちの日本をどうすれば再生できるのか。日本企業や産業への処方箋が簡単に見つかる訳はないが、シュンペーターの「創造的破壊」やクリステンセンの「イノベーションのジレンマ」を前提に、この命題への解を探るのが本書の目的である。驚くような画期的議論がなされている訳ではないが、老練な今井賢一らしく手堅くまとめている。採点すれば75点といったところだろう。
 今井が強調するのは、情報化時代におけるプラットフォームやインタフェース、サービス指向の大切さである。このあたりは、現状認識も提言も10年以上も前から雑誌では扱っていた話であり新味はない。逆に言えば、10年以上も前から危機的な状況を雑誌では訴えていたのに、産業界を変えるに至らなかったという意味で忸怩たる思いを感じざるを得ない。惜しいのは推敲が不十分なところ。やたらと誤字脱字が登場する。とりわけ、米Xerox PARCをPARKと表記するのはあまりにお粗末。

 

職業としての政治
マックス・ヴェーバー著、脇圭平・訳、岩波文庫、p.121、¥483

2008.9.3

 「政治は最高の不道徳」の今、どうしても読みたくなった書。大昔に買った本でカビくさいのは閉口だが、さすがに名著とい言われるだけあって読み応えがある。もっとも、かつて読んだときの記憶がすっかり飛んでいるのには驚いたが・・・。
 本書はマックス・ヴェーバーが行った1919年に学生に対する講演に基づいている。講演は、第一次大戦での敗戦後、革命の雰囲気が漂っていた状況のなかで実施された。根拠なき高揚感にひたる学生への問いかけということもあって、政治の本質には暴力性があることや、だからこそ政治家には倫理性が求められるといった話題が盛り込まれている。噛んでふくめるように「政治に身を投ずる者が備えるべき資格と覚悟とは何か」について議論しており読みやすい。
 本書は大きく三つのトピックから成る。冒頭では政治の本質について触れる。なぜか、ジャーナリストの在り方についても言及している。皮肉混じりのジャーナリズム論だが、これはこれで評者のような人間にとって役に立つ。次に米国や英国、ドイツの政治制度について議論を展開する。そして最後に取り上げるのが政治家に求められる資質である。ヴェーバーは政治家にとって重要な資質を三つ挙げる。情熱(献身的情熱)・責任感・判断力である。情熱は、仕事への奉仕として責任性と結びつき、この仕事に対する責任性が行為の決定的な規準となったときに、はじめて政治家をつくり出すと、ヴェーバーは語る。
 決定的なのは次の言葉である。「愚かで卑俗なのは世間であって私ではない。こうなった責任は私にではなく他人にある。私は彼らのために働き、彼らの愚かさ、卑俗さを根絶するであろう」という言葉をわがもの顔に振り回す場合、十中八九は、自分の負っている責任を本当に感ぜずロマンチックな感動に酔いしれた法螺吹きということだ。

 

甲骨文字に歴史をよむ
落合淳思、ちくま新書、p.228、¥756

2008.9.1

 殷王朝といえば、高校教科書には「殷墟が発掘されるまで架空の王朝と言われていた」と載っていた気がする。本書は、殷王朝で占いに用いられていた甲骨文字について、成り立ちや解読法(文法)を紹介したもの。甲骨文字から読み取れる殷王朝の社会、甲骨文字と漢字との関係など興味深い記述が多い。例えば「鬱」という漢字のパーツが何を意味するかの解説など、トリビア的な楽しさがある。筆者の落合淳思は立命館大学の非常勤講師。1974年生まれと若いが、現時点で日本おける唯一の甲骨文字研究という。貝塚茂樹、白川静、赤塚忠といった先達が偉すぎて後継者が育たなかったと、落合は述べている。
 甲骨文字によって、殷王朝の本当の歴史が分かるというのが著者の主張である。殷については史記・殷本紀で取り上げられているが、司馬遷が参考にした文献は殷が滅んでから数百年後のもの。リアルタイムで記述された甲骨文字にはとうてい及ばない。甲骨文字といえば占いだが、骨の割け方によって占ったというのは少々事実と違うようだ。結果が分かって割け目を改ざんしたり、結果が分かってから書き込むといった手口によって占いが当たる確率を上げ、王の権威を高めていたのが現実らしい。このほか、殷王朝滅亡の原因となった紂王の暴政(酒池肉林の語源となっている)についても疑問を呈する。歴史のロマンを感じる1冊である。

 

2008年8月

人類が消えた世界
アラン・ワイズマン、鬼澤忍・翻訳、早川書房、p.440、¥2100

2008.8.29

 「人類が地球から消えたら」。こんな奇抜な仮定のもとに、人類後の地球上の変化を予測したノンフィクション。温暖化や異常気象など、地球が変調をきたしているだけにタイムリーな切り口と言える。著者は、「生きている地球が高熱に苦しんでいるのではないか。原因のウイルスは人間ではないのか」とも表現している。著者は学者ではなくジャーナリト。多分野の識者に対する取材に基づいて執筆している。少々冗長な感じもするし、取材相手が環境保護に熱心な学者に偏っている気もするが、知的好奇心を満足させられることは確か。米TIME誌が選ぶ2007年ベスト・ノンフィクションで第1位となったというだけのことはある。
 人類は、文明を維持するために多大なコストをかけている。例えばニューヨークの地下鉄は排水の仕組みがなければ水没してしまう(排水施設が30分停止するだけで地下鉄は走れなくなる)。立派な建物もメンテナンスしなければ、100年後にはほとんどが崩れ落ちる。原子力発電所をはじめ、コンピュータで制御されている全てのシステムは機能不全に陥りガラクタになる。人類滅亡のあとに事前発生的な火事によって、多くのモノは焼き払われる。人類に飼い慣らされた犬や家畜は淘汰され生き延びられない(興味深いことにネコは小動物を狩りながら自由を満喫する)。逆に、人類によって絶滅の危機にさらされている動植物は息を吹き返す。
 人類がかつて存在したことを証明するのは、容易には分解しないプラスチック、放射性物質、緑青に覆われることで外界の変化に強くなる銅像、宇宙にも漏れ出したテレビ電波くらい。後世に残したいと思って作った建築物などは早々に朽ち果てる。人類がどれだけ自然に大きな負荷をかけているかを認識するとともに、人間って文明って何だろうとつい考えさせられる書である。

 

最後の授業〜ぼくの命があるうちに〜(DVD付き)
ランディ・パウシュ著、ジェフリー・ザスロー著、矢羽野 薫・訳、ランダムハウス講談社、p.256、¥2310

2008.8.25

 末期がんで余命わずかと知らされた大学教授が行った「最後の授業」を単行本にしたもの。講義の内容は、死ぬ前に幼い3人の子供に言い残したいメッセージで構成されている。2007年9月18日に米カーネギーメロン大学の講堂で行われた、この授業の様子を伝えるDVDも付録でついている。ちなみに、画質は悪いが授業の様子はYouTube(ココ)でも視聴できる。DVDもYouTubeも、日本語の字幕がついているのはありがたい。ちなみに著者のランディ・パウシュは、この7月に47歳で自宅でなくなった。新聞にもけっこう大きく取り上げられたので記憶されている方も多いかもしれない。
 著者はカーネギーメロン大教授で、バーチャルリアリティの研究者として知られる。子供たちへのメッセージはユーモアを交えたもので一見の価値がある。お涙頂戴的なところがないだけに、静かな感動を呼ぶ内容である。残された時間が少ないなかで、親として出来る限りのメッセージを伝えようとする姿に心打たれる。著者と自らを比べながら、いろいろと考えさせられる。
 最後の授業には、「子供のころからの夢を本当に実現するために」というタイトルがつけられている。パウシュは自らの人生を振り返り、どのような夢を持ち、どのようにして自らに克つとともに周囲の支援を受けながら夢を実現してきたかを語る。夢の中には、無重力を体験する、スタートレックのカーク船長になる、NFLの選手になる、ディズニーのイマジニアになるなどが含まれる。ディズニーとの関わりなど心温まる話も多い。パウシュが本書で繰り返し述べているのが、「レンガの壁は行く手を阻むためにあるんじゃない。壁の向こうにある何かを自分がどれほど真剣に望んでいるかを証明するチャンスを与えているんだ」という人生訓である。パウシュが病気だと知ったカーク船長(ウィリアム・シャトナー)が贈った「勝ち目のないシナリオがあるはずない」という台詞もいい。

 

世界一不思議な日本のケータイ
谷脇康彦、インプレス R&D、p.247、¥1800

2008.8.23

 日本の携帯行政を司る総務省の課長が、携帯市場の現状と今後の方向について役所の考えを示した書。官僚らしく手堅い内容で、携帯市場を概観するうえでは役立つ。SIMロックや FON、フェムトセル、MVNO といった話題は網羅してあるので入門書としては悪くない。 逆に言えば、携帯市場についてある程度の知識がある人には驚きが少なく知的満足度の低い書である。評者は、後で参照できるように付箋を貼り傍線を引きながら本を読むが、本書には1本も傍線を引かずに終わってしまった。
 本書を一言で言えば、キャリアが携帯市場のビジネスモデルを決め、携帯電話の機能やサービス内容に大きな発言権をもつ垂直統合型は時代遅れ。そんなことをやっているから世界の潮流に乗れなかった。だからパソコンやインターネットと同じように、水平分散型への移行やオープン化が不可欠というもの。いずれも昔から言われていることで新味はない。
 そもそも日本の携帯市場を“ガラパゴス”状態にした責任は行政に一端があると思うのだが、その反省は本書からは読み取れない。もちろん 、むかし電電公社、いまNTT や行政に頼り切ってアイデアが出ない民間企業も、負けず劣らず調子が悪いが・・・。

 

ジャーナリズム崩壊
上杉隆、幻冬舎新書、p234、¥777

2008.8.21

 安倍内閣の惨状を描いた「官邸崩壊」の著者が、記者クラブの閉鎖性や官僚以上に官僚的といった日本の報道機関(特に新聞とテレビ)の問題点を、自らの体験をもとに暴いた書。要するに、日本の報道機関はジャーナリズムかたほど遠いというもの。昔からある報道機関批判と大差がある訳ではない。ただ政治家秘書、NHK記者、ニューヨーク・タイムズ記者を経てフリーランスになったという筆者の経歴を生かし、実体験に基づいた多角的な切り口を見せているところに特徴がある。役立つところは少ないが、おもしろおかしく読める。

 

甘粕正彦 乱心の曠野
佐野眞一、新潮社、p.475、¥1900

2008.8.19

 無政府主義者・大杉栄の一家虐殺の首謀者として知られる甘粕正彦の評伝。佐野眞一らしく、詳細な取材と徹底した文献渉猟に基づいている。分量も多いし読み応え十分だが、イマイチ胸に迫ってくるものがない。甘粕像がくっきりと焦点を結んでいるかといえばそうでもない。何となく残念。
 「甘粕の趣味は謀略」という記述が途中で出てくるが、謀略に関する記述はごくわずかだし、「夜の帝王」と称された満州での甘粕の動静も通り一遍である。多くの人物が登場するが、書き込みが足らないせいかいずれも印象が薄い。評者には、ビッグコミックオリジナル連載の「龍-RON-」(Wikipedia によると1991年から2006年)で描かれた満州映画協会(満映)理事長のイメージの方が強く残っている。全体にぼ〜っとして、つかみ所のない消化不良のノンフィクションというのが読後感である。
 佐野の興味の中心は、「大杉一家虐殺において、甘粕は憲兵隊という組織のスケープゴートにされた」の一点に尽きる。大杉の死体鑑定書、当時の関係者が残した文献、関係者の子孫へのインタビューを通して仮説を検証していく。その手法はさすがに見事である。残念なのは、週刊新潮の連載が元になっていることもあって繰り返しがかなり目につくこと。単行本化に当たって、もう少し手を入れた方が完成度が高まったと思われる。

 

飛鳥・奈良時代〜律令国家と万葉びと〜
鐘江宏之、小学館、p.366、¥2500

2008.8.13

 歴史上の大事件への言及は最小限にとどめて、飛鳥・奈良時代の庶民の生活に焦点を当てた「日本の歴史 第3巻」。身近というか下世話な感じが出ていて興味深く読める。飛鳥・奈良時代ともなると文書が残っていることもあり、縄文/弥生時代のように自由自在に想像をめぐらすといった感じ薄れる のは仕方がないところか。まあ、それでも十分にロマンを感じる。
 本書が扱うのは、文字、朝鮮や中国との関係、渡来人の果たした役割、役人の誕生、万葉びとの生活、開発と環境問題と多彩。秀抜なのは後半部である。「役人の誕生」では今も昔も変わらない役人根性と腐敗が笑えるし、国の施策に抵抗する庶民の知恵は変に感心させられる。「万葉びとの生活」では衣装住、子供の生活、名前の付け方、病気、大人の遊びといった興味深いテーマを扱っており楽しめる。

 

Inside Steve's Brain
Leander Kahney、Portfolio、p.294、$23.95

2008.8.10

 株価の下落を招くなど、いまや米Apple社にとって最大のリスクとなった感のあるSteve Jobsの健康問題。そのJobsの行動パターンや思考パターンを、Apple創設からiPhoneまでの足跡をたどりながら振り返った書。各章の最後に「Jobsから学ぶ」といった別掲コラムを設けていることもあり、ビジネス書のジャンルに属している。
 著者はWiredの編集者。さすがに業界に精通しており、Jobsへのインタビューも含め読み応えがある。Appleのビジネス戦略とJobsの発想(まさにSteve's Brain)が表裏一体であることがよく分かる。もっとも筆者は明らかにJobs信奉者なので、多少割り引いて読む必要がある。
 そうは言っても、評者が読んだApple本ではJobsの人間失格面に焦点を当てた「スティーブ・ジョブズ〜偶像復活〜」(東洋経済)、Wall Street Journalの記者がジャーナリスト根性丸出しで突撃取材する「Apple」(Jim Carlton)が面白かったが、本書もこれらと肩を並べる出来である。
 ビジネスマンというよりもアーティスト、しかも自分の作品をお金に換える能力に長けたアーティストといった雰囲気のJobsの姿を活写している。それにしてもJobsの言葉はクールである。
“Everything just got simpler.That's been one of my mantras - focus and simplicity”
“Creativity is just connecting things”
“Software is the user experience”
“People don't know what they want untill you show it to them”
“Innovation has nothing to do wit how many R&D dollars you have”などなど、なかなか気が利いている。
 マーケット・リサーチ嫌いのJobsに対するGay Kawasakiのコメントも秀抜。Kawasakiはこう述べている。“Market research for Steve Jobs is the right hemisphere talks to the left hemisphere”(Jobsにとってのマーケット・リサーチとは、彼の右脳の発想を左脳に伝えて実行することさ)。

 

官製不況〜なぜ「日本売り」が進むのか〜
門倉貴史、光文社新書、p.230、\740

2008.8.1

 門倉貴史は、BRICs諸国の経済の専門家として知られる新進気鋭のエコノミスト。BRICsの専門家がなぜ「官製不況」なのかという気もしたが、変わった切り口を見せてくれるのかとちょっと期待して購入したが、残念な結果に終わってしまった。粗製濫造の最近の新書にありがちな内容である。
 何とも総花的で焦点がぼやけた書というのが読後感だ。本書の扱う範囲は、日本株低迷の原因、官製不況、ワーキングプア、年金破綻、サブプライム問題と広い。日本経済で現在問題になっている話題のテーマを次から次へと俎上に載せ、簡単にコメントするというのが本書のスタイルである。コメントもしゃれたものなら読んだ甲斐もあるが、雑誌や新聞レベルの月並みなものが多く期待を裏切られてしまう。
 論理の展開はせいぜい2段階論法で直線的。単純明快なのはいいが、深みのな議論なのも物足りなさを加速させる一因となっている。海外におけるワーキングプアの状況や対策といった部分に著者らしさが少し出ているが、ごくわずかである。

 

2008年7月

滝山コミューン 1974〜戦後とは何か? 自由とは何か?〜
講談社、p.286、\1700

2008.7.30

 マンモス団地の小学校で1974年に起こった出来事を、在校生だった筆者が当時の同窓生や教師へのインタビューも含め克明に描いた書。日教組のストとか国鉄の順法闘争など、騒然としているが、妙に活力のあった時代の雰囲気がよく出ている。マルクス主義への無批判な期待など、こんな時代もあったなぁと懐かしく読める書である。
 舞台は東京都久留米市・滝山団地近くにあった第七小学校である。その第七小学校で1974年に、全共闘世代の教員と滝山団地に住む児童、その母親たちが中心となった地域共同体が作られた。児童を主権者とする民主的な学校運営を目指したもので、筆者は批判を込めて「滝山コミューン」と呼んでいる(書いているうちに、いまでは死語のような言葉が並んでいることに気づき思わず苦笑・・・)。
 滝山コミューンを生み出したのは、全国生活指導研究協議会(全生研)という民間研究団体が打ち出した「学級集団づくり」活動。旧ソ連の集団主義教育に影響を受けた活動で、小学校だけではなく地域住民全体を民主的集団に変革することを目的としていた。滝山コミューンの集団活動は矛盾や欺瞞を含んだものだった。教師が児童を扇動し、洗脳された子供とそうでない子供の間に溝が生まれた。そして子供たちの心に傷を残していく。

 

フォト・リテラシー〜報道写真と読む倫理〜
今橋映子、中公新書、p.256、\780

2008.7.26

 仕事柄、雑誌の掲載された写真を見る機会が多いので、何かの参考になるかと思い購入した書。「メディア・リテラシー」ならぬ「フォト・リテラシー」とは魅力的な言葉だが、残念ながらネーミングに内容が伴っていない。帯にある「写真は真実か?そして、写真は世界を救うか?」という釣書と実際の内容には大きな乖離がある。「世界と時代を思考するための必読書が誕生した」という表現にいたっては、苦笑せざるを得ない。
 芸術評論にありがちな意味なく気取った文章が鼻につくが、中身はさほど高等ではない。有名な報道写真や写真集について時代背景やメイキングの様子が紹介されている。これまで知らなかった報道写真家が数多く取り上げられており、その面では役だった。やらせを否定していた作品が、実は立派なやらせだった事実などゴシップ的な面白さもある。ただし「写真の読み方」や「読む倫理」のブラッシュアップに役立つ感じはしない。

 

カーブボール〜スパイと、嘘と、戦争を起こしたペテン師〜
田村源二訳、産経新聞社、p.511、\2000

推薦! 2008.7.24

 問題なく面白いノンフィクション。丹念な取材に基づき、500ページ余りにわたって「あほバカ間抜けCIA」を裏付ける事実で埋め尽くしている。なんと言っても衝撃的なのは、イラクとの開戦時に米国があげた理由がことごとく根拠がなかったこと。「カーブボール」というコードネームで呼ばれていたイラク人の嘘の証言を真に受け、裏付けをとらずに戦争に突入してしまった。空恐ろしくなる話である。著者は、ロサンゼルス・タイムズの記者でピューリッツァー賞を受賞している手練れである。
 古くはキューバ危機における分析力不足(ケネディがCIAを信頼しなかったせいで米ソ戦争にいたらなかった)、ベルリンの壁崩壊を予測できなかった失態、コソボでの中国大使館誤爆など、CIAの諜報力に疑問が呈されるケースが少なくない。イラクが生物兵器を隠し持っていると報告し米国を戦争に導いた愚行によって、輝かしい歴史に新たな勲章が追加された格好である。
 それにしても、たった一人のイラク人亡命者の言葉を全面的に信頼し、本人への直接尋問や身辺調査さえ行わないという、情報分析の基本を完全に無視したCIAの手法は恐れ入る。結論にあう証拠だけを積み重ね、外部の専門家の異論や疑問をひとつも取り上げなかった。最初から結論ありきで、それを導くために情報を無理矢理当てはめていき、結局は国を敗戦に至らしめた、どこかの記事の軍隊とよく似ている。

 

テレビ的教養〜一億博知化への系譜〜
佐藤卓巳、NTT 出版、p.315、¥2300

2008.7.18

 テレビの持つ教育的な側面にスポットを当てている書。大宅壮一の「一億総白痴化」をもじった「一億博知化」が本書のメインテーマである。テレビは日本人をバカにするのではなく、教養あふれる国民にする潜在能力があるというのだ。筆者が主張するように、教育的な側面でテレビを語った書は少ない。そういう意味で変わった書だが、読む価値があるかどうかは別問題。評者的にはお薦めしない。
 評者のようなテレビッコでも、いまの日本のテレビ番組の惨状はあきれ果てる。土日の夕食時はとりわけ酷く壊滅的である。結局、CATV で 洋物 のドラマを見ることになる(なかでも FOX のドラマはよくできている)。こんな状況にもかかわらず著者の主張は、放送の現場を知らない大学の先生らしく恐ろしく楽観的。
 どの局でもクイズ番組を垂れ流している状況を見ると、テレビの視聴によって断片的な知識を蓄える「博知化」は可能なのかもしれないが、これは「白痴化」と紙一重だろう。知識ばかりで知恵が伴わない“困ったちゃん”が増えるだけである。帯には「テレビは格差社会化を止める教養セイフティ・ネットとなるか」とある。悪い冗談としか思えない。

 

電車の運転〜運転士が語る鉄道のしくみ〜
宇田賢吉、中公新書、p.272、¥840

2008.7.15

 特急電車から貨物列車まで幅広い電車で運転士を務めた著者が語る「電車運転術」。写真をふんだんに使い、鉄道シミュレータの趣を出そうと努力している。写真の解像度が低く少々見づらいが、それなりに雰囲気は出ている。単純な運転術に終わらず、山陽本線を例に出し、場面場面で運転士が何を考えているかを詳細に書き込んでいるのも本書の特徴である。いわゆる“鉄ちゃん”ではなくても、読んでいて楽しくなる。
 電車の駆動系や制御系、筐体、レール、枕木、架線などなど、電車に関する情報が満載である。「新幹線がなぜ速く走れるのか」「どうすれば電車を停止線のところでピタリ止められるのか」など蘊蓄話も多い。ちなみに、「新幹線がなぜ速く走れるのか」の答えとして、「最高時速が速い」だと50%しか正解ではないという。正解は本書を読んでいただきたい。ところどころに「現場を知らない管理職のバカ」といった、運転士のプライドがうかがえるコメントが挿入されているのも楽しい。評者は鉄ちゃんではないが、周遊券とユースホステルで全国を巡るという、1970年代ではごく普通の学生生活をおくった。国鉄にはずいぶんお世話になっただけに、親近感のわく書である。

 

談合の経済学〜日本的調整システムの歴史と論理〜
武田晴人、集英社文庫、p.325、¥533

2008.7.11

 先月の書評で取り上げた「市場検察」で参考文献として挙がっていた書。繰り返される談合について、歴史的背景を振り返りながらその経済的な意味を論じている。豊富な具体例を使って、日本社会に根付く調整システムの仕組みを解説する。「そういえば、そんな事件があった」と思い起こされるものばかりである。逆に言えば、読んでもそれほど驚く事実があるわけではなく、何となく単調である。一方で、談合に効果絶大だった「課徴金減免制度」の凄さが伝わってくる。

 

著作権法
中山信弘、有斐閣、p.541、¥4200

推薦! 2008.7.7

 久しぶりの推薦マーク。知的財産権の大御所で、今年初めに東京大学を退官した中山信弘氏の渾身の1冊。日本の著作権法を詳細に解説した学術書だが、そうそうお目にかかれないほど刺激的である。無味乾燥と思いがちな法律を、「要するに何を意図した条文なのか」「デジタル化の進んだ現在から見て、現状の条文はどうなのか」という視点から明快に論じている。法律のココロといったものが、伝わってくる本である。グタグタと冗長で、要するに何かが不明な学術書とは一線を画している。分厚し少々高価な本だが、少しでも著作権に興味のある方は買って損はない。
 本書読んで驚くのは、中山氏ほどの大御所がインターネット文化を的確に理解しており、現状にすさまじい危機感を募らせていることである。中山氏の主張は、「中山信弘氏の情熱」や「著作権法に未来はあるのか?」 を読むとよく分かるが、それは本書にも色濃く出ている。著作物の多様化、情報の多様化に法律は寄与する必要があるのに、実際のところ足を引っ張っている。世の中、ヒトのために役立っていないと断じる。著作権法がデジタル化の進んだ現状にマッチしていないのは、ダビング10や iPod への課徴金といった最近の動きをみても明らかである。
 中山氏はこう述べている。「(著作権法は)近年急増している産業的な著作物を取り込んでしまった結果、異物が異常繁殖し、制度自体がのたうち回っている」と。こんな表現もある。「一億総クリエータ時代となり、自己の作品をインターネットを通じて容易に発信することができ、一般大衆がそれを受け、それに更に加工し、自分なりの創作性を加味してインターネット等で発信する。(中略)しかしながら翻案文化は未だ<<怪しげな>>存在として認識されており、著作権法上は継子扱いされ、<<撲滅されるべき文化>>の様相を呈している」。
 残念なのは、後半部分で誤字脱字のたぐいが続くところ。これは編集者の問題でもあり、増刷時には修正を望みたい。

 

見学に行ってきた〜巨大工場、地下世界、廃墟・・・〜
小島健一、マーブルトロン、p.128、¥1800

2008.7.6

 コンビナートなどの巨大工場、東京の地下に存在する放水路や共同溝、屋久島の原生林など、一度は見てみたい(社会見学したい)場所を撮った写真集。扱う対象は興味深いものが多い・それだけに、1枚の写真ではどうも物足りない。写真自体にはそこそこ迫力があるのだが、周到な準備がないと感動は呼べないものだということを再認識させられる1冊である。
 構成にも難がある。写真と文章が完全に分離しており、何の写真なのかを知るために、いちいち巻末の文章を探す必要がある。文末の説明にはページ数(ノンブルと業界では呼ぶ)がうってあるのだが、肝心の写真にノンブルがない。まったく支離滅裂である。編集の意図が分からない。読者のことを考えていない、使い勝手の悪い本である。

 

介護〜現場からの検証〜
結城康博、岩波新書、p.224、¥740

2008.7.1

 無定見な行政、それに振り回される介護現場と老人介護を行っている家族という構図がよく分かる書である。高齢化が急速に進む日本の社会において、介護は避けては通れない問題。その問題を、現場を知らない学校秀才の官僚がメチャクチャにしていることがよく分かる。岩波の本なのでバイアスが気になるところだが、抑えられた筆致には極力客観的に論じようとする筆者の姿勢が感じられる。
 筆者は淑徳大学の准教授だが、非常勤のケアマネジャーとしても活動している。本書では介護サービスの利用者とその家族、介護従業者、行政担当者、政治家など、幅広い層にインタビューして、日本の介護の現状を明らかにしている。特に介護現場(家族とサービス従事者)の声は悲痛である。評者のように年老いた親をもつ人間にとって、身につまされ暗澹とさせられる話ばかりだ。
 介護保険がスタートしたのは2000年。その後の改訂(2006年)を経て、理念がねじ曲げられてしまったという印象が強い。必要なヒトに必要なサービスを提供できない(要支援と要介護の区分の理不尽)、介護士の報酬はあまりにも低く、やる気はあっても生活できない、制度をこねくり回した結果、該当する高齢者が存在しなくなって「特定高齢者」といった問題が次々に生じている。この書評で以前取り上げた多田富雄「わたしのリハビリ闘争〜最弱者の生存権は守られたか〜」と同様、体が不自由になったり年老いることが、日本においてどういう意味を持つのか深く考えさせらてしまう1冊である。

 

2008年6月

フリーペーパーの衝撃
稲垣太郎、集英社新書、p.190、¥680

2008.6.28

 R25やホットペッパーなどの登場で少し前に旋風が吹きまくったフリーペーパーについて、朝日新聞のデジタルメディア担当社員(記者ではなさそう)がまとめた書。ジャーナリズムと商業主義の境界、紙とインターネットの境界にくさびを打ち込むような出版形態は実に興味深い。「お金を払って読んでもらえるコンテンツだからこそ広告を出す価値がある」という“定説”に、どのように立ち向かったのかを紹介している。
 日本では、専門誌の領域でEE Times や IT Leardes といったコントロールド・サーキュレーションの雑誌が増えてきたこともあって、評者のような人間にとってとても気になる(米国ではコントロールド・サーキュレーションの専門誌は珍しくない)。本書には突っ込みが足りない部分や逆に冗長な部分が多々あるが、国内外におけるフリーペーパーの現状を知る上で役立つ一冊である。もちろん、一般の方が読んで役に立つかは別問題だが・・・

 

コミュナルなケータイ〜モバイル・メディア社会を編みかえる〜
水越伸 編著、岩波書店、p.287、¥2200

2008.6.26

 久しぶりに登場した調子の悪い本。iPhone がまもなく登場するので、約1年前(2007年3月)に上梓された本が、どの程度正しくモバイルの未来を予測していたかを知るという意地の悪い目的のために読み始めたが、時間の無駄だった。そもそも本書を購入した評者が悪いのだが、論理展開が評者の頭の構造と徹底的に相性が悪く、何度も途中で投げだそうかと思ったほど。
 タイトルとなっている「コミュナル(communal)」という言葉がどの程度認知されているのだろうか。「共同の」「共有の」「あるコミュニティのみんなによって共有の」といった意味というが、本書の内容からして、聞き慣れない言葉を使う意味をほとんど感じない。要するに携帯電話はその潜在能力を生かし切れていない、コミュナルな部分に携帯電話の新しい可能性があるので、それを紹介するというのが本書の趣旨だが、残念ながら成功しているとは言い難い。
 水越が主導するプロジェクトの内容がいくつか紹介されている。日本と外国における接し方の違いなど興味を引く部分もあるが、オッと驚くような目新しい知見が紹介されているわけでもないので、すぐに退屈する。さらに社会人大学院生たちの生半可な言葉遣いが、空疎さを際だたせているという悪循環に陥っている。

 

続獄窓記
山本譲司、ポプラ社、p.375、¥1600

2008.6.23

 民主党代議士だった山本譲司が、囚人としての体験を綴った「獄窓記」を出版してから4年。本書はその続編である。出所してからの生活を中心に描いている。お手本のようなプレーンな文章で好感が持てるし、頭でっかちで理論先行の“学者先生”や“政治家先生”たちの書(ちょうど今読んでいる)に比べ格段に説得力がある。
 前半は情緒的な雰囲気が漂う。前科者という負い目から、社会復帰になかなか踏み出せない心の葛藤や、周囲の人間や肉親の人情のありがたさを描いている。政治家から前科者へと落ちた社会的落差が大きく、囚人コンプレックスに苛まれる様子や、福祉に残りの人生を賭けようとするが専門学校の書類選考に続けさまに落ちるなど、社会の壁にぶち当たって落ち込む様子が描かれる。
 雰囲気が変わるのは「獄窓記」の執筆や出版あたりから。ポプラ社との出会いの場面がなかなかいい。自信を取り戻し、徐々に仕事モードへと移っていく。山本が仕事として選んだのが刑務所改革と民間による刑務所運営事業(いわゆる民活刑務所)である。囚人の4分の1が知的障害者という状況にあって、現在の刑務所は適切に運営されていないと山本は主張する。民活刑務所については、セコムが手がけた第1号の「美祢社会復帰促進センター」がテレビに取り上げられたこともあり認識していたが、その後もどんどん増えていることは全く勉強不足で知らなかった。いろいろ教わることの多い良書である。

 

市場検察
村山治、文藝春秋、p.445、¥1857

2008.6.19

 「特捜検察 vs. 金融権力」の著者(朝日新聞編集委員)による新刊。非常に多くの情報が凝縮された力作である。とりわけ第四部「司法取引」は白眉だろう。この書評欄でも多くの特捜検察本を紹介してきたように、評者はこの手のジャンルを好んで読んでいる。そのため、かなり新規性に富む内容でないと、どうしても読後にデジャブ感が残ってしまう。いずれの本もノンフィクションなので、同時期を扱えば出てくる検事や官僚、政治家の名前は当然同じになるし、取り上げることのできる“人材”はそもそも限られるので仕方がないことなのだが・・・。
 では本書はどうだったか。前半の4分の3は、大蔵官僚の汚職、KSD 事件や日本歯科医師連盟ヤミ献金事件、UFJ 銀行の検査妨害、検察庁の総長人事をめぐる法務官僚対現場派の争いといった話題が並び、どこかで読んだ感がやはり強い。細部にこだわったキメ細かい取材ということは伝わってくるが、大枠ではデジャブ感が否めない。俄然面白くなるのが後半4分の1で取り上げる「司法取引」の話。検察が「政治の巨悪」から「市場経済の巨悪」の摘発へと方針を転換し、かつては敬遠した談合にも斬り込み始めた下りだ。
 そのときに強力な武器になったのが「課徴金減免制度」である。公正取引委員会の立ち入り検査前に自ら談合を申告した企業に対しては課徴金を減免する制度で、最初に申請した企業は全額、刑事告発も免れる(2番目は半額、3番目は30%の減額)。この制度を最初に活用した三菱重工業の動き、その後、我も我も減免を得るために談合の申告を競う企業の姿を生々しく描いており、実に興味深い。ちなみに、課徴金減免制度は日本の司法で禁じられてる司法取引と微妙な関係にあることも本書は明らかにしている。効果てきめんの薬が副作用を生んだわけだ。  最後の方で語られる「自白がとれなくなった特捜検察」という話は少々身につまされる。戦後の特捜検察には、独特の死生観や貧困からはい上がった検事がおり、人間的な迫力で自白をとっていた(国民のお上意識も残っていた)。その次の世代のなかには、第一世代の薫陶を受けており相手を説得して供述を得る異能な検事が存在した。お上意識は薄れてきた世相でも、何とか格好をつけられた。しかし、こうした野武士タイプが消え、秀才集団になった検察は急速に“ヒト”に弱くなってしまった。日本社会のあちこちで聞く話である。日本社会の生きる力の衰退を感じてしまう。

 

日本の歴史:日本の原像
平川南、小学館、p.355、¥2520

2008.6.15

 文献、考古学、民俗学、国語・国文学、さらには自然科学も総動員して古代社会の実像に迫ろうという意欲作。「新視点古代史」というサブタイトルも納得できる内容である。本書の最大の面白さは、考古学とのリンクにある。物証に基づく論考には説得力があるし、古代遺跡や遺物にはそもそもロマンがあって楽しい。火山の噴火で埋もれた村から、古代の生活ぶりを復元する話など、読んでいてワクワクする。
 本書はまず「天皇」や「日本」という言葉の生い立ちにふれる。次いで米作、都市作り、特産物、交通(港と道)、国語と文字、民俗信仰などの話題を展開する。それぞれに興味深い話が盛り込まれている。特に漢文・漢語から和文への変遷を考古学的資料から追ったり、文字の習熟度を書き手の官位と関連づけた下りはなかなか読ませる。

 

ほんとうの環境問題
養老孟司、池田清彦、新潮社、p.189、¥1000

2008.6.13

 環境問題で科学的に不確かな説がまかり通っていることと、環境関係で本来行うべきことがなおざりにされている点を、“虫”屋の二人の学者が憤っている書。現在の議論は枝葉末節ばかりに集中しており、本当に大切なことに切り込んでいない。全編が「あほ馬鹿間抜け環境問題」といったトーンで貫かれている。ただし養老は医学者、池田は生物学者ということもあって、威勢がいいのだが、何となく尻切れトンボで最後の最後のところでは断言しきれていないところが弱い。
 環境問題や排出権問題で、国益を優先して戦略的に行動している欧米に比べ、日本の外交はお人好しすぎると繰り返し警鐘を鳴らしている。そもそも省エネ先進国の日本は、今以上の省エネ(そもそも糊代が小さく効率が悪い)を進めるよりも、その技術を世界中に展開することを優先すべきだと述べる。いい格好をしたいだけの「洞爺湖サミットなどやめちまえ」と締めくくる。

 

Grand Theft Childhood:The Surprising Truth About Violent Video Games and What Parents Can Do
Lawrence Kutner、Cheryl K. Olson 共著、Siom & Schuster、p.260、$25

2008.6.12

 ビデオゲームは子供にとって有害かどうかを調査した結果を紹介するとともに、親の子供に対する接し方を論じた書。後者は付け足しの感が強い。前者の結論は子供の暴力とビデオゲームとの間に強い相関は見られないというもの。メディアによって子供の暴力事件が針小棒大に扱われた結果、ビデオゲームの暴力シーンの影響が誇張されて世間に伝わったと断じる。むしろ交友関係を築くなど、子供の社会性を養う上で重要な役割を果たしていると指摘する。さらにビデオゲームが空間把握力を高める効果があり、エンジニアリング領域への女性の進出に役立つという指摘も行っている。
 「子供に悪い」という主張は、新しいメディアが登場するたびに同じ議論が繰り返されている。時間がたち新メディアでなくなる(別のメディアが勃興する)と雲散霧消すると著者は指摘する。古くは書籍(焚書)、映画、ラジオ、テレビ、漫画だって同じ経過をたどったことを検証している。そもそも子供は親が考えるほど馬鹿ではなく、親の価値観を受け継ぎ、適切な判断を下してゲームをつきあっていることをヒアリングに基づいて指摘する。
 本書の基になっている調査は司法省が150万ドルを出し、 Harvard Medical School Center が中心となって2004年から「暴力ビデオと子供」というテーマで行われたものである。内容にそれほど驚きはないが、米国で行われているゲームのレーティングの仕組みは興味深い。本書のタイトルとなっている「Grand Theft Auto」は暴力シーンが問題視されたゲームで、M(mature)というレートがつけられている。レートは EC(Early Childhood)から AO(Adult Only:18歳以上)まで6段階に分かれており、M は17歳以上で上から2番目のランクである。AO とM はたった1歳しか違わないのは不思議な感じがするが仕方がない。ちなみに著者はメンタル・ヘルスの研究を手がける 米 Harvard Medical School Center の共同創設者である。著者紹介によると、Lawrence Kutner は児童心理学者として有名らしい。

 

政治と秋刀魚〜日本で暮らして四十五年〜
ジェラルド・カーティス、日経 BP 社、p.251、¥1600

2008.6.4

 このところテレビで顔を見ることの多い、コロンビア大学教授ジェラルド・カーティスのエッセイ。1964年の来日以来、40年あまりにわたって観察している日本政治と日本社会について、ときに米国と対比しながら書きつづっている。クセのない、優しい文章である。
 1964年といえば池田勇人が退任し、佐藤栄作が長期政権を敷いた最初の年に当たる。自民党と社会党がするどく対立していた時代である。その後、選挙制度が中選挙区制から小選挙区制に変更になったり、細川政権ができ一度は野に下った自民党が、社会党と組むというアクロバティックな方法で政権党に返り咲いたり、政治的には起伏の多い40年だった。小泉政権の誕生も、旧来の枠組みからは考えられないエポックメーキングな出来事である。1964年から2008年の間、総理大臣の数は20人に上る。政治学者なので不思議はないが、ジェラルド・カーティスは佐藤栄作から福田康夫にいたる20人の総理大臣のうち19人と面識があるという。彼らに対する人物評は少々甘口だが、本書の特徴に一つといえる。ちなみに福田康夫に対する評価はけっこう高めである。ちなみに唯一の例外は69日で辞任した宇野宗佑である。
 日本社会については古き良き日本社会や日本語の美しさに言及する。日本通の外国人の著作にありがちな内容だが、もっともな指摘も多い。この書評で以前取り上げた山岸俊男の「日本の「安心」はなぜ消えたのか」と通底する議論も展開している。

 

CORE MEMORY〜ヴィンテージコンピュータの美〜
Mark Richards ・写真、John Alderman ・文、鴨澤眞夫・訳、オライリー・ジャパン、 p.153、¥3570

2008.6.1

 Z23コンピュータシステム(寡聞にして知らなかった)、ENIAC に始まり、Google 最初のサーバーの終わるコンピュータの写真集。エンジニアあがりの評者はコンピュータの内側を見ることに無上の喜びを感じるが、本書の鮮明な写真はその願いをかなえてくれる。ラッピングの配線やプリント基板、イモはんだなど、とてもいい。
 選択されているコンピュータのラインアップはほぼ順当なところ。ENIAC や UNIVAC I、System/360、PDP-8、Altair、Cray-1/2/3、Apple I/IIといった顔ぶれに著者の思いが感じられる。Macintosh からいきなり米 Google の最初のサーバー・マシンに飛ぶところに Windowsマシンに対する筆者の評価がはっきりと表れている。1台も売れなかったマシンも掲載されているが、その造形はなかなか美しい。日本からは NEC の NEAC2203が唯一エントリされている。日立製作所や富士通の PCM(plug compatible machine)は対象外になっている。Xerox PARC の Alto は資格十分だと思うが登場しないし、東芝の Dynabook が選に漏れているのも少々残念である。HP の関数電卓が登場しているので、任天堂のファミコンや SCEのプレステが登場してもおかしくないと思うのだが・・・

 

2008年5月

霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」
高橋洋一、文春新書、p.176、¥700

2008.5.29

 「財投改革の経済学」、「さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白」と立て続けに上梓した高橋洋一の第3弾。さすがに時間がなかったのか、インタビュー形式をとる手軽本である。内容はタイトルから察しがつくように、前2冊を踏襲しつつ若干のプラスアルファをしたもの。インタビュー形式なので、読みやすくはなっている。筆者の勢いにつられて、つい食指が伸びて買ってしまった。高橋洋一が「佐藤優」化してしまったのはまずい(ほかでは元・民主党国会議員の山本譲司も佐藤優化している)。今後、粗製濫造になる可能性もあるので自戒しなくては・・・。
 本の帯に「高校1年生〜財務官僚・日銀マン向け」と、財務官僚や日銀マンは高校生レベルだとイヤミをきかせている。内容は相も変わらず政府や官僚、日銀の批判のオンパレード。高校生レベルでもわかる経済政策をとらないことが、日本の経済を迷走させていると主張する。例えば日銀総裁の役割がどれほど大したことがないかを、FRB 議長などと比較してチクリチクリと皮肉る。お決まりの財政や金融への批判、埋蔵金問題のほか、公務員改革や地方財政の問題にも触れている。

 

限界自治夕張検証〜女性記者が追った600日〜
読売新聞北海道支社夕張支局編著、梧桐印書院、p.319、¥1600

2008.5.24

 借金が全体で632億円、住民一人あたりだと526万円。2006年に財政再建団体となった夕張市に関する、読売新聞の記事をベースにしたルポルテージュ。サブタイトルの“女性記者”は余分な気がするし、新聞やテレビで見聞きしている内容が多く含まれていることもあり、内容のは予想の範囲で驚きが少ない。若手記者の習作といったところが散見されるのも少々辛い。とは言うものの夕張問題を振り返る意味では労作なので、関心のある方にはお薦めできる1冊である。
 夕張の転落は構図としてはありがちである。地域を支えてきた産業(夕張の場合は炭坑)が斜陽になり、乾坤一擲と乗り出した事業が「貧すれば鈍する」でうまくまわらない。そんな自治体にむらがるコンサルや政治(夕張の場合はワンマン市長)、そして最後はカネにまつわる醜聞(夕張の場合は粉飾決算とヤミ起債)。結局ツケは、教育や福祉、公共サービスにまわり、住民が苦しむという構図である。本書は、こんな転落の軌跡を丹念に追っている。
 ジャーナリストとしての喜びや苦悩をストレートに表現しているのも本書の特徴の一つ。内側の論理(要するに船場吉兆の論理)で口を閉ざす夕張関係者から話を聞き出す醍醐味や、他の新聞社との競争など記者の生態を活写している。甘いところもあるが、それも愛嬌だろう。

 

キャベツにだって花が咲く〜知られざる野菜の不思議〜
稲垣栄洋、光文社新書、p.214、¥740

2008.5.23

 野菜に関する蘊蓄が語られている本。だから何なのと問われると困るが、最近の新書らしくお手軽にまとまっている。生物の神秘といった、これまた最近人気のトピックもきっちり押さえている。大ヒットは期待しないが、赤字が出ないほどに売れてほしいという編集者の願いが想像できる。
 本書は4章から成ってる。第1章は「野菜に咲く花、どんな花」、第2章は「植物のどこを食べている?」、第3章は「野菜はどこからきたのか?」、第4章は「ちゃんと野菜を食べなさい!」。タイトル通りの内容である・2時間少々あれば読める内容なので、東京から名古屋への出張の暇つぶしには手ごろだ。

 

戦争の経済学
ポール・ポースト著、山形浩生訳、バジリコ、p.430、¥1800

2008.5.22

 戦争を経済学的に分析した書。戦争だけではなく、テロや内戦も俎上にのせて議論している。経済学の教科書という位置づけなので、とても真面目で丁寧、そして地味である。授業で使うことに配慮して演習問題や要点、キーワードまでついているが、こちらは読み飛ばしても構わない。400ページを超える本の割に、あっと言う間に読めてしまう。経済学に疎い評者でも問題なく読みこなせた。
 全体は大きく三つに分かれている。第1部で「戦争の経済効果」、第2部で「軍隊の経済学」、第3部で「安全保障の経済面」について議論する。読んだ第一印象は「戦争の経済学」というより「戦争の経営学」の方がタイトルとして適切ということ。プロジェクトとしての戦争、事業としての戦争といった切り口で、戦争にかかるヒト(兵士)・カネ(軍事費)・モノ(兵器)について数字に基づき詳細に分析している。同時に、戦争と民間投資や株価、景気、貿易収支、国民総生産との相関などにも言及している。戦争には、「戦争は国の経済にとってよいものだ」という鉄則が存在するが、著者はデータに基づいて反論を加える。とりわけ発展途上国における内戦は国を疲弊させるだけと断じる。また国連の平和維持活動は、軍事介入に比べてはるかに経済的に効率のよい政策であることも示している。
 秀抜なのは、普通では目にすることがないようなデータが続々登場することだ。F-16戦闘機の取引構造や、戦争請負会社(PMC)の契約金額、核物質闇取引市場の実売価格など、大学教授がどこから仕入れたのだろうといったデータが満載である。ここを拾い読みするだけでも、知的好奇心を刺激される。ちなみに、「マクドナルドが店を出している国同士は戦争をしない」という、ニューヨークタイムズの記者が唱えた『金のアーチ理論』がある。この理論も検証し、貿易は平和につながることをデータに基づき示している。

 

政局から政策へ〜日本政治の成熟と転換〜
飯尾潤、NTT 出版、p.290、¥2300

2008.5.20

 この20年の日本政治を鳥瞰的な視点で振り返った書。中曽根、竹下、リクルート、日本新党、新進党、社会党など、すっかり昔話になってしまった政治の流れをスッキリ整理した良書である(文章に若干難があるのは少し残念)。現在の政治状況を生んだ伏線を、過去の政局と関連づけて分析を試みている。これが、なかなか説得力をもっており読み応え十分である。
 永田町の住人だった人間が著した政治絡みの本はどこかドロドロして「裏があるのでは」「本音は別のところにあるのでは」といった感じがするが、本書は学者の著作と言うこともあり論理がクリアで好感が持てる。著者の飯尾は政策研究大学院大学教授。前著の「日本の統治機構」(中公新書)でサントリー学術賞を受賞している。  本書が強調する点が二つある。一つは、自民党一党独裁時代の日本における政治のカバー範囲の狭さ。政治とは政局の意味でしかなく、政策と完全に切り離されていた。つまり政策を作る主体は官僚で、政治家は民意を官僚に取り次ぐ役割しか担っていなかった。「天下国家のことを考える賢い官僚と、無理を聞いてくれる優しい御用聞き政治家」といった著者の表現はなかなか皮肉が効いている。
 もう一つは細川内閣以降の政治状況の劇的な変化。細川内閣以降は、首相が自分で主導権を発揮しないと人気を保てなくなったと強調する。小泉政権に対する著者の評価は、無批判な礼賛に堕することなく冷静である。「改革と言うだけで人気が出た」「総理になるための準備が不足しており、当初は具体的な政策を欠いた」「取り上げた政策に目新しさはないが、20年来の懸案を強力な指導力のもとで実現した」とする。一方で対立勢力は「民意の変化が読めず、政局で小泉を追い詰めようとしたが、民意(選挙)をバックにした小泉に粉砕された」といった分析を加える。最後に安倍内閣と福田内閣にも言及するが、いずれも手厳しい。

 

電子個人データ保護の方法
橋本誠志、信山社、p.251、¥3600

2008.5.15

 筆者が同志社大学に提出した博士論文に直近の状況を加筆した書。2007年9月に出版された本なので Winny 開発者への京都地裁判決に言及するなど鮮度は悪くない。法学博士の論文とあって文章は堅めでまどろっこしい点もあるが、それほど酷いものではないので、評者のような一般人にも読みこなせる。  電子化された個人情報を保護する法的枠組みの歴史的経緯と現状、さらには行政や民間事業者における個人情報保護の現状を概観することができる。評者のように会社で個人情報保護の監査を行っている人間にとって、実務書ではないが頭を整理するうえで役立つ。筆者は、日本の個人情報保護の枠組みが事前規制に集中しており、プライバシー侵害が起こったときに司法によって事後救済が行われるまでの間に大きなタイムラグがある点を問題視する。特に電子データの個人情報は瞬く間に拡散し、被害はあっという間に広がる。この点を解決する手段として筆者が掲げるのが、博士論文の主題「電子的自力救済型個人データ保護制度」である。
 これは、個人情報の持ち主が情報の利用の可否と内容をコントロールする枠組みである。そのためにデータ流通管理機関を設けて、個人と事業者、第三者のデータ取得者の間の仲介と個人情報の管理を実施する。これは裁判を介さずに紛争を解決する手法でADR(Alternative Dispute Resolution)と呼ばれるらしい。本書では注釈なく ADR を使っているが、門外漢にはとても不親切である。

 

日本の「安心」はなぜ消えたのか〜社会心理学から見た現代日本の問題点〜
山岸俊男、集英社インターナショナル、p.261、¥1600

2008.5.12

 この書評欄を始める前だったかもしれないが、1999年ころに中公新書で「安心社会から信頼社会へ〜日本型システムの行方〜」という本を読んだことがある。本書は同じ筆者の続編である。「品格」「武士道」「偽装」といった今どきのキーワードが続々登場する。ただし、主張の根幹や裏付けにつかう心理学の実験内容は約10年前とほとんど同じ。同じだが、今風にアレンジしてあるので、それなりの説得力をもって迫ってくる。
 著者の主張は、日本の社会は元来、ムラの論理で相互に監視しあうことによって「安心感」を得てた。ムラの論理に逆らえば村八分が待っているので抑止力がきく。ただし、けっして相手を信頼している訳ではない。社会の仕組みが安心を提供することによって、いちいち他人を信頼しなくてもいいようにできているからだ。ムラの世界に安住できていれば、それこそ“パラダイス鎖国”。だが、世の中はグローバル化の時代でそうはいかない。他人から裏切られたり騙されたりするリスクを計算に入れても、他者と協力関係を結ぶことによって得られるメリットが大きいと考える信頼社会と対峙しなければならない。  カナダの学者ジェイコブズによると、安心社会と信頼社会は、それぞれ独立したモラルの体系を作り出しているという。前者は「市場の倫理=商人道」で、他者と協力関係を築くために「正直たれ」「契約尊重」「勤勉たれ」「楽観せよ」が規範となる。後者は「統治の倫理=武士道」である。集団を構成しているメンバーの結束を図るために「規律遵守」「位階尊重」「伝統堅持」「忠実たれ」が重要になる。これが自分の属する組織(集団、会社)を守るためには、嘘をつくこと(偽装)も厭わないという態度につながっていく。
 筆者が警鐘を鳴らすのは、本来なら「市場の倫理=商人道」重視に向かわなければならない日本社会で、「精神を鍛え直すために、武士道の精神を取り戻す必要がある」といった風潮がはびこっている点。武士道的な精神を排し、商人道を広める運動を展開すべきと主張する。示唆に富む指摘の多い書である。

 

コメは政なれど・・・〜ウルグアイ・ラウンド異聞〜
望月迪洋、オンブック、p.302、\1600

2008.5.8

 ガット ウルグアイ・ラウンドにおけるコメ開放をめぐる日米欧(当時はEC)の駆け引きを、当時の官房副長官で元農相・近藤元次を軸に描いたノンフィクション。近藤元次とは寡聞にして知らなかった政治家だが、黒子に徹しながら、交渉の妥結に道筋をつけた立役者と目される。宏池会の重鎮として自民党で貴重な存在だったようだ。本書は、農林族議員や農協に引きづり回され、コメにこだわるあまり全体で見れば国益を損なったウルグアイ・ラウンドの交渉の過程を、1990年代初頭の政治状況を交えて活写する。突っ込みが浅く物足りなさを感じる場面も少なくないが、農業問題をざっと知ることのできる書である。
 ウルグアイ・ラウンドから20年弱たつが、日本な貧困な農業政策は相変わらず。食糧自給率は40%を切り、新規の農業就業者にいたってはかつての40万人からいまや2500人である。やることと言えば弥縫かバラまき。農家への所得補償制度といった大盤振る舞い政策まで取りざたされる始末である。本書では、哲学と意思の強さで交渉に当たった欧米と、目先のごまかしと先送りに終始した日本の差を浮き彫りにしている。

 

仕事に役立つインテリジェンス〜問題解決のための情報分析入門〜
北岡元、PHP新書、p.219、\720

2008.5.6

 佐藤優の登場以来、インテリジェンスを扱う書籍が増えた。粗製濫造といった感があるが、正直いって本書もその一つ。情報の分析をビジネスに生かす手法をい紹介しているものの、中身にさほど目新しさはない。朝日新聞の書評を見て購入したが、残念ながら期待したほどではなかった。

 

ジャズの巨人たち
スタッズ・タケール、諸岡敏行・訳、青土社、p.268、\2200

2008.5.1

 読書のジャンルはお構いなしの評者だが、音楽CDに関してはチャーリー・パーカーやウイントン・マルサリスをはじめとするジャズを聞く機会が比較的多い。(クラプトンのブルースやビリー・ジョエルのロックも好きだ)。日常的にiPod Touchを持ち歩いているが、容量が8Gバイトと小さいのでジャズに絞って録音している。本書は、かなり古めのジャズ・ミュージシャン13人に関する評伝である。268ページで13人なので、ひとり当たり20ページ程度。少々物足りないが、ざっくり経歴を知るには適度である。
 本書が扱っているのは、ルイ・アームストロング、デューク・エリントン、ベニー・グッドマン、カウント・ベーシー、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンといった、すでに伝説になっている面々。多くが貧困からのし上がりながら、酒やドラッグで身を持ち崩し悲劇的な最期を迎えている。なぜか帝王マイルス・デービスが出てこない。例外的に裕福な家庭出身だったということが影響しているのだろうか・・・

 

2008年4月

Googleを支える技術〜巨大システムの裏側の世界〜
西田圭介、技術評論社、p.262、\2280

2008.4.26

 久々に読んだ技術書。飛ぶ鳥を落とす米Googleを支えている、検索エンジン、クローリング、分散ストレージ、データセンター、ソフトウエア開発手法といった基盤技術に光を当てて解説している。記述のレベルは情報系学部の3年生程度である。広範な話題を扱っているので深く知ることのは難しいが、入門書としては十分なレベルに達している。引用がしっかりしているので、さらに学びたい読者はそちらにアクセスすればよいだろう。  ビジネス的な側面が脚光を浴びる今日この頃のGoogle。でも、技術面をもっと論じられていい。技術に関しては秘密主義の印象があるGoogleだが、本書を読むとIEEEなどの学会やWebでそこそこ技術の概要を公開していることがわかる。本来なら技術誌がめざとく見つけて、タイムリーに報道すべき内容。書籍の後塵を拝したのは少々残念である。
 興味深いのは分散システムの仕組み。なにせGoogleは米国に少なくとも12カ所、欧州に5カ所のデータセンターを運営しているといわれる(写真はここ)。これを効率よく動作させることがGoogle成功の肝。その分散ストレージ、分散ファイルシステム、分散ロックシステム、分散データ処理、専用言語などの仕組みを本書は明らかにしている。Googleの運用にも目配りしているのも本書の秀抜なところである。

 

わたしのリハビリ闘争〜最弱者の生存権は守られたか〜
多田富雄、青土社、p.170、\1200

2008.4.24

 免疫学者で著書も多い多田富雄は2001年に旅先で脳梗塞で倒れた。その後はリハビリに励み、何とかパソコンで文章を入力できるまでに回復した。その多田を激怒させ絶望させたのが、2006年4月に厚生労働省が行った保険診療報酬の改定であり、それに伴うリハビリ打ち切り政策である。本書は、このリハビリ打ち切り政策の理不尽さを切々と訴え、厚労省官僚の狡猾さや小賢しさを糾弾している。
 読み進むほどに、やるせない気分のさせられる。残念ながら繰り返しが非常に多いのが難点だが、この国でどのような不合理が行われているかを知ることができる書である。

 

パラダイス鎖国〜忘れられた大国日本〜
海部美知、アスキー新書、p.191、\724

2008.4.23

 愛読している池田信夫のブログ(ここ)でよく登場する言葉が、本書のタイトル「パラダイス鎖国」。国内市場がそこそこ大きいため、必要以上に多くのメーカーやベンダーがひしめき、日本だけの論理で行動する。その結果、グローバルで通用しない規格や機能がはびこる。皆がそこそこ儲かるので、何となくパラダイスである。もちろん利益率は低いし、世界市場で売れない製品やサービスを抱え、海外に出るにでられず国内で過当競争に陥る。当然、疲弊する。そんな状況をピッタリ言い表したのが「パラダイス鎖国」である。
 こんな素敵な言葉を2005年頃に生み出した著者の本だが、米国在住の日本人コンサルタントのエッセイに毛の生えた程度で期待はずれだった。かつて大国だった日本が、「ジャパンバッシング」から「ジャパンパッシング」、さらには「ジャパンナッシング」に至った過程に自分なりの解釈を試みているが、切り口に鋭さがなく平板。残念ながら得るところがほとんどない本である。

 

出版社と書店はいかにして消えていくのか〜近代出版流通システムの終焉〜
小田光雄、論創社、p.277、\2000

2004.4.22

 2月に書評した「出版業界の危機と社会構造」の基になった書。もともと、ぱる出版が1999年6月に出版した書だが絶版になっていた。再版の要求に応えるとともに、新たに講演と論文2本を加え上梓に至った。
 約10年も前に出版された本だが、書店と出版社の惨状は相変わらずである。2008年に入っても新風社や草思社といった有名どころが民事再生法申請という道を選択した。本書を読むとその現況を思い知らされる。例えば取次制度や再販制度の問題についての指摘は的確で考えさせられるところが多い。出版業界の歴史についても簡潔にまとめられており、業界人必読の書だろう。
 気になるのは、筆者がしきりに「近代読者」と「現代読者=消費者」を分けて論じているところ。書籍を「ブックオフ」で安価で購入し、二束三文で売り払う「現代読者」の態度はけしからんというのが筆者のスタンスだが、少々違和感がある。愛着のわかない本に対して読者がとる態度として、安く買う、無造作に捨てるというのは妥当だろう。そもそも、「近代読者」がそんなに偉いのかという疑問もあるし、「近代読者」と「現代読者」にそれほど差があるとも思えないのだが・・・。

 

「家庭教育」の隘路〜子育てに脅迫される母親たち〜
本田由紀、勁草書房、p.241、\2000

2008.4.18

 「多元化する能力と日本社会」や「ニートって言うな!」で話題を呼んだ東京大学准教授・本田由紀の新作。朝日新聞の書評で取り上げられていたと記憶する。アンケートとインタビューを踏まえ、子育ての現状と問題点、社会としてなすべきことを論じている。
 最近では若い母親たち(父親たちも)をバカ親と批判する論調もあるが、本書はそういった議論と一線を画す。格差や葛藤を感じながらも懸命に子育てに注力する母親たちの姿をデータで裏付けをとりながら描いているのだ。母親たちは常に自信のない状況に追い込まれ、子供に思わしくないところがあれば自責を感じ、暗中模索を続けざるを得ない状況にあるというのが本書の見立てである。
 本書では、学校外での教育、母親の子供に対する接し方、しつけ、学校との関係について、母親の学歴による格差に焦点を当てて議論を展開する。例えば高学歴の母親は、子供に主体性や専門性を身につけて欲しいと考える。他方で学歴の高くない母親は、人並みに自立した「普通」の大人になって欲しいと期待する傾向があるという。
 「きっちり」とした子育てと「のびのび」とした子育てが、子供の将来(年収の多寡や就労の有無など)に与えている影響など、アンケートや調査を使った分析もなかなか興味深い。次代を担う子供の教育を、無責任に家庭や母親に丸投げし、母親に過度の負担をかけている社会の問題(父親の問題でもある)を鋭くえぐった良書である。

 

環境考古学への招待〜発掘からわかる食・トイレ・戦争〜
松井章、岩波新書、p.218、\740

2008.4.16

 3月に書評した認知考古学をあつかった「日本の歴史:列島創世記〜旧石器・縄文・弥生・古墳時代〜」で取り上げられていたので購入。食卓や犬・豚・牛馬といった家畜など観点から古代人の生活を探った書。縄文人の食卓にオオサンショウウオがのっていたという事実、北米北西海岸先住民族と縄文人の関係、トイレの考古学、江戸時代の上級武士たちの肉食生活など、なかなか読んで楽しいトピックが満載である。
 秀抜なのは戦跡考古学の話。戦跡考古学は、戦場に残された遺物を丹念に調べ上げ、戦争の経過を浮き彫りにする学問である。本書ではカスター将軍率いる騎兵隊と先住民族(クレージー・ホース率いるインディアン)との戦いを取り上げている。具体的には、遺物の1点ずつの経度・緯度、標高を調べ上げることで、両軍の布陣や戦闘の推移を推測する。1発1発の弾丸とその薬莢の分布によって、騎兵隊とインディアンの戦士一人ひとりの行動と戦闘の状況を明らかにし、騎兵隊が総崩れになって自滅したことを突き止めている。先住民族が銃器に関して意外に重装備だった点も興味深い。

 

ヒトづくりのおもみ
常盤文克、日経BP社、p.213、\1400

2008.4.14

 花王社長だった常盤文克の経営書。常盤は講演会で引っ張りだこの経営者だったが、評者は初めて読んだ。本書は既刊の「モノづくりのこころ」「コトづくりのちから」に続くシリーズ最終章という位置づけである。筆者の主張の大枠を把握することができる。
 出だしは快調で、「琴柱に膠す(ことじににかわす)」といった慣用句を効果的に使うなど、なかなか含蓄深い主張をする経営者という印象をもったが、後半は若干勢いがなくなり尻すぼみの感がある。経営書として王道を進んでいる書だが、あまりにド真ん中過ぎて、後半はインパクトに欠ける面があるのは少々残念である。

 

The Black Swan:The Impact of the Highly Impropable
Nassim Nicholas Taleb、Random House、p.366、$26.95

2008.4.13

 BusinessWeekのベストセラー欄に顔を出しているので気になって購入したが、全編が修辞的な文章のため読むのに大苦戦。筆者のナシーム・ニコラス・タレブ(Nassim Nicholas Taleb)の著作には9.11(2001年9月11日)直前に出版された「Fooled By Randomness」があるが、日本語訳「まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」が登場したのは今年1月。翻訳する価値に乏しいのか、翻訳に難渋したのか・・・。
 世の中を動かすような事象は不規則でランダムに発生し、予知は不可能というのが著者の主張である。だから筆者は、この事象を白鳥ならぬBlack Swanと呼んでいる。経済学や自然科学では正規分布を仮定して発生確率を弾き出しているが、Black Swanはサンプル数が少なすぎて正規分布による予測はあてにならない。Black Swanの現象は抽象化すると、社会的な事象が本質的に持っている複雑性を覆い隠してしまうので本質が見えなくなってしまう。シミュレーションをどれだけ精緻に行っても、未来は正しく予想できないのだ。それぞれの事象を個別に分析して、“物語り”にすることが重要。科学よりも小説の方が真実に近い、ジャーナリストと科学者は役に立たないというのが著者のご託宣である。

 

さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白
高橋洋一、講談社、p.282、\1700

推薦! 2008.4.1

 昨年、この書評で取り上げた「財投改革の経済学」の著者による回想録的官僚批判。日本の官僚の実態を知り尽くした元大蔵官僚(東大理学部数学科卒で傍流だが)だけに、きわめて説得力がある。「財務官僚は計数に弱い」「知識や理論は聞きかじりで張り子の虎」というのは、大蔵省(財務省)が東大法学部出身者の牙城という背景を考えればもっともだが、意外に盲点となっている観点だろう。
 筆者は小泉内閣で竹中平蔵の補佐官を務め、郵政民営化や道路公団民営化、政府系金融機関改革、公務員制度改革などのシナリオを書いた、官僚からは「3回殺しても殺し足りない」と言われたバリバリの改革派である。当然、守旧派の官僚の対する筆鋒は厳しい。官僚が審議会を意のままに操る小賢しいテクニック話など、開いた口がふさがらないような話が満載である。前著の「財投改革の経済学」は専門書だったので表現がいくぶん硬かったが、同じ内容を語っても本書は一般向けで読みやすく仕上がっている。日本の官僚と意志決定の仕組みを知ることのできる良書である。
 「メディアは数字に弱いので、批判検討することなく(官僚の発表した)資料を鵜呑みにして報道する」とマスコミにも手厳しい批判をくわえる。ちなみに日経BIZのIT記者が「さすが専門家」とほめられているが、正確には日経コンピュータの記者である。故意なのか、それとも単純なミスなのか、元上司としてはちょっと気になる。

 

2008年3月

原発・正力・CIA〜機密文書で読む昭和裏面史〜
有馬哲夫、新潮新書、p.255、\720

2008.3.26

 公開されたCIA機密文書をもとに、正力松太郎・読売新聞社主を使った米国政府(CIA)の対日工作を明らかした書。原子力に好意的かつ親米的な世論を形成するために、CIAが採った手口の数々を紹介している。公文書を正確に伝えることに注力したせいか、内容自体は興味深いのだが本としては盛り上がりに欠けるのは少々残念である。
 CIAの世論工作のきっかけは、1954年に起こった第五福竜丸の被爆。この事件によって反米と反原子力の機運が日本で高まる。これを抑えるために、読売新聞、日本テレビ、博覧会、ディズニーを巧妙に利用しながらCIAは世論を親米・原子力容認へと誘導していく。その米国を利用し利用されるのが、総理大臣になることになりふり構わぬ正力である。本書で正力は、思想性や理想といったものが皆無の俗物として描かれている。
 「昭和30年代〜40年代の勧善懲悪的な米国製TVドラマや映画は、日本人を洗脳するために米国が仕組んだもの」と、昔のドラマや映画好きな評者は外資系半導体メーカに勤める友人から諭されたことがある。本書で登場するディズニーの役割からはその仕組みが垣間見える。

 

一橋大学日本企業研究センター研究叢書 1】日米企業の利益率格差
伊丹敬之・編著、有斐閣、p.231、\3200

2008.3.24

 「米国企業は日本企業に比べて利益率が高い」という通説を実証的に検証するとともに、こうした事態を生んだ背景を探った書。各種データの経年変化をもとに、日米の企業間にある構造的な差異を明らかにしている。通説を覆すような新事実は出てこないが、定量的な裏付けをとった議論は読み応えがある。今年の初めに取り上げた「松下電器の経営改革」と同じ一橋大学日本企業研究センター研究叢書の1冊だが、これまた力作である。  利益率の比較をするために、本書では三つの指標を用いている。ROS(売上高営業利益率)、ROA(総資産経常利益率)、ROE(自己資本当期利益率)である。いずれの指標においても「米国>日本」の関係が成立するが、その原因となっているのが付加価値率の圧倒的な差(2倍という)であり、その差を生むのが経営力というのが本書の見立てである。
 三つの指標のなかで特異な傾向をみせるのが株主へのリターン効率を示すROE。米国企業がROEを高めるために自己資本を削る傾向が強いのに対し、日本企業は自己資本の充実にひたすら努める。米国企業は、自己資本比率を下げてROEを高めることで株価を上昇しやすくし、高くなった株価をテコにM&Aを実施し成長するというシナリオを描く。一方の日本企業にとって自己資本は、不況期でも逃げない資本を意味し、経営が危うい局面に取り崩して従業員に配る原資の意味合いが濃いとする。
 このほか興味深いのは日米の下位企業の比較。日本企業が利益をみる限り上位・下位で大きな差がない。下位企業でも安定的に利益を出している。多くの企業が利益をシェアしている実態がある。米国の下位企業は数字を見る限りきわめて悲惨。Winner takes allの現実があり、トップ企業が業界内の利益を徹底的に収奪する。そのため敗者は早々に市場から退出する。一方で米国には、新規の分野では将来の大きなリターンを期待して赤字企業を支える出資者が存在し、それを資本市場も許容するバイタリティがある。社会の活性度という視点で見る場合、彼我の差は明らかだろう。

 

日本の歴史:列島創世記〜旧石器・縄文・弥生・古墳時代〜
松木武彦、小学館、p.366、\1900

2008.3.19

 この手のシリーズ本は書き手によって出来不出来が激しい。小学館創立85周年のシリーズ(全16巻)の第一弾である本書は、“当たり”の部類だろう。だらだらとトピックを記述するだけの退屈な歴史書は真っ平だが、本書は著者のスタンスと主張が明確で読書の喜びが味わえる。
 本書の対象は、文字で書かれた歴史が残っていない、旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代にかけて。物の資料だけで人間社会を推測する考古学の独擅場となる期間である。この期間における社会の動きを、心の科学(認知科学)の力を借りて解明するところに本書の特徴がある。認知考古学という名称を聞くのは初めてだが、縄文から弥生、弥生から古墳時代へといった時代の移り変わりを考える手法としてなかなか魅力的である。特にデザインの“凝り”や気温の変動がもたらす人間社会への影響などの考察はなかなか冴えている。

 

無実(上)、(下)
ジョン・グリシャム、白石朗・監訳、ゴマ文庫、(上)p.332(下)p.310、(上)(下)\762

2008.3.8

 「法律事務所」「ペリカン文書」など、サスペンス小説で知られるジョン・グリシャムの手による、冤罪を題材にしたノンフィクション。まずまず楽しめる出来である。グリシャムは「もう書かない」と言っているようなので、最初で最後のノンフィクションになるかもしれない。
 米ニューヨーク・タイムズでNo.1ベストセラーとなったのも頷ける内容である。日本語訳もテンポよく仕上がっているので、スイスイ読める。ただ、小説のような盛り上がりを期待すると失望するかもしれない。意識的に淡々とした筆致で書き進めているので、グリシャムの作品としては少々物足りない気がする。
 本書は、米オクラホマ州の片田舎で起こったレイプ事件を丹念に追ったもの。信憑性の薄い証言や自白を頼りに犯人をデッチあげた事件で、陪審によって一人に死刑、もう一人に終身刑が下された。死刑執行が秒読み段階になた時点で、再審が認められ真実が明らかになった。上下2巻で冗長な気もするが、飽きさせない筆の力はさすがである。
 日本の冤罪事件をあつかったノンフィクションを何冊も読んだが、米国の検察・警察のひどさも日本と五十歩百歩。科学捜査を標榜しても、使う人間が邪悪だと無実の人間を死刑囚にしてしまうこともよくわかる。権力は腐敗すると言うことだろう。2009年にジョージ・クルーニー主演で映画化される。期待できそうだ。

 

ポアンカレ予想を解いた数学者
ドナル・オシア、糸川洋・訳、日経BP社、p.405、\2400

2008.3.11

 少し前のことだが、「ポアンカレ予想を証明し、数学界のノーベル賞とされるフィールズ賞の受賞が決まりながら、それを辞退した数学者」の話が新聞紙面をにぎわせた。本書はポアンカレ予想と証明までの歴史を、周辺状況を交えながら解説した書。ポアンカレ予想を解いたロシアの数学者グリゴリー・ペレルマンはかなり魅力的な人物なので、彼に焦点を当てた本を期待したが、この期待は裏切られた。少々残念である。
 ちなみに数式を使わずにわかりやすく説明しようとした努力は評価できるが、理科系の評者でも理解するのはかなり辛い。評者は理科系だが完敗である。

 

出版業界の危機と社会構造
小田光雄、論創社、p.283、\2000

2008.3.8

 ブックオフ、TSUTAYA、Amazon.comといった形態の書店、さらには再販制の維持が書店業界や出版業界に大打撃を与え、日本の文化そのもののを破壊していると警鐘を鳴らした書。エキセントリックな部分には付いていけないところがあるが、再販制の問題点の指摘など傾聴すべき論点も多い。この書評では佐野眞一「だれが本を殺すのか」を取り上げ高く評価したが、本書では「歴史的分析が足らず、出版界の危機の本質と真実を隠蔽している本」としてコテンパンである。
 本書は3章から成る。第1章では最近の出版業界の動き、第2章では出版業界の現状分析、第3章では米国と出版業界の関係を論じている。図や表、統計データを駆使して説得力をもたしている。それにしても本書の年表で改めて振り返ると、21世紀に入ってからの出版業界は、中小書店や出版社の疲弊や倒産など惨憺たる状況であることがよくわかる。著者は「出版社と書店はいかにして消えていくか」「ブックオフと出版業界」をすでに上梓しているが、取り寄せてみようという気になる。ブックオフはほとんど使わないが、ほとんどの書籍をbk-1やアマゾンで手に入れる評者は。
 もっとも第3章は、「米国資本の進出によって、出版業界さらにいえば日本文化は第2の敗戦状態にある」と説く。ただし紙面が少ない関係もあって論考が十分でなく、残念ながらかなりエキセントリックに感じる。

 

トヨティズム〜日本型生産システムの成熟と変容〜
野村正實、ミネルヴァ書房、p.336、\4000

2008.3.5

 岡山大学教授(執筆当時)がトヨタ自動車を学術的に分析した書。トヨタ自動車の「迷い」「試行錯誤」をきっちり書き込んでいる良書だが、トヨタが普通の優良企業だった15年前(1993年)に出版された本なので注意が必要。現状とのギャップは否めない。現在のトヨタ自動車の興隆にどのようにつながっていったのか、偶然なのか、経営者の力なのか、仕組みの問題なのか大いに興味がわくところである。強くなってからのトヨタに便乗した“ヨイショ”本や“ネガティブ”本ではない、歴史的な経緯を踏まえたしっかりした学術書が望まれる。
 著者は労働問題の専門家。最近も「日本的雇用慣行」といった専門書も上梓している。本書の切り口にもその特徴は出ており、生産システム、人事制度、労働環境、労働組合と会社との関係など、主に労務面からトヨタ自動車にアプローチしている。印象に残るのは、トヨタ自動車の仕組みがスキなく合理的にできていることと、ライン労働者を大量に淘汰・排出するメカニズムを構造的に組み込んでいるところ。経営者の執念を感じさせる。  それにしても勤務時間内だけではなく、オフJTによって規律、集団的協力、会社忠誠心を育てようとする、時間外も含めたフルサポートは凄い。「24時間の会社時間が労働時間と非労働時間に分かれている」という当時の状況が、幸せだったのか大いに疑問だが・・・。

 

2008年2月

ニッポン バブル遺産建築100
橋爪紳也、稲村不二雄、NTT出版、p.222、\1500

2008.2.29

 バブル期に建てられた建築物を、北海道から九州まで日本を縦断して撮影し、注釈を加えた書。見開き2ページで建築物の住所、名称、発注元、施工、設計、費用、写真、概要がコンパクトにまとめられており、暇つぶしに読むにはちょうどいい。
 バブルの傷跡というか成果物というか、奇妙な遺物(異物かも)の写真を見ていると、当時の狂乱のさまが思い出される。できれば建築物の写真はカラーが望みたいところだが、1500円という価格を考えるとコスト面で致し方ないところか。著者の奥歯に物が挟まったような書き口は少々残念である。チクリチクリと皮肉っぽい論評を加えているが、全体に歯切れの悪さが気になる書である。
 タイトルにあるように全部で100の建築物を扱っている。その建設目的や設計者の意図はさまざまだが、外見は妙に類型化しているところが笑える。とんがり屋根だったり、モスクのようなドーム構造だったり、いずれも周囲の景観とマッチしない。とくに田舎の田園や山林をバックにした様子はとても収まりが悪い。どうみても保守がしづらそうな造形とあわせて、いく末が見えるようで哀しい。タイトル通り、まさに遺産である。建築家の倫理観とセンスの不思議さを感じさせられる1冊である。

 

新聞記者 疋田桂一郎とその仕事
柴田鉄治、外岡秀俊編、朝日新聞社、p.294、\1200

2008.2.28

 朝日新聞の記者だった疋田桂一郎が残した新聞記事・天声人語・講演などを、後輩たちがまとめた書。本多勝一や辰濃和男、鎌田慧といった面々が短い囲み記事を書いている。基本的にはジャーナリストという職業に興味のある人向けの書である。新聞記者の面白さと同時に、背負っているものの重さ、サラリーマン・ジャーナリストの限界を感じるには打て付け。朝日新聞の宣伝臭さが多少気になるが、それを除けば一般の方が読んでも損はない。
 疋田については天声人語の著者だったことくらいしか知らなかったが、「管理職にするには惜しい」という評価はなるほどと頷かされる。50年以上も前の記事が掲載されているが古さは感じない。東大山岳部の北アルプスでの遭難に関する記事や、朝日新聞の誤報に関する検証報告書(社内報に掲載された)、社内研修の内容など興味深いものが多い。東大生の遭難記事は1959年のものだが今読んでも迫力があるし、誤報が生まれた過程を丹念に検証した報告書は現在でも十分通用する。後者は実に深刻。何十年たっても新聞は成長していないし、警察発表を鵜呑みにして体制側の情報を垂れ流す姿勢を改めていないことがよくわかる。
 それにしても疋田の天声人語は秀抜である。本書では1章を割いて4年間分から抜粋して載せているが、文章が流れるようで実にうまい。文末のバリエーションをみているだけでも勉強になる。新聞における文章が「安易に流れている。日本語として汚い」という社内研修での発言も掲載されているが、おっしゃる通りである。

 

聖徳太子と日本人〜天皇制とともに生まれた〈聖徳太子〉像〜
大山誠一、角川ソフィア文庫、p.284、\629

2008.2.25

 「聖徳太子は、藤原不比等や光明天皇が天皇制を確固とするために創作されたもの」。これが筆者の主張である。寡聞にして、これが学会で認知された学説かどうか知らないが、読んでいるとおもしろい。想像力を満開にして自説を組み立てていける古代史の世界はロマンにあふれている。
 筆者は聖徳太子、天寿国繍帳、憲法十七条など、日本史でならった事柄を次から次へと否定していく。儒教、仏教、道教をミックスした聖徳太子像の奇妙さをあきらかにしてく。その議論の進め方は小気味いほどだが、なんだかわだかまりが残る。妙な話だが、学校教育の影響力の大きさが実感できる書である。

 

Googleとの闘い〜文化の多様性を守るために〜
ジャン-ノエル・ジャンヌネー著、佐々木勉訳、岩波書店、p.166、\1600

2008.2.24

 Googleの検索エンジンに対抗すべく行われているフランスの国家プロジェクト「クエロ計画」の背景を解説した書。Googleが象徴する米国文化や資本主義への警戒感を書き込んでいる。資本主義や英語に対する警戒など、いかにもフランス人らしい価値観が随所に出てくる。
 著者が警戒するのは、「Googleの検索で引っかからないものは、存在しないも同様」という価値観の蔓延。そのGoogleがGoogle Book Searchによって書籍のデジタル化に踏み出したことで危機感が高まり、本書の執筆につながった。米国発の作品の支配性が強まり文化の多様性が失われることを恐れる。著者はインターネットの可能性や有用性を認めた上で、その傲慢さ、米国の価値感の押し売り、文化同化への圧力を問題視する。それにしても、フランスの「クエロ計画」やドイツの「テセウス計画」、ノルウェーの「ファルス計画」など、欧州各国でこんなに検索エンジン開発プロジェクトがあるとは知らなかった。

 

モサド前長官の証言「暗闇に身をおいて」〜中東現代史を変えた驚愕のインテリジェンス戦争〜
エフライム・ハレヴィ著、河野純治訳、光文社、p.453、\1800

2008.2.21

 タイトルからは“007”張りのスパイ活動が書かれていそうだが、その期待には応えることはできない。40年にわたって諜報官僚を務めた著者の手による回想録なので、ワクワクドキドキは少ない。むしろ淡々としている。とはいっても、それが本書の価値を下げることはない。イスラエルを中心とした虚々実々の中東外交の舞台裏やイスラエル政権内の権力闘争を垣間見ることができる。最後に登場する、テロと戦い続けた著者が考える、国際テロ組織への対処法は衝撃的である。
 特筆すべきなのはイスラエル-ヨルダン和平条約とパレスチナ和平協定の舞台裏である。締結されるまの右往左往ぶりは小説を読むようである。イスラエル-ヨルダン和平交渉成功の裏に、フセイン国王とのトイレでの会話があった事実などけっこう楽しい。中東情勢の背景について十分解説しており、少々知識不足でも読みこなすことができる。
 本書の特徴の一つに、中東諸国と米国、ロシア、パレスチアなどの首脳の人物評がある。アラファトに対する人物像などには、かなりバイアスがかかっているが、それはそれで興味深く読める。イスラエルをめぐるパワー・ポリティクスの有り様を知る上でも役に立つ。米国、ロシア、中国、北朝鮮だけでなくアフリカ諸国も登場するが、日本の影は薄い。外交能力の平和ボケは決定的である。これに関しては、文末の解説で佐藤優が取り上げている外務省の問題がありそうだ。

 

公認会計士vs特捜検察
細野祐二、日経BP社、p.431、\1800

2008.2.15

 最近、法務大臣の「冤罪」発言が話題を呼んだが、こちらも本書を読む限り極めて冤罪くさい。著者は、上場会社でシロアリ駆除のキャッツの株価操作事件に絡んで粉飾決算の容疑に問われた辣腕の公認会計士。その著者が東京地検特捜部との闘いを詳述したもの。著者は1審、2審とも有罪となり、現在は最高裁に上告中である。厳密性を追うあまり記述にダブリ感が多いが、さほど気にならないほど緊迫感のある手記に仕上がっている。
 筆者は190日の拘留中、粉飾決算の容疑を否認し続ける。このあたりの被疑者と検事の駆け引き、とりわけ自白を引き出すために検事が駆使するテクニックは、冤罪事件などでよく登場するパターンと同じである。2審では、粉飾ではないとの鑑定結果が会計学者から出されたり、キャッツの関係者から被告に有利な逆転証言を得たりという状況だったが敗訴。本書を読む限り、何とも不思議な判決である。

 

続・トヨタの正体〜マスコミが書けないエコな企業のエゴな顔
週刊金曜日編、p.140、\1000

2008.2.9

 この書評で以前取り上げた「トヨタ本」が月並みの内容だったので再挑戦。週刊金曜日の名前に釣られて購入した。世界一の生産台数(2007年)の企業に対する批判としては、しごく真っ当な内容である。衝撃的な事実が書き込まれている訳ではないが、わが世の春を謳歌するトヨタの影の部分を理解するうえで役立つ。
 タイトルの通り、本書は続編である。トヨタの労働問題や環境対策(ハイブリッドエンジン)の裏側、リコールといったトピックを取り上げている。環境問題については定説がなく、どのようにでも解釈できるところなので、「坊主、にくけりゃ」といった感があるが、押さえるべき所はきちんと押さえている。週刊金曜日らしい切り口でそこそこ読ませる本である。もっとも肝心なところに「推測」が入っていたりして迫力不足なのは残念。前編(部数から見るとベストセラーらしい)はマスコミのパトロンしてのトヨタ自動車を取り上げており、評者としてはこちらを読むべきだったかと反省。

 

The Big Switch:Rewiring the World、From Edison to Google
Nicholas Carr、W.W.Norton & Company、p.277、$25.95

2008.2.8

 もはやITは差別化のための有効なツールたりえないと論じて、数年前に話題を呼んだ“IT Doesn't Matter”の著者の第2弾。IT Doesn't Matterは米国のハーバード・ビジネス・レビュー誌に掲載され、翌年には日本語版でも載った。IT業界から総スカンをくったが、主張はそれなりに理解できた。ところが、うって変わって第2弾は迫力不足。インターネットについてそこそこ見知っている方にとっては読む価値は低い。
 論じているのは、コンピューティングのユーティリティ化である。World Wide Computingという言葉を使って持論を展開している。電力がユーティリティ化されるまでの道のりなどを引きながら、現在のコンピューティング環境やインターネット環境と対比している。本書の問題は、冗長で散漫な感じが強く、訴える力が弱いところ。話題も産業、社会、文化など大風呂敷でとりとめがない。結局、何を主張したいのかが最後まで分からない。

 

2008年1月

オープンビジネスモデル〜知財競争時代のイノベーション〜
ヘンリー・チェスブロウ、栗原潔訳、翔泳社、p.308、¥2300

2008.1.31

 評者はその昔、「Engine of Innovation」という本をシリコンバレーの本屋で見つけ感銘を受けたことがある(後に「中央研究所の終焉」という題名で日経BP社から出版された)。本書の主張はその延長線上にあり、一企業内で基礎研究から開発、設計、製造、販売のすべてをまかなうことが難しくなった米国の現状をつぶさに論じている。
 知的財産権、特に特許に関心のある人は読んで損はないかもしれない。もっとも一般の方にとっては、イノベーション仲介業といった最新の情報はそこそこ面白いが、NIH(not invented here)やファブレスの話が今さら出てくるなど、翻訳臭さが残る文体とあまって読み進むにつれて退屈度が増してきそうだ。事例が少々古いのも気になるところ。手書きOSの米Go Computerの失敗(Microsoftに情報を出し過ぎた)やIBMのLinuxへのコミットなどがかなり古い。

 

【一橋大学日本企業研究センター研究叢書 2】松下電器の経営改革
伊丹 敬之、田中 一弘、加藤 俊彦、中野 誠編著、有斐閣、p.350、¥3570

推薦!2008.1.28

 実によくできた本である。勝てば官軍的な部分や取材対象への感情移入が皆無とはいえないが、基本的に客観的な姿勢で、松下電器産業における経営改革の内容と過程を深堀りしている。松下電器という日本型経営の典型と思われた巨大会社を改革した過程はスリリングで読み応えがある。松下電器は2008年10月から社名を「パナソニック」に統一するが、そこに至るまでの過程を知る上で本書は格好の1冊である。ちなみにパナソニックに統一する話は、東洋経済の2月2日号に詳しい。松下電器の今を知りたい方には両方とも読むことをお薦めする。
 本書の主役は中村邦夫とそれを支えた役員陣(といっても数人)である。彼らに対する詳細なインタビューを柱に構成している。中村を改革へと駆り立てたのは、「傲慢、自己満足、内部議論、摩擦を恐れる」という衰退する企業の特徴を、松下電器がすべて備えていたから。当時の松下電器社内は顧客に向こうとせず、社内の論理で(原価中心で)意思決定がなされていた。こうした認識のもと、中村は網羅的しかも徹底的でスピード感ある改革へとひた走ることになる。
 筆者が繰り返し強調するのが「歴史は跳ばない、しかし加速できる」である。改革プロセスの成否は、改革以前に行われたさまざまな努力の積み重ねによって左右されるとする。さらには改革の順序とステップの踏み方、改革を担うチームの質の重要性を重視している。

 

本語課外講座 名門校に席をおくな!
講談社校閲局編、p.198、\1100

2008.1.23

 さすが講談社。「校閲局」なるセクションをもつとは歴史を感じさせる。本書はその校閲局の現役メンバーによる、編集現場で起こった日本語の誤用事例をまとめたもの。ついつい間違ってしまう日本語の用法が満載である。思わずうなるような文例が多いので、日本語に興味がある方にはお奨めの一冊である。類書として講談社現代新書の「日本語誤用・慣用小辞典」があるが、読みやすさは前者、読み応えは後者に軍配が上がる。
 正直言って、読み進むにつれて少々自信がなくなった。誤用の事例が次から次へと出てくるが、すぐに誤りに気づかないことが少なくなかった。何となく違和感があるが、どこが誤用なのか指摘できないのは少々悔しい。かつては校正に自信があっただけに、能力の低下を痛感させられた。例えばタイトルに出ている「席をおく」や「4の字固め」「浮気症」「案の上、間違えた」「気まじめ」「鯛の御頭付き」「短足は劣性遺伝」など、間違いをすぐに指摘できれば、校閲者の素質十分かもしれない。いずれにせよ日本語力を診断するのに役立つ本である。

 

西郷隆盛伝説
佐高信、角川学術出版、p.361、\1800

2008.1.18

 EIS発行人の中村さんからお借りした本。ちょっと変わった西郷隆盛伝である。そもそも佐高信と西郷隆盛という組み合わせが意外である。この奇妙な取り合わせが生まれた背景には、佐高の故郷である山形県(荘内藩)を西郷隆盛が救ったという幕末期におけるエピソードがある。本書は、この関係を軸に展開する。
 もっともタイトルは「西郷隆盛伝説」だが、必ずしも西郷の話ばかりではない。荘内藩や長岡藩、会津藩を中心に、幕末から明治初期にかけての人物像を描いている。西郷寄りのバイアスがかかっているが、歴史好きには一読の価値がある、読み応えのある1冊である。

 

知的財産と創造性
宮武久佳、みすず書房、p.211、\2800

2008.1.17

 どこかのブログで推薦されていた書。「知的財産と創造性」というタイトルと「みすず書房」というブランドから、こむずかしい本だと思い込んでいたが大違いだった。知的財産(特に著作権)の抱える問題点を身近な事例を交えて解説している。事例には、ビートルズやユーミン、ハリー・ポッター、モーツアルト、天津甘栗、バンジージャンプなどが登場する。著者は共同通信のジャーナリストなので、こなれた文章で読みやすい。著作権の現状をざっと理解するのに最適な入門書である。
 評者は記者時代に知的財産権をテーマの一つとしていた。したがって、ある程度の基礎知識はあるが本書から得るところは少なくなかった。例えば図書館や伝統芸能の知的財産権における問題、肖像権、ブランド化する街といった解説は大いに勉強になった。

 

学歴と格差・不平等〜成熟する日本型学歴社会〜
吉川徹、東京大学出版会、P.260、\2600

2008.1.15

 計量社会学者の手による、いま流行りの格差本。格差(正確には階層)の実態を収入や職業ではなく、学歴という切り口から分析している。計量社会学者らしく各種のデータを駆使した主張は説得力をもつ。
 日本の社会を区分する最も適切な基準は「学歴」というのが著者の主張である。価値観に基づく社会的態度や考え方の柔軟性は、職業階層ではなく学歴に大きく左右されるという。大学進学の比率は50%ほどで頭打ちになっている現在、学歴が親から子供へと受け継がれ、世代間で閉鎖的に再生産されている(いわゆる階層の固定化)ことを数字で裏付けている。

 

生き物たちの情報戦略〜生存をかけた静かなる戦い〜
針山孝彦、化学同人、p.246、\1800

2008.1.11

 魅力的なタイトルに惹かれ購入。知的好奇心が満たされるだろうといった期待をもって購入したが、読後感は今一歩だった。生物の行動学を分かりやすく解説しているのだが印象に残る部分が極めて少なかったのが残念である。結局、タイトルと内容とのギャップが印象に残ってしまった。
 生き物を扱った本は、洒脱さを備えた面白いものが多く著者から見れば激戦区である。その激戦区に打って出るには力不足の感があり、著者の世界に引き込むまでに至っていない。何となく自己満足や楽屋落ちで終わっている。
 取り上げている内容自体は興味深いものが多い。たとえば「時どき鳥」の話。序列が一番下だったメスがリーダー格のオスの伴侶に選ばれると、それまで卑屈だった振る舞いが一変して、横柄で偉そうになるという。どこかの国の高級官僚夫妻の行動と非常に似ていて苦笑させられる。このほか南極での越冬やケニアでの体験談やエピソードを読むと、著者本人はキャラが立っていそうなだけに残念である。

 

枢密院議長の日記
佐野眞一、講談社現代新書、p.430、¥950

2008.1.4

 読み応え十分で、読んで楽しくなる新書である。430ページと新書にしては分厚いが、退屈せずに読み通せる。枢密院議長だった倉富勇三郎が26年にわたって書き続けた詳細な日記を、これまた凝り性の作家・佐野眞一が7年の歳月をかけて解析したのが本書である。佐野の言葉を借りると、日記自体は繰り返しが多く冗長で「死ぬほど退屈」だそうだが、佐野の力で優れた読み物に仕上がっている。
 本書に登場する人物は、皇族(大正天皇、昭和天皇・・・)、華族(徳川、有馬)、政治家(原敬、大隈重信・・・)、官僚、作家(森鴎外、柳田国男)など実に多彩。そのなかでも最も興味をひかれるのが、語られることの少なかった皇族や華族の話である。大正時代を中心に、これほどまで世間を騒がす話題を提供していたことに驚かされる。そしてその火消しに走り回る倉富をはじめとする官僚や政治家たちの姿も興味深い。
 本書の特徴は井戸端会議風(あるいはワイドショウ風)の切り口で、生々しいスキャンダルの裏情報が記されていることである。しかも佐野がきっちりと背景や位置づけを解説してくれるため、次々に起こる事件や事故の内容をす〜っと理解できる。

 

横田英史(yokota@nikkeibp.co.jp

1956年大阪生まれ。1980年京都大学工学部電気工学科卒。1982年京都大学工学研究科修了。
川崎重工業技術開発本部でのエンジニア経験を経て、1986年日経マグロウヒル(現日経BP社)に入社。
日経エレクトロニクス記者、同副編集長、BizIT(現IT Pro)編集長を経て、2001年11月日経コンピュータ編集長に就任。
2003年3月発行人を兼務。2004年11月、日経バイト発行人兼編集長。
記者時代の専門分野は、コンピュータ・アーキテクチャ、コンピュータ・ハードウエア、OS、ハードディスク装置、組み込み制御、知的財産権、環境問題など。