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2010年

2007年12月

雑誌記者
向田邦子、上野たま子、扶桑社、p.210、\1575

2007.12.28

 向田邦子が「映画ストーリー」(雄鶏社)という雑誌記者だったときの同僚が、当時を振り返った書。肩の凝らない、あっというまに読める本。ただし中身は少々期待はずれだった。向田邦子ファンなら読んで得るものがあるのかもしれないが、評者が求めていたものは皆目発見できなかった。飛行機事故で突然なくなった脚本家・直木賞作家の記者活動の詳細を知ることができると思ったのだが、書かれているのは他愛のない話が大半。残念。
 向田邦子の恋愛を軸に話は進む。筆者の興味はこの1点に集中しているのだが、周辺情報が中心で、核心になかなか触れない。読んでいて欲求不満が募ってしまう本である。

 

トヨタの品格
伊藤欽次、洋泉社、p.237、\925

2007.12.27

 トヨタの経営をヨイショした本を読んだ後で、バランスをとるために選んだ書。トヨタを告発するタイプの本は非常に多く出ているが、愛知労働問題研究副所長という肩書きにひかれ本書をピックアップ、経営側からの視点ではなく地元と現場に根付いた深みのある内容を期待して手に取ったが、残念ながら若干期待はずれだった。悪い本ではないのだが・・・
 確かにトヨタの労働現場の様子は分かる。トヨタにおける派遣や季節工、過労死といった問題は一通り理解できる。しかし想定の範囲内の話がほとんどで、特段驚くような話は出てこないし、逆に「トヨタの現場って、他の工場と大差ないのでは」といった気までしてしまう。鎌田慧のルポ「自動車絶望工場―ある季節工の手記」や堀江邦夫の「原発ジプシー」などに比べると、インパクトに欠け読後感は今一歩である。

 

トヨタ 愚直なる人づくり〜知られざる究極の「強み」を探る〜
ダイヤモンド社、井上久男、p.225、\1600

2007.12.25

 元・朝日新聞の経済部記者で退職後もトヨタへの取材を重ねてきたの著者が、強さの秘密を探った書。これまでの取材ノートや渡辺社長をはじめ50人以上の関係者へのインタビューが基になっている。丹念な足で稼いだ取材を感じさせる点は評価できる。
 ただし強い企業を分析したビジネス書にありがちな内容だし、評者が取材先から見聞きしているトヨタと大差はない。正直なところ新しい発見を期待すると肩透かしを食らうことになる。それにしても、永遠に繁栄と成長を続ける企業はありえない。すべてが順調に進み正のスパイラルで成長を続けているトヨタが、一つでもベクトルが狂ったときにどのように対処するかが今後の楽しみである。

 

過剰と破壊の経済学〜「ムーアの法則」で何が変わるのか〜
池田信夫、アスキー新書、p.203、\724

2007.12.23

 ブログにおける辛口なIT論評でつとに有名な池田信夫が、自らの博士論文を一般向けに換骨奪胎して書き直し新書化したもの。確かに読みやすいコンピュータ/通信/IT業界のトレンド入門書になっている。本書のカバー範囲は広い。トランジスタ誕生からムーアの論文発表、パソコンやインターネットの登場、通信と放送の融合、iPodまでを対象とし、話はグローバル経済にも及ぶ。それたを池田らしい見方で論じている。まとまりのよい本だし、簡潔に出来上がっているので正月に気軽に読むのはよいかもしれない。
 もっとも電機業界の方々には、「ムーアの法則」をはじめ周知の話が多いだろうし、新書ということもあって深みが足りないのも事実である。もう一つ残念なのは、ブログほどの切れ味が感じられないこと。これが「紙」と「ネット」の違いなのかもしれないが・・・。

 

雲を掴め〜富士通・IBM秘密交渉〜
伊集院丈、日本経済新聞社、p.198、\1700

推薦! 2007.12.20

 1982年に起こったIBM産業スパイ事件。囮捜査によって日立製作所の社員などが逮捕され、日立だけではなく富士通など日本のコンピュータ産業を揺るがした大事件だった。日立は早々にIBMと和解したが、富士通はIBMと徹底的に闘った。本書は、1997年にIBM-富士通が紛争の終結合意書を交わし守秘義務が解除されたことを受けて、富士通側の交渉当事者(鳴戸道郎氏)が交渉の経緯を明らかにしたもの。
 小説仕立ての構成をとっているが、ほぼ事実に即していると考えてもよいだろう。仮名で登場する人物が多いが、実名は容易に推測できる。小説としては粗いが、電機業界、コンピュータ業界に身をおく者にとって必読の書である。ただし、ジャーナリストの手によってノンフィクションの形で明らかにできなかったのは、評者の立場からは痛恨である(鳴戸氏には何度も会っているし、評者は駆け出しのころ、米国仲裁協会(AAA)による意見書に出席するためホテルオークラに深夜に駆けつけた記憶がある)。
 内容はぜひ読んでいただきたいが、本書にはいつか異例な点がある。一つは小説なのに、法律界の大御所である中山信弘・東大教授が帯に推薦の辞を寄せていること。もう一つは、日経コンピュータ元編集長の松崎稔による長大な解説である。松崎は尊敬するジャーナリスト。この解説は渾身の作で、これを読むだけでも価値がある。ただし専門的な解説なので、ある程度の知識がないと読みこなせないが・・・。ちなみに当時の日経コンピュータの様子は松崎がITproによせた寄稿「初めて明かす、「IBM・富士通紛争」と徹底報道の舞台裏」に詳しい。これも一読の価値がある。

 

フラット革命
佐々木俊尚、講談社、p.282、\1600

2007.12.18

 行きつ戻りつしているインターネットの言論空間について、元・毎日新聞記者でジャーナリストの佐々木俊尚が論じた書。インターネットの現状そのままに混沌とした感じの内容になってる。似たような署名の本に、この書評でも取り上げた「フラット化する世界」(トーマス・フリードマン著、日本経済新聞社)があるが、視点の高さがかなり異なっている。佐々木の視点は自らを原点においたもの。大所高所といった趣は弱いが、それだけに身近な感じは強い。逆に大所高所といった部分は、腰が浮いたような感じになり安定さにかける気がする。
 佐々木が冴えを見せるのは、インターネットと新聞(既存メディア)の比較である。新聞(既存メディア)の限界を知っているだけに、その指摘は実に的確だし納得できるところも少なくない。ブログの威力、ブログの炎上、SNSの状況など、現在のインターネットの世界を一通り知りことができる(ネットに少々甘い気もするが・・・)。出色なのは最後に登場する「ことのは事件」。評者は事件のあらましこそ知っていたが、本書で全貌を初めて把握できた。インターネット時代/ブログ時代におけるジャーナリストとは何か、ジャーナリズムとは何かを考えさせられる事件である。

 

サブプライム問題とは何か〜アメリカ帝国の終焉〜
宝島社新書、p.207、\700

2007.12.14

 このところ毎日のように新聞紙上を賑わせ、世界経済を震撼させている「サブプライム問題」を豊富な図版を交え分かりやすく解説した書。住宅価格の上昇を前提に貧困層に住宅ローンを組ませ、それを証券化してリスクを分散する。しかし前提が崩れたとたんに、歯車が逆に回りだして破綻する。日本のバブルを思い出すような仕組みである。細切れにして証券化され世界中にばら撒かれたため、影響する範囲が特定しづらい。そのため不安が不安を呼ぶという悪循環に陥っているのが現在の世界経済である。注目はどのようにして、サブプライム問題の火消しを行うかである。日本はバブル退治に失敗した経験があるだけに、各国の当局の今後の動きは注目である。

 

財投改革の経済学
高橋洋一、東洋経済新報社、p.257、\3800

2007.12.8

 小泉内閣で竹中平蔵の補佐官を務め、郵政民営化や政府系金融機関改革などのシナリオを書いた財務官僚による書。「改革」の背景を切れ味よくまとめている。専門書の部類に入る本だが、具体的な記述が多いし要領よく主張が論じられていて門外漢の評者でもなんとかついていける。竹中平蔵が帯に「今後、公的金融システムに関する分析や政策論議において、間違いなく改革の基本バイブルとなる」とコメントを寄せているが、中身の濃い充実の一冊であるのは間違いない。
 最近になって霞が関の「埋蔵金」が話題になっているが、本書は50兆円の隠し資産があると具体的な数字を積み上げて指摘する。塩川正十郎・元財務相が「母屋(一般会計)でおかゆ、離れ(特別会計)ですき焼き」と称した一般会計と特別会計の実態を明らかにする。特別会計の「見えない資産」の活用を、国民に負担を求める前に徹底的に行う必要があると主張する。もう一つ興味深いのは道路公団の民営化に関する話である。道路公団は一般に債務超過とみなされることが多いが、高い高速料金に支えられ、実は約2兆円の資産超過だという。

 

2007年11月

パソコン創世「第3の神話」〜カウンター・カルチャーが育んだ夢〜
ジョン・マルコフ、服部桂訳、NTT出版、p.432、\2800

2007.11.30

 米Appleや米XeroxのPARCに関する書籍は山ほどあるが、本書はAltoやApple以前の歴史をたどったもの。帯に「パーソナル・コンピュータの本当の原点はここにあった」とあるが、的を射た表現である。AppleやPARCの物語ほどのワクワク感はないが、金儲けのためではなく技術的好奇心に駆られて突っ走った若者たちの熱気が感じられる良書である。筆者はニューヨーク・タイムズ紙の記者。Web版にも多くに記事を執筆しているので、ご存知の方も多いかもしれない。評者も大好きである。John Markoffの署名があれば必ず目を通しているほどだ。
 本書の主役は、マウスの発明者として知られるダグラス・エンゲルバート。1968年に学会で行ったデモは「全てのデモの母」と称されるが、パソコンやインターネット、Webの原型を、PARCでAltoが生まれる10年も前に予告したのは驚異的である。このデモに対する当時の驚きを本書はうまく伝えている。ちなみに、デモはWebで見ることができる(画質に難はあるが、ウィキペディアなどからたどっていける)。エンゲルバート以外の登場人物も多彩である。3次元グラフィックスの先駆者であるアイバン・サザランド、ハーパーテキストのテッド・ネルソンといった著名人だけではなく、熱い時代を支えた研究者たちを丹念に描いている。
 このほか、ヒッピー、学生運動、麻薬といった、シリコンバレーのサブカルチャーの雰囲気をうまく伝えているし、時代の先頭を走っていた技術者がいつの間にか保守化して、新しい技術に対する抵抗勢力になっていく様子も興味深い。

 

秀吉神話をくつがえす
藤田達生、講談社現代新書、p.276、\740

2007.11.27

 評者が子供のときに、豊臣秀吉は好きな偉人としてよく名前が挙がった。子供向けの伝記も多く出版されていた。王貞治やベーブルースといった伝記もあったが、最近はどうなのだろうか・・・。本書は、その秀吉の実像をあぶりだしたものである。「猿」というよく知られたあだ名にさえも疑問を呈している。本書が描く豊臣秀吉は、子供のころに植えつけられたイメージとは大きく異なっている。興味深い内容にあふれた新書である。
 実際の豊臣秀吉は、権力欲のために手段を選ばす、謀略によってライバルたちを蹴落とし、民衆に対しては圧制を敷く独裁者だったという。こうした人物像を、筆者は史料を追いながら明らかにしている。もちろん戦国時代の話なので、史料で完全に裏がとれるわけではない。不足する部分は推理を働かすわけだが、その論理がなかなか興味深い。  本書の主役はもちろん豊臣秀吉だが、織田信長や明智光秀、そして本能寺の変にいたるまでの過程についての考察も興味深い。秀吉が本能寺の変をあらかじめ想定していた可能性があるというのが筆者の見立てである。

 

移りゆく「教養」
苅部直、NTT出版、p.252、\2200

2007.11.22

 ほんとうの「教養」とは何かを問うた書。教養の現状、近代日本における教養、政治的教養について、教養と教育、などについて論じている。奥深いテーマなので当然ともいえるが、結局は大した結論が出ないのは、これまで数多く出ている類書と同じである。理科系的な思考パターンからすれば、この程度のことを書くのに200ページを超える紙面が必要だったのかとつい思ってしまう。
 本書は日本の<現代>シリーズの1冊。全18巻だが10冊目が出た後、しばらく発行が止まっていたが本書で再開したようだ。充実したシリーズだったので再開は喜ばしい(シリーズもので中断したまま再開しなかった例もある)。もっとも再開後の第1弾となる本書は、正直言って調子が悪い。いかにも学者(東大大学院教授)の手になる書で、議論をこねくり回している。「要するに何か」がなかなか明確に浮かび上がってこない。理解できない評者の頭が悪いのだろうが、売り物としては少々疑問を感じる。

 

ニュース・ジャンキー〜コカイン中毒よりもひどいスクープ中毒〜
『ジェイソン・レオポルド、青木玲・訳、亜紀書房、p.322、\2200

2007.11.20

 あきれるばかりの凄まじい経歴をもつジャーナリストの赤裸々な自叙伝。評者が同業ということを抜きにしても、本人が「ジェットコースター」と呼ぶアップダウンの激しい人生は実に面白い。アル中でコカイン中毒、さらに重窃盗罪で有罪判決といった経歴をもった筆者を雇ってしまう米国社会(雇ったのは米ダウ・ジョーンズ)の大雑把さや敗者復活を許容する懐の深さもすごい。このほか本書からは、米国のジャーナリズムにおける「主流派vs独立系」の闘いも読み取れ興味深い。
 筆者は、「ニュースを流す快感は何物にも替えがたい。唯一近いものがあるとしたら、コカインの最初のラインを吸ったときの、一切の不安が消え、世界征服もできそうな万能感だろう」としている。麻薬も特ダネも同じような高揚感をもたらすというわけだ。破滅型の人生は驚くべき内容だが、カリフォルニア州の電力危機やエンロン事件といった経済犯罪の真相に迫ったスクープもなかなかのものである。エンロン破綻後には、社長だったジェフ・スキリングへの最初のインタビューを実現し脚光を浴びた。2001年にはダウ・ジョーンズの年間ジャーナリスト賞を受賞している。取材先から真相を聞きだす手練手管には賛否両論があるかもしれないが、真相を追究しようとする筆者の意欲は評価に値する。

 

私の後藤田正晴
『私の後藤田正晴』編纂委員会、講談社、p.388、\1800

2007.11.15

 生前の後藤田正晴を関係者が振り返った書。中曽根康弘、村山富市、不破哲三、佐々淳行、筑紫哲也、岡本行夫、保阪正康、坂東英二など57人が名を連ねている。かなりバラエティに富んだ面子である。政治家、官僚、ジャーナリスト、学者、スポーツ関係者、タレントが、政治家、官房長官、官僚としての後藤田、さらには後藤田が考えた政治改革、憲法と自衛隊、日中関係について語っている。
 この手の本で悪口を書くわけにはいかないし、書き手が玉石混交なので期待せずに読み出したが、そこそこ面白い。「カミソリ」「護民官」「護憲派」「懐刀」「知恵袋」「危機管理のスペシャリスト」「ハト派」「右傾化への防波堤」「日本の良識」「含羞の人」などと称されナンバー2を貫いた後藤田の人間像や凄みをうまく浮かび上がらせている。もちろん書き手の品性の低さを感じさせたり、妙に書き慣れていて内実のなさを暴露しているような文章もあるが、それも愛嬌というものだろう。

 

裁判官の爆笑お言葉集
長嶺超輝、幻冬舎新書、p.219、\720

2007.11.12

 裁判官の法廷での発言を集めた書。生身の裁判官の人間性がよくでている。2ページで1話完結の読み切り形式をとっているので、暇つぶしに細切れで読み進むことができる。筆者は弁護士を目指し7回にわたって司法試験を受けたものの不合格を繰り返し、現在は仕事の合間に裁判を傍聴しているライター。
 タイトルからは薄っぺらな予断が生じるが、なかなかどうしてシッカリした本である。「爆笑」部分はむしろ少なく、人情話がはるかに多い。ちょっといい話が盛りだくさんで飽きさせない。「裁判官=世情を知らない非常識」といったワンパターンのイメージを利用した売らんかなのタイトルで損をしている書である。

 

文章のみがき方
辰濃和男、岩波新書、p.240、\780

2007.11.9

 天声人語を13年にわたって書き続けた筆者が、「いい文章」を書くためにの心がけを披露したもの。夏目漱石、向田邦子、よしもとばなな、村上春樹、太宰治、山口瞳といった面々のノウハウを引きながら持論を展開する。引用が適切で、「ちょっといい話」が多く楽しく読み進める。
 筆者は、気に入ったフレーズを書き抜くこと、繰り返し読むこと、辞書を手元におくこと、自慢話は書かないこと、単純・簡素に書くこと、具体性を大切にして書くこと、紋切型を避けること、文末に気を配ることなどなど、評者のような物書きにとって役立つヒントがふんだんに出てくる。前作「文章の書き方」とともに、若手記者にはぜひ読ませたい1冊である。もちろん、記者だけではなく文章を磨こうと考えている多くの方にとって大いに役立つ書である。

 

迷惑な進化〜病気の遺伝子はどこから来たのか
シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス著、矢野真千子訳、NHK出版、p.253、\1800

推薦! 2007.11.8

 第一級の科学啓蒙書である。進化医学研究者である筆者が、遺伝子や進化の謎について、実にわかりやすくユーモアたっぷりに論じている。遺伝子には、危機的環境を乗り越えてきた人類の歴史が刻まれているというのが進化医学の考え方。例えば糖尿病。糖尿病の人間は、17世紀に訪れた短い氷河期を、血糖値が高いことで生き延びた人類の子孫であることの証明だとする。さらに、鉄分を体内に溜め込む遺伝子をもった人間が増えたために(もたない人間は病気で倒れた)、ペスト禍を克服できたものの、その遺伝子が現代ではヘモクロトーシスという病気として人類を苦しめているという話も興味深い。
 本書を読むと、「細菌やウィルスはすべて悪者」というのが先入観だというのが分かる。人類と細菌/ウィルスは互いの利益になるように進化している。細菌やウィルスがいなければ、人類はサルから進化し得なかった。とりわけ興味深いのが「ジャンピング遺伝子」という仕組みである。ウィルスとの共同作業によって遺伝子が驚異的な速度で変異した結果、人間単独ではとても達成不可能な速さで複雑な生物に進化という。翻訳もこなれており、科学モノ好きだけではなく多くの方にお薦めできる1冊である。

 

真犯人〜グリコ・森永事件「最終報告」〜
森下香枝、朝日新聞社、p.299、\1300

2007.11.1

 週刊朝日に掲載されていた連載を単行本化したもの。発端は1984年(昭和59年)に起こった江崎グリコ社長誘拐事件。六甲の自宅に押し入り、入浴中の江崎社長を拉致するという奇怪な事件である。関西人の評者にとって、事件の舞台として選ばれたのがよく知った場所ばかりだったので、強く印象に残った。
 事件はその後、森永製菓、丸大食品、ハウス食品などへの脅迫事件に発展したが、特筆すべきは犯人がマスコミに送った犯行表明。かい人21面相と名乗り、警察を“おちょくる”内容の犯行表明を次から次へと送りつけた。「キツネ目の男」「コンビニの防犯ビデオにうつった男」「子どもの声による脅迫テープ」など登場人物や小物が多彩なうえに、警察の度重なる凡ミスが事件を迷宮入りさせたこともあり、時効後もノンフィクション・ライターの関心を引き続けている。
 週刊朝日の記者である筆者もグリコ・森永事件に惹きつけられた一人である。執念ともいえる取材で、ミッシング・ピースを拾い集めて犯人に迫っている(筆者なりに犯人を特定している)。日刊ゲンダイ記者、週刊文春記者を経て、朝日新聞に入社し週刊朝日記者という筆者の略歴をみても、事件好きなのは間違いなさそうだが、文章が粗い(特に前半)のが少々残念である。

 

2007年10月

緊急招集〜地下鉄サリン、救急医は見た〜
奥村徹、河出書房新社、p.221、\1600

2007.10.27

 こんな本があったんだと驚きをもって読んだ書。1995年3月20日朝に起こった地下鉄サリン事件。評者は通勤に丸の内線を使っていたが、当日の「霞ヶ関駅は通過します」という異様なアナウンスを今でも覚えている。本書は、この地下鉄サリン事件で多くの被害者が運び込まれた聖路加国際病院の救急医による臨場感あふれるドキュメントである。最初の被害者が運び込まれてから、事後の処理までを克明に描いている。筆者の書き口もよく、読み応え十分である。
 本書を読んで痛感するのが、日本の危機管理能力のなさと事件・事故に学ばない姿勢である。地下鉄サリン事件で諸外国は、化学兵器に対する危機管理のウエイクアップ・コールにしたにもかかわらず日本は十分に学んでいないと、筆者は指摘する。国民の健康や安全を驚くほど軽視している国の姿勢は、薬害エイズや薬害肝炎に通じるところである。国の姿勢に対する筆者の憤りは痛いほど伝わってくる。

 

白洲次郎〜占領を背負った男〜
北康利、講談社、p.404、\1800

2007.10.23

 エッセイスト・白洲和子の夫で、マッカーサーをはじめとするGHQ相手に渡り合い日本の政治や外交に大きな影響を及ぼした白洲次郎の評伝。吉田茂や近衛文麿との交流、サンフランシスコ講和条約時の官僚との対立、GHQ高官との丁々発止のやり取りと駆け引きなど興味深いエピソードが多い。「葬式無用、戒名不用」の名言を残して逝った、容姿も言動も日本人離れした快男子の物語なので楽しく読める。日本社会は今後、白洲のような人物を生み出せるのか考えてしまう内容である。何事につけ小賢しくなっている日本では、白洲のような人物を生み、人生を歩まさせるのは容易ではないだろう。
 数年前にブームになった白洲だが、その一端を担った書。帯によると第14回「山本七平賞」を受賞しているようだ。上梓された当時から気になっていたがブームの最中はかえって読む気が起こらず、今ごろになってようやく読了。本書から得た収穫の一つは、北康利という作家の存在を知ったこと。寡聞にして知らなかったのだが、他の作品を読んでみたい気にさせる書である。

 

分裂にっぽん〜中流層はどこへ〜
朝日新聞「分裂にっぽん」取材班、朝日新聞社、p.279、\1400

2007.10.17

 2006年2月から2007年4月にかけて朝日新聞に掲載された連載企画に基づいて編まれた書。小泉内閣の構造改革で進行した、日本社会の格差問題に焦点を当てている。朝日新聞らしい切り口だが、解決に向けた処方箋はつきなみだし、内容も総花的。読後感に物足りなさが残る。単行本化にあたって、さらなる書き込みを望みたかったところである。
 1年以上にわたる連載だけに、多角的な視点から日本社会の現状を切り取っている。高齢化が進み都営住宅への住み替えが進む高島平団地の現状、ホームレスや障害者、フリータ、教育格差、地方の問題、ワーキングプア、国外への逃亡をはかる富裕層といった話題を取り上げる。さらには取材を海外に広げ、中流層が崩れることがどういった影響を社会に与えるかを、米国を例に挙げて日本への警鐘としている。目新しいテーマは少ないが、丹念に現場を歩き裏づけをとった新聞らしい書として評価できる。

 

大本営参謀の情報戦記〜情報なき国家の悲劇〜
堀栄三、文春文庫、p.348、\514

2007.10.14

 日本陸軍の大本営で情報参謀を務め、戦後は自衛隊倒幕情報室長だった筆者が、実体験に基づき日本軍の情報音痴ぶりを書き綴った書。実に貴重な記録である。敵を外部(この場合は米国)ではなく内部(陸軍vs海軍)に求める内向きの態度など、今に通じる話が多く参考になる部分が多い。「日本人はどうも持久、遅退、防御が不似合いの性格」というフレーズを読むと、1点を守りきれない日本サッカーを思いこさせる。記述に繰り返しが多いのが少し気になるが、一読に値する良書である。
 このコラムで取り上げた「日本軍のインテリジェンス〜なぜ情報が活かされないのか」など、日本軍における情報センスの構造的欠陥を取り上げた類書は多いが、当事者が反省を込めて書いているところが本書の最大の特徴となっている。前書きで「実体験を失敗や錯誤も包み隠さず紹介」と述べているが、その通りの内容である。「日本軍のインテリジェンス」では、三つの問題点「作戦重視、情報軽視」「長期的視野の欠如」「セクショナリズム」を挙げていたが、本書にはそれを裏書きする具体例が記述されている。山下奉文の素顔や権力の椅子を欲しがって政治に狂奔する軍人の様子など、サイドストーリーもなかなか読ませる。
 「情報は常に作戦に先行しなければばらない」と主張する筆者の堀は、米軍の行動パターンを詳細に分析し、どのような手を打つかを次々に的中させた実績をもつ。米軍の攻撃パターンをまとめた「敵軍戦法早わかり」という小冊子を作り、米軍の迎撃に貢献した。

 

ウェブ社会をどう生きるか
西垣通、岩波新書、p.182、\700

2007.10.11

 旬を過ぎた感のあるコンピュータ学者・西垣通が、Web2.0をはじめとするネット社会を論評した書。梅田望夫の「ウェブ進化論」への対抗心が如実に出ているところなど、世代間論争の様相もある。実際、Web2.0の主張に対し、「中高年を押しのけようとする排除意識・年齢差別意識」を感じると、世代間闘争であることを西垣自身が述べている。
 全体に学者らしい理屈をこねているが、論点はさして目新しくない。西垣の主張は、ネット検索が人間の思考力を衰えさせ「一過性的な主張に人々を同調させてしまう恐れがある」というもの。Googleに見られるような「集合知」を無批判に持ち上げることに疑問を呈している。またWeb礼賛は、年齢差別や能力差別の面があり、Web2.0関連企業のビジネス戦略を見定めなて上手に対処しないと、かえって格差が拡大されていく恐れも大きいと主張する。

 

打たれ強く生きる
城山三郎、日本経済新聞社、p.229、\1000

推薦!2007.10.9

 休暇中に読むために本棚から引っ張り出した書。今年3月に亡くなった城山三郎のエッセイ集である。奥付をみると出版は1985年。すいぶん前に読んだ本だが、驚くほど記憶に残っている。文庫になっているのでお薦めしたい。
 城山と交流のあった経営者の話が中心だが、それぞれの生一本な生き様がとてもいい。小賢しい馬鹿げた話が多い中で、清涼剤のような本である。もちろん20年以上も前に出版された本なので、登場人物は本田宗一郎や山下俊彦、中山素平、岩田弐夫、稲葉秀三と時代を感じさせる。堤義明の評価は当時と現在では180度異なっているが、それは仕方がないだろう。鈴木健二やレオナルド熊、桂枝雀といった懐かしい名前も出てくるが、古さを全く感じさせない珠玉の警句を満載している。「ぼちぼちが一番」「静かに行く者は健やかに行く。健やかに行く者は遠くまで行く」「奇道は王道にかなわない」「乱反射をする友人をもて」は好きなフレーズである。

 

構造改革の真実〜竹中平蔵大臣日誌〜
竹中平蔵、日本経済新聞社、p.344、\1800

2007.10.5

 小泉改革における政策立案と遂行過程が、当事者の竹中平蔵によって語られた回顧録。若干、自画自賛臭さが気になるが貴重な記録である。
 本書では、自民党や野党、官僚といった抵抗勢力とのつばぜり合いが、生々しく綴られている。官僚の無謬神話と小賢しい抵抗、政治家の訳のわからない行動にはあきれさせられる。ちなみにマスコミも視野の狭く主張が大きくブレる抵抗勢力の一員として扱われている。
 大学教授から民間大臣として就任した竹中のしたたかさには驚かされる。評者が竹中の名前を知ったのは「日米摩擦の経済学」(日本経済新聞)だが、切れ味のよさは感じたがタフ・ネゴシーエータの資質があるとは思わなかった。変人・小泉を後ろ盾にして、持論を展開する様子を本書で詳細に披露している。それにしても小泉の変人ぶりは際立っている。竹中は本書で、金融改革、郵政民営化、経済財政諮問会議に多くのページを割いているが、もうすっかり昔の話である。金融改革と郵政民営化はともかく、経済財政諮問会議はもはや形骸化の道をひた走っている。

 

広告の迷走―企業価値を高める広告クリエイティブを求めて
梶祐輔、宣伝会議、p.250、\2000

2007.10.2

 電通などで広告クリエイタとして長らく活躍した筆者が、TV広告や新聞広告の現状に物申した書。2001年に出版された本なので、インターネット広告などについては内容が甘いが、危機的な状況にあるTV・新聞広告に関する批評は今でも十分通用する。広告にとどまらない広がりを持っており、読み応えのある1冊である。目次を並べると、本書の指向するところがよくわかる。
・「商品を売るのが広告」という偏見と誤解
・「企業イメージ」という考え方の曖昧さ
・「商品に差はない」という広告の思い上がり
・テレビCMの「有名タレント依存症」
・「農耕民族」の座に安住した新聞広告
・新しい新聞広告の登場がおそすぎた
・ブランドについての問題意識がなかった
・広告新時代の全貌が見えていない
 「騒々しく華やかなだけど、まことに幼稚で子どもっぽい」「日本の広告はこの半世紀のあいだに幼形成熟してしまった」「目先のことしか考えていない。アマタのなかに思い描いているのは販売戦略もしくは営業戦略との緊密な連動だけ。企業の長期的な経営戦略から見ると、いたるところにチグハグや見当違いが目立つ」という状況は今も変わらない。心にグサリと刺さる表現もある。広告とマーケティングの世界では、一種の「エンジニア侮蔑の思想」がひたひたと流れているのではないかと感じる・・・。うううん

 

2007年9月

生物と無生物のあいだ
福岡伸一、講談社現代新書、p.285、\740

2007.9.30

 分子生物学者の福岡伸一が、「生命とは何か」についてわかりやすく説いた書。学者たちのエピソードも多く、新書らしい新書である。生物学者の本というと思い出すのが岡田節人の「試験管のなかの生命」(岩波新書)。生物学の面白さに非常に感銘を受けた記憶があるが、本書も負けず劣らずである。もっとも、表紙にある「読み出したら止まらない極上の科学ミステリー」というのは少し大げさだが・・・
 筆者の米ロックフェラー大学留学時代の話や、同じ大学の研究者だった野口英世の実像を導入部で紹介して、読者をぐっと引き付けるあたりはさすがである。さらにDNAのラセン構造の発見を巡る研究者たちの人間模様を描いて大いに盛り上げる。DNAラセン構造では3人の研究者にノーベル医学生理学賞を与えられた。しかし裏には、ライバル研究者が書いた未発表の報告書を盗み見るというルール違反があったことを明らかにする。
 快調に飛ばす前半から中盤だが、終盤は専門性が高くなる。読みこなすには少々骨が折れるだろう(少なくとも評者は集中力が切れてしまった)。ベストセラーになっている本だが、どれだけの読者が最後まですんなり読み通せたのか気になるところである。

 

原発ジプシー
堀江邦夫、講談社文庫、p.387、¥540

2007.9.26

 ジャーナリストの堀江邦夫が、美浜と福島第二、敦賀の3カ所で7カ月にわたって作業員となり、原子力発電所のメンテナンス現場に潜り込んだルポルタージュ。メンテナンスといっても、ほとんどは“掃除”だが、読んでいるこちらも息苦しくなるような話が続々と登場する。筆者が言うところの「死と隣り合わせ」という表現も十分納得できる。作業の過酷さ、被爆による健康への不安、安い時給(日給5000円〜6000円)とピンはねの構造、杜撰な管理の実態、電力会社と下請けの理不尽な関係を余すところなく描いている。手順無視、安全教育の形骸化など、現場に根ざした話だけに説得力をもって読み手に迫ってくる。作業効率が優先され、安全無視、下請け切捨てという姿勢は、東海村での臨界事故に通じる話である。
 ほぼ30年前に出版された本なので、現状とは必ずしも一致しないかもしれない。逆に30年前と同じ状況が続いているようなら、それはそれで大問題である。文庫の作者紹介にはジャーナリストとなっているが、堀江の名前はほとんど聞かない。体を張った取材は貴重なので、消息を知りたいし、本書の内容をアップデートしたルポを期待したいところである。この取材がもとで、体を壊したのだろうか・・・。

 

僕はパパを殺すことに決めた〜奈良エリート少年自宅放火事件の真実〜
草薙厚子、講談社、p.253、\1500

2007.9.24

 2006年6月に奈良県の進学高校1年生が自宅に放火し、母親と弟妹が焼死した事件。その供述調書をもとに構成されたのが本書である。警察と検察が非公開である供述調書の内容を漏えいしたとして、著者と鑑定医の自宅を捜索するなど大騒ぎになっている。東京法務局が筆者と出版元・講談社に販売中止を求めたり、一部の図書館では閲覧を禁止していることなどによって、Amazonの古書マーケットでは定価の4倍程度の価格が提示されている(8月24日現在)。講談社のサイトでは「在庫切れ」と表示される。
 本書の違法性については判断材料が少ないので何とも言えないが、「なぜ?」という疑問に対してジャーナリストとして正直でありたいとするなら、上梓されても不思議ではない書である。報道する価値はそれなりに感じられる。新聞や週刊誌では知りえない、母親と弟妹殺害にいたる経緯が詳細に供述されている。供述調書というものを本格的に読んだのは初めてだが、その完成度に高さには正直言って驚かされる。著者のコメントは添え物に過ぎないのが本書の特徴である。
 子どもをもつ親としては、ズシンとくる考えさせられる内容を数多く含んでいる。確かに父親にとっては辛い内容が多く含まれているが、逆に亡くなった継母の名誉回復はなされている。言論の自由とプライバシ保護の境界線にある書だろう。

 

ウィキノミクス〜マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ〜
ドン・タプスコット、アンソニー・D・ウィリアムズ、井口耕二・訳、日経BP社、\2400

2007.9.20

 Webコンテンツ管理システム「Wiki」が生み出す共有とコラボレーションのインターネット文化に迫った書。インターネットが生んだ新しいライフ・スタイルやビジネス・スタイルを豊富な事例をもとに紹介している。現在進行形で起こっている企業や社会の変化をざっと知ることのできる良書である。  ウィキノミクスの特長として筆者は「オープン性」「ピアリング」「共有」「グローバルな行動」の四つを挙げる。ピアリングとは、人と人がゆるやかにつながることを意味する。本書は四つの要素について具体例を挙げつつ、その実際を明らかにする。取り上げているのはLinuxをはじめとするオープンソース・ソサエティのほか、有名企業での事例が多数登場する。例えばカナダの鉱業会社ゴールドコープ(門外不出の地質データをオープンにして英知を集め、金鉱を掘り当て優良企業に変身した)、米IBM、米P&G(今や製品開発構想の45%が社外のアイデア)、ドイツのメルク(遺伝子情報をオープンにして、バイオ・ベンチャー企業の特許取得を阻む)、英国のBBCなど。いずれも興味深い内容である。
 ウィキノミクスが本領を発揮できるのは製造ではなく研究開発の領域である。研究から製品・サービスに至るプロセスは従来、途中でフィードバックがかからないリニアモデルという一方通行のプロセスだった(ソフトウェア開発ならウォーターフォールモデルとなる)。一方でウィキノミクスでは、研究・開発の途中でどんどんネットワークを介してフィードバックがかかる(ソフトウェア開発でいえばアジャイル)。顧客や先進ユーザーを製品開発プロセスに巻き込む形態である。
 ちなみにウィキノミクスの成功例として日本の企業は登場しない。ウィキノミクスは日本企業の得意技を生かしづらいスタイルといえよう。この書評で取り上げた「能力開発競争」で藤本は、日本企業の強さを製造・生産における「設計情報の転写」能力に見ている。ところがインターネットでは転写ほどたやすいものはないし、技術もコストもいらない。日本企業の強みを発揮しづらい環境なのは間違いないところだろう。

 

官邸崩壊〜安倍政権瞑想の1年〜
上杉隆、新潮社、p.236、\1400

2007.9.17

 安倍辞職後、朝日新聞の朝刊が海外メディアの論評を取り上げていた。いずれも朝日新聞らしく辛らつなものが多かったが、そのなかにイタリアのレプブリカの報道が含まれていた。同紙は、「前任者がもたらした進歩をすべて無駄にした」と酷評するとともに、「若い才能と目されていたのに、彼の政府はへまと素人的振る舞いにさいなまれていた」とした。この「へまと素人的振る舞い」を余すところなく暴いたのが本書である。坂道を転げ落ちるような軌跡をたどった安倍政権のこの1年を追った“トホホ”な記録である。いろいろな意味で歴史的な内閣だったので、頭の片隅に刻んでおくためにも一読をお薦めする。
 本書は、7月末の参議院選挙で自民党が記録的惨敗を喫した直後に出版された。安倍政権が長くないことを見越して出版計画が立てられたのは想像に難くない。もちろん所信表明後の安倍退陣は想定外だが、狙いはドンピシャ当たった。本書は安倍官邸(中心人物は官房長官の塩崎恭久、広報担当補佐官の世耕弘成、秘書官の井上義行)の迷走ぶりと、その中でどんどん孤立感を深めていく安倍の様子を詳細に描いている。日ごろの取材メモを活用して短期間にまとめた感じで、若干粗さが残るが「早さで勝負」の戦略はピッタリ当たった。

 

能力構築競争〜日本の自動車産業はなぜ強いのか〜
藤本隆宏、中公新書、p.406、\960

2007.9.14

 トヨタ自動車をはじめとする国内自動車産業における製造現場の強さを、「能力開発競争」という切り口で解き明かそうとした書。以前、半分くらい読んだものの、途中で飽きてしまい放り出してしまった(400ページもある)。今年のトヨタの生産台数は米GMを抜き世界一位になる。そこで中途半端を反省して、改めて最初から読み直し。4年の歳月を経てやっと読了。  製造現場の要諦は「設計情報の転写」能力にあると、藤本は指摘する。「製品=情報+媒体(メディア)」であり、転写の難しいメディアを扱う場合に日本の産業は強みを発揮する。書き込みにくく劣化しない素材に、苦労して設計情報を転写する能力を現場起点で蓄積しているところを高く評価している。
 残念ながら本書は、「能力開発競争」というキーワードで全編を通して一気通貫の議論が展開されていないが、それを差し引いても、よく出来た新書である。製造現場の強さに比べた場合の戦略構想力の弱さや、過去の成功体験からくる「組織の慣性」によって能力の過剰蓄積が起こり「過剰設計」につながっている点などを的確に指摘している。
 本書を読んで感じるのは、製造力の強さに比べた設計力・開発力・着想力である。製造に関してはトヨタ生産システム(TPS)がつとに有名だが、米AppleのiPodやiPhone、ネット・ビジネスなどをみると、設計能力や開発力、着想力のひ弱さが気にかかるところである。

 

なぜ無責任な建築と都市をつくる社会が続くのか
中ア隆司、彰国社、p.187、\1600

2007.9.6

 京都の建築規制(高さ規制や屋外広告規制、軒先規制なんてものもある)の話に触発されて購入した本。正直言って失敗だった。根拠のないエリート意識が強く感じられる本である。レベルの低い人間に建築はわからないというのが、建築ジャーナリストである著者の主張のようだが、「建築ジャーナリストや建築家って、そんなに偉いのか」と突っ込みを入れたくなる。

 

Where Have All The Leaders Gone?
Lee Iacocca, Catherine Whitney、Scribner、p.274、$25

2007.9.3

 リー・アイアコッカのリーダー論。アイアコッカというと自動車業界の名経営者である。米フォード時代にMustang開発で名をはせ、クライスラー会長に転じてからは業績不振だった同社を立て直したことで名高い。かつて執筆した「アイアコッカ―わが闘魂の経営」はかつてのベストセラーである。引退から時間がたち過去の人となった感があったが、新刊の本書がBusinessWeekのベストセラー欄で長期にわたってベスト10入りしている。年齢は80歳を超えているが、十分に存在感を示している。本書は判型が小さいうえにフォントが大きいので、短時間に読み終えることができる。またハードカバーの原書にしては、かさばらないので通勤で読むときに好都合である。
 本書はリーダー論だが、じっくり持論を展開しているというより、若干雑駁なエッセイ風に仕上がっている。アイアコッカはリーダーには九つの“C”が重要だと主張する。Curiosity、Creative、Communication、Character、Courage、Conviction、Charisma、Competent、Commonsenseである。個々に説明を加えているが、いずれも納得できる内容である。もっともアイアコッカの基準に照らすと、とうてい合格レベルに達しないリーダーがほとんどということになる。
 本書は全体に、2008年に控えた米国大統領選を強く意識した内容になっている。とりわけ反ブッシュ色を鮮明に打ち出している。ちなみにアイアコッカが評価する大統領は、ルーズベルト、トルーマン、レーガン、クリントンの4人である。このほかベンツによるクライスラー買収や日本企業/社会に対しては極めて批判的な記述が並ぶ。自分が会長を務めた会社が吸収され、現役時代に日米摩擦があっただけに、いずれも仕方がないが・・・。

 

2007年8月

ベック剣士の激辛批評〜誤訳、悪訳、欠陥訳
別宮貞徳、バベル・プレス、p.230、\2200

2007.8.28

 全編、翻訳に関する罵詈雑言であふれている書。上智大学の元教授で翻訳家の別宮貞徳が、ちまたにあふれる誤訳・悪訳・欠陥訳をバッサバッサと切り捨てている。痛快。10数年前に発行された本だが、あまり古さを感じさせない。けっこう有名な作家にも容赦のない鉄槌を下している。著名な作家だからといって、翻訳に秀でている訳ではないのは当然のことだが・・・。
 本書では、翻訳と原文、著者による試訳を併記して、誤訳・悪訳・欠陥訳がどのようなものかを具体的に明らかにしている。翻訳口調という言葉があるように、翻訳の文体にはある種の“臭さ”がつきまとう。読みづらい翻訳書も多いが、それでも名著だと「理解できないのは自分のせい。学生のときに勉強しておけばよかった」と反省しつつ読み続けることになる。本書を読めば、理解できないのは読者のせいではなく、翻訳のためだということが分かる。
 秀抜なのは入試問題の英文和訳を扱った章。選択肢の日本語が支離滅裂、言語道断なのを指弾する(まさに指弾という感じである)。驚くべき入試と大学教授の実態を明らかにしている。

 

靖国戦後秘史〜A級戦犯を合祀した男〜
毎日新聞「靖国」取材班、毎日新聞社、p.247、\1500

推薦!2007.8.26

 夏になると騒がれる靖国神社。根源にはA級戦犯の合祀問題が存在する。本書が明らかにしているのは、その靖国神社の戦後裏面史である。合祀に慎重だったと筑波藤麿宮司と合祀を秘密裏に実行した松平永芳宮司の人物像を描くとともに、政治に翻弄される様子を克明に追っている。
 A級戦犯を合祀した松平宮司は越前藩主・松平春嶽の孫だが、一般人(軍人や社会人)としては必ずしも恵まれた人生とはいえなかった。むしろ地味で裏方の人生を歩んだといえる。その松平氏が靖国神社におけるお家騒ぎに乗じて宮司に就任し、「憲法の否定や東京裁判の根源をたたく」という個人的な歴史観を宣伝するためというのが、合祀問題の根源である。何とも驚きだ。この松平宮司と対比されるのが、靖国神社が戦後スタートしたときに宮司に就いた旧皇族出身の筑波氏。厚生省援護局からのプレッシャにもめげず、リベラルなスタンスでA級戦犯の合祀問題に対処した。
 本書を読むと、靖国神社や神道界について、どれだけ無知だったかを痛感させられるし、2006年に日本経済新聞がスクープした冨田メモに出てくる天皇の言葉の含意を知ることもができる。靖国神社の最高意思決定機関・崇敬総代会の内容を初めて公にするなど良質で新鮮な情報が多い優れものの一冊である。一読をお薦めする。

 

環境問題のウソ
池田清彦、ちくまプリマー新書、p.167、\760

2007.8.25

 生物学者の早稲田大学教授が、巷間言われている「環境の危機」のウソとデタラメさを解説した書。悪者は針小棒大でスキャンダラスな報道に流れるマスコミ、利権拡大に狂奔する官僚と官庁、カネに群がる企業ということになる。やや牽強付会的な論理構成が目に付くが、こういう見かたもあると知ることには意味があるだろう。
 槍玉に挙がっているのは地球温暖化、ダイオキシン問題、外来種と生態系問題、自然保護問題(昆虫採集禁止問題)である。地球温暖化にかなりのページを割いているが、この部分が筆者の専門分野でないところが本書全体の勢いを弱くしている(ちなみに2番目のダイオキシンも専門外)。読者を引き付ける意味でこうした構成になっているのだろうが、論考のキモの部分が他人の書物からの借り物というのは少々辛いところだろう。

 

渡邉恒雄回顧録
御厨貴・監修聞き手、伊藤隆、飯尾潤・聞き手、中公文庫、p.717、\1238

2007.8.23

 ご存知、読売新聞会長兼主筆の渡邉恒雄に自分史を語らせたオーラル・ヒストリ。子ども時代の話、召集令状、東大哲学科入学、共産党入党、読売新聞社入社から現在までを振り返ったもの。1998年に行われたインタビューが基になっている。そのため、インターネットの解釈(新聞の凋落)や小渕政権までしかカバーできていないところに古さを感じる部分もある。
 渡邉恒雄というと、ジャーナリストというよりも読売ジャイアンツのオーナーとして見せた“頑迷・強硬な”経営者の側面に目が行きがちである。渡邉自身が「生涯ジャーナリストでいたい」と本書で語っているたり、主筆という読売新聞での立場に違和感を覚える方もいらっしゃるだろう。本書でつぶさに開陳されている、政治記者として活躍した時代の渡邉の行状を読むと、その違和感はさらに拡大する。本来なら政治を客観的に報道する立場の記者が、政局の当事者として行動した様子が生々しく証言されているからだ(もちろん都合の悪い話については黙っているだろう)。
 中曽根の政策決定への関与など、自民党政治の意思決定過程を詳細に明らかにしているところと、政治家に対する人物評が本書の最大の特徴である。聞き手の御厨貴があとがきで書いているように、表の歴史に対する“補助線”の役割を見事に果たしている。本欄で紹介した「表舞台 裏舞台〜福本邦雄回顧録」と併せて読むと、竹下政権時代の政治の裏側が浮かび上がってくる。

 

マングローブ〜テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実
西岡研介、講談社、p.348、\1600

2007.8.14

 13年前、週刊文春がキヨスクで販売されなくなるという事件が起こった(中吊り広告も姿を消した)。ノンフィクション作家・小林峻一の「JR東日本に巣くう妖怪」という記事に対してJR東日本キヨスクがとった言論封殺事件である。この件は評者の記憶に強く残っているが、本書はその続編ともいえる。神戸新聞、噂の真相、週刊文春を経て、現在は週刊現代の記者である筆者が、革マル派の活動家と目される松崎明に私物化され、革マル派に牛耳られるJR東日本の実態に切り込んでいる。
 本書は、2006年夏から週刊現代で掲載された記事を単行本化したものである。掲載当時から話題を呼んでいたが、単行本になると事態の深刻さがひしひしと伝わってくる。JR東日本の問題は、松崎の組合費の流用、会社と組合の癒着、JR東日本幹部の保身がその根源にあることを本書は丹念な取材で明らかにする。そこに公安警察からの天下りと癒着が絡まり複雑な様相を呈している。まさにメチャクチャである。会社と組合の確執なら勝手にやってくれと済ますことも可能だが、問題はJR東日本の乗客が人質にとられていること。安全無視で組合や会社の都合を最優先する体質は実に深刻である。

 

あのころの未来〜星新一の預言
最相葉月、新潮文庫、p.340、\514

2007.8.6

 星新一といえば「ボッコちゃん」をはじめとするショートショートが思い出される。30年ほど前にずいぶん読んだが、残念ながら内容はほとんど忘れてしまった。しかしウィットとペーソスにあふれ、短いなかに寸鉄人を刺す鋭さを秘めていたという印象が強く残っている。本書は、「絶対音感」「青いバラ」などで知られるノンフィクション作家・最相葉月が星の作品を引用しながら自らの意見を紹介しているエッセイ集。最相は今年になって「星新一 一〇〇一話をつくった人」を上梓したが、本書はその先駆けともいえるもの。2003年に単行本として出版され、現在は文庫本も入手できる。
 読めば読むほど、星の偉大さがよくわかる。その作品は優れた社会批評になっている。陳腐化しておらず、現在でも十分に通用する内容である。セキュリティ、プライバシ、生命科学、ネットワークなどカバーする範囲は実に広く、クスっとした笑いのなかに鋭い警句が含まれている(本書で取り上げられていること自体、秀逸な作品ということを意味しているが・・・)。シュートショートを読み返したくなる気分にさせられる本である。

 

松岡利勝と「美しい日本」
長谷川煕、朝日新聞社、p.170、\1200

2007.8.4

 筆者は元・朝日新聞/アエラ記者で現在はフリー・ジャーナリストだが、最近はアエラでの執筆が目立っている。評者も気に入っているジャーナリストの一人である。本書は、たぶん参院選に間に合わせるために、かなり急いで出版されたもの。松岡利勝が現職大臣のまま自殺した後、朝日新聞から執筆を依頼されたことを筆者自身があとがきで明かしている。
 本書は松岡に初めて会った1988年以来、20年にわたる取材を基に書き下ろしたノンフィクションである。アエラ誌上で読んだ覚えのあるエピソードがかなり出てくるのは、緊急出版のため仕方がないところだろう。ただ、文章の粗さが少々目立つ。雑誌ならインパクト優先なのですっと読めるところでも、単行本となると論理が少し飛躍するととても気になってしまう(これは評者の商業病である)。
 読者がタイトルから期待するものを裏切らない出来である。松岡利勝という疑惑とカネ、利権まみれの政治家を軸に、日本の農政の問題点を浮き彫りにしている。デタラメが横行する農水省、族議員、官や政と癒着する業界(特にBSE騒ぎでクローズアップされた食肉業界に1章を割く)。読めば読むほど、胸クソが悪くなる。ただアエラに掲載時と異なり、実名の割合が少なくなってしまっているのが残念。迫力を欠く結果を招いている。

 

反転〜闇社会の守護神と呼ばれて
田中森一、幻冬舎、p.410、\1700

推薦! 2007.8.3

 日本の裏社会の人物像を垣間見ることができる、夏休みにお薦めの1冊である。400ページを超える本だが、読みやすいので意外にすんなり最後のページまで行き着く。著者は裏社会の弁護士としてつとに知られている人物。石原産業事件で詐欺容疑に問われ有罪判決(現在、最高裁に上告中)を受けているので記憶している方もいるかもしれない。特捜検事から弁護士に転じ、裏社会の人物たちの弁護を務めた。
 著者・田中森一は長崎県平戸出身で定時制高校・予備校夜間部を経て岡山大学に入学。苦学して司法試験に合格し裁判官を志すが果たせず。検事になり大阪や東京の地検特捜部で活躍した。平和相互銀行不正融資事件(例の金屏風が登場)、三菱重工CB事件、撚糸工連汚職など、今でも記憶に残る事件を手がけた。これらの事件で、どのようにして被疑者を自供に追い込んでいったかを克明に記しているし、政治や検察上層部からどのように圧力を加えられたかを実名を記している。結局、上司と衝突し嫌気がさして辞職にいたる。
 弁護士事務所を大阪で開業してからは、裏街道の人物や企業から顧問契約が続々舞い込み、月収1000万円といった状態に。7億円のヘリコプターを購入し、平戸に凱旋する話など少し笑える。折からのバブルもあり、成金たちと関わりをもつようになる。本書では、彼らの金まみれの生態について醒めた目で書き込んでいる。本書の最大の特徴は、政治家、役人、暴力団、地上げ屋などが、実名でばんばん登場するところである。「おいおい大丈夫か?」といった記述も多い。ちなみに「主な黒い人脈」として渡辺芳則(山口組組長)、宅見勝(山口組の若者頭)、許永中、伊藤寿永光、安倍晋太郎、竹下登が挙がっている。中曽根や三塚、京唄子、横山ノックといった面々も少々不名誉な形で登場する。実名の迫力を痛感する1冊である。

 

2007年7月

きものという農業〜大地からきものを作り人たち
中谷比佐子、三五館、p.195、\1500

2007.7.28

 着物を日常的に愛好する筆者が、絹や綿(棉)、麻など天然繊維についての薀蓄を披露した書。天然繊維は詳しく調べたことがない不案内な領域なので、「ヘ〜」という内容満載である。この手の本にありがちな牽強付会的な、押し付けがましい表現が少ないのがよい。麻や綿なども取り上げているが、筆者が最も力を入れて解説しているのが絹である。特に養蚕については思い入れが感じられる。
 もっとも知的好奇心を刺激されて、さらに探求していこうというだけの魅力は感じない。筆力不足のせいなのか、評者の感覚の鈍さのせいなのか・・・

 

言語学者が政治家を丸裸にする
東照二、文芸春秋、p.270、\1619

推薦! 2007.7.26

 「政治的な雪崩を起こすのは、書かれたことばではなく、話されることばの魔力だけだ」。本書で筆者が取り上げている格言(ヒトラーだったと記憶する)だが、その言葉の魔力を定量的に分析した書である。2冊連続で「推薦」を付けてしまったが、この本は文句なく面白い。筆者は立命館大学教授で言語学者。小泉純一郎と安倍晋三を中心に、国会での所信表明演説や国会答弁、街頭演説、記者会見、ぶら下がり取材での発言を詳細に分析して、政治家としてのスタンスを議論している。
 議論の対象は、スピーチの内容ではなく、あくまで語尾を中心にした表現の仕方。表現の仕方を定量的に分析することで、政治家の比較に説得力をもたらしている。章立てを見ると、「小泉純一郎の魔術」「安倍晋三の馬脚」「麻生太郎の『だぜ』」「小澤一郎の継承」「田中角栄の革命」と続く。筆者の政治家に対するコメントはなかなか辛らつである。
 筆者が評価するのは、緊張と緩和、オンとオフのあいだを自由自在に行き来するスピーチである。その点で、情緒中心の小泉や田中角栄に高い評価を与える。逆に情報中心で生真面目な安倍への評価は低い。安倍に対しては「あまりにも陳腐」「美しい国を主張するのに、意味のわからないカタカナ語を多用」「そつなき勉強家」といった評価を書き連ねている。ちなみに政治家のスピーチが、一般人のプレゼンテーションに役立つ内容が含まれているかというと少々疑問である。BusinessWeekが、Steve JobsのiPhone発表にみるプレゼンテーションの奥義5カ条を掲載しているがこちらの方が役立つ。参考のため掲げると、
 第1は徐々にテンションを高める。序破急ということか
 第2は1枚のスライドには一つのメッセージだけを書く
 第3は声のトーンを変える。ここも序破急
 第4はリハーサルを十分に行う
 第5は自社の製品やサービスを信じきること

 

浮谷東次郎〜速すぎた男のドキュメント
岩崎呉夫、三樹書房、p.228、\1500

推薦! 2007.7.24

 40年前、こんな素敵な人生を歩んだ青年がいたんだと感心させられる書。かなり前に雑誌サライで紹介されたときから気になっていたが、やっと入手。誤字があったり、文章が粗かったりと、本としての出来はイマイチ高くないが、それらを補って余りある浮谷東次郎の人生が本書の価値を高めている。大手出版社でないので入手が容易とはいえないが、若い人に是非読んでもらいたい本である。
 浮谷東次郎といっても、ほとんどの方は知らないだろう。生沢徹などと競い合った有名なレーサーである。鈴鹿サーキットでの練習中に事故死した(原因についても本書は明らかにしている)。享年23歳。その“速さ”は伝説となっている。本田宗一郎と交流があり、その息子・博俊と無二の親友だったとは本書で初めて知った。本田博俊は前書きに浮谷東次郎に対する惜別の辞を寄せている。
 人も社会も活力にあふれていた時代を反映したような人生である。浮谷東次郎が生まれたのは昭和17年。父親の影響で幼いときから、バイクなどモータースポーツに親しんでいる。何と中学生時代に東京-大阪間をバイクで旅行し、そのとき出版した手記「がむしゃら1500キロ―わが青春の門出」は文庫になっているほど文才にも恵まれた。18歳のときに米国に留学。帰国後、カーレーサーとして歩み始める。本書には、浮谷東次郎の写真が多く掲載されているが、その屈託ない笑顔は古き良き日本を感じさせる。そして大胆不敵な行動力と浮谷東次郎の童顔のギャップはすさまじい。

 

となりのクレーマー〜「苦情を言う人」との交渉術
関根眞一、中公新書ラクレ、p.198、\720

2007.7.21

 このところ増えている顧客のクレーム対応に関する本。筆者は西武百貨店でお客様相談室長などを務め、現在はコンサルタント業を営む。「苦情学」という本もある。1300件以上の体験とその知見に基づいて本書を著したという。本書評では「ヤクザが店にやってきた」や「社長をだせ! 実録クラームとの死闘」を取り上げたが、これらの本と比べると線が細い感がある。
 筆者のキャリアに裏づけられた百貨店関連のクレーム処理に多くのページが割かれているが、読み応えがあるのは歯医者や病院に対する苦情処理の話。知られざる世界なので、実に興味深い内容になっている。ちなみに筆者はメデュケーションという会社を設立している。歯科医院運営における安全性を重視した出版、院内マニュアルなどの作成を業務とする会社なので、これらの分野の記述が充実しているのも頷ける。

 

外注される戦争〜民間軍事会社の正体
菅原出、草思社、p.261、\1600

2007.7.19

 民間軍事会社(PMC:Private Military Company)の実体について、幹部へのインタビューや訓練に参加した実体験に基づいて書かれたルポルタージュ。筆者はフリーのジャーナリストを経て、現在は日本財団傘下の東京財団でフェローを務める菅原出。安全保障の専門家ということになっている。興味深い内容が多く、楽しく読める。ただし、この書評で以前取り上げた「戦争広告代理店」(講談社)や「戦争請負会社」(NHK出版)と比較するとインパクトに欠ける面がある。
 それにしても“軍事”の民間委託はすさまじい。実際に戦闘に参加する傭兵的な活動は下火になっているようだが、人質解放交渉サービス、捕虜の尋問、軍隊やジャーナリスト向けの訓練、物流、給食まで、その影響力は広まっている。競争原理が働いて至れり尽くせりのメニューをそろえており、「民間のほうがより実践的で応用的な戦闘技術を学べる」というのが現状である。財政難の政府(軍隊)ではとても太刀打ちできない。
 政府を食い物にするデタラメな民間軍事会社の実態も、イラク戦争を例に明らかにしている。ニューヨーク・タイムズなどのマスコミを巧妙に操作して「フセイン大量破壊兵器」神話を作り上げる過程にも迫っている。東京ドーム90個分の敷地に訓練場を作って、さまざまな実践的セキュリティ訓練や軍事訓練を米国政府に提供している民間軍事会社の話も凄い。筆者自身が参加したジャーナリスト向けのセキュリティ訓練のレポートは読み応え十分である。

 

表舞台 裏舞台〜福本邦雄回顧録
講談社、p.299、\1800

推薦! 2007.7.12

 福本邦雄というと、政商や政界のフィクサというイメージがある。竹下登の金屏風事件で名前が出てきたし、イトマン事件に絡んだKBS京都の社長だったり、銀座の画商というのも雰囲気満点。その福本へのインタビューを基に編んだのが本書である。福本がすべて正直に語っている保証はないが、政治家や財界人に対する人物評が秀抜で面白い。インタビュアは、オーラルヒストリで定評のある伊藤隆と御厨貴が務めた。インタビューは3年間で19回に及んだという。目次はこうなっている。目次を見ただけでも魅力的である。
 第1章 60年安保の首相官邸
 第2章 官房長官の事実
 第3章 背後に潜む「近親増悪」
 第4章 「高崎発の群発地震」
 第5章 角栄を排除した竹下登
 第6章 権力をめぐる闘い
 第7章 「コバチュウ・グループ」という裏組織
 終章 永田町の人間関係
 特に岸信介にはじまる政治家の人物評、政治家同士の評価、政局の裏側の動きが活写されており、実に興味深い。気になるのは、同じ話題が繰り返し出てくること。しかも微妙に内容が異なっている点である(御厨があとがきで福本からの要求だったことを明らかにしている)。オーラルヒストリとはそんなものかもしれないが、やはり1冊の単行本としては違和感が残る。
 元々は産経新聞の記者だった福本が政界に関係を持つのが、サンケイの水野成夫の仲介で、岸信介内閣の官房長官だった椎名悦三郎の秘書になったこと。そのためもあって、日米安保条約改正時の首相官邸での緊迫したやりとりは歴史の証言という雰囲気がよく出ている。いま話題になっている赤木宗徳・防衛庁長官の話も登場する。福本から見た政治家の実像、人間としての品格やスケールに関する話には納得させられるところが多い。田中金脈後の首相選び「椎名裁定」や中曽根の後継者選定時の裏話など、戦後政治の目撃者の貴重な記録といえる。

 

野蛮な来訪者〜RJRナビスコの陥落(上)
ブライアン・バロー、ジョン・ヘルヤー、鈴田敦之・訳、三和総合研究所海外戦略部・監修、日本放送協会、p.448、\2000

2007.7.10

 RJRナビスコを舞台にした、抜群に面白い企業買収(正確にはLBO)劇。その舞台裏を追った名作ノンフィクションである。すでに絶版なのでAmazonの古書で入手。本好きにとって、絶版書を安価に入手できるAmazonのこの仕組みは素晴らしい。ずっと読みたいと思っていた本だが、期待を裏切らない出来である。
 本書は、米国の企業トップの生態や考え方、バイタリティ、金銭欲、名誉欲、ウソ、裏切り、罠などが赤裸々に描いている。企業はどのようにして私物化され乗っ取られるかを知ることができる。城山三郎に「粗にして野だが卑ではない」という石田礼助の評伝があるが、それとは正反対の世界がここでは描かれている。まさに「卑」だらけである。
 筆者はウォールストリート・ジャーナルの記者。見てきたような描写力や取材力には感心させられる。上巻はRJRナビスコCEOのR・ジョンソンが、二流の食品会社の営業マンからRJRナビスコのCEOにどのようにしてのし上がったか、タバコ会社のRJレイノルズに買収されたにも関わらず、RJレイノルズのナンバー1の座を射止めるためにどのような策略をめぐらしたかを詳細に描いている。このほか、LBOに関係する登場人物のバックグラウンド紹介に上巻は充てられている。もっともカタカナの名前がたくさんでてくるので、登場人物の面々をなかなか覚えられない。冒頭に相関図が載っているが、細かすぎて逆に役に立たないのが難点といえば難点。買収のクライマックスはこれからというところで上巻は終わる。

 

サービスサイエンス〜新時代を拓くイノベーション経営を目指して
亀岡秋男監修、北陸先端科学技術大学院大学MOTコース編集委員会、サービスサイエンス・イノベーションLLP、エヌ・ティー・エヌ、p.288、\1900

2007.7.8

 最近ちょっと気になる言葉の一つに「サービスサイエンス」がある。世の中、サービスへのシフトが進んでいるのは言を俟たないところ。実際、いまやGDPの70%が第3次産業が担っている。にも関わらず生産性はなかなか上がらない。日本は米国の半分という話もある。そのサービスをエンジアリングやサイエンスの視点から見ていこうというのが、IBMが提唱するSSME(Service Sciences Management and Engineering)である。
 米国ではサービスサイエンスの学会が開かれているようだが、日本での認知は今一歩。バズワードを次々と生み出す米IBMが言いだしっぺ(2004年に提唱)ということもあり、「またか」という気分も分からぬではない。ちなみに、IBMはサービスをこう定義している。『サービスとは、価値を創造し取得する、提供者と顧客の相互作用である』。
 本書はそのサービスサイエンスを初歩から説き起こした学術書。冗長な感じもあるが頭の整理に役立つ。産業界の現状を反映していない表現があるのは大学の先生の愛嬌だろう。もっともサービスサイエンス自体は発展途上というのが、本書を読んだ印象だ。うまく整理できておらず、すっと腑に落ちる感じではないのは少々残念である。

 

2007年6月

イタリア・マフィア
シルヴィオ・ピエルサンティ、朝田今日子(訳)、ちくま新書、p.237、\720

2007.6.30

 イタリアといえば、サッカーのセリエA、ローマやバチカン、ラテン気質、ワインやオリーブなどなどが頭に浮かぶ。「マフィア」もイタリアを象徴するものの一つ。本書はそのマフィアの実態とイタリア政治や社会とのかかわりを詳細に書き込んでいる。著者は音楽院卒のイタリア人ジャーナリスト(ちなみにイタリアにはジャーナリスト国家試験がある。ネットで調べると、国家試験を通った有資格者のみが署名記事を書くことができるという)。
 マフィアの冷酷さ、凶暴さ、残念さ、執拗など、目を疑うような内容が満載である。マフィアといえばゴッドファーザーを思い出すが、あの映画が決して誇張ではないことがよく分かる。ゴッドファーザーを演じたマーロン・ブランドの半紙も少しだが出ている。最も暗澹たる気持ちにさせられるのは政界との癒着。世界7位のGDPをもつ先進国の実情に唖然とさせられる(人のことは言えないのかもしれないが・・・)。

 

捜査指揮〜判断と決断
岡田薫、寺尾正大(協力)、東京法令出版、p.287、\1800

2007.6.28

 警察庁刑事局長や警視庁副総裁を歴任したキャリア官僚の書。官僚臭さを感じさせない思い切りの良い書き口が特徴になっている。本音ズバリという書き口は爽快で、保身や建前に走らないところがいい。例えば松本サリン事件における河野義行さんに対する警察の行為に対して、「『捜査官の一部は“容疑者扱い”をしました』といっても構わない。捜査というにはそういうものである。その結果、『違った部分はお詫びします。ですが、これは捜査の宿命なのです』と説明するしかない」と。
 事例にダブリ感が目立つところや、文章の流れが一部滞るところがあるなど、編集作業に注文をつけたいところがあるが、内容はなかなか充実している。宮部みゆきが「警察小説より面白く」「捜査ルポルタージュよりも迫真の二つとない貴重な記録」と推薦の言葉をおくっている。少し褒めすぎだが、一読の価値があるのは確かである。
 元警察幹部として、現場でどのような判断と決断をすべきかについても語っている。「幹部に必要とされる大事な資質は『判断力』だと思っている。『事の軽重の判断、緩急の判断力』である」「判断力=センス+情報」というのが著者の考え。現場感覚と心意気が伝わってくるし、事例が具体的なのでつい引き込まれる。

 

沖縄密約〜「情報犯罪」と日米同盟
西山太吉、岩波新書、p.211、\700

2007.6.26

 沖縄返還交渉の密約を35年前にスクープしたものの、機密漏洩罪に問われた元毎日新聞記者の西山太吉氏の書。米国の情報公開による公文書や当事者だった外務省元アメリカ局長の吉野文六の証言になどによって明らかになった事実を基に構成している。読み応え十分の執念の書といえる。密約で米国に支払った金額が、実は西山がスクープした数字とは違い、桁違いに大きい“つかみ金(積算根拠が明確ではない金)”だったなど興味深い記述が多い。密約は大昔の話と思えるが、現在の日米関係の源流となって現在に大きな影響を与えていることがよく分かる。
 西山記者が起訴されたときに司馬遼太郎が「われわれは、恐るべき政府をもっている」と語ったのに対し、西山は「われわれは、憐れむべき政府をもっている」と嘆くが、本書を読むとその気持ちがよく伝わってくる。正直言って、本書を読み終わると暗澹たる気持ちになる。当事者(吉野は密約にイニシャルだが署名している)の証言や外交文書の公開があっても、かたくなに密約の存在を否定し続ける政府や官僚の姿はどう表現すればいいのだろうか。西山が“憐れみ”という言葉を使うのも頷ける。加えて、外交や安保に対する日本における社会的関心の低さ、マスコミの力の弱さを痛切に感じる1冊である。

 

自販機の時代〜“7兆円の売り子”を育てた男たちの話
鈴木隆、日本経済新聞社、p.299、\1800

2007.6.23

 自動販売機を介した物品の売上高は7兆円超で、コンビニの売り上げに匹敵するという。本書は、日本の自動販売機市場を立ち上げ、育て上げた人たちにスポットライトを当てている。最後の方に若干疲れが感じられるところもあるが、なかなか読み応えのある書に仕上がっている。地味なテーマをうまく料理しているといえよう。
 話の中心は自販機の雄である富士電機。三洋電機の自販機部門を買収し、いまや押しも押されぬナンバーワン企業になっている。その礎を築いた永井隆が前半の主役である。富士電機を軸に、三菱重工、三洋電機、松下電器、サンデンといったメーカーの動向を交えながら話は進んでいく。自販機の話らしく、コカ・コーラやペプシコーラ、キリン、アサヒと馴染みの社名が続々登場する。古き良き爽やかな時代を懐かしむといった趣きもある。
 確かに、同時期に読んだWilliam HewlettとDavid Packardの物語「Bill & Dave」に比べればすいぶん地味で泥臭い話の連続である。それだけに、農耕民族の琴線にいっそう触れるのかもしれない。往年の経営者や技術者、営業マンへの筆者の共感が汲み取れる内容になっている。

 

偽装請負〜格差社会の労働現場
朝日新聞特別報道チーム、朝日新書、p.211、\700

2007.6.20

 請負と派遣。いまや企業になくてはならない雇用形態だが、本書は請負契約にもかかわらず社員のように指揮命令する偽装請負に焦点を当てている。2006年から朝日新聞が展開した告発ルポの取材に基づいて構成した新書本である。
 長期不況で広がった偽装請負だが、本書はそのどこが問題なのかを整理し、実態を知るうえで役立つ。キヤノンと松下電器を槍玉に挙げて実態を明らかにしている。帯に「勝ち組企業の儲けの裏側」とあるように、朝日新聞らしい選択といえよう。松下が打った奇策や、偽装請負の解消に正対するようなしないようなキヤノンの対応など、企業の行動原理を知ることもできる(ありがちの対応だが・・・)。請負会社のクリスタルや労災隠しなど、労働市場の裏側や格差問題の核心も垣間見える。

 

ジャーナリズム博物誌
オノレ・ド・バルザック、鹿島茂訳、新評論、p.243、\2500

2007.6.18

 「人間喜劇」の作者として知られるバルザックが、ジャーナリズムに罵詈雑言を浴びせかけた書。悪口満載だが、なかなか本質を突いている。バルザック自身がジャーナリストとして活躍した経験と、そのジャーナリズムから容赦ない批判を加えられた体験が本書を執筆した動機という。
 160年も前に書かれた本だが、全く古さを感じさせない内容である。例えば「むかしは教養と経験と長いあいだの研鑚が批評家の職業に欠かせない条件で、一本立ちするにはかなりの時間がかかったものだが、今日では『なにもかも変わってしまった』ようである。最近でははじめから一足飛びに批評家になり、講釈をたれる」「批評家に思想があるか否かということはもう問題ではなく、ただ罵詈雑言に等しいある種のものの言い方を心得ているかどうかだけが大切」と語る。日本の実情やインターネット時代に十分に通用する内容である。ちなみに日本版は1986年初版。Amazon.comの古本で入手した。便利になったものだ。
 バルザックは「もしジャーナリズムが存在していないなら、まちがってもこれを発明してはならない」を公理として掲げている。ここにバルザックの本音がありそうだ。バルザックが槍玉に挙げるのは、新聞記者と政治家兼新聞記者、大臣亡者の政治評論家、信念をもつ著述家、批評家などなど。ジャーナリストを志す人たちは読んで得るところが多い本だろう。それ以外の人々には、あまりに登場人物が多すぎて冗長なイメージをもつかもしれない。

 

Bill & Dave〜How Hewlett and Packard Built the World's Greatest Company
Michael S.Malone、Portfolio、p.438、$26.95

2007.6.14

 William HewlettとDave Packardの評伝。読み応え十分の良書である。2人がどのように米Stanford大で出会い(巷間流布しているアメフトのグランドでの劇的な出会いはウソらしい)、どのように米Hewlett-Packardを立ち上げ、育て上げたかを綿密な取材をもとに追っている。黎明期のHPを支えたDisney、電卓、ミニコン、YHPなど、話題満載である。HPという会社が、技術面やビジネス面だけではなく、文化的な面でもシリコンバレーに大きな足跡を残したかがよく分かる。作者のMichael S.Maloneは、The Big ScoreやThe Virtual Corporationなどベストセラーを生んだ技術ジャーナリスト。こんほか評者が読んだ本としてはThe Microprocessorといったものもある。
 古き良き時代のビジネスやシリコンバレーの香りがぷんぷんする本である。実に爽やかだし、ヒューマニズムがあふれている。筆者のMaloneは、Hewlett-PackardやHP Way大好き人間というのが行間からにじみ出ている。半ば信仰的でさえある。若干度が過ぎ、ほめ過ぎの気もするほどだ。その分、HewlettやPackardの後継者に対しては容赦ない批判を加える。YoungやPlattはまだしも、Compaqを買収したものの業績不振で解任されたFiorinaに対しては実に辛らつでコテンパンである。HPはCompaqを買収したからこそ、IBMを抜いて世界一のコンピュータ・メーカーになった訳だが、HP Wayをはじめ、そのために失ったものがどれだけ大きかったかを、Maloneは詳細に書き込んでいる。
 本書を読むと、技術者肌のHewlettと外交的なPackardという絶妙のコンビがHPの要因だということがよく分かる(本書では、Hewlettをcraftman、Packardをgamesmanと呼んでいる)。米IntelにおけるMooreとNoyce、米AppleのWozniakとJobs(ちなみにWozはHPで働いていたことがある)、ホンダの本田宗一郎と藤沢武夫、ソニーの井深大と盛田昭夫に通じるものがある。必要なときに、必要な人材を、必要な場所に、適切かつ絶妙な組み合わせで配材する。こうした書を読むと、世の中は実に良くできていると感心させられる。

 

権力の病室〜大平総理最期の14日間
国正武重、文芸春秋、p.285、\1750

2007.6.3

 衆参同日選挙中に時の宰相・大平正芳が心臓疾患で病死する。その緊急入院から死去するまでを追ったドキュメンタリ。筆者は元朝日新聞の政治部の記者で、現在は政治評論家である。タイトルからドロドロした内容を期待して購入した本だが、その予想は大きく外れた。入院から死亡までの大平と周辺の動静を時系列で淡々と追っている。
 そもそも史上初の衆参同日選挙のキッカケは、自民党の反主流派の欠席によって大平内閣不信任案が可決されたこと。大平は選挙期間中に倒れ、そのまま帰らぬ人になった。どう考えてもノンフィクションとしては絶好のシチュエーションである。しかし筆者は病室とその周辺で起こったことに焦点を絞る。魑魅魍魎の政界の蠢きや風説を予断を持って書くことを徹底的に排している。したがって登場人物は、大平首相の周辺や政治的盟友、医師団に限られる。医師団のオフレコ・コメントを今回公開しているが、これも衝撃的な内容が含まれているわけではない。つい筆が滑りそうなテーマだが、その誘惑を跳ね除けた潔さを感じさせる書である。
 感傷的なところがほとんどない本だが、最後に少し盛り上がる。大平が夫人について書いた日本経済新聞への寄稿やライシャワー元駐日大使の追悼文はなかなかいい。

 

日本語は天才である
柳瀬尚紀、新潮社、p.222、\1400

2007.6.3

 2冊連続で日本語に関する書の書評となった。本書の著者は、J・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」、R・ダールの「チョコレート工場の秘密」などの翻訳を手がけた英文学者。日本の奥深さを書き連ねている。
 朝日新聞(?)の書評に取り上げられたせいか、なぜか入手が困難だった(あるオンライン書店では予約をキャンセルされた)。確かに、「へ〜っ」という内容も多くなかなか興味深い内容である。翻訳時の体験を交え、古今の書籍・新聞を縦横無尽に引用しながら日本語の懐の深さを縦横に語っている。日本語が嫌いな人が好きになれる類の本ではないが、好きな人がもっと好きになる本だろう。

 

2007年5月

日本語はなぜ美しいのか
黒川伊保子、集英社新書、p.198、\680

2007.5.25

 3冊連続で新書になってしまったが、本書は久しぶりに読むのを途中でやめようかと思った書である。筆者は元々は人工知能の研究者で、脳と言葉がテーマだったようだ。その後、感性マーケティングの会社をおこし、現在にいたっている。
 本書に馴染めないのは、最近の言葉で言うと“いたい”から。科学的な話と筆者の意見や経験がごっちゃになっているところも読みづらいが、妙に軽妙な風を装った書き口が“いたい”。そもそも「美しい」という言葉が今やいやらしい響きをもっている。いやらしい言葉にしてしまった責任は筆者にある訳ではないが、そんな言葉をタイトルに使うセンスはいかがなものかと思ってしまう。

 

電波利権
池田信夫、新潮新書、p.186、\680

2007.5.23

 辛口批評のブログで知られる池田信夫が、電波をめぐる利権とその利権を守ることに汲々とする既得権集団の問題点を論じた書。放送、通信、インターネットと議論は多岐にわたるが、やはり読み応えがあるのは著者の出身業界である放送局に対する批判である。実に興味深い内容である。とりわけNHKにまつわる数々の問題は社内事情に通じていることもあり出色の出来となっている。ここを読むだけでも価値のある本である。
 放送業界には厳しい姿勢で臨んでいるのが本書の特長である。無料で手に入れた電波を無駄遣いし、巨額の電波利用料を支払っている携帯電話業界にそのツケを回す、新規参入を妨害する、インターネット放送を潰す、そして放送を政治の道具とみなす政治家の影など、問題点満載である。放送局についての縦横無尽の批判に比べ、携帯電話や無線インターネットについての記述は鋭さに欠ける面があり少々残念である。

 

官僚とメディア
魚住昭、角川oneテーマ21、p.211、\686

2007.5.21

 この書評でも何度か扱ったジャーナリスト・魚住昭が、週刊誌などに執筆した“マスコミ”モノの記事を集めた新書。寄せ集めなので少し雑駁な感じはあるが、マスコミ報道の裏側・官僚との癒着を切り口鋭く暴いており、なかなか読ませる。事件の“知られざる”深層といった趣がある。
 話題は多岐にわたる。大きな柱は二つ。一つは筆者の出身媒体である共同通信の堕落。内部事情に通じているだけに読み応えがある。とにかく古巣の共同通信に対しては容赦ない。安倍首相周辺のスキャンダル握りつぶしや、ミニ・ナベツネ化/官僚化した組織を槍玉に挙げる。ありがちな無批判に昔を懐かしがる感じもあるが、それも共同通信への愛着からきたもので仕方がないところ。
 もう一つはタイトルにもなっている官僚とマスコミの癒着である。官僚とマスコミの癒着は、官僚の情報操作に確信犯的に乗るマスコミが主題になっている。昔からしきりに取り上げられているテーマだが事例が比較的新しい。姉歯建築士による耐震強度データ偽装事件、NHKの番組「女性国際戦犯法廷」の政治的改変事件、ライブドアなど国策捜査にみる検察の堕落、朝日新聞の権力に対する弱腰などを取り上げる。このほか、同じ業界に身を置く者としては管理強化に動くマスコミについての指摘は傾聴すべき内容を多く含んでいる。

 

虚妄の帝国の終焉〜ネット革命の旗手、AOLの栄光と挫折
アレック・クライン、清川幸美、服部千佳子、ディスカヴァー、p.371、\1800

2007.5.17

 ワシントン・ポスト紙の記者によるノンフィクション。いまや懐かしさを感じる名前になっている米AOLの設立から興隆、米Time Warnerを買収した絶頂期、そして凋落を丹念に追っている。内容自体にあまり驚きはないが、歴史を振る返る意味で貴重な書である。この手の買収劇で必ず出てくる「シナジー」という言葉がいかに空疎かよく分かる内容になっている。
 帯にあるアメリカ版「ホリエモンの失敗劇」というのは時間の流れを考えると変だが、インターネットの新興勢力が伝統企業を呑み込むという構図はよく似ている(もちろんライブドアは未遂)。このほか買収劇だけではなく、決算の「粉飾」も規模こそ大きく違うが類似しているのも事実である。

 

日本軍のインテリジェンス〜なぜ情報が活かされないのか
小谷賢、講談社選書メチエ、p.248、\1600

2007.5.15

 日本軍の欠陥をインテリジェンスの面から切った書。インテリジェンスに絞ったため牽強付会の面もあるが、研究が進んでいなかった分野で初めて知る話も多いので楽しめる。日本軍が中国で偽札をばら撒いたエピソードや、海軍の機密文書を米国に奪われた海軍乙事件など、「へぇ〜」である。特に後者は、米国の巧妙さと日本の脇の甘い体質が出ていて興味深い。
 暗号解読などで優れた技術をもちながら日本軍はなぜ敗れたのか。筆者は、原因を日本軍のインテリジェンス意識の欠如に求める。具体的には「作戦重視、情報軽視」「長期的視野の欠如」「セクショナリズム」の3点を挙げる。いずれも日本の企業文化に通じる欠点である。例えば作戦重視、情報軽視は、マーケティング不在、勘・経験・度胸が跋扈する様子を思い出させる。最初に作戦(方針)ありきで情報はその目的を正当化するために使われ、方針に反する情報は黙殺されるか曲解される。つまり情報が政治化されてしまう。各人がゴミ箱にゴミを投げるように議論を交わし、一致した結論の出ないままいつの間にかゴミが収集される。そしてまた新しいゴミ箱が用意され、不毛な議論が繰り返される。自戒しなければ・・・・

 

教室の悪魔〜見えない「いじめ」を解決するために
山脇由貴子、ポプラ社、p.138、\880

2007.5.12

 少し前の日経ビジネスの書籍欄に著者が登場し、インタビューに答えていたと記憶する。何ともすごいタイトルだが、よくある「タイトルだけ」の本ではない(評者は何度も引っかかってるが・・・)。学校におけるいじめの実態を事例ベースで描いた中身がまたすごい。著者は東京都児童相談センターの心理司。いじめにあった子供や親の相談に乗っているだけに、仮名を使っているものの内容はきわめて具体的。現在のいじめの巧妙さ、陰湿さが実によくわかる。
 事例のほかにも、いじめを解決するための方策、いじめに気づくチェックリストといった内容で構成する。親ができること、すべきこと、絶対してはならないことなどは、自分の身に当てはめて考えることができる。100ページそこそこの本なので、ちょっと目を通してみることをお勧めする。暗澹たる気持ちになるのは確実だが・・・

 

国家を騙した科学者〜「ES細胞」論文捏造事件の真相
李成柱、「淵弘・訳、牧野出版、p.341、\2300

2007.5.9

 韓国で起こった、ES細胞(胚性幹細胞)をめぐる一大スキャンダルを扱ったノンフィクション。韓国ソウル大学教授だった黄禹錫が、効率的なES細胞作成技術に関する論文を捏造したというもの。2005年に起こった事件なので覚えている方も多いだろう。学術論文らしい論文を残していない黄教授が、スター学者どころか国家的な英雄に祭り上げられていった過程を東亜日報の元記者が追った。若干冗長なところが気になるが、裏づけをとらずに世間の“空気”に流され、チョーチン記事を書き続けた韓国マスコミの責任を綿密な取材をもとに追及している。
 サイエンス誌に掲載された論文の捏造発覚をきっかけに、黄教授の業績のほとんどがウソだったことが暴かれていく。筆者は「科学史における最高の政治科学者」といった称号を与えている。一人の科学者が一生かかって成し遂げるレベルの成果を次から次へと打ち立てていくさまは、日本でかつて起こった石器発掘のゴッドハンド事件を思い起こす。両者の大きな違いは国益に対する考え方と国民感情への訴え方。黄教授は愛国心を煽ることで、反対勢力の口を封じた。業績に対して疑問を投げかけたテレビの検証番組が中断を余儀なくされた事例も本書には出てくる。科学者の犯罪的行為に関するノンフィクションだが、批判の矛先はマスコミに向いている。マスコミに身を置くものとしては、考えさせられることが多い1冊である。

 

インテルの戦略〜企業変貌を実現した戦略形成プロセス
ロバート・A・バーゲルマン、石橋善一郎・宇田理(監訳)、ダイヤモンド社、p.600

推薦!2007.5.6

 米スタンフォード大学教授による、12年かけた米インテルの研究。元インテル・ウォッチャーの評者としては見逃せない本だが、IT業界に関わる人にもぜひ読んで欲しい充実の1冊である。インテルの企業戦略の変遷が、現幹部・元幹部の生々しい証言を基に描かれている。原書は設立から2001年までを扱うが、日本版のために2005年まで加筆したという。優れた書だが、600ページと長い上に5000円と高いのが難点である。
 勝てば官軍の内容ではなく、クレイグ・バレットの苦悩・失敗、DRAMやEPROM、i432(8800)、i860、データセンター、おもちゃ(顕微鏡)撤退といった苦渋の歴史についてきちんと押さえているところが評価できる。グローブの判断ミスだけでなく、グローブがインテルの興隆をもたらし、そのグローブが足かせになったところにも容赦なく言及している。いずれにせよ節目節目でインテル社内でどのような議論があり、意思決定がなされたかがよくわかる構成になっている。トップダウンよりも現場主導のボトムアップが現在のインテルを生んだという指摘は興味深い。ボブ・ウッドワードの著作に通じるが、ちゃんと記録を残すという米国文化を反映している書といえる。
 特長は三つ。第一はグローブに全面支援を得ているところと。第二はインテルの幹部への詳細なインタビューで構成されているところ。グローブと袂を分かったフランク・ギルの証言など実に興味深い。第三は失敗した事業に対する評価をきちんと下しているところ。「イノベーションのジレンマ」(クレイトン・クリステンセン著)の見事な事例である。残念なのは日本が影も形もないところ。嶋正利氏のみが登場するが、それも4004ではなく8080である。

 

うつ病の妻と共に
御木達哉、文春文庫、p.277、\562

2007.5.2

 医師でPL病院の副院長を務める著者の手になる看病記。元気だった妻がうつ病を突然発病したあとの5年間を日誌風に綴っている。感傷的にならず、妙に盛り上げることなく、正直に淡々と書いている。いろいろと考えさせられる所の多い書である。
 怒り、悩み、懺悔、戸惑い、悲しみ、喜びなど、かなり正直に心象風景を描いているところは驚き。それ以外でも、副院長の特権を発揮して、いろいろと特典を受けている様子も、包み隠さずに触れる。もっとも、基本的に日常生活を書き留めたものなので、同じような場面が繰り返し出てくる。この点は原点だが、看病日誌なので、まあ仕方がない。

 

オレ様化する子どもたち
諏訪哲二、中公新書ラクレ、p.238、\740

2007.5.1

 なかなか魅力的なタイトルの本である。もっとも少々思い込みが強く、タイトルに見合った内容かというとちょっと疑問が残る。例えば、「『子どもが変だ』はジャーナリズムではタブーになっている」と述べるが、本当にそうだろうか・・・。ちなみに著者は元教員で「プロ教師の会」代表。寡聞にして知らなかったが、ベストセラーになった著書も多い。
 タイトルにもなっている「オレ様化」とは、「自分がこう思うことはみんなも思っているに違いない」、あるいは「思うべきだ」と確信している状態を指す。自分を外から見るまなざしがなく、客観視できない生徒が1980年代半ば以降に登場してきたと著者は指摘する。この結果、教師とのあいだに「等価交換」を要求する事態に至る。教える側と教えられる側との関係ではなく“対等”というわけだ。なんとなく「等価交換=成果主義」に通じそうだ。無償の贈与(愛)というのが過去の遺物となり、すべて数字化してそれに対してリターンを受け取るという構造が企業だけではなく学校でも一般化しているわけだ。
 後半は、かなり理屈っぽい。自説に合わない教育論/学校論を展開する学者や作家に対して批評を加えているが、地に足が着かない感じというのが正直な印象。「頭できれいな理屈を立てたい人は純化したがる」と断じて俎上に上げている。ちなみに夜回り先生の異名を取る水谷修も登場するが、こちらは理屈ではなく体を張っていることも影響しているのか筆鋒は鈍い。

 

2007年4月

謎のマンガ家 酒井七馬伝〜「新宝島」伝説の光と影

2007.4.28

 手塚治虫神話の裏で表舞台から消えたマンガ家・酒井七馬を扱ったノンフィクション。中身も文体もハデさはないが、手塚が酒井の葬儀委員長を務めたとか、晩年は極貧でコーラで飢えをしのぎ、電球で寒さに耐えたといった伝説の実際に迫っている。丹念な取材で歴史の流れの中で忘れ去られていった酒井の実像を追った、ノンフィクションらしい作品に仕上がっている。
 手塚の単行本デビュー作「新宝島」は、マンガにさほど詳しくない評者でも知っている、多くの日本のマンガ家たちにインパクトを与えた名作である。その新宝島は手塚と本書の主役・酒井の共同作品だったことを本書は明らかにしている。手塚が光り輝くなかで歴史が書き換えられ、酒井が葬り去られていった過程を、筆者は関係者への取材や文献をあたることで明らかにしている。本書では酒井の作品をいくつか掲載しているが、そのタッチは現在の劇画に通じるものがあり驚くほど斬新である。酒井の力量を感じさせられる。このほか、アニメーションや紙芝居、絵物語など、酒井が繰り広げた多彩な活動にも本書は多くのページを割いている。

 

iPodは何を変えたのか
スティーブン・レヴィ、上浦倫人訳、ソフトバンク クリエーティブ、p.383、\1800

2007.4.25

 熱狂的iPodファンであるニューズウィーク編集者の手になるiPod開発物語。当然だが、かなりバイアスがかかっている。本書の主役はiPodとスティーブ・ジョブズ。iPodやAppleファンには堪えられないエピソードが満載である。逆に言うと、iPodファンでないと少々退屈な本かもしれない。ちなみに評者もiPodに感動した一人。「そう、そう」とつい相槌を打ってしまう。もともと原書で読もうとしたが、読み始めようとしたところに翻訳が出てしまった。
 ニューズウィークの編集者らしく取材先は多彩である。IT業界の歴史にも詳しい。そのネットワークと知識を生かしてiPodの魅力を余すところなく紹介している。ネーミングや秀抜なデザイン、ユーザー・インタフェースの秘密、レコード会社との交渉と有料音楽配信サービスの大成功、iPodとiTunesとの連携などを紹介している。感動的な梱包に言及するところもファンらしいところだろう。ティファニーの宝石になぞらえている。Windows XP発表の前夜にiPodを初めて見たBill Gatesの反応や、米DEC(Digital Equipment Corp.)が携帯音楽プレーヤーを開発していたといったこぼれ話も読み応えがある。
 iPodの特長の一つであるシャッフル機能(格納したコンテンツをランダムに再生する機能)の不思議を取り上げるのは、ユーザーならではの視点。確かに、iPodのシャッフル機能はとうていランダムな選曲とは思えないところがある。特定のアーティストの楽曲が頻繁にかかったりする。この不思議について、ジョブズやアップルの技術者を巻き込んで究明している。

 

<日本の現代>日本の企業統治〜神話と実態
吉村典久、NTT出版、p.352、\2500

2007.4.20

 日本のコーポレート・ガナバンスの実態について解説した書。巷間言われている“常識”が実態を表していないことを、いくつかの調査結果を基に明らかにしている。非上場の決断を下したワールド、松下電器産業傘下の九州松下や松下寿など詳細な分析があり、そこそこ読ませる内容に仕上がっている。
 世の中では「株主資本主義」が喧伝されているが、日本企業の多くは伝統的な「従業員重視」「取引先重視」の姿勢を変えていないというのが筆者の分析。その典型例としてトヨタ自動車を取り上げる。藤本隆宏や奥田碩のコメントを引用しながら持論を展開する。外人持株比率が高い企業ほど、先進的なスタイルをいち早く導入していると思われるが、「それは違う」というのも興味深い。外国人の持株比率が30%を超える企業では、実は伝統的な収益性にかかわる指標(売上高利益率、売上高営業利益率、売上高経常利益率)を、ROEなど資本効率にかかわる指標よりも重視するという。
 単独での単行本執筆は初めてという著者の苦言を一つ。ビジネス関連の書としては、任天堂の山内 溥前社長や富士フイルムの名前を誤記するなど脇が甘い面が少々気になる。

 

アポロはほんとうに月に行ったの?
エム・ハーガ、芳賀正光訳、朝日文庫、p.163、\476

2007.4.18

 アポロの月面着陸は偽装だったというのは、よくテレビで話題になる話。本書は写真をふんだんに使い、月面着陸はなかったとする根拠を明らかにしている。本書に掲載された写真を見る限り「そうかな」という気分にさせられる。中学生時代に月面着陸をリアルタイムで見た人間としてはとても残念な話だが・・・。いずれにせよ面白く読める文庫である。暇つぶしには最適だが、文章が少ないためあっという間に読めるため手持ち無沙汰になるかもしれない。ちなみに筆者のエム・ハーガは、訳者の芳賀正光その人。芳賀をハーガと表記したわけだ。

 

最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか
ジェームズ・R・チャイルズ、高橋健次訳、草思社、p.429、\2300

2007.4.16

 タイトルからも分かるように失敗関連の書。類書に比べたときの特長は事例が多いところと、かなり細かいレベルまで経緯を書き込んでいるところ。スペースシャトル・チャレンジャーの爆発墜落事故、スリーマイル島の原発事故、チェルノブイリ原発事故など有名なものもしっかり収録されているが、耐震強度偽装事件を思わせるシティコープ・ビルの補修騒ぎ、オートマチック車の暴走事故など初めて聞く事例も多く興味深く読める(最後は食傷気味なるが)。
 こうした事故から導き出される教訓は目新しさは少ないが納得いくものが多い。本書は「科学技術のいくつかの部門には、不調の連鎖を早晩引き起こしかねない正確が本来的に備わっている。安全システムを追加することは、複雑性をいっそう増す作用しかもたらさない」「躊躇する人間はたいていうまくゆく(評者注:指差し呼称と同等の効果が期待できる)」「知識よりも無知が自信を生むことが多い」「少しずつマージンを削ることが大事故につながる」というのは的を射た指摘だろう。最後に本書が紹介する秀抜なアイデアを一つ。「現場の実態を知りたいなら、奇妙な時間(例えば夜遅く)に現場を見に行くべし」。よく分かる。

 

職場はなぜ壊れるのか〜産業医が見た人間関係の病理
荒井千暁、ちくま新書、p222、\700

2007.4.11

 日清紡の産業医である筆者が成果主義の実態、職場の惨状を歯に衣着せぬ筆致で描いている。成果主義に対する痛烈な批判の書である。曰く「成果主義は不良債権と同じように組織体を蝕んでいく可能性がある」「成果主義は机上の空論の上に成り立っている」「成果主義などという姑息な人事考課を放り出すべき」「失敗を恐れる小賢しい人間だけがばっこする」と実に手厳しい。
 確かに、職場における心の病が増えているのは否定できないところ。社会経済生産性本部の調査では、心の病を抱える社員は30代で61%に達しているという(2年前の49%、4年前の42%から急増)。成果主義による、「理不尽、重いノルマによる圧迫、人間関係の軋轢、周囲の無理解」が心の病を生むというのが筆者の見立てである。受容から当惑、再調整、不信、絶望もしくは混迷という過程を踏み、崩壊に至る。
 筆者はこう断言する。「成果主義が描くのは平面的な世界。時空間を視野に入れた立体的な世界から遮断されている。自分の仕事の前後に何があり、何が自分の周囲を取り巻いているかについての視点に欠ける」と。当然、上流工程と下流工程が情報を交換し、無理・無駄・無茶を減らしながら製品の完成度を高めていく「すり合わせ」の仕組みは機能しなくなる。成果主義の行き着くところは、すり合わせではなく、組み合わせの世界ということか。敵(この場合は大雑把に言えば米国企業)のルールで戦ったら勝ち目はないが、成果主義は敵の術中にまんまとはまった施策ということになる。

 

日本の選択
ビル・エモット、ピーター・タスカ、講談社インターナショナル、p.241、\1600

2007.4.9

 知日派の二人の英国人による日本論。話題は社会・経済・教育・外交など多岐にわたる。率直な物言いがなかなか読ませる。手厳しい発言も多いが、応援歌のように受け取れる内容である。日本論に読み応えがあるのはもちろんだが、興味深いのは英国人の物の見方。特に中国やフランスに対する厳しい視点は面白い。特に中国に対しては並外れた警戒心を示す。ナイーブな日本人は手玉にとられるというのが両氏の見立てである。フランス人に対する見方は実にシニカル。イギリス人はどのようにフランス人を見ているかを知ることができる。
 日本の経済政策には痛烈な批判を加える。財政状況は現状維持でなんら問題ない。日本には十分すぎる貯蓄があり、財政赤字をやみくもの恐れることも、消費税の引き上げを既定のことと考えることも大きな間違い。経済が成長し、インフレ率が低ければ、大きな債務があっても構わないというのが主張である。官僚が考えているのは経済ではなく、安定と自己保身だけと皮肉っている。
 両氏が強調するのは経済成長の重要性。経済の成長によってもたらされるのは自信であり、進取の気性。これがこの10年の日本人に欠けていたと主張する。もっとも、「英国万歳。英国は素晴らしい」といったトーンが鼻につくのは少々いただけない。英国人だから仕方がないが・・・

 

日本の貧困研究
橘木俊詔、浦川邦夫、東京大学出版会、p.358、\3200

2007.4.4

 「日本の経済格差」(岩波新書、1998年)で格差問題の先鞭をつけた橘木の学術書。いかにも学術書らしく数式がふんだんに登場する。したがって少々読みづらいが、要点をかいつまんで読み進むだけでも内容を理解するのには十分だろう。
 感覚的な格差論を避け、統計データを基に格差の実態を詳細に分析している。筆者は格差が貧困問題に発展していると主張する。本書が論じている“絶対的”貧困や“相対的”貧困の考え方はなかなか興味深い。絶対的貧困よりも、他人との比較して自らを貧困と感じる相対的貧困が日本に巣食っているというのは正鵠を射ているだろう。

 

2007年3月

新聞社〜破綻したビジネスモデル
河内孝、新潮新書、p.220、\700

2007.3.30

 元・毎日新聞常務が書いた新聞経営の問題点と再生のための処方箋。新聞批判というとコンテンツそのものに対する話が多いが、本書は経営(ビジネスモデル)に的を絞り、「ナイアガラの滝の縁まで来ている」状況に分析を加える。常務という職にあった人間が危機の実態を克明に明らかにしている点が目新しい。もっとも話が詳細なだけに、一般読者には関係しない部分も少なくないが・・・。
 筆者が取り上げる問題点は、販売コスト、購読部数の実態、30年間と変わらない広告売上高、押し紙(読者がいないのに販売店に押し付ける新聞)、悪質な拡張団(裏社会とのかかわり)、特殊指定における公正取引委員会との闘いなどなど。新聞が本当に多くの問題点を抱えることが分かる一般読者にも分かるだろう。最後にはインターネットとのかかわり方を簡単に述べている。

 

盗聴 二・二六事件
中田整一、文芸春秋、p.319、\1667

2007.3.28

 元NHKプロデューサで、「戒厳指令『交信ヲ傍受セヨ』二・二六事件秘録」(1979年)や「二・二六事件 消された真実」などのドキュメンタリ番組を手がけた著者がその舞台裏とその後を明らかにしたもの。事件から70年の歳月がたち関係者の高齢化が進む中で、今回の出版は最後のタイミングといえるだろう。二・二六事件の関係者がたどった数奇な運命や、関係者同士の奇妙なめぐり合わせなど、サイドストーリも興味深い話が多い。歴史の面白さを感じさせてくれる1冊である。
 本書のベースになっているのは、軍部が二・二六事件のときに行った電話の盗聴。それがレコードの形で残され、NHKのライブラリーに収蔵されてた(この手の史料は情報公開などで、これから続々と出てきそうである。何だかワクワクする)。このレコードを基に、反乱軍と外部(軍部や家族、北一輝など)のやり取りを再現するとともに、当事者や残された家族を丹念に訪ね証言をとっている。このほか名前を騙った偽電話など二・二六事件発生時の緊迫したやりとりや、最後は保身に走った軍幹部の行状などについても取り上げている。

 

でっちあげ〜福岡「殺人教師」事件の真相
福田ますみ、p.253、\1400

2007.3.26

 福岡の小学校で起こった“でっちあげ”事件を追ったノンフィクション。典型的な報道被害の例である。平均よりも良心的といえる教師が、どのような過程を踏んで史上最悪のイジメ教師に仕立て上げられていったかを入念な取材で追っている。マスコミに身を置く人間として考えさせられるところの多い書である。
 本書で取り上げられている事件は、おぼろげだが新聞や週刊文春の記事で読んだ記憶がある。そもそもは朝日新聞の記事が発端である。福岡の小学校教師が児童に対して暴言をはいてイジメを行ったというものだった。それを週刊文春が実名報道したことで騒ぎは大きくなった。児童がPTSDによる長期入院に追い込まれた。両親は教師を訴え、550人もの大弁護団が形成された。事件はどんどん拡大したが、そもそも事件は児童の両親がでっち上げたものだったことが裁判の過程で分かる。筆者も書いているが茶番だったのである。本書で著者は、教師が追い込まれていく過程、虚言をふりまく両親、保身に走る校長、針小棒大に事件を拡大するマスコミという構図を描いている。  

 

東京アンダーナイト〜闇の昭和史:ニューラテンクォーター・ストーリー〜
山本信太郎、廣済堂出版、p.318、\1600

2007.3.23

 大火事を起こしたニュージャパンの敷地内にあったナイトクラブ「ニューラテンクォーター」の物語。ニューラテンクォーターを軸にしながら、水商売から見た昭和史・芸能史が元社長によって綴られている。ワイドショー的な楽しさをもった本である。もっとも筆者が何度も弁解しているように、本当に際どい闇の部分が欠けているところが少々残念である。「夜の世界や裏の世界に通じた著者なら、もっとビックリすることを知っているんじゃないの?」と突っ込みをいれたくなる。
 ニューラテンクォーターは、力道山刺殺事件の舞台になったことでも知られるナイトクラブである。評者も力道山がヤクザに刺されて数日後に死んだことは、子どもながらによく覚えている。その真相が、目撃者である元社長が40年を経て明らかにしている(すでに最近の週刊文春でご本人が経緯を紹介済みなので、ちょっと興ざめだが・・・)。
 登場人物は実に多彩である。力道山だけでなく、GHQ、児玉誉士夫、横井英樹、勝新太郎、石原裕次郎、トム・ジョーンズ、ナット・キング・コール、サミー・デービスJr、シルビー・バルタンといった名前が並ぶ。歴史を感じさせる面々である。それにしても、ニュージャパンの火事とJALの逆噴射墜落が1日違いだったとはすっかり忘れていた。

 

セキュリティはなぜやぶられたのか
ブルース・ジュナイアー著、井口耕二訳、日経BP社、p.441、\2600

2007.3.19

 一般ビジネスパーソンにも理解しやすい書き口で、セキュリティに対する心構えを説いた書。ただし安直なセキュリティ対策法を紹介しているわけではない。ルールが変化し続けるゲームであるセキュリティに万全はありえないと、暗号技術の専門家である筆者は繰り返し主張する。取り上げている事例は多種多様で、興味深いエピソード満載である。書き方によっては面白おかしくなりそうだが、抑え気味の書き口になっている。翻訳だから仕方がないが、文章にリズム感がないのが少々残念(求めるほうが無理なのかもしれないが・・・)
 筆者の主張は、「セキュリティに決定版は存在しない。必ずトレードオフがある」「自分の日常と異なる状態のリスクは正しく評価できない」「技術が進むと標準化が進み、脆弱性が増える」など。筆者はセキュリティに関するシステム、技術、運用を五つのステップで評価することを勧める。
 (1)守るべき資産は何か
 (2)その資産はどのようなリスクにさらされているのか
 (3)セキュリティ対策によって、リスクはどれだけ低下するのか
 (4)セキュリティ対策によって、どのようなリスクがもたらされるか
 (5)対策にはどれほどのコストとどのようなトレードオフが付随するか
 思わずひざを打つ指摘やアイデアもある。例えば、9.11後に監視やデータ収集の機能強化を図った米国政府がとった手法は、“完璧に誤った解決策”だと斬り捨てる。重要なのは分析するデータを選び出すところと分析するところにだとする。また国家権力を強化すると、国民を守るよりも、権力者のために利用されることが多いと指摘する。最後に出てくる「シュナイアーの法則」もなかなか秀抜。「こんなことが繰り返されてはならない。あらゆる手段を講じて再発を防止しなければならない」は、典型的なナンセンスと断じる。セキュリティシステムの細かい部分を秘密にしなければならないというのは愚の骨頂。間違いなくいい加減なシステムができあがると断言する。あやしげな対策を正当化する「セキュリティのために」という言葉を無分別に受け入れてはならない。なるほど。

 

嘘つきアーニャの真っ赤な真実
米原万理、角川文庫、p.300、\552

2007.3.13

 昨年、米原万理の「必笑小咄のテクニック」を書評で取り上げた。それを読んだ後輩が、米原の最高作として紹介してくれたのが本書。読んで納得である。大宅壮一ノンフクション賞を受賞したのも頷ける。
 本書の特長は、市民の目線から見た激動の東欧史が描かれているところ。10歳から14歳の時期にプラハで暮らした筆者が、同級生3人の人生を追っている。ぐっとくる場面も多く用意されていて一気に読ませる。それにしても米原は文章がうまい。

 

松下ウェイ〜内側から見た改革の真実
フランシス・マキナニー、沢崎冬日訳、ダイヤモンド社、p.319、\2200

2007.3.11

 どん底からの復活を果たした松下電器産業の軌跡を、改革に関与した英国人コンサルタントが綴った書。中村邦夫会長の米国赴任時代にさかのぼって、改革の原点をさぐっている。中村の手がけた経営改革には。事業部制度の撤廃、関連会社の完全子会社化といったものがあるが、そこには米国での経験が生かされているという。中村とは米国時代から付き合っている筆者だけあって、米国当時の知られざる話がいくつか紹介されていて興味深い。ワクワクして読む本ではないが、松下の復活劇を改めて振り返ることのできる良書である。
 筆者は優れたコンサルタントなのかもしれないが、言葉のセンスは今一歩。筆者が提唱する経営戦略に「サッカーボール理論」がある。営業だけではなく設計、開発が顧客とダイレクトに接して、ユーザー・ニーズを素早く製品に生かすというもの。これを中空構造のサッカーボールにたとえているのだが、どう考えても優れたネーミングとはいえない。そもそも戦略自体も目新しくないし・・・。このほか「ムーア時間」というのも提唱するが、いわゆるドッグ・イヤーの言い換えに過ぎず、これまたイマイチである。

 

脳卒中バイブル〜危険信号を見逃すな
安井信之、ちくま新書、p.238、\720

2007.3.7

 日本人の死因の第3位に位置する脳卒中(脳血管障害)。たとえ死亡に至らなくても後遺症が残る可能性があるだけに、できれば予防を心がけたいし、発作が起きた場合の処置の仕方も知っておきたい。こういった読者ニーズを見計らって登場した新書である。うまいところを狙っている。
 文章は平易だし、写真や図版が豊富で読みやすい。新書らしい新書である。しかし、いくらなんでも“バイブル”はないと思うのだが・・・

 

カラヤンとフルトヴェングラー
幻冬舎、p.311、\840

2007.3.3

 全篇にわたってカラヤンとフルトヴェングラーとの確執を取り上げた書。内容を正確に表現すると「フルトヴェングラーとカラヤン」だが、売り上げを考えてカラヤンを先に持ってきたといえる。クラシックジャーナル編集長の筆者の文章は読みやすく、二人の足跡を詳細に追った内容は読み応え十分である。
 クラシック音楽にさして興味をもっていない評者でも、カラヤンとフルトヴェングラーの名前を知っているしCDも少ないながら所有している。しかし、二人がベルリン・フィルの首席指揮者の座をめぐって虚々実々の駆け引きを繰り広げたことは寡聞にして知らなかった。本書は当然ながらフルトヴェングラーとカラヤンとを軸に展開するが、ルーマニア人のチェリビダッケも味のある脇役として活躍する。これがなかなかいい。CDを買いたくなるような話である。このほかトスカーニやベーム、アバドといった面々もチョイ役だが登場する。軽めの内容が多く、雑誌的な傾向が強い最近の新書とは一線を画した新書である。

 

2007年2月

報道被害
梓澤和幸、岩波新書、p.224、\740

2007.2.23

 報道被害者の救済に当たる弁護士の書。報道被害の実態や救済手段、報道改革の提言など内容は多岐にわたる。「書くことへの畏れ」を感じさせる内容で、マスコミに身を置く人間にとって必読の書といえる。
 報道被害として取り上げるのは、松本サリン事件、桶川ストーカー殺人事件、福岡一家四人殺人事件である。報道被害者の切実な声を取り上げており、書くことや報道することの暴力性を鋭くえぐっている。警察とマスコミとのの不適切な関係は、本書が指摘するとおりだろう。マスコミへの批判に終わらないのも本書の特長である。人権擁護法案や個人情報保護法を錦の御旗に掲げたメディア規制、報道への介入についての記述は的を射たものである。また利益至上主義、商業主義に陥っているマスコミ経営陣への指摘は鋭いし、批判は実に手厳しい。

 

小泉官邸秘話
飯島勲、日本経済新聞、p.334、\1800

2007.2.21

 小泉純一郎の秘書官・飯島勲が、首席総理秘書官を務めた5年半をどちらかというと淡々と振り返った書。勝てば官軍といった内容である。光の部分の記述しかなく不満が残る。「もっと影の話があるだろう」と突っ込みを入れたくなる。小泉時代の表の情報とそれをめぐる裏方の動きを振り返るキッカケになる点で価値はある。小泉政権の証人・飯島秘書官を引き出したところが最大の功績だろう。企画の勝利といえる書である。

 

特捜検察vs金融権力
村山治、朝日新聞社、p.325、\1400

2007.2.16

 現役のベテラン朝日新聞記者の手によるノンフィクション。検察庁(特捜部)と大蔵省(金融庁)、政治家、金融業界との闘いの歴史をたどり、護送船団政策の崩壊までを緻密な取材で追っている。最後のほうは話題を盛り込みすぎでバタバタした感じだが、中盤までは読み応え十分である。325ページというページ数以上に内容の濃さを感じさせる。
 話題は多岐にわたる。興銀や長銀、日債銀の崩壊、住専処理、尾上縫事件、大和銀行ニューヨーク支店事件、銀行や証券会社による総会屋への利益供与事件、大蔵省の過剰接待事件(いわゆる、ノーパンしゃぶしゃぶ事件)といった懐かしの経済事件が並ぶ。特に大蔵省との駆け引きは、官同士の力学が分かり興味深い。先日紹介した「徴税権力〜国税庁の研究〜」の文章が書き飛ばした感じがするのとは対照的に、本書は淡々と事実を積み重ねた書き口で落ち着いた印象を受ける。この2冊はほぼ同時期に登場し、しかも朝日新聞の現記者と元記者というのは奇妙な偶然である。いずれにせよ、併せて読むのをお薦めする。金融行政/権力のあり方が良く分かる。

 

ブランドの条件
山田登世子、岩波新書、p.203、\700

2007.2.13

 ブランドの誕生や歴史を追った書。ルイ・ヴィトン、エルメス、シャネル、カルダンといったお馴染みのブランドが名を連ねる。創業当時のエピソードは「へ〜、そうなんだ」といった感じである。さほど濃い内容ではないし、200ページほどなのに、やたらと読むのに時間がかかってしまった。ブランドに興味がないせいかもしれない。少々、薀蓄が増えること以外に得るところは多くない。

 

長嶋茂雄と黒衣の参謀 Gファイル
武田頼政、文芸春秋、p.446、\1905

2007.2.10

 長嶋やV9を成し遂げた選手たち、トレーナなど裏方への容赦のない書き口に、驚かされるとともに何とも落ち着かない気持ちにさせられる書。先輩記者に薦められて読み出したが実に面白い。もう少し騒がれてしかるべき本だが、あまりにストレートで遠慮のない書き口や、長嶋ジャイアンツの実態を暴いたことへの反発が大きいのかもしれない。球団自体は凋落しているとはいえ、依然として根強い人気を誇る長嶋とその家族の実像に近い部分を赤裸々に描いているからだ。
 本書は、「メークミラクル」「メークドラマ」と呼ばれた優勝を裏で支えた参謀・河田弘道のメモ「Gファイル」がベースになっている。河田は、GCIAと呼ばれる情報機関を設置し他球団の情報を収集するとともに、ジャイアンツ選手のプライベートな側面も調べ上げた。こうした情報を基に、1994年から97年の2回の優勝に貢献したという(少なくとも本人はそう考えている)。GCIAの内部メモが、5000ページにものぼるスキャンダラスなGファイルである。
 登場人物は多彩だ。野村克也、藤田元司、川上哲治、高田繁、土井正三、堀内恒夫、原辰徳といったプロ野球選手、西武の堤義明、読売新聞の渡邉恒雄などが並ぶ。しかも、揃いもそろって辛らつな人物評を浴びせられ、「ジャイアンツを食い物にした」醜悪な面を暴きだされている。パッと読むと「長嶋と取り巻く悪役たち」といった趣の本だが、実は本書の本丸は長嶋茂雄である。知られざるネガティブな長嶋が見事に描かれている。秀抜な長嶋茂雄論である。長嶋ファンは目を背けたくなるかもしれないが・・・

 

Andy Grove-The Life and Times of an American
Richard S.Tedlow、Portfolio、p.568、$29.95

2007.2.8

 Andy Groveの評伝。Grove自身には前半生を綴った自伝やビジネス書、学術書はあるが、後半生について詳細に書いたものはこれが初めてだろう。インテル・ウォッチャの評者はBusinessWeekの書評を見て、さっそく購入した。シリコンバレーの“タイタン”ともいえるGroveの人生(前立腺がんやパーキンソン病との闘いも含まれる)とIntelの幹部像を丹念に追っている。Intelの過去・現在・未来を知るうえで欠かさせない1冊である。読み応え十分だが、難点は500ページを超える点くらい。通勤時の持ち運びに不便だし、読み終えるのに1カ月かかってしまった。
 読みどころはGroveとその周囲の人間模様である。Robert Noyce、Gordon Moore、Charlie Spork、Craig Barret、Paul Otellini、Pat Gelsinger、Dave Houseといった面々が次々に登場する。AMDに追い上げられ苦境に陥っている元CEOのOtelliniがIntelとAMDのどちらに就職するか迷ったという話や、Otelliniと前CEOのBarretが1974年の同期入社という薀蓄話もふんだんに盛り込まれている。アクセントとして登場するGroveの辛口の人物評が効果的である。  なんといっても興味深いのは、Noyce、MooreとGroveの関係である。Bell研を蹴ってFairchildへの入社を決めた最大の要因がMooreの存在だった。その後もGroveとMooreは良好な関係を続けている。これに対してNoyceとの関係は今一歩。両雄並び立たずということのようだ。しかし、MooreなくしてはNoyceは活躍できなかったし、Groveの存在なくしてはMooreはありえないことは確かだろう。ベンチャー・キャピタリストのArthur Rockはうまいこと言っている。「IntelにはNoyce、Moore、Groveが必要だった。しかも、この順に」。銀行家が投資したくなるカリスマ性を備えたNoyceは立ち上げ時に、事業を軌道に乗せるためには技術をおさえ温和なMooreの存在が必要だった。そしてIntelを大きく成長させるエンジンは、マネジメント能力に長けるGrove。この3人の組み合わせが実にうまく機能したのは、Intelの成長をみれば明らかだろう。
 本書には気になる点もある。日本あるいは日本人の扱いである。世界初のマイクロプロセッサ「4004」の開発はTed Hoffだけの手柄になっており、嶋正利やStan MazarやFederico Fagginは登場しない。「Intel Insideキャンペーン」はDennis Lee Carterのアイデアということになっている。インテルジャパンが発案したというのが一般的な理解なので、少々違和感を感じる。

 

編集者
齋藤十一、齋藤美和・編、冬花社、p.316、\2381

2007.2.4

 新潮社が生んだ伝説の編集者・齋藤十一の思い出を身近な人々が書き綴った書。齋藤夫人が編者である。必ずしもプロの書き手ばかりではないので文章は玉石混交だが、幸せな人生を歩んだ齋藤十一の“人となり”がよく分かる内容となっている。強烈な個性に大いに惹かれるが、その個性と同居するプライベートな側面もとてもいい。夫人との関係は羨ましいくらいである。ちなみに、瀬戸内寂聴と山崎豊子(華麗なる一族の著者)が冒頭に心のこもった弔辞を寄せているが、これだけでも凄い。
 齋藤は、週刊新潮、FOCUS、芸術新潮などを立ち上げた伝説上の編集者である。真骨頂は名言の数々だろう。FOCUSの創刊理由として巷間伝えられている「人殺しのツラが見たくないのか」は、最も有名な発言の一つである。名言の数々を読むだけでも、本書の価値はある。このほか、「気をつけろ佐川君が歩いてる」など、週刊新潮のタイトルを付け続けたセンスは驚愕に値する。同じ職業で糊口をしのぎながら、碌なタイトルを思いつかなかった評者は恥じ入るばかりである。

 

徴税権力〜国税庁の研究〜
落合博実、文芸春秋、p.263、\1429

推薦!2007.2.1

 元・朝日新聞記者が書いた国税庁の実像。国税庁の現場に密着して記者人生を歩んだ筆者らしい出来である。よくここまで書いたと感心する内容が多い。守秘義務の関係で国税庁職員の実名は幹部以外出てこないが、脱税に関与した政治家や高級官僚、芸能人の実名がバンバン登場する。迫力満点である。徴税の舞台裏での関係者との暗闘など、人間模様が出ていて興味深い。週刊文春に書いた記事をベースに加筆した本なので、筆が少々滑らか過ぎるかなといった気もするが、一級のノンフィクションなのは確かである。
 本書の扱う話題は多岐にわたる。金丸信の脱税事件、政治家の介入を記録した国税庁内部資料「整理簿」、検察との確執、有名芸能人の収入をターゲットにした「重要事案管理対象名簿」、マスコミとの微妙な関係、創価学会への税務調査な関係など、興味深い話題が次から次へと続く。「整理簿」や「重要事案管理対象名簿」の話では有名人が実名で登場し、「極秘資料を満載!」という宣伝文句もあながちウソではない。国税庁の情報収集能力には驚かされる一方で、その権力の行使の仕方に疑問がわくところもある。読みやすさも含め、お薦めの1冊である。

 

2007年1月

人はなぜ危険に近づくのか
広瀬弘忠、講談社+α新書、p.185、\800

2007.1.27

 「災害心理学の第一人者の書」と帯にあるが、残念ながら筆者の実力が十分に発揮されているとは言い難い。タイトルの切り口に沿って快調に飛ばしている前半部に比べ、後半は少々減速気味である。1点豪華主義は最近の新書の傾向だが、本書もこのトレンドに乗っている。
 第1章の「近づきたい危険、遠ざけたい危険」、第3章の「災害を待ち望む心理」、第4章の「恐いものを見たい心理、見たくない心理」といったところまでは、まずまずの出来栄えだ。既得便益にしがみつく心理など、人間のもつ不条理な部分がよく解説されており興味深い。「視線や注意が外に向かって注がれず、常に内向きのため、危険を自分とは関係ないと思って、自分だけは安全だと考える」という指摘は、不祥事を起こし社会的に糾弾される企業を想起させる話である。
 このほか含蓄深いのは学術書(?)から引用した図版の数々。絵は筆以上に物を言っている。世界の国民の所得と幸せ度をプロットした図などは秀抜である。ただし、冒頭にも書いたが第6章以降の後半は急速に勢いがなくなる。ちょっと惜しい。

 

チーム・バチスタの栄光
海堂尊、宝島社、p.375、\1600

2007.1.20

 キレのよいミステリー小説である。話は心臓外科手術での術中死とその調査を中心に進む。展開の意外性は今一歩だが、ボケとツッコミを組み合わせた登場人物のキャラクタと話のテンポが実に良い。書き口とテンポは、このところ読む機会の多い東野圭吾よりも評者には合っているようだ。第4回「このミステリーがすごい」大賞を受賞したのも納得できる。

 

デザインにひそむ<美しさ>の法則
木全賢、ソフトバンク新書、p.169、\700

2007.1.13

 インダストリアル・デザインというのは実に楽しい分野である。例えば、米Apple(このほどComputerが社名から消えた)の製品デザインはあれほど素晴らしいのか。iPodが売れた原因の一つに、その造形の美しさがあるのは間違いのないところだろう。ではなぜiPodが美しいのか。その秘密の一端が本書で種明かしされている。日本と欧米のデザインの違いやアフォーダンスの話(特にテレビの画面の話は秀抜)、マジックナンバーの話など、興味深い話が多い。ただし前半部で飛ばしたせいか、後半では少々息切れ気味である。筆者は元々、シャープでインダストリアル・デザイナを務め、現在はコンサルタント。できれば筆者がデザインしたシャープ製品の写真が載っていればいいのだが・・・。

 

無我と無私〜禅の考え方に学ぶ
オイゲン・ヘンゲル著、藤原美子訳、藤原正彦監訳、ランダムハウス講談社、p.140、\952

2007.1.11

 禅は昔から多くの欧米人を引き付けている。日本よりも海外のほうが理解が進んでいる面があるかもしれない。評者にしても、禅について問われたら戸惑ってしまう(英語ならなおさら)。本書も、禅的な考え方や身の処し方について、ドイツ人の哲学者が解説した書である。東北大学での教授時代に弓道の達人・阿波研造のもとで修行した経験に基づいている。本書の日本語訳は過去に2回ほど出ているが、今回は、「国家の品格」の著者である藤原正彦の奥方が改めて翻訳した。
 弓道の修行では禅問答のような神秘的な話が続くが、感覚的に何となく理解できるので理解を妨げられることは少ない。非合理で非論理的だが日本人の琴線に触れる話が多いので、帯にある「品格ある日本人に出会える感動の書」という宣伝文句もあながちウソではないだろう。翻訳も悪くないので、さっと読める。もっとも、なぜ数学者の藤原正彦が監訳なのかという疑問は残る。ベストセラー「国家の品格」への便乗が見え見えの企画ではあるが。

 

【日本の現代】東京の果てに
平山洋介、NTT出版、p.298、\2400

2007.1.9

 巨大都市・東京を扱う雑誌記事がいま増えているが、本書はその東京の土地と住宅事情を“ホットスポット”と“コールドスポット”に分けて分析している。住宅の話にとどまることなく、経済政策や都市計画などにも言及する。最後にはオマケ程度に、墓地の事情にも触れる。文章が少々硬いので読みづらいところもあるが、内容自体は示唆に富む。データも邪魔にならない程度に含まれており説得力を増している。
 筆者のいう“ホットスポット”とは都心に天高くそびえるオフィス・ビルであり、タワー・マンションである。雨後のたけのこのように、高層ビルがニョキニョキ生えてくる都心はホットスポットと呼ぶにふさわしい。問題は、そのホットスポットが周囲と隔絶した空間「飛び地」をデザイン面や住環境(セキュリティ)面で作り出してしまうことだと著者は指摘する。一方の“コールドスポット”は郊外の住宅事情を指す。バブル崩壊による地価低迷によって、土地の値上がり益で住宅をグレードアップしていく従来のライフスタイルはハシゴを外されてしまった庶民の状況について論じる。
 なお著者は神戸大学の発達科学部教授。発達科学部とは聞きなれないが、本書が大都市・東京の“発達”を扱っていることだけは確かである。

 

赤い指
東野圭吾、講談社、p.270、\1500

2007.1.4

 この書評でも取り上げた「容疑者Xの献身」で直木賞を受賞した東野圭吾の新作。受賞後の第一弾らしい。引きこもり、介護、嫁姑問題など読者を引き付ける工夫が、あざといくらいに散りばめられている。東野の作品らしく最後の謎解きは面白いし、登場人物も魅力的に描かれている。よくできたミステリー小説である。

 

山本七平の武田信玄論〜乱世の帝王学
山本七平、角川oneテーマ21新書、p.200、\686

2007.1.2

 2007年のNHK大河ドラマ「風林火山」に合わせて復刻された本。元々は1988年に出版されたものだが、20年近くの歳月は感じない。武田信玄の現代に通じる魅力を山本七平は見事に描き出している。読み応えがある。
 興味深いのは信玄と織田信長をはじめとする戦国武将の虚々実々の駆け引き。現在のナイーブな日本外交とはまったく異質な世界が広がっている。信玄に関しては情報活用と人心掌握術に焦点を当てるとともに、教養人としての限界にも触れる。ちなみに大河ドラマは山本勘助が主人公だが、山本は実在の人物ではないと断じている。

 

ブランドのデザイン
川島蓉子、弘文社、p.256、\2300

2007.1.1

 国内有名ブランドはどのようにして構築されたかを解説した書。取り上げるのはサントリーの「伊右衛門」「ウーロン茶」、キユーピーの「マヨネーズ」、資生堂の「マジョリカ マジョルカ」「クレ・ド・ポー・ボーテ」、そして無印良品である。資生堂のブランドを除き親しみのあるブランドを挙げているので、すんなり筆者の世界に入っていける。「無印良品がいい」ではなく「無印良品でいい」という、「が」から「で」への発想転換は興味深い。
 それぞれのブランドを構築したクリエータのインタビューにも紙面を割いている。飾り気が少ない文章も効果を上げている。雑誌作りに通じる話題が豊富で、評者にとってもそれなりに役に立つ。もっとも、あまりに話が美し過ぎて疑り深いジャーナリストから見ると違和感を感じさせる記述も少なくない。筆者のおっしゃる通りなのだが、「それだけじゃないだろう」とつい思ってしまう。土地勘のない資生堂のブランドの話など、本当に別世界である。“ブランド”“デザイン”といった話題なのでドロドロした人間関係や社内政治、紆余曲折の話を書くわけにはいかないだろうが、職業柄、突っ込み不足と感じる。

 

横田英史(yokota@nikkeibp.co.jp

1956年大阪生まれ。1980年京都大学工学部電気工学科卒。1982年京都大学工学研究科修了。
川崎重工業技術開発本部でのエンジニア経験を経て、1986年日経マグロウヒル(現日経BP社)に入社。
日経エレクトロニクス記者、同副編集長、BizIT(現IT Pro)編集長を経て、2001年11月日経コンピュータ編集長に就任。
2003年3月発行人を兼務。2004年11月、日経バイト発行人兼編集長。
記者時代の専門分野は、コンピュータ・アーキテクチャ、コンピュータ・ハードウエア、OS、ハードディスク装置、組み込み制御、知的財産権、環境問題など。