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2010年2月

Chief Culture Officer〜How to Create a Living, Breathing Corporation〜
Grant McCracken、Basic Books、p.262、$26.95

2010.2.26

 変化が激しい消費者のニーズを的確にとらえ企業業績の向上につなげるには、CCO(Chief Culture Officer)の設置が不可欠と主張する書。ビジネススクールでないがしろにされてきた文化(Culture)を見直すことがブルーオーシャンの発見につながると説く。米国のビジネス書らしく豊富な事例を取り上げCCOの重要さを裏付ける。リーバイスやP&G、ユニリーバ、ディズニー、コカコーラ、スターバックス、ナイキといった企業のほか、スティーブ・ジョブスやマーサ・スチュアートなど個人も事例として取り上げる。
 CCOは、文化の変化(微分値)を的確にとらえるだけではなく、過去から蓄積された文化(積分値)を見通す目が求められるというのが本書の主張。ただしモトローラやコカコーラなど歴史のある企業ほど、既存の文化の重力圏から抜け出すのは容易ではないとも語る。ビジネスコンサルタントらしいそつない議論で、言っていることは説得力があり間違っていない。ただし、CCOとしてスティーブ・ジョブスを出されると後ずさりしそうだ。主張も当たり前のことを書き綴っているようで、驚きは少ない。

 

第1感〜「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい〜
M・グラッドウェル著、沢田博・訳)、阿部尚美・訳、光文社、p.263、¥1575

2010.2.18

 誰しも、「なんだか変だが、どこが変なのか指摘できない。でも最終的には、やっぱり間違っていた」といった経験があるのではないか。「最初の2秒」の第1感の確かさを説いた書。筆者は、この書評でも取り上げた「ティッピング・ポイント」を書いたベストセラー作家で、ニューヨーカー誌の専属ライター。豊富な事例を引きながら読者を引きつける力量はさすがである。翻訳もこなれていて読みやすい。
 本書は冒頭で、偽のギリシア彫刻を例に挙げる。素材の分析などを駆使した美術館の鑑定チームが14カ月かけて見抜けなかったものを、専門家はたった2秒で贋作だと見抜いてしまう。「何か変」という人間的直感が、科学的分析を凌駕する。本書はこうした直感を「適応性無意識」と呼び、人類が厳しい生存競争を勝ち抜くために研ぎすました能力と位置づける。適応性無意識のおかげで、人間はわずかな情報でも素早く的確な判断を下すことができる。
 むしろ大量のデータは適切な判断の妨げにさえなる。問題が複雑になってしまい本質が見えなくなる。人が必要以上に情報を集めるのは自信を持つためだが、。信を持とうとすればするほど、正確な判断ができなくなるという事態に陥る。思い当たる指摘である。優れた判断には情報の節約が不可欠だという筆者の指摘は納得できる。

 

幕末史
半藤一利、新潮社、p.477、¥1890

2010.2.16

 歴史を語らせると当代屈指の作家・半藤一利が、慶應丸の内シティキャンパスで幕末を論じた特別講座を単行本化した書。平成維新という言葉が語られる現在、明治維新とは何だったのかを考える上で有益である。「西郷は毛沢東を同じ」「龍馬には独創的な者はない」など、司馬史観とはかなり異なる歴史も見えてくる。
 「歴史には意志がある」という半藤の言葉は重い。半藤は、「歴史の流れの中である一つの意志が働いて、こういうときにはこういう人がいいという適任者を用意する」と説く。坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通など、確かに幕末でなければ登場し得なかった。天の配剤といえる。もっとも半藤の明治維新に対する評価は、「新政府はまったく無能、それぞれがあっち向き、こっち向き」「次にどのような国を作るかという青写真も設計図もヴィジョンもほとんどなかった。主に行われたのは権力闘争」ときわめて低い。
 「徳川幕府の末期は、大日本帝国の最期と似ている」という指摘もなるほどと思わせる。確かな情報が入ってきても、起きたら困ることは起きないことにするという日本人の性癖はいまも直っていないし、理念が曖昧なままに、推進派と守旧派が入り乱れて滅茶苦茶になる構図は現代に通じる。ちなみに半藤は、勝海舟を鈴木貫太郎、大久保利通を米内光政、小栗忠順を阿南惟幾になぞらえている。

 

農協との「30年戦争」
岡本重明、文春新書、p.189、¥735

2010.2.11

 有限会社「新鮮組」を立ち上げ、売り上げ1億2000万円に育て上げた農業従事者による、農協と農政の無為無策ぶりを痛烈に批判した書。農協との対立を実体験した農家の主張だけに、いちいち重みと説得力がある。本書評でも農業に関して大学教授の神門善久氏、元官僚の山下一仁氏などの著書を取り上げたが、迫力では本書がピカイチ。日本の農業について考えたい方々にお勧めの書である。
 農協に対する批判は実に痛烈。「農家の名をかたり、国に補助金を要求するが、実態は自らの組織が潤うだけ」「農民から金を吸い上げて潤っている組織」と切り捨てる。農協職員にも「農業高校を出て実践経験がないままホワイトカラーとして陳腐な権力を振りかざす輩」「実践力が皆無で、知的水準も磨かれぬままの者たちが、農業指導者として君臨していては、農業を発展させるための指導ができなくて当たり前」と実に辛辣である。
 批判の矛先が向くのは農協だけではない。「目先の補助金が目当ての農民」「票欲しさに金をばらまく政治家」「無責任な言説をばらまく評論家」と切り捨てる。その一方で、「農業は知的思考能力と経験に基づく実践作業能力とを兼ね備えないと成り立たない難しい職業」と農業に向ける目は暖かい。

 

JR福知山線事故の本質〜企業の社会的責任を科学から捉える〜
山口栄一、NTT出版、p.213、¥1365

推薦! 2010.2.9

 JR西日本の企業体質に疑問を投げかける書。同志社大学教授である筆者がMOTの観点から事故を論じる。JR福知山線事故の原因を科学的に検証するだけではなく、事故の体験者の体験とリハビリの日々も記録している。あの事故は何だったのかがよくわかる。安全・安心の技術に携わる方々に読んでほしい良書である。
 JR福知山線事故は科学的に予想でき、しかも回避可能な「転覆」事故だったと筆者は断じる。例えば事故現場付近で制限速度は120kmから70kmに突如切り替わる。安全基準は現場の感覚とズレていた。現場のカーブの曲率半径を304mではなく600mにすれば事故は防ぐことはできたし、カーブを緩くすることは十分可能だったことを明らかにする。
 原因はすべて運転士にあると思わせようとするなど、JR西日本が行った一連の情報操作に筆者は疑問をなげかける。例えば原因究明のためのシミュレーションで、JR西日本は非現実的な数値を使うように鉄道総合技術研究所に強いたという。これによって、事故現場の制限時速の値は大きく異なり、JR西日本が有利となる(運転手が不利になる)。「転覆」を「脱線」と呼ぶ言葉のすり替えも厳しく避難する。事故が「転覆」であって、線路の物理的状況やさまざまな外的要因、車輪や車体の整備不良など予測不可能性によって企業責任が軽減される「脱線」ではなかったいうのが著者の主張である。

 

グーテンベルクからグーグルへ〜文学テキストのデジタル化と編集文献学〜
ピーター・シリングスバーグ著、明星聖子・訳、大久保譲・訳、神崎正英・訳、慶應義塾大学出版会、p.353、¥3360

2010.2.5

 編集文献学者がデジタルコンテンツの将来性を論じた書。編集文献学とは聞き慣れないが、書籍が版を重ねるにつれてどのように加筆変更されていったのか、その理由は何かといったことを探求する学問。本書には編集文献学で突き止めた、著者と著作の不思議な関係が紹介されていて楽しく読める。ちなみにタイトルは「グーテンベルクからグーグルへ」だが、グーテンベルクもグーグルもあまり登場しないので購入には注意した方がよい。特にグーグルの名前にひかれて買うと失敗するだろう。
 編集文献学にとって、厖大なデータのアーカイブを可能にするITは不可欠である。誤字脱字を含め書籍のすべての版、版のあいだの相違、書籍の由来、書籍のコンテクスト(時代背景)、註釈、参考文献などをすべて記録する。学者は、自らの研究領域や関心に最も適したテキストを選び、著者や制作者(装丁者や植字工)の考え方の遷移を自由自在にトレースできる。著者が「アーカイブの豊穣な解釈」「書き言葉のボディランゲージ」と表現したり、「学術版は電子的に構築されて出版されるべき」と主張するのもうなずける。
 興味深いのは植字工の活躍ぶり。句読点の位置など、植字工は勝手気ままに手を加えていたという。著者にしかできない表現と絶賛されていた文言が、実は植字工のミスや気まぐれによることも明らかにしている。礼賛していた評論家の顔は丸つぶれである。  本書の難点は翻訳。唐突に“意味素”なる言葉が登場したり、意味不明な翻訳が随所に見られる。例えば「複雑なまとまりとしての美しさがそこから輝いているテキストの複雑さのための場所を開拓する」といった感じである。翻訳は褒められたものではないが、原文の良さがそれを補っているのが救いである。

 

長寿を科学する
祖父江逸郎、岩波新書、p.186、¥735

2010.2.1

 長寿の鍵を医学的に解説した書。狙いは悪くなく真面目な書だが、何となく盛り上げるに欠ける。せっかくの素材を生かし切れていないのが残念である。筆者は1921年生まれの名古屋大学・愛知医科大学名誉教授。実はご本人もかなりのご高齢である。
 「百寿者は西に多く、東に少ない」「百寿者の特徴は、一般に動脈硬化が少ないなど生活習慣病が少ないこと」「若いころから比較的重労働に従事。仕事好きで、芯の通ったところがあり、苦難な道をたどり、苦痛に打ち勝ってきたひと」というのが長寿者の人物像である。残念なことに評者は該当しない。

 

2010年1月

The Unthinkable: Who Survives When Disaster Strikes and Why
Amanda Ripley、Arrow Books Ltd、p.304、$15.00

2010.1.31

 火事や飛行機墜落、銃乱射など強いストレスに見舞われたとき、人間はどういった行動をとるのか。そして、どうすれば災難から逃れ生還できるのかを追った書。9.11の1年後に被害者に取材をした米Time誌の記者が、対象を災難全般に広げて単行本化した。扱っているのは9.11、カリフォルニアで起こったパーティ会場の大火事、ニューオリンズを襲ったハリケーン・カトリーナ、津波、航空機の墜落、客船の沈没、大学での銃乱射などなど。記憶に新しい事件・災害・事故などを多く取り上げるだけではなく、歴史上の大事件も振り返る。全体に“身につま感”があり、つい引き込まれてしまう。英語は非常に平易で、10語ほど辞書をひけば読み通せるだろう。お薦めの1冊である。
 9.11のような場合、人間は3段階の心理状態を経て行動に移る。第1ステップは否定(denial)。まず、こんなことあり得ないと考える。そもそも体が麻痺した状態になってしまい、身動きがとれないことも多いという。著者によると、これは動物の本能で、捕食者に遭遇したときに動かない方が生き残れる確率が高い。そのうちにことの重大さに気づき、何をすべきかの検討(deliberation)に入る。これが第2段階。第3ステップでようやく行動(decisive moment)に移る。著者が繰り返し強調するのが、訓練の重要さ。火事などの災難を想定した避難訓練は馬鹿にしがちだが、これが咄嗟の時に役立つことを、9.11など具体的な例を示して裏付ける。ITなんて、停電したら何の役にも立たない。警官や消防士など死と隣り合わせのプロフェッショナルにも多く取材しているが、彼らの言葉にはなるほどと思わせる重みが感じられる。
 ちなみにパニックは、閉じ込められたり孤立する可能性がある場合に生じるという。しかし人間は生来連携するもので、パニックはそうそう起こらないというのも興味深い。「パニックそのものよりも、パニックを恐れることの方が危険」というのが筆者のご託宣である。

 

ミラーニューロン
ジャコモ・リゾラッティ著、コラド・シニガリア著、柴田裕之・訳、p.256、¥2415

2010.1.18

 「脳科学は面白い」「脳は神秘的」と改めて感じさせてくれる書。脳科学モノは読み飽きた感があったが,久しぶりに快作に出会った。最近の脳科学で最大の発見といわれるミラーニューロンを、発見者の大学教授自らが紹介している。ミラーニューロンの名称は,鏡のように他者の行為を映すところから来ている。日本語は翻訳調でぎこちなく読みづらいし,専門的でついていけないところもあるが、分かりやすい例をあげて解説しており理解を助けてくれる。全体でみれば,内容の面白さが読みにくさを上回っている。
 ミラーニューロンは、ある行為をしているときに活性化するだけでなく、他人が同じ行動をしているのを見ているだけでも発火する脳神経細胞のことである。1990年代にサルを使った実験で見つかった。他人の行為を自分の行動になぞらえたり、他人の心を推し量るような人間の社会的知性を理解する手がかりの一つとして期待されている。サルの場合は行為に対象物がない“自動詞的行為(パントマイムのような行為)”に対しては活性化しないところや、口にモノを運ぶ行為をみているときの方が片づける行為をみているときよりも活性化の度合いが強いなどの特性は実に興味深い。

 

日本「半導体」敗戦〜なぜ日本の基幹産業は壊滅したのか?〜
湯之上隆、光文社、p.249、¥1000

2010.1.15

 日立製作所の半導体技術者だった同志社大学教授が、国内半導体メーカー凋落の理由を論じた書。評者は以前、旧知のマイコン技術者に「いま振り返って、こうすれば良かったと思うことは何か」と聞いたことがある。答えは「安く作る技術を開発すべきだった。高性能・高機能に目を向けすぎた」。本書の主張も同じ。日本の半導体産業は過剰品質と過剰技術によって自滅したことを、技術者としての経験と学者になってからの取材で裏付ける。
 画期的な議論が展開されているわけではないが、日本の半導体産業を考えるうえで役立つ情報が盛り込まれているのは確か。半導体業界に詳しくないが関心ある方にはご一読をお薦めする。ただし編集面に難点があり、表記の不統一や不適切な表現が散見されるのは残念である。大学教授らしく文明論に展開しようとして意図通りになっていないのはご愛敬だろう。
 筆者は半導体メーカーにおける「経営の問題」「マネジメントの問題」「プロフェッショナルの不足」「マーケティング不在」を問題点として挙げる。これらは半導体に限らず日本の企業全般に言えることで、いちいちもっともだ。とりわけ経営にプロフェッショナルがいないことが、日本メーカーを悲劇に導いた例は少なくない。昔から言われ続け、いっこうに修正される気配がない。日本企業の宿痾といえよう。

 

雇用の常識「本当に見えるウソ」
海老原嗣生、プレジデント社、p.207、¥1600

2010.1.13

 雇用に関する“常識のウソ”を統計/調査データを丹念に押さえながら暴いた書。マスコミに登場するコメンテータや専門家と呼ばれる種族のいい加減さがよく分かる。「原本に当たる」「当事者に当たる」という基本ができていない。誤った情報、ウソではないが本当でもない情報、思い込みに基づく情報がウイルスのように拡大していくというのが、日本社会の現状である。
 著者がやり玉に挙げるのは、「終身雇用は崩壊した」「日本は成果主義になった」「派遣社員の増加は正社員のリプレースが原因」といった常識の数々。データを駆使して、城繁幸、斎藤精一郎、森永卓郎、中谷巌、門倉貴史といった面々の主張に反論を加える。確信犯なのか、たんなる誤解なのか判然としないが、統計データの読み違えはかなり酷い。興味深いのは中村圭介東大教授の「日本の企業は、大騒ぎを利用して経営をゆるやかにギアチェンジする」という主張。思い当たる節は多い。コメンテータ諸氏は、見えざる手にうまく操られているという訳なのだろうか。

 

全集 日本の歴史:文明国をめざして〜幕末から明治時代前期〜
牧原憲夫、小学館、p.370、\2520

2010.1.8

 明治維新前後の政治状況や社会状況を庶民の視点を取り入れながら解説した歴史書。教科書の記述とは異なる明治時代の現実を明らかにする。新政権が占領軍のような態度で民衆を抑圧し、凶作でも年貢を軽減せず、生きる拠り所である信心世界まで破壊したのが明治政府の所業だったという。歴史は為政者によって書き換えられるというのがよく分かる。
 興味深いのは、民主党による政権交代とのアナロジー。公議尊重を幕府に突きつけていたときには気づかなかったことが、政権奪取後に難題として自らに降りかかかる様子など、今回の政権交代との類似性に驚く。まさしく「歴史は繰り返す」である。
 文明開化の実情も興味深い。文明開化というと四民平等、職業の自由、ガス灯といった明るいイメージで語られることが多いが、庶民の実感とはかけ離れているというのが本書の見立て。お上に仁政を求めず、富者に徳義を求めず、乞食や障碍者のような弱者は追い払い、誰にも厄介にならない独立した個人になることが文明開化だと定義する。「今までは下の者を馬鹿にして治めてきたが、これからは学問をさせて、利口にさせて治めるのだ」という官僚の発言は、現在に通じる本音だろう。

 

デジタルコンテンツをめぐる現状報告〜出版コンテンツ研究会報告2009〜
ポット出版、出版コンテンツ研究会、岩本 敏、小林 弘人、佐々木 隆一、加茂 竜一、境 真良、柳 与志夫、¥1890、p.208

2010.1.6

 出版やコンテンツ配信、印刷、行政といった各界の識者へのインタビューを軸に、出版業界の現状と今後について論じた書。聞き手は本書を出版したポット出版 代表取締役の沢辺均氏。沢辺氏をはじめ、出版社、大学、印刷会社、官僚、コンテンツ流通会社、図書館、新聞社、放送局、弁護士と行ったデジタルコンテンツのステークホルダーが集まった「出版コンテンツ研究会」での議論がベースになっている。気心の知れた者同士のインタビューなので緊張感に欠ける面はあるものの、ポイントを外さない議論になっているのも事実。デジタルコンテンツに関心のある者には有益な内容が詰まった書である。
 興味深い議論を展開しているのは経済産業省の境氏とインフォバーンの小林氏。小林氏は日本版ワイヤードやサイゾー立ち上げの張本人とあって切れ味が鋭い。この書評で以前取り上げ、高く評価した「新世紀メディア論」の著者でもある。「出版社の人はテクノロジーに対してウブ」「ネットにおけるメディア事業を推進するのは“仕組みオタク”だが、そういう人は出版界に少ない。(紙にしか興味を持たない人間ばかり新卒でとっている)大手出版社は採用から考え直さなければならない」など、聞き手の沢辺氏がうまく誘導していることもあって出版業界の問題点を鋭くえぐっている。
 発想の転換を迫っているのが経産省の境氏。「コンテンツビジネスはモノではなく、権利を売る商売だと考えるべき」「複製について複製権として保護するのではなく、ライセンスとして保護すべき」「コンテンツを合法的に入手した人間が私的に利用する目的であれば、複製はライセンスの一部として全面的に認める」など大胆な発言をしている。

 

横田英史(yokota@nikkeibp.co.jp

1956年大阪生まれ。1980年京都大学工学部電気工学科卒。1982年京都大学工学研究科修了。
川崎重工業技術開発本部でのエンジニア経験を経て、1986年日経マグロウヒル(現日経BP社)に入社。
日経エレクトロニクス記者、同副編集長、BizIT(現IT Pro)編集長を経て、2001年11月日経コンピュータ編集長に就任。
2003年3月発行人を兼務。2004年11月、日経バイト発行人兼編集長。
記者時代の専門分野は、コンピュータ・アーキテクチャ、コンピュータ・ハードウエア、OS、ハードディスク装置、組み込み制御、知的財産権、環境問題など。