<携帯の表示特許に寄せて>

 

萩本 英二 

(当サイト、「萩本英二の知的財産講座」著者)

§はじめに

 

2画面の携帯に関する特許が話題となっています。今回の事例では、明細書の補正を繰り返した結果、出願当初の「特許請求の範囲」の内容が大きく変わってしまっている点が問題視されています。

何が「発明」なのかの把握は発明者や権利者となるであろう出願人の自己申告です。ですから権利が欲しいと言う部分が「特許請求の範囲」ですが、発明の詳細な説明に記載した内容であっても発明があり、それを出願人が権利としてほしいと思い、申告すれば、権利化する路があります。
その手段が分割であり、補正です。勿論、補正の制限はあります。事例の出願は、補正の制限を強化した平成5年、6年に行われた改正以前の出願です。今ではこうした大幅な変更があった場合、審査で通らないでしょう。制度をうまく利用したといえますが、その背景を考えてみましょう。

(1) 均等論
日本でも最近になって話題となったことがありますが、有名なのは、米国での均等論(Theory of Equivalent)です。均等論とは、実質的に機能・方法が同じで、実質的に同じ結果を生じる技術にも権利が及ぶ(均等とみなす)というものです。

米国は他の多数の国が採用する先願主義(早く出願したものが権利を得る)を採用せず、先発明者主義(先に発明したものが権利を得る)を採用する唯一の国です。先駆的な発明者が社会に有用な基本的な発明をした段階では、まだ応用について十分な認識がない場合が多く、それらが権利範囲に含まれないとすると発明者に非常に不利になるところから採用された法理論です。しかし、実質的な特許範囲の拡張を許すこの理論は使い方によっては、独占権の弊害が出かねません。

更に米国には、継続出願制度(2000年5月29日以降は継続審査制度)という独特の制度があり、出願日を維持しながら、最初に出願した内容に新たに付け加えることが出来るので、世の中の技術動向をみて権利内容を変更していくことができます。しかも公開制度は無いですから、この均等論と継続出願制度が組み合わさると、とんでもなく古い発明が衣替えして登場してくるのです。これが、いわゆるサブマリン特許です。知的財産の先進国米国ではこうした例は沢山あり、特許マフィアとの言葉もあるくらいです。

最近の法改正で、外国出願したものに限って公開され、また権利は出願から20年と歯止めがかかりましたが、依然として米国内だけの出願では登録まで公開されず,サブマリン特許の脅威は存続します。

今回の事例でも補正、分割を繰り返して、出願から権利化まで10年以上も掛かっており、また、公開されたといっても出願分割されても発明の名称を変更しなかったりすると、書誌的な事項や要約で検索しても気がつかない可能性が高いでしょう。今回の事例がサブマリン特許といえるか否かというより、日本では、米国での例にあるような権利化に執着した例が今までに無かったことが今回の驚きにつながっています。

(2) 排他独占ということ
特許制度は、20世紀初頭に工業所有権と言われた時代からほぼ1世紀が過ぎようとしています。この制度は、当初から技術を公開した発明者(当時はおそらく発明者=権利者であったでしょう。)には排他独占権を与える方式を持って、一国の産業を奨励しようとしました。この方式は踏襲され、世界的に見てもこれと異なる方式を取った例を知りません。しかし、この排他独占権を与えることが、ストレートに産業の奨励につながるということにはなりません。一人(社)に独占させることによる弊害も併せて生じるからです。言わば薬のように、使い方を誤ると反って産業の衰退や発展を阻害しかねないのです。

今回の事例は積極的な例ですが、消極的な例もあります。それは防衛出願です。防衛出願はただのゴミではありません、地雷なのです。各社がその地雷を大量に撒いたらどうなるでしょうか。企業はマーケットを自由に動くことができなくなります。実施したい人(企業)ができなくて、実施しない人(企業)が権利を保持していて他人の行動を制約することになるのです。こうした状態が産業奨励につながらないことは明らかで、公益と私益のバランスが問われているのです。

 

ある技術を特許出願して権利化し、独占したのは良いが、誰もその分野に参入しなくなってしまって、市場が広がらず、結局良い技術が埋もれてしまった事例を聞いたことがありませんか。あまりに独占という権能を振りまわすとこうした事態がおきます。ところが、使わざるを得ない状態にあれば、独占権が活かされるわけで、標準化がこの独占権と結びつくと大きな力を持つことがわかります。ですから、そうならない様に、「標準となる技術に特許はあってはならない。」というRoyalty Freeの主張も根強くあります。知的財産権に係わる仕組みは、権利者とユーザーとの双方に不満を生じる可能性が大きいといえます。権利者は独占したい、沢山金を取りたいと思い、ユーザーは自由に使って儲けたい、使用料など払いたくないと思うでしょう。両者が不満を残しつつ、経済原則に則って妥協することになるのが一般的です。ですからこのバランスが崩れれば、当然産業奨励につながらないことが分かります。

(3) 合法ということ
今回の事例で、日経エレクトロニクス4月28日号には、権利者側の弁理士の言として、合法云々との記事が載っていました。米国で公民権運動が盛んな時代、逮捕された運動家が言った言葉があります。「我々は合法であることを求めない、正当であることを求める。」と。法律は単なるルールであり、合法だから良いと言う主張は、社会的なコンセンサスを得られるような主張ではありません。
法律は、民主主義に基づき選挙で選ばれた人達が審議して決めているルールです。ですから、ルールを守るのは当然としても、人為的なルールですから、不当、不合理であれば変えれば良いのです。様々な紆余曲折・試行錯誤があるにしても、最後は皆が正当、合理と思う方向へ行くでしょう。合法より正当、合理であることの方がもっと大切です。何がフェアなのか、何がアンファエアなのか、それは皆さんの意識の問題なのです。

(4) 知的財産権制度
何故、排他独占権が認められるかというと技術公開による技術進歩の促進の他、次のような主張がされています。「新しい技術の開発には、膨大な費用と長年月、それに有能な人材が必要となる。 例えば、医薬品の開発には、10年100億円といわれるほど莫大な投資が必要で、こうした莫大な先行投資をして新しく開発した技術を他の会社に勝手に利用されてしまうと、資金回収ができなくなり経営が成り立たないため独占的な権利を与えて保護しよう」との考え方です。

ものの創造には莫大な資金が必要なことは分かりますが、ソフトウエアはどうでしょうか。同じ現象が起きるでしょうか。21世紀になって、もちろん物の創造が重要であることは代わりが無いとして、プログラムのようにPCなどの道具で完成していまい、低負荷でできる知的創造物を独占権で保護することの是非は従来と同じでしょうか。著作権(プログラム著作権を含む)は、公示することなく、権利を取ることができますし、権利は独占権で、存続期間は日本では50年もあります。外国では70年の存続期間を持つ国もあります。例えば、一つのシステムを動かすに必要なプログラムの寿命は何年でしょうか。よほど大規模であっても10年も同じシステムを使いつづけることは考え難い。しかし、そのプログラム著作権は50年も存続期間があるのです。しかも、誰もどういう内容に権利があるのかを知りません。

これだけ技術の高度化が進んでしまうと、物の創造でも、単独の権利でできるほどの単純な技術内容はほとんどないといってよいでしょう。半導体チップには数百の特許権利があるといわれています。これを一社が独占できる状態になっているでしょうか。むしろ、防衛特許の場合と同じく、お互いがすくんでしまい、実施できなくなってしまう可能性が大きくなっているはずで、だからこそアライアンスの重要性が増しているのです。
19世紀に起きた産業革命は物の移動が容易になって物価の低いところから物価の高いところにめがけて物が移動した結果、デフレ現象が長く続いたと聞いています。現在の国際的な知的財産制度はこの頃に誕生しています。物流が自由になって「物」に化体した知的財産の経済的な価値が急上昇したからですし、それがストレートに産業奨励につながったからです。その歴史的な経緯から類推すれば、現在起きているインターネットによる情報の拡散から「情報」に化体した知的財産の経済価値が急上昇しているのが現代といえます。
特許ばかりでなく、プログラム著作権も含めて知的財産制度のあり方、排他独占権のあり方が再考されるべき時期に来ているのではないでしょうか。

 

<2003年6月寄稿>