若手の広場

第4回「はじめての組み込み」 Upwind Technology, Inc.  飯田政光 久部善敬


 みなさまはじめまして。Upwind Technology, Inc.の飯田政光と申します。
この場を借りて簡単に自己紹介させていただきます。
1965年8月27日、九州熊本にて生まれ、辛子レンコンと馬刺しを食べながら成長しました。趣味はオートバイライディング(下手の横好きですが・・・)、観光地巡りなどです。

『コンピュータとの出会い』
 私とコンピュータとの出会いは中学生の頃になります。友人のアップルIIのSキーをスタートレックゲームの光子魚雷かフェーザー砲の連打で壊してしまった苦い経験があり、現在、エンジニアとして活躍しているその友人に会うと今でも責められます。

『オートバイとの出会い』
 高校時代は、オートバイの3ない運動(「乗らない、乗せない、買わせない」だったと思います)が盛んで、原付乗車時の速度超過で、家庭裁判所送りになり、保護観察6ヶ月になりました。そのときの速度はたった63km。行政もやりすぎではないかと思いました。ちなみに中村社長も高校時代、原付の速度超過にて免停になったことがあるそうです。

『コンピュータとオートバイの両立』
 1985年に、電気通信大学短期大学部電子情報学科に入学しました。
貧乏学生ながら、それなりに楽しい80年代を過ごしました(奥多摩で、パトカーと競争とか、富士スピードウェイで上級者に追いつこうとして、オートバイ半壊とか)。なんだかんだで、1989年、電気通信大学短期大学部電子情報学科を卒業しました。同大学の別学科に進もうと思い、1年後に受験しみましたが、すべってしまいました。生活もありましたので、とりあえず就職してみることにしました。

『UNIXとの出会い』
 1990年、沖通信システム株式会社に入社しました。
UNIXマシンの保守等を行っていましたが、「取りあえずなんでもやってみろ」といわれ、色々やってみたところ、よく試験マシンをシステムダウンさせて怒られました。若さゆえの無知から、1991年9月に僅か1年半で退社してしまいました。当時の上司、同僚の方々、すいません、私が馬鹿でした。
その後、ハードウェア会社などに、転職し、ファームウェアの開発作業などに従事しました。

『Linuxとの出会い』
 1998年11月に株式会社五橋研究所に入社し、1999年12月にレッドハット株式会社に移りました。
Linux関連のユーザーサポート業務等に従事し、その際の後遺症で人嫌いになった事もありましたが、忍耐力をつけるには非常に良い経験になりました。色々ありましたが、2001年8月にレッドハット株式会社を退社しました。

『中村社長との出会い』
 レッドハット株式会社に在籍中、同僚だった現Upwind Technology, Inc.社長の中村憲一氏が大学の後輩だったこともあり、飲み友達になりました。で、私が不意の事故にて入院中見舞いにこられた際、独立すると聞き、ちょうど派遣契約の更新時だった事もあり、入社する事に決めました。という経緯にて、現在、Upwind Technology, Inc.に勤務し、主に組み込み教育関連の業務に従事しています。
 現在の業務関連の資格としましては RHCE(レッドハット認定技術者)を2000年3月に取得しています。これは組み込み系ではなく、Linuxの基礎という感じのものなので、組み込みLinuxに関しては、まだまだ新たに学ばなければならない事が多いと思います。
 組み込み業界に飛び込んではや5ヶ月が経過し、組み込み系の基礎についてはほぼ理解出来たと考えておりますが、さらなる知識、経験の補充、拡張を目標としていきたいと思います。最近のポイントとしては、デバイスドライバ関連の開発能力等をより一層向上していきたいと考えています。
 みなさまどうぞよろしくお願い申し上げます。


 みなさまはじめまして。Upwind Technology, Inc.の久部善敬と申します。現在、中村憲一社長のもとで、はじめて挑む「組み込み」という分野に四苦八苦しております。

『簡単な自己紹介』
 1974年生まれの28歳です。現在引っ越しをしたばかりで部屋が全然片付いておらず、こちらも四苦八苦している状態です。
 生まれは名古屋、育ちも名古屋ということで、東京ほど都会でもなく、かといってそれほど田舎でもない(一部では中途半端な土地柄とされていますが)名古屋がなかなか気に入っています。
 コンピュータとの初めての関りは、ちょうど小学3年生ぐらいだったでしょうか。ファミリーコンピュータが一大ブームとなり、わが家にやって来たときの興奮はよく覚えています。それから中学生ぐらいになると、パソコンなるものがあるらしい、ということで、よく友人の家に入り浸り、PC-8801やX1などのパソコンをいじっていました。そして高校に入学する直前、「X68000」という、当事としてはかなり毛色の変わったパソコンを買ったことが人生のターニングポイントだったような気がします。このパソコンは標準でアセンブラとリンカが付属しており、当事プログラミングのことはBASICぐらいしか知らなかった私は、「なんじゃこれは?」といぶかしげに、意味もなく、何度も実行していたことを覚えています。
 それからC言語やアセンブラなどを覚え、当事はゲームを作ったり、細々としたプログラムを作って楽しんでおりました。

『Linuxとの出会い』
 遊びほうけていたにも関らず、なぜか大学にも受かってしまいました。大学では「パーソナルコンピュータ研究会」なる妖しげなクラブに入会し、同じ志をもつこれまた濃い連中と楽しくやっておりましたが、あるとき実習でUNIXを使う機会があり、またまた「なんじゃこれは?」と興味がわいて出て来たのを覚えています。それから、「PC/AT互換機で動くUNIXがあるらしい」という噂を聞き、いろいろ調べて手にしたのが「Linux」でした。それからはずーっとLinuxを使っていますので、かれこれ10年弱の付き合いになるでしょうか。

『就職』
 それからいろいろあって、6年在学した大学を辞め、東京に出てきて仕事を探しました。運よく株式会社五橋研究所に拾っていただき、1年半ほど、Linuxディストリビューションのパッケージングのお仕事をやらせていただきました。実はそのときの仕事が、日本で初めての日本語Linuxディストリビューションだったりします。その後、同社の月刊誌「Linux Japan」の編集のお手伝いをさせていただきました。こちらは残念ながら2002年の5月に休刊となってしまいましたが、なかなか面白い仕事をさせてもらいました。
 休刊と同時に退職し、しばらくブラブラとしているところを、たまたま知人の知り合いであった中村社長に拾っていただき、現在に至っております。仕事の内容としては、主に組み込みLinuxの開発手法や、デバイスドライバの開発方法などのセミナーの講師をやらせていただいております。
 今まで経験してきた業種とはまったく異なる「組み込み」という分野のため、毎日が勉強という情況です。みなさまとはどこかでお会いになることがあるかと思いますが、そのときはどうかよろしくお願いいたします。


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