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2008年

2008年8月

世界一不思議な日本のケータイ
谷脇康彦、インプレス R&D、p.247、¥1800

2008.8.23

 日本の携帯行政を司る総務省の課長が、携帯市場の現状と今後の方向について役所の考えを示した書。官僚らしく手堅い内容で、携帯市場を概観するうえでは役立つ。SIMロックや FON、フェムトセル、MVNO といった話題は網羅してあるので入門書としては悪くない。 逆に言えば、携帯市場についてある程度の知識がある人には驚きが少なく知的満足度の低い書である。評者は、後で参照できるように付箋を貼り傍線を引きながら本を読むが、本書には1本も傍線を引かずに終わってしまった。
 本書を一言で言えば、キャリアが携帯市場のビジネスモデルを決め、携帯電話の機能やサービス内容に大きな発言権をもつ垂直統合型は時代遅れ。そんなことをやっているから世界の潮流に乗れなかった。だからパソコンやインターネットと同じように、水平分散型への移行やオープン化が不可欠というもの。いずれも昔から言われていることで新味はない。
 そもそも日本の携帯市場を“ガラパゴス”状態にした責任は行政に一端があると思うのだが、その反省は本書からは読み取れない。もちろん 、むかし電電公社、いまNTT や行政に頼り切ってアイデアが出ない民間企業も、負けず劣らず調子が悪いが・・・。

 

ジャーナリズム崩壊
上杉隆、幻冬舎新書、p234、¥777

2008.8.21

 安倍内閣の惨状を描いた「官邸崩壊」の著者が、記者クラブの閉鎖性や官僚以上に官僚的といった日本の報道機関(特に新聞とテレビ)の問題点を、自らの体験をもとに暴いた書。要するに、日本の報道機関はジャーナリズムかたほど遠いというもの。昔からある報道機関批判と大差がある訳ではない。ただ政治家秘書、NHK記者、ニューヨーク・タイムズ記者を経てフリーランスになったという筆者の経歴を生かし、実体験に基づいた多角的な切り口を見せているところに特徴がある。役立つところは少ないが、おもしろおかしく読める。

 

甘粕正彦 乱心の曠野
佐野眞一、新潮社、p.475、¥1900

2008.8.19

 無政府主義者・大杉栄の一家虐殺の首謀者として知られる甘粕正彦の評伝。佐野眞一らしく、詳細な取材と徹底した文献渉猟に基づいている。分量も多いし読み応え十分だが、イマイチ胸に迫ってくるものがない。甘粕像がくっきりと焦点を結んでいるかといえばそうでもない。何となく残念。
 「甘粕の趣味は謀略」という記述が途中で出てくるが、謀略に関する記述はごくわずかだし、「夜の帝王」と称された満州での甘粕の動静も通り一遍である。多くの人物が登場するが、書き込みが足らないせいかいずれも印象が薄い。評者には、ビッグコミックオリジナル連載の「龍-RON-」(Wikipedia によると1991年から2006年)で描かれた満州映画協会(満映)理事長のイメージの方が強く残っている。全体にぼ〜っとして、つかみ所のない消化不良のノンフィクションというのが読後感である。
 佐野の興味の中心は、「大杉一家虐殺において、甘粕は憲兵隊という組織のスケープゴートにされた」の一点に尽きる。大杉の死体鑑定書、当時の関係者が残した文献、関係者の子孫へのインタビューを通して仮説を検証していく。その手法はさすがに見事である。残念なのは、週刊新潮の連載が元になっていることもあって繰り返しがかなり目につくこと。単行本化に当たって、もう少し手を入れた方が完成度が高まったと思われる。

 

飛鳥・奈良時代〜律令国家と万葉びと〜
鐘江宏之、小学館、p.366、¥2500

2008.8.13

 歴史上の大事件への言及は最小限にとどめて、飛鳥・奈良時代の庶民の生活に焦点を当てた「日本の歴史 第3巻」。身近というか下世話な感じが出ていて興味深く読める。飛鳥・奈良時代ともなると文書が残っていることもあり、縄文/弥生時代のように自由自在に想像をめぐらすといった感じ薄れる のは仕方がないところか。まあ、それでも十分にロマンを感じる。
 本書が扱うのは、文字、朝鮮や中国との関係、渡来人の果たした役割、役人の誕生、万葉びとの生活、開発と環境問題と多彩。秀抜なのは後半部である。「役人の誕生」では今も昔も変わらない役人根性と腐敗が笑えるし、国の施策に抵抗する庶民の知恵は変に感心させられる。「万葉びとの生活」では衣装住、子供の生活、名前の付け方、病気、大人の遊びといった興味深いテーマを扱っており楽しめる。

 

Inside Steve's Brain
Leander Kahney、Portfolio、p.294、$23.95

2008.8.10

 株価の下落を招くなど、いまや米Apple社にとって最大のリスクとなった感のあるSteve Jobsの健康問題。そのJobsの行動パターンや思考パターンを、Apple創設からiPhoneまでの足跡をたどりながら振り返った書。各章の最後に「Jobsから学ぶ」といった別掲コラムを設けていることもあり、ビジネス書のジャンルに属している。
 著者はWiredの編集者。さすがに業界に精通しており、Jobsへのインタビューも含め読み応えがある。Appleのビジネス戦略とJobsの発想(まさにSteve's Brain)が表裏一体であることがよく分かる。もっとも筆者は明らかにJobs信奉者なので、多少割り引いて読む必要がある。
 そうは言っても、評者が読んだApple本ではJobsの人間失格面に焦点を当てた「スティーブ・ジョブズ〜偶像復活〜」(東洋経済)、Wall Street Journalの記者がジャーナリスト根性丸出しで突撃取材する「Apple」(Jim Carlton)が面白かったが、本書もこれらと肩を並べる出来である。
 ビジネスマンというよりもアーティスト、しかも自分の作品をお金に換える能力に長けたアーティストといった雰囲気のJobsの姿を活写している。それにしてもJobsの言葉はクールである。
“Everything just got simpler.That's been one of my mantras - focus and simplicity”
“Creativity is just connecting things”
“Software is the user experience”
“People don't know what they want untill you show it to them”
“Innovation has nothing to do wit how many R&D dollars you have”などなど、なかなか気が利いている。
 マーケット・リサーチ嫌いのJobsに対するGay Kawasakiのコメントも秀抜。Kawasakiはこう述べている。“Market research for Steve Jobs is the right hemisphere talks to the left hemisphere”(Jobsにとってのマーケット・リサーチとは、彼の右脳の発想を左脳に伝えて実行することさ)。

 

官製不況〜なぜ「日本売り」が進むのか〜
門倉貴史、光文社新書、p.230、\740

2008.8.1

 門倉貴史は、BRICs諸国の経済の専門家として知られる新進気鋭のエコノミスト。BRICsの専門家がなぜ「官製不況」なのかという気もしたが、変わった切り口を見せてくれるのかとちょっと期待して購入したが、残念な結果に終わってしまった。粗製濫造の最近の新書にありがちな内容である。
 何とも総花的で焦点がぼやけた書というのが読後感だ。本書の扱う範囲は、日本株低迷の原因、官製不況、ワーキングプア、年金破綻、サブプライム問題と広い。日本経済で現在問題になっている話題のテーマを次から次へと俎上に載せ、簡単にコメントするというのが本書のスタイルである。コメントもしゃれたものなら読んだ甲斐もあるが、雑誌や新聞レベルの月並みなものが多く期待を裏切られてしまう。
 論理の展開はせいぜい2段階論法で直線的。単純明快なのはいいが、深みのな議論なのも物足りなさを加速させる一因となっている。海外におけるワーキングプアの状況や対策といった部分に著者らしさが少し出ているが、ごくわずかである。

 

2008年7月

滝山コミューン 1974〜戦後とは何か? 自由とは何か?〜
講談社、p.286、\1700

2008.7.30

 マンモス団地の小学校で1974年に起こった出来事を、在校生だった筆者が当時の同窓生や教師へのインタビューも含め克明に描いた書。日教組のストとか国鉄の順法闘争など、騒然としているが、妙に活力のあった時代の雰囲気がよく出ている。マルクス主義への無批判な期待など、こんな時代もあったなぁと懐かしく読める書である。
 舞台は東京都久留米市・滝山団地近くにあった第七小学校である。その第七小学校で1974年に、全共闘世代の教員と滝山団地に住む児童、その母親たちが中心となった地域共同体が作られた。児童を主権者とする民主的な学校運営を目指したもので、筆者は批判を込めて「滝山コミューン」と呼んでいる(書いているうちに、いまでは死語のような言葉が並んでいることに気づき思わず苦笑・・・)。
 滝山コミューンを生み出したのは、全国生活指導研究協議会(全生研)という民間研究団体が打ち出した「学級集団づくり」活動。旧ソ連の集団主義教育に影響を受けた活動で、小学校だけではなく地域住民全体を民主的集団に変革することを目的としていた。滝山コミューンの集団活動は矛盾や欺瞞を含んだものだった。教師が児童を扇動し、洗脳された子供とそうでない子供の間に溝が生まれた。そして子供たちの心に傷を残していく。

 

フォト・リテラシー〜報道写真と読む倫理〜
今橋映子、中公新書、p.256、\780

2008.7.26

 仕事柄、雑誌の掲載された写真を見る機会が多いので、何かの参考になるかと思い購入した書。「メディア・リテラシー」ならぬ「フォト・リテラシー」とは魅力的な言葉だが、残念ながらネーミングに内容が伴っていない。帯にある「写真は真実か?そして、写真は世界を救うか?」という釣書と実際の内容には大きな乖離がある。「世界と時代を思考するための必読書が誕生した」という表現にいたっては、苦笑せざるを得ない。
 芸術評論にありがちな意味なく気取った文章が鼻につくが、中身はさほど高等ではない。有名な報道写真や写真集について時代背景やメイキングの様子が紹介されている。これまで知らなかった報道写真家が数多く取り上げられており、その面では役だった。やらせを否定していた作品が、実は立派なやらせだった事実などゴシップ的な面白さもある。ただし「写真の読み方」や「読む倫理」のブラッシュアップに役立つ感じはしない。

 

カーブボール〜スパイと、嘘と、戦争を起こしたペテン師〜
田村源二訳、産経新聞社、p.511、\2000

推薦! 2008.7.24

 問題なく面白いノンフィクション。丹念な取材に基づき、500ページ余りにわたって「あほバカ間抜けCIA」を裏付ける事実で埋め尽くしている。なんと言っても衝撃的なのは、イラクとの開戦時に米国があげた理由がことごとく根拠がなかったこと。「カーブボール」というコードネームで呼ばれていたイラク人の嘘の証言を真に受け、裏付けをとらずに戦争に突入してしまった。空恐ろしくなる話である。著者は、ロサンゼルス・タイムズの記者でピューリッツァー賞を受賞している手練れである。
 古くはキューバ危機における分析力不足(ケネディがCIAを信頼しなかったせいで米ソ戦争にいたらなかった)、ベルリンの壁崩壊を予測できなかった失態、コソボでの中国大使館誤爆など、CIAの諜報力に疑問が呈されるケースが少なくない。イラクが生物兵器を隠し持っていると報告し米国を戦争に導いた愚行によって、輝かしい歴史に新たな勲章が追加された格好である。
 それにしても、たった一人のイラク人亡命者の言葉を全面的に信頼し、本人への直接尋問や身辺調査さえ行わないという、情報分析の基本を完全に無視したCIAの手法は恐れ入る。結論にあう証拠だけを積み重ね、外部の専門家の異論や疑問をひとつも取り上げなかった。最初から結論ありきで、それを導くために情報を無理矢理当てはめていき、結局は国を敗戦に至らしめた、どこかの記事の軍隊とよく似ている。

 

テレビ的教養〜一億博知化への系譜〜
佐藤卓巳、NTT 出版、p.315、¥2300

2008.7.18

 テレビの持つ教育的な側面にスポットを当てている書。大宅壮一の「一億総白痴化」をもじった「一億博知化」が本書のメインテーマである。テレビは日本人をバカにするのではなく、教養あふれる国民にする潜在能力があるというのだ。筆者が主張するように、教育的な側面でテレビを語った書は少ない。そういう意味で変わった書だが、読む価値があるかどうかは別問題。評者的にはお薦めしない。
 評者のようなテレビッコでも、いまの日本のテレビ番組の惨状はあきれ果てる。土日の夕食時はとりわけ酷く壊滅的である。結局、CATV で 洋物 のドラマを見ることになる(なかでも FOX のドラマはよくできている)。こんな状況にもかかわらず著者の主張は、放送の現場を知らない大学の先生らしく恐ろしく楽観的。
 どの局でもクイズ番組を垂れ流している状況を見ると、テレビの視聴によって断片的な知識を蓄える「博知化」は可能なのかもしれないが、これは「白痴化」と紙一重だろう。知識ばかりで知恵が伴わない“困ったちゃん”が増えるだけである。帯には「テレビは格差社会化を止める教養セイフティ・ネットとなるか」とある。悪い冗談としか思えない。

 

電車の運転〜運転士が語る鉄道のしくみ〜
宇田賢吉、中公新書、p.272、¥840

2008.7.15

 特急電車から貨物列車まで幅広い電車で運転士を務めた著者が語る「電車運転術」。写真をふんだんに使い、鉄道シミュレータの趣を出そうと努力している。写真の解像度が低く少々見づらいが、それなりに雰囲気は出ている。単純な運転術に終わらず、山陽本線を例に出し、場面場面で運転士が何を考えているかを詳細に書き込んでいるのも本書の特徴である。いわゆる“鉄ちゃん”ではなくても、読んでいて楽しくなる。
 電車の駆動系や制御系、筐体、レール、枕木、架線などなど、電車に関する情報が満載である。「新幹線がなぜ速く走れるのか」「どうすれば電車を停止線のところでピタリ止められるのか」など蘊蓄話も多い。ちなみに、「新幹線がなぜ速く走れるのか」の答えとして、「最高時速が速い」だと50%しか正解ではないという。正解は本書を読んでいただきたい。ところどころに「現場を知らない管理職のバカ」といった、運転士のプライドがうかがえるコメントが挿入されているのも楽しい。評者は鉄ちゃんではないが、周遊券とユースホステルで全国を巡るという、1970年代ではごく普通の学生生活をおくった。国鉄にはずいぶんお世話になっただけに、親近感のわく書である。

 

談合の経済学〜日本的調整システムの歴史と論理〜
武田晴人、集英社文庫、p.325、¥533

2008.7.11

 先月の書評で取り上げた「市場検察」で参考文献として挙がっていた書。繰り返される談合について、歴史的背景を振り返りながらその経済的な意味を論じている。豊富な具体例を使って、日本社会に根付く調整システムの仕組みを解説する。「そういえば、そんな事件があった」と思い起こされるものばかりである。逆に言えば、読んでもそれほど驚く事実があるわけではなく、何となく単調である。一方で、談合に効果絶大だった「課徴金減免制度」の凄さが伝わってくる。

 

著作権法
中山信弘、有斐閣、p.541、¥4200

推薦! 2008.7.7

 久しぶりの推薦マーク。知的財産権の大御所で、今年初めに東京大学を退官した中山信弘氏の渾身の1冊。日本の著作権法を詳細に解説した学術書だが、そうそうお目にかかれないほど刺激的である。無味乾燥と思いがちな法律を、「要するに何を意図した条文なのか」「デジタル化の進んだ現在から見て、現状の条文はどうなのか」という視点から明快に論じている。法律のココロといったものが、伝わってくる本である。グタグタと冗長で、要するに何かが不明な学術書とは一線を画している。分厚し少々高価な本だが、少しでも著作権に興味のある方は買って損はない。
 本書読んで驚くのは、中山氏ほどの大御所がインターネット文化を的確に理解しており、現状にすさまじい危機感を募らせていることである。中山氏の主張は、「中山信弘氏の情熱」や「著作権法に未来はあるのか?」 を読むとよく分かるが、それは本書にも色濃く出ている。著作物の多様化、情報の多様化に法律は寄与する必要があるのに、実際のところ足を引っ張っている。世の中、ヒトのために役立っていないと断じる。著作権法がデジタル化の進んだ現状にマッチしていないのは、ダビング10や iPod への課徴金といった最近の動きをみても明らかである。
 中山氏はこう述べている。「(著作権法は)近年急増している産業的な著作物を取り込んでしまった結果、異物が異常繁殖し、制度自体がのたうち回っている」と。こんな表現もある。「一億総クリエータ時代となり、自己の作品をインターネットを通じて容易に発信することができ、一般大衆がそれを受け、それに更に加工し、自分なりの創作性を加味してインターネット等で発信する。(中略)しかしながら翻案文化は未だ<<怪しげな>>存在として認識されており、著作権法上は継子扱いされ、<<撲滅されるべき文化>>の様相を呈している」。
 残念なのは、後半部分で誤字脱字のたぐいが続くところ。これは編集者の問題でもあり、増刷時には修正を望みたい。

 

見学に行ってきた〜巨大工場、地下世界、廃墟・・・〜
小島健一、マーブルトロン、p.128、¥1800

2008.7.6

 コンビナートなどの巨大工場、東京の地下に存在する放水路や共同溝、屋久島の原生林など、一度は見てみたい(社会見学したい)場所を撮った写真集。扱う対象は興味深いものが多い・それだけに、1枚の写真ではどうも物足りない。写真自体にはそこそこ迫力があるのだが、周到な準備がないと感動は呼べないものだということを再認識させられる1冊である。
 構成にも難がある。写真と文章が完全に分離しており、何の写真なのかを知るために、いちいち巻末の文章を探す必要がある。文末の説明にはページ数(ノンブルと業界では呼ぶ)がうってあるのだが、肝心の写真にノンブルがない。まったく支離滅裂である。編集の意図が分からない。読者のことを考えていない、使い勝手の悪い本である。

 

介護〜現場からの検証〜
結城康博、岩波新書、p.224、¥740

2008.7.1

 無定見な行政、それに振り回される介護現場と老人介護を行っている家族という構図がよく分かる書である。高齢化が急速に進む日本の社会において、介護は避けては通れない問題。その問題を、現場を知らない学校秀才の官僚がメチャクチャにしていることがよく分かる。岩波の本なのでバイアスが気になるところだが、抑えられた筆致には極力客観的に論じようとする筆者の姿勢が感じられる。
 筆者は淑徳大学の准教授だが、非常勤のケアマネジャーとしても活動している。本書では介護サービスの利用者とその家族、介護従業者、行政担当者、政治家など、幅広い層にインタビューして、日本の介護の現状を明らかにしている。特に介護現場(家族とサービス従事者)の声は悲痛である。評者のように年老いた親をもつ人間にとって、身につまされ暗澹とさせられる話ばかりだ。
 介護保険がスタートしたのは2000年。その後の改訂(2006年)を経て、理念がねじ曲げられてしまったという印象が強い。必要なヒトに必要なサービスを提供できない(要支援と要介護の区分の理不尽)、介護士の報酬はあまりにも低く、やる気はあっても生活できない、制度をこねくり回した結果、該当する高齢者が存在しなくなって「特定高齢者」といった問題が次々に生じている。この書評で以前取り上げた多田富雄「わたしのリハビリ闘争〜最弱者の生存権は守られたか〜」と同様、体が不自由になったり年老いることが、日本においてどういう意味を持つのか深く考えさせらてしまう1冊である。

 

2008年6月

フリーペーパーの衝撃
稲垣太郎、集英社新書、p.190、¥680

2008.6.28

 R25やホットペッパーなどの登場で少し前に旋風が吹きまくったフリーペーパーについて、朝日新聞のデジタルメディア担当社員(記者ではなさそう)がまとめた書。ジャーナリズムと商業主義の境界、紙とインターネットの境界にくさびを打ち込むような出版形態は実に興味深い。「お金を払って読んでもらえるコンテンツだからこそ広告を出す価値がある」という“定説”に、どのように立ち向かったのかを紹介している。
 日本では、専門誌の領域でEE Times や IT Leardes といったコントロールド・サーキュレーションの雑誌が増えてきたこともあって、評者のような人間にとってとても気になる(米国ではコントロールド・サーキュレーションの専門誌は珍しくない)。本書には突っ込みが足りない部分や逆に冗長な部分が多々あるが、国内外におけるフリーペーパーの現状を知る上で役立つ一冊である。もちろん、一般の方が読んで役に立つかは別問題だが・・・

 

コミュナルなケータイ〜モバイル・メディア社会を編みかえる〜
水越伸 編著、岩波書店、p.287、¥2200

2008.6.26

 久しぶりに登場した調子の悪い本。iPhone がまもなく登場するので、約1年前(2007年3月)に上梓された本が、どの程度正しくモバイルの未来を予測していたかを知るという意地の悪い目的のために読み始めたが、時間の無駄だった。そもそも本書を購入した評者が悪いのだが、論理展開が評者の頭の構造と徹底的に相性が悪く、何度も途中で投げだそうかと思ったほど。
 タイトルとなっている「コミュナル(communal)」という言葉がどの程度認知されているのだろうか。「共同の」「共有の」「あるコミュニティのみんなによって共有の」といった意味というが、本書の内容からして、聞き慣れない言葉を使う意味をほとんど感じない。要するに携帯電話はその潜在能力を生かし切れていない、コミュナルな部分に携帯電話の新しい可能性があるので、それを紹介するというのが本書の趣旨だが、残念ながら成功しているとは言い難い。
 水越が主導するプロジェクトの内容がいくつか紹介されている。日本と外国における接し方の違いなど興味を引く部分もあるが、オッと驚くような目新しい知見が紹介されているわけでもないので、すぐに退屈する。さらに社会人大学院生たちの生半可な言葉遣いが、空疎さを際だたせているという悪循環に陥っている。

 

続獄窓記
山本譲司、ポプラ社、p.375、¥1600

2008.6.23

 民主党代議士だった山本譲司が、囚人としての体験を綴った「獄窓記」を出版してから4年。本書はその続編である。出所してからの生活を中心に描いている。お手本のようなプレーンな文章で好感が持てるし、頭でっかちで理論先行の“学者先生”や“政治家先生”たちの書(ちょうど今読んでいる)に比べ格段に説得力がある。
 前半は情緒的な雰囲気が漂う。前科者という負い目から、社会復帰になかなか踏み出せない心の葛藤や、周囲の人間や肉親の人情のありがたさを描いている。政治家から前科者へと落ちた社会的落差が大きく、囚人コンプレックスに苛まれる様子や、福祉に残りの人生を賭けようとするが専門学校の書類選考に続けさまに落ちるなど、社会の壁にぶち当たって落ち込む様子が描かれる。
 雰囲気が変わるのは「獄窓記」の執筆や出版あたりから。ポプラ社との出会いの場面がなかなかいい。自信を取り戻し、徐々に仕事モードへと移っていく。山本が仕事として選んだのが刑務所改革と民間による刑務所運営事業(いわゆる民活刑務所)である。囚人の4分の1が知的障害者という状況にあって、現在の刑務所は適切に運営されていないと山本は主張する。民活刑務所については、セコムが手がけた第1号の「美祢社会復帰促進センター」がテレビに取り上げられたこともあり認識していたが、その後もどんどん増えていることは全く勉強不足で知らなかった。いろいろ教わることの多い良書である。

 

市場検察
村山治、文藝春秋、p.445、¥1857

2008.6.19

 「特捜検察 vs. 金融権力」の著者(朝日新聞編集委員)による新刊。非常に多くの情報が凝縮された力作である。とりわけ第四部「司法取引」は白眉だろう。この書評欄でも多くの特捜検察本を紹介してきたように、評者はこの手のジャンルを好んで読んでいる。そのため、かなり新規性に富む内容でないと、どうしても読後にデジャブ感が残ってしまう。いずれの本もノンフィクションなので、同時期を扱えば出てくる検事や官僚、政治家の名前は当然同じになるし、取り上げることのできる“人材”はそもそも限られるので仕方がないことなのだが・・・。
 では本書はどうだったか。前半の4分の3は、大蔵官僚の汚職、KSD 事件や日本歯科医師連盟ヤミ献金事件、UFJ 銀行の検査妨害、検察庁の総長人事をめぐる法務官僚対現場派の争いといった話題が並び、どこかで読んだ感がやはり強い。細部にこだわったキメ細かい取材ということは伝わってくるが、大枠ではデジャブ感が否めない。俄然面白くなるのが後半4分の1で取り上げる「司法取引」の話。検察が「政治の巨悪」から「市場経済の巨悪」の摘発へと方針を転換し、かつては敬遠した談合にも斬り込み始めた下りだ。
 そのときに強力な武器になったのが「課徴金減免制度」である。公正取引委員会の立ち入り検査前に自ら談合を申告した企業に対しては課徴金を減免する制度で、最初に申請した企業は全額、刑事告発も免れる(2番目は半額、3番目は30%の減額)。この制度を最初に活用した三菱重工業の動き、その後、我も我も減免を得るために談合の申告を競う企業の姿を生々しく描いており、実に興味深い。ちなみに、課徴金減免制度は日本の司法で禁じられてる司法取引と微妙な関係にあることも本書は明らかにしている。効果てきめんの薬が副作用を生んだわけだ。  最後の方で語られる「自白がとれなくなった特捜検察」という話は少々身につまされる。戦後の特捜検察には、独特の死生観や貧困からはい上がった検事がおり、人間的な迫力で自白をとっていた(国民のお上意識も残っていた)。その次の世代のなかには、第一世代の薫陶を受けており相手を説得して供述を得る異能な検事が存在した。お上意識は薄れてきた世相でも、何とか格好をつけられた。しかし、こうした野武士タイプが消え、秀才集団になった検察は急速に“ヒト”に弱くなってしまった。日本社会のあちこちで聞く話である。日本社会の生きる力の衰退を感じてしまう。

 

日本の歴史:日本の原像
平川南、小学館、p.355、¥2520

2008.6.15

 文献、考古学、民俗学、国語・国文学、さらには自然科学も総動員して古代社会の実像に迫ろうという意欲作。「新視点古代史」というサブタイトルも納得できる内容である。本書の最大の面白さは、考古学とのリンクにある。物証に基づく論考には説得力があるし、古代遺跡や遺物にはそもそもロマンがあって楽しい。火山の噴火で埋もれた村から、古代の生活ぶりを復元する話など、読んでいてワクワクする。
 本書はまず「天皇」や「日本」という言葉の生い立ちにふれる。次いで米作、都市作り、特産物、交通(港と道)、国語と文字、民俗信仰などの話題を展開する。それぞれに興味深い話が盛り込まれている。特に漢文・漢語から和文への変遷を考古学的資料から追ったり、文字の習熟度を書き手の官位と関連づけた下りはなかなか読ませる。

 

ほんとうの環境問題
養老孟司、池田清彦、新潮社、p.189、¥1000

2008.6.13

 環境問題で科学的に不確かな説がまかり通っていることと、環境関係で本来行うべきことがなおざりにされている点を、“虫”屋の二人の学者が憤っている書。現在の議論は枝葉末節ばかりに集中しており、本当に大切なことに切り込んでいない。全編が「あほ馬鹿間抜け環境問題」といったトーンで貫かれている。ただし養老は医学者、池田は生物学者ということもあって、威勢がいいのだが、何となく尻切れトンボで最後の最後のところでは断言しきれていないところが弱い。
 環境問題や排出権問題で、国益を優先して戦略的に行動している欧米に比べ、日本の外交はお人好しすぎると繰り返し警鐘を鳴らしている。そもそも省エネ先進国の日本は、今以上の省エネ(そもそも糊代が小さく効率が悪い)を進めるよりも、その技術を世界中に展開することを優先すべきだと述べる。いい格好をしたいだけの「洞爺湖サミットなどやめちまえ」と締めくくる。

 

Grand Theft Childhood:The Surprising Truth About Violent Video Games and What Parents Can Do
Lawrence Kutner、Cheryl K. Olson 共著、Siom & Schuster、p.260、$25

2008.6.12

 ビデオゲームは子供にとって有害かどうかを調査した結果を紹介するとともに、親の子供に対する接し方を論じた書。後者は付け足しの感が強い。前者の結論は子供の暴力とビデオゲームとの間に強い相関は見られないというもの。メディアによって子供の暴力事件が針小棒大に扱われた結果、ビデオゲームの暴力シーンの影響が誇張されて世間に伝わったと断じる。むしろ交友関係を築くなど、子供の社会性を養う上で重要な役割を果たしていると指摘する。さらにビデオゲームが空間把握力を高める効果があり、エンジニアリング領域への女性の進出に役立つという指摘も行っている。
 「子供に悪い」という主張は、新しいメディアが登場するたびに同じ議論が繰り返されている。時間がたち新メディアでなくなる(別のメディアが勃興する)と雲散霧消すると著者は指摘する。古くは書籍(焚書)、映画、ラジオ、テレビ、漫画だって同じ経過をたどったことを検証している。そもそも子供は親が考えるほど馬鹿ではなく、親の価値観を受け継ぎ、適切な判断を下してゲームをつきあっていることをヒアリングに基づいて指摘する。
 本書の基になっている調査は司法省が150万ドルを出し、 Harvard Medical School Center が中心となって2004年から「暴力ビデオと子供」というテーマで行われたものである。内容にそれほど驚きはないが、米国で行われているゲームのレーティングの仕組みは興味深い。本書のタイトルとなっている「Grand Theft Auto」は暴力シーンが問題視されたゲームで、M(mature)というレートがつけられている。レートは EC(Early Childhood)から AO(Adult Only:18歳以上)まで6段階に分かれており、M は17歳以上で上から2番目のランクである。AO とM はたった1歳しか違わないのは不思議な感じがするが仕方がない。ちなみに著者はメンタル・ヘルスの研究を手がける 米 Harvard Medical School Center の共同創設者である。著者紹介によると、Lawrence Kutner は児童心理学者として有名らしい。

 

政治と秋刀魚〜日本で暮らして四十五年〜
ジェラルド・カーティス、日経 BP 社、p.251、¥1600

2008.6.4

 このところテレビで顔を見ることの多い、コロンビア大学教授ジェラルド・カーティスのエッセイ。1964年の来日以来、40年あまりにわたって観察している日本政治と日本社会について、ときに米国と対比しながら書きつづっている。クセのない、優しい文章である。
 1964年といえば池田勇人が退任し、佐藤栄作が長期政権を敷いた最初の年に当たる。自民党と社会党がするどく対立していた時代である。その後、選挙制度が中選挙区制から小選挙区制に変更になったり、細川政権ができ一度は野に下った自民党が、社会党と組むというアクロバティックな方法で政権党に返り咲いたり、政治的には起伏の多い40年だった。小泉政権の誕生も、旧来の枠組みからは考えられないエポックメーキングな出来事である。1964年から2008年の間、総理大臣の数は20人に上る。政治学者なので不思議はないが、ジェラルド・カーティスは佐藤栄作から福田康夫にいたる20人の総理大臣のうち19人と面識があるという。彼らに対する人物評は少々甘口だが、本書の特徴に一つといえる。ちなみに福田康夫に対する評価はけっこう高めである。ちなみに唯一の例外は69日で辞任した宇野宗佑である。
 日本社会については古き良き日本社会や日本語の美しさに言及する。日本通の外国人の著作にありがちな内容だが、もっともな指摘も多い。この書評で以前取り上げた山岸俊男の「日本の「安心」はなぜ消えたのか」と通底する議論も展開している。

 

CORE MEMORY〜ヴィンテージコンピュータの美〜
Mark Richards ・写真、John Alderman ・文、鴨澤眞夫・訳、オライリー・ジャパン、 p.153、¥3570

2008.6.1

 Z23コンピュータシステム(寡聞にして知らなかった)、ENIAC に始まり、Google 最初のサーバーの終わるコンピュータの写真集。エンジニアあがりの評者はコンピュータの内側を見ることに無上の喜びを感じるが、本書の鮮明な写真はその願いをかなえてくれる。ラッピングの配線やプリント基板、イモはんだなど、とてもいい。
 選択されているコンピュータのラインアップはほぼ順当なところ。ENIAC や UNIVAC I、System/360、PDP-8、Altair、Cray-1/2/3、Apple I/IIといった顔ぶれに著者の思いが感じられる。Macintosh からいきなり米 Google の最初のサーバー・マシンに飛ぶところに Windowsマシンに対する筆者の評価がはっきりと表れている。1台も売れなかったマシンも掲載されているが、その造形はなかなか美しい。日本からは NEC の NEAC2203が唯一エントリされている。日立製作所や富士通の PCM(plug compatible machine)は対象外になっている。Xerox PARC の Alto は資格十分だと思うが登場しないし、東芝の Dynabook が選に漏れているのも少々残念である。HP の関数電卓が登場しているので、任天堂のファミコンや SCEのプレステが登場してもおかしくないと思うのだが・・・

 

2008年5月

霞が関埋蔵金男が明かす「お国の経済」
高橋洋一、文春新書、p.176、¥700

2008.5.29

 「財投改革の経済学」、「さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白」と立て続けに上梓した高橋洋一の第3弾。さすがに時間がなかったのか、インタビュー形式をとる手軽本である。内容はタイトルから察しがつくように、前2冊を踏襲しつつ若干のプラスアルファをしたもの。インタビュー形式なので、読みやすくはなっている。筆者の勢いにつられて、つい食指が伸びて買ってしまった。高橋洋一が「佐藤優」化してしまったのはまずい(ほかでは元・民主党国会議員の山本譲司も佐藤優化している)。今後、粗製濫造になる可能性もあるので自戒しなくては・・・。
 本の帯に「高校1年生〜財務官僚・日銀マン向け」と、財務官僚や日銀マンは高校生レベルだとイヤミをきかせている。内容は相も変わらず政府や官僚、日銀の批判のオンパレード。高校生レベルでもわかる経済政策をとらないことが、日本の経済を迷走させていると主張する。例えば日銀総裁の役割がどれほど大したことがないかを、FRB 議長などと比較してチクリチクリと皮肉る。お決まりの財政や金融への批判、埋蔵金問題のほか、公務員改革や地方財政の問題にも触れている。

 

限界自治夕張検証〜女性記者が追った600日〜
読売新聞北海道支社夕張支局編著、梧桐印書院、p.319、¥1600

2008.5.24

 借金が全体で632億円、住民一人あたりだと526万円。2006年に財政再建団体となった夕張市に関する、読売新聞の記事をベースにしたルポルテージュ。サブタイトルの“女性記者”は余分な気がするし、新聞やテレビで見聞きしている内容が多く含まれていることもあり、内容のは予想の範囲で驚きが少ない。若手記者の習作といったところが散見されるのも少々辛い。とは言うものの夕張問題を振り返る意味では労作なので、関心のある方にはお薦めできる1冊である。
 夕張の転落は構図としてはありがちである。地域を支えてきた産業(夕張の場合は炭坑)が斜陽になり、乾坤一擲と乗り出した事業が「貧すれば鈍する」でうまくまわらない。そんな自治体にむらがるコンサルや政治(夕張の場合はワンマン市長)、そして最後はカネにまつわる醜聞(夕張の場合は粉飾決算とヤミ起債)。結局ツケは、教育や福祉、公共サービスにまわり、住民が苦しむという構図である。本書は、こんな転落の軌跡を丹念に追っている。
 ジャーナリストとしての喜びや苦悩をストレートに表現しているのも本書の特徴の一つ。内側の論理(要するに船場吉兆の論理)で口を閉ざす夕張関係者から話を聞き出す醍醐味や、他の新聞社との競争など記者の生態を活写している。甘いところもあるが、それも愛嬌だろう。

 

キャベツにだって花が咲く〜知られざる野菜の不思議〜
稲垣栄洋、光文社新書、p.214、¥740

2008.5.23

 野菜に関する蘊蓄が語られている本。だから何なのと問われると困るが、最近の新書らしくお手軽にまとまっている。生物の神秘といった、これまた最近人気のトピックもきっちり押さえている。大ヒットは期待しないが、赤字が出ないほどに売れてほしいという編集者の願いが想像できる。
 本書は4章から成ってる。第1章は「野菜に咲く花、どんな花」、第2章は「植物のどこを食べている?」、第3章は「野菜はどこからきたのか?」、第4章は「ちゃんと野菜を食べなさい!」。タイトル通りの内容である・2時間少々あれば読める内容なので、東京から名古屋への出張の暇つぶしには手ごろだ。

 

戦争の経済学
ポール・ポースト著、山形浩生訳、バジリコ、p.430、¥1800

2008.5.22

 戦争を経済学的に分析した書。戦争だけではなく、テロや内戦も俎上にのせて議論している。経済学の教科書という位置づけなので、とても真面目で丁寧、そして地味である。授業で使うことに配慮して演習問題や要点、キーワードまでついているが、こちらは読み飛ばしても構わない。400ページを超える本の割に、あっと言う間に読めてしまう。経済学に疎い評者でも問題なく読みこなせた。
 全体は大きく三つに分かれている。第1部で「戦争の経済効果」、第2部で「軍隊の経済学」、第3部で「安全保障の経済面」について議論する。読んだ第一印象は「戦争の経済学」というより「戦争の経営学」の方がタイトルとして適切ということ。プロジェクトとしての戦争、事業としての戦争といった切り口で、戦争にかかるヒト(兵士)・カネ(軍事費)・モノ(兵器)について数字に基づき詳細に分析している。同時に、戦争と民間投資や株価、景気、貿易収支、国民総生産との相関などにも言及している。戦争には、「戦争は国の経済にとってよいものだ」という鉄則が存在するが、著者はデータに基づいて反論を加える。とりわけ発展途上国における内戦は国を疲弊させるだけと断じる。また国連の平和維持活動は、軍事介入に比べてはるかに経済的に効率のよい政策であることも示している。
 秀抜なのは、普通では目にすることがないようなデータが続々登場することだ。F-16戦闘機の取引構造や、戦争請負会社(PMC)の契約金額、核物質闇取引市場の実売価格など、大学教授がどこから仕入れたのだろうといったデータが満載である。ここを拾い読みするだけでも、知的好奇心を刺激される。ちなみに、「マクドナルドが店を出している国同士は戦争をしない」という、ニューヨークタイムズの記者が唱えた『金のアーチ理論』がある。この理論も検証し、貿易は平和につながることをデータに基づき示している。

 

政局から政策へ〜日本政治の成熟と転換〜
飯尾潤、NTT 出版、p.290、¥2300

2008.5.20

 この20年の日本政治を鳥瞰的な視点で振り返った書。中曽根、竹下、リクルート、日本新党、新進党、社会党など、すっかり昔話になってしまった政治の流れをスッキリ整理した良書である(文章に若干難があるのは少し残念)。現在の政治状況を生んだ伏線を、過去の政局と関連づけて分析を試みている。これが、なかなか説得力をもっており読み応え十分である。
 永田町の住人だった人間が著した政治絡みの本はどこかドロドロして「裏があるのでは」「本音は別のところにあるのでは」といった感じがするが、本書は学者の著作と言うこともあり論理がクリアで好感が持てる。著者の飯尾は政策研究大学院大学教授。前著の「日本の統治機構」(中公新書)でサントリー学術賞を受賞している。  本書が強調する点が二つある。一つは、自民党一党独裁時代の日本における政治のカバー範囲の狭さ。政治とは政局の意味でしかなく、政策と完全に切り離されていた。つまり政策を作る主体は官僚で、政治家は民意を官僚に取り次ぐ役割しか担っていなかった。「天下国家のことを考える賢い官僚と、無理を聞いてくれる優しい御用聞き政治家」といった著者の表現はなかなか皮肉が効いている。
 もう一つは細川内閣以降の政治状況の劇的な変化。細川内閣以降は、首相が自分で主導権を発揮しないと人気を保てなくなったと強調する。小泉政権に対する著者の評価は、無批判な礼賛に堕することなく冷静である。「改革と言うだけで人気が出た」「総理になるための準備が不足しており、当初は具体的な政策を欠いた」「取り上げた政策に目新しさはないが、20年来の懸案を強力な指導力のもとで実現した」とする。一方で対立勢力は「民意の変化が読めず、政局で小泉を追い詰めようとしたが、民意(選挙)をバックにした小泉に粉砕された」といった分析を加える。最後に安倍内閣と福田内閣にも言及するが、いずれも手厳しい。

 

電子個人データ保護の方法
橋本誠志、信山社、p.251、¥3600

2008.5.15

 筆者が同志社大学に提出した博士論文に直近の状況を加筆した書。2007年9月に出版された本なので Winny 開発者への京都地裁判決に言及するなど鮮度は悪くない。法学博士の論文とあって文章は堅めでまどろっこしい点もあるが、それほど酷いものではないので、評者のような一般人にも読みこなせる。  電子化された個人情報を保護する法的枠組みの歴史的経緯と現状、さらには行政や民間事業者における個人情報保護の現状を概観することができる。評者のように会社で個人情報保護の監査を行っている人間にとって、実務書ではないが頭を整理するうえで役立つ。筆者は、日本の個人情報保護の枠組みが事前規制に集中しており、プライバシー侵害が起こったときに司法によって事後救済が行われるまでの間に大きなタイムラグがある点を問題視する。特に電子データの個人情報は瞬く間に拡散し、被害はあっという間に広がる。この点を解決する手段として筆者が掲げるのが、博士論文の主題「電子的自力救済型個人データ保護制度」である。
 これは、個人情報の持ち主が情報の利用の可否と内容をコントロールする枠組みである。そのためにデータ流通管理機関を設けて、個人と事業者、第三者のデータ取得者の間の仲介と個人情報の管理を実施する。これは裁判を介さずに紛争を解決する手法でADR(Alternative Dispute Resolution)と呼ばれるらしい。本書では注釈なく ADR を使っているが、門外漢にはとても不親切である。

 

日本の「安心」はなぜ消えたのか〜社会心理学から見た現代日本の問題点〜
山岸俊男、集英社インターナショナル、p.261、¥1600

2008.5.12

 この書評欄を始める前だったかもしれないが、1999年ころに中公新書で「安心社会から信頼社会へ〜日本型システムの行方〜」という本を読んだことがある。本書は同じ筆者の続編である。「品格」「武士道」「偽装」といった今どきのキーワードが続々登場する。ただし、主張の根幹や裏付けにつかう心理学の実験内容は約10年前とほとんど同じ。同じだが、今風にアレンジしてあるので、それなりの説得力をもって迫ってくる。
 著者の主張は、日本の社会は元来、ムラの論理で相互に監視しあうことによって「安心感」を得てた。ムラの論理に逆らえば村八分が待っているので抑止力がきく。ただし、けっして相手を信頼している訳ではない。社会の仕組みが安心を提供することによって、いちいち他人を信頼しなくてもいいようにできているからだ。ムラの世界に安住できていれば、それこそ“パラダイス鎖国”。だが、世の中はグローバル化の時代でそうはいかない。他人から裏切られたり騙されたりするリスクを計算に入れても、他者と協力関係を結ぶことによって得られるメリットが大きいと考える信頼社会と対峙しなければならない。  カナダの学者ジェイコブズによると、安心社会と信頼社会は、それぞれ独立したモラルの体系を作り出しているという。前者は「市場の倫理=商人道」で、他者と協力関係を築くために「正直たれ」「契約尊重」「勤勉たれ」「楽観せよ」が規範となる。後者は「統治の倫理=武士道」である。集団を構成しているメンバーの結束を図るために「規律遵守」「位階尊重」「伝統堅持」「忠実たれ」が重要になる。これが自分の属する組織(集団、会社)を守るためには、嘘をつくこと(偽装)も厭わないという態度につながっていく。
 筆者が警鐘を鳴らすのは、本来なら「市場の倫理=商人道」重視に向かわなければならない日本社会で、「精神を鍛え直すために、武士道の精神を取り戻す必要がある」といった風潮がはびこっている点。武士道的な精神を排し、商人道を広める運動を展開すべきと主張する。示唆に富む指摘の多い書である。

 

コメは政なれど・・・〜ウルグアイ・ラウンド異聞〜
望月迪洋、オンブック、p.302、\1600

2008.5.8

 ガット ウルグアイ・ラウンドにおけるコメ開放をめぐる日米欧(当時はEC)の駆け引きを、当時の官房副長官で元農相・近藤元次を軸に描いたノンフィクション。近藤元次とは寡聞にして知らなかった政治家だが、黒子に徹しながら、交渉の妥結に道筋をつけた立役者と目される。宏池会の重鎮として自民党で貴重な存在だったようだ。本書は、農林族議員や農協に引きづり回され、コメにこだわるあまり全体で見れば国益を損なったウルグアイ・ラウンドの交渉の過程を、1990年代初頭の政治状況を交えて活写する。突っ込みが浅く物足りなさを感じる場面も少なくないが、農業問題をざっと知ることのできる書である。
 ウルグアイ・ラウンドから20年弱たつが、日本な貧困な農業政策は相変わらず。食糧自給率は40%を切り、新規の農業就業者にいたってはかつての40万人からいまや2500人である。やることと言えば弥縫かバラまき。農家への所得補償制度といった大盤振る舞い政策まで取りざたされる始末である。本書では、哲学と意思の強さで交渉に当たった欧米と、目先のごまかしと先送りに終始した日本の差を浮き彫りにしている。

 

仕事に役立つインテリジェンス〜問題解決のための情報分析入門〜
北岡元、PHP新書、p.219、\720

2008.5.6

 佐藤優の登場以来、インテリジェンスを扱う書籍が増えた。粗製濫造といった感があるが、正直いって本書もその一つ。情報の分析をビジネスに生かす手法をい紹介しているものの、中身にさほど目新しさはない。朝日新聞の書評を見て購入したが、残念ながら期待したほどではなかった。

 

ジャズの巨人たち
スタッズ・タケール、諸岡敏行・訳、青土社、p.268、\2200

2008.5.1

 読書のジャンルはお構いなしの評者だが、音楽CDに関してはチャーリー・パーカーやウイントン・マルサリスをはじめとするジャズを聞く機会が比較的多い。(クラプトンのブルースやビリー・ジョエルのロックも好きだ)。日常的にiPod Touchを持ち歩いているが、容量が8Gバイトと小さいのでジャズに絞って録音している。本書は、かなり古めのジャズ・ミュージシャン13人に関する評伝である。268ページで13人なので、ひとり当たり20ページ程度。少々物足りないが、ざっくり経歴を知るには適度である。
 本書が扱っているのは、ルイ・アームストロング、デューク・エリントン、ベニー・グッドマン、カウント・ベーシー、チャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンといった、すでに伝説になっている面々。多くが貧困からのし上がりながら、酒やドラッグで身を持ち崩し悲劇的な最期を迎えている。なぜか帝王マイルス・デービスが出てこない。例外的に裕福な家庭出身だったということが影響しているのだろうか・・・

 

2008年4月

Googleを支える技術〜巨大システムの裏側の世界〜
西田圭介、技術評論社、p.262、\2280

2008.4.26

 久々に読んだ技術書。飛ぶ鳥を落とす米Googleを支えている、検索エンジン、クローリング、分散ストレージ、データセンター、ソフトウエア開発手法といった基盤技術に光を当てて解説している。記述のレベルは情報系学部の3年生程度である。広範な話題を扱っているので深く知ることのは難しいが、入門書としては十分なレベルに達している。引用がしっかりしているので、さらに学びたい読者はそちらにアクセスすればよいだろう。  ビジネス的な側面が脚光を浴びる今日この頃のGoogle。でも、技術面をもっと論じられていい。技術に関しては秘密主義の印象があるGoogleだが、本書を読むとIEEEなどの学会やWebでそこそこ技術の概要を公開していることがわかる。本来なら技術誌がめざとく見つけて、タイムリーに報道すべき内容。書籍の後塵を拝したのは少々残念である。
 興味深いのは分散システムの仕組み。なにせGoogleは米国に少なくとも12カ所、欧州に5カ所のデータセンターを運営しているといわれる(写真はここ)。これを効率よく動作させることがGoogle成功の肝。その分散ストレージ、分散ファイルシステム、分散ロックシステム、分散データ処理、専用言語などの仕組みを本書は明らかにしている。Googleの運用にも目配りしているのも本書の秀抜なところである。

 

わたしのリハビリ闘争〜最弱者の生存権は守られたか〜
多田富雄、青土社、p.170、\1200

2008.4.24

 免疫学者で著書も多い多田富雄は2001年に旅先で脳梗塞で倒れた。その後はリハビリに励み、何とかパソコンで文章を入力できるまでに回復した。その多田を激怒させ絶望させたのが、2006年4月に厚生労働省が行った保険診療報酬の改定であり、それに伴うリハビリ打ち切り政策である。本書は、このリハビリ打ち切り政策の理不尽さを切々と訴え、厚労省官僚の狡猾さや小賢しさを糾弾している。
 読み進むほどに、やるせない気分のさせられる。残念ながら繰り返しが非常に多いのが難点だが、この国でどのような不合理が行われているかを知ることができる書である。

 

パラダイス鎖国〜忘れられた大国日本〜
海部美知、アスキー新書、p.191、\724

2008.4.23

 愛読している池田信夫のブログ(ここ)でよく登場する言葉が、本書のタイトル「パラダイス鎖国」。国内市場がそこそこ大きいため、必要以上に多くのメーカーやベンダーがひしめき、日本だけの論理で行動する。その結果、グローバルで通用しない規格や機能がはびこる。皆がそこそこ儲かるので、何となくパラダイスである。もちろん利益率は低いし、世界市場で売れない製品やサービスを抱え、海外に出るにでられず国内で過当競争に陥る。当然、疲弊する。そんな状況をピッタリ言い表したのが「パラダイス鎖国」である。
 こんな素敵な言葉を2005年頃に生み出した著者の本だが、米国在住の日本人コンサルタントのエッセイに毛の生えた程度で期待はずれだった。かつて大国だった日本が、「ジャパンバッシング」から「ジャパンパッシング」、さらには「ジャパンナッシング」に至った過程に自分なりの解釈を試みているが、切り口に鋭さがなく平板。残念ながら得るところがほとんどない本である。

 

出版社と書店はいかにして消えていくのか〜近代出版流通システムの終焉〜
小田光雄、論創社、p.277、\2000

2004.4.22

 2月に書評した「出版業界の危機と社会構造」の基になった書。もともと、ぱる出版が1999年6月に出版した書だが絶版になっていた。再版の要求に応えるとともに、新たに講演と論文2本を加え上梓に至った。
 約10年も前に出版された本だが、書店と出版社の惨状は相変わらずである。2008年に入っても新風社や草思社といった有名どころが民事再生法申請という道を選択した。本書を読むとその現況を思い知らされる。例えば取次制度や再販制度の問題についての指摘は的確で考えさせられるところが多い。出版業界の歴史についても簡潔にまとめられており、業界人必読の書だろう。
 気になるのは、筆者がしきりに「近代読者」と「現代読者=消費者」を分けて論じているところ。書籍を「ブックオフ」で安価で購入し、二束三文で売り払う「現代読者」の態度はけしからんというのが筆者のスタンスだが、少々違和感がある。愛着のわかない本に対して読者がとる態度として、安く買う、無造作に捨てるというのは妥当だろう。そもそも、「近代読者」がそんなに偉いのかという疑問もあるし、「近代読者」と「現代読者」にそれほど差があるとも思えないのだが・・・。

 

「家庭教育」の隘路〜子育てに脅迫される母親たち〜
本田由紀、勁草書房、p.241、\2000

2008.4.18

 「多元化する能力と日本社会」や「ニートって言うな!」で話題を呼んだ東京大学准教授・本田由紀の新作。朝日新聞の書評で取り上げられていたと記憶する。アンケートとインタビューを踏まえ、子育ての現状と問題点、社会としてなすべきことを論じている。
 最近では若い母親たち(父親たちも)をバカ親と批判する論調もあるが、本書はそういった議論と一線を画す。格差や葛藤を感じながらも懸命に子育てに注力する母親たちの姿をデータで裏付けをとりながら描いているのだ。母親たちは常に自信のない状況に追い込まれ、子供に思わしくないところがあれば自責を感じ、暗中模索を続けざるを得ない状況にあるというのが本書の見立てである。
 本書では、学校外での教育、母親の子供に対する接し方、しつけ、学校との関係について、母親の学歴による格差に焦点を当てて議論を展開する。例えば高学歴の母親は、子供に主体性や専門性を身につけて欲しいと考える。他方で学歴の高くない母親は、人並みに自立した「普通」の大人になって欲しいと期待する傾向があるという。
 「きっちり」とした子育てと「のびのび」とした子育てが、子供の将来(年収の多寡や就労の有無など)に与えている影響など、アンケートや調査を使った分析もなかなか興味深い。次代を担う子供の教育を、無責任に家庭や母親に丸投げし、母親に過度の負担をかけている社会の問題(父親の問題でもある)を鋭くえぐった良書である。

 

環境考古学への招待〜発掘からわかる食・トイレ・戦争〜
松井章、岩波新書、p.218、\740

2008.4.16

 3月に書評した認知考古学をあつかった「日本の歴史:列島創世記〜旧石器・縄文・弥生・古墳時代〜」で取り上げられていたので購入。食卓や犬・豚・牛馬といった家畜など観点から古代人の生活を探った書。縄文人の食卓にオオサンショウウオがのっていたという事実、北米北西海岸先住民族と縄文人の関係、トイレの考古学、江戸時代の上級武士たちの肉食生活など、なかなか読んで楽しいトピックが満載である。
 秀抜なのは戦跡考古学の話。戦跡考古学は、戦場に残された遺物を丹念に調べ上げ、戦争の経過を浮き彫りにする学問である。本書ではカスター将軍率いる騎兵隊と先住民族(クレージー・ホース率いるインディアン)との戦いを取り上げている。具体的には、遺物の1点ずつの経度・緯度、標高を調べ上げることで、両軍の布陣や戦闘の推移を推測する。1発1発の弾丸とその薬莢の分布によって、騎兵隊とインディアンの戦士一人ひとりの行動と戦闘の状況を明らかにし、騎兵隊が総崩れになって自滅したことを突き止めている。先住民族が銃器に関して意外に重装備だった点も興味深い。

 

ヒトづくりのおもみ
常盤文克、日経BP社、p.213、\1400

2008.4.14

 花王社長だった常盤文克の経営書。常盤は講演会で引っ張りだこの経営者だったが、評者は初めて読んだ。本書は既刊の「モノづくりのこころ」「コトづくりのちから」に続くシリーズ最終章という位置づけである。筆者の主張の大枠を把握することができる。
 出だしは快調で、「琴柱に膠す(ことじににかわす)」といった慣用句を効果的に使うなど、なかなか含蓄深い主張をする経営者という印象をもったが、後半は若干勢いがなくなり尻すぼみの感がある。経営書として王道を進んでいる書だが、あまりにド真ん中過ぎて、後半はインパクトに欠ける面があるのは少々残念である。

 

The Black Swan:The Impact of the Highly Impropable
Nassim Nicholas Taleb、Random House、p.366、$26.95

2008.4.13

 BusinessWeekのベストセラー欄に顔を出しているので気になって購入したが、全編が修辞的な文章のため読むのに大苦戦。筆者のナシーム・ニコラス・タレブ(Nassim Nicholas Taleb)の著作には9.11(2001年9月11日)直前に出版された「Fooled By Randomness」があるが、日本語訳「まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」が登場したのは今年1月。翻訳する価値に乏しいのか、翻訳に難渋したのか・・・。
 世の中を動かすような事象は不規則でランダムに発生し、予知は不可能というのが著者の主張である。だから筆者は、この事象を白鳥ならぬBlack Swanと呼んでいる。経済学や自然科学では正規分布を仮定して発生確率を弾き出しているが、Black Swanはサンプル数が少なすぎて正規分布による予測はあてにならない。Black Swanの現象は抽象化すると、社会的な事象が本質的に持っている複雑性を覆い隠してしまうので本質が見えなくなってしまう。シミュレーションをどれだけ精緻に行っても、未来は正しく予想できないのだ。それぞれの事象を個別に分析して、“物語り”にすることが重要。科学よりも小説の方が真実に近い、ジャーナリストと科学者は役に立たないというのが著者のご託宣である。

 

さらば財務省! 官僚すべてを敵にした男の告白
高橋洋一、講談社、p.282、\1700

推薦! 2008.4.1

 昨年、この書評で取り上げた「財投改革の経済学」の著者による回想録的官僚批判。日本の官僚の実態を知り尽くした元大蔵官僚(東大理学部数学科卒で傍流だが)だけに、きわめて説得力がある。「財務官僚は計数に弱い」「知識や理論は聞きかじりで張り子の虎」というのは、大蔵省(財務省)が東大法学部出身者の牙城という背景を考えればもっともだが、意外に盲点となっている観点だろう。
 筆者は小泉内閣で竹中平蔵の補佐官を務め、郵政民営化や道路公団民営化、政府系金融機関改革、公務員制度改革などのシナリオを書いた、官僚からは「3回殺しても殺し足りない」と言われたバリバリの改革派である。当然、守旧派の官僚の対する筆鋒は厳しい。官僚が審議会を意のままに操る小賢しいテクニック話など、開いた口がふさがらないような話が満載である。前著の「財投改革の経済学」は専門書だったので表現がいくぶん硬かったが、同じ内容を語っても本書は一般向けで読みやすく仕上がっている。日本の官僚と意志決定の仕組みを知ることのできる良書である。
 「メディアは数字に弱いので、批判検討することなく(官僚の発表した)資料を鵜呑みにして報道する」とマスコミにも手厳しい批判をくわえる。ちなみに日経BIZのIT記者が「さすが専門家」とほめられているが、正確には日経コンピュータの記者である。故意なのか、それとも単純なミスなのか、元上司としてはちょっと気になる。

 

2008年3月

原発・正力・CIA〜機密文書で読む昭和裏面史〜
有馬哲夫、新潮新書、p.255、\720

2008.3.26

 公開されたCIA機密文書をもとに、正力松太郎・読売新聞社主を使った米国政府(CIA)の対日工作を明らかした書。原子力に好意的かつ親米的な世論を形成するために、CIAが採った手口の数々を紹介している。公文書を正確に伝えることに注力したせいか、内容自体は興味深いのだが本としては盛り上がりに欠けるのは少々残念である。
 CIAの世論工作のきっかけは、1954年に起こった第五福竜丸の被爆。この事件によって反米と反原子力の機運が日本で高まる。これを抑えるために、読売新聞、日本テレビ、博覧会、ディズニーを巧妙に利用しながらCIAは世論を親米・原子力容認へと誘導していく。その米国を利用し利用されるのが、総理大臣になることになりふり構わぬ正力である。本書で正力は、思想性や理想といったものが皆無の俗物として描かれている。
 「昭和30年代〜40年代の勧善懲悪的な米国製TVドラマや映画は、日本人を洗脳するために米国が仕組んだもの」と、昔のドラマや映画好きな評者は外資系半導体メーカに勤める友人から諭されたことがある。本書で登場するディズニーの役割からはその仕組みが垣間見える。

 

一橋大学日本企業研究センター研究叢書 1】日米企業の利益率格差
伊丹敬之・編著、有斐閣、p.231、\3200

2008.3.24

 「米国企業は日本企業に比べて利益率が高い」という通説を実証的に検証するとともに、こうした事態を生んだ背景を探った書。各種データの経年変化をもとに、日米の企業間にある構造的な差異を明らかにしている。通説を覆すような新事実は出てこないが、定量的な裏付けをとった議論は読み応えがある。今年の初めに取り上げた「松下電器の経営改革」と同じ一橋大学日本企業研究センター研究叢書の1冊だが、これまた力作である。  利益率の比較をするために、本書では三つの指標を用いている。ROS(売上高営業利益率)、ROA(総資産経常利益率)、ROE(自己資本当期利益率)である。いずれの指標においても「米国>日本」の関係が成立するが、その原因となっているのが付加価値率の圧倒的な差(2倍という)であり、その差を生むのが経営力というのが本書の見立てである。
 三つの指標のなかで特異な傾向をみせるのが株主へのリターン効率を示すROE。米国企業がROEを高めるために自己資本を削る傾向が強いのに対し、日本企業は自己資本の充実にひたすら努める。米国企業は、自己資本比率を下げてROEを高めることで株価を上昇しやすくし、高くなった株価をテコにM&Aを実施し成長するというシナリオを描く。一方の日本企業にとって自己資本は、不況期でも逃げない資本を意味し、経営が危うい局面に取り崩して従業員に配る原資の意味合いが濃いとする。
 このほか興味深いのは日米の下位企業の比較。日本企業が利益をみる限り上位・下位で大きな差がない。下位企業でも安定的に利益を出している。多くの企業が利益をシェアしている実態がある。米国の下位企業は数字を見る限りきわめて悲惨。Winner takes allの現実があり、トップ企業が業界内の利益を徹底的に収奪する。そのため敗者は早々に市場から退出する。一方で米国には、新規の分野では将来の大きなリターンを期待して赤字企業を支える出資者が存在し、それを資本市場も許容するバイタリティがある。社会の活性度という視点で見る場合、彼我の差は明らかだろう。

 

日本の歴史:列島創世記〜旧石器・縄文・弥生・古墳時代〜
松木武彦、小学館、p.366、\1900

2008.3.19

 この手のシリーズ本は書き手によって出来不出来が激しい。小学館創立85周年のシリーズ(全16巻)の第一弾である本書は、“当たり”の部類だろう。だらだらとトピックを記述するだけの退屈な歴史書は真っ平だが、本書は著者のスタンスと主張が明確で読書の喜びが味わえる。
 本書の対象は、文字で書かれた歴史が残っていない、旧石器時代から縄文、弥生、古墳時代にかけて。物の資料だけで人間社会を推測する考古学の独擅場となる期間である。この期間における社会の動きを、心の科学(認知科学)の力を借りて解明するところに本書の特徴がある。認知考古学という名称を聞くのは初めてだが、縄文から弥生、弥生から古墳時代へといった時代の移り変わりを考える手法としてなかなか魅力的である。特にデザインの“凝り”や気温の変動がもたらす人間社会への影響などの考察はなかなか冴えている。

 

無実(上)、(下)
ジョン・グリシャム、白石朗・監訳、ゴマ文庫、(上)p.332(下)p.310、(上)(下)\762

2008.3.8

 「法律事務所」「ペリカン文書」など、サスペンス小説で知られるジョン・グリシャムの手による、冤罪を題材にしたノンフィクション。まずまず楽しめる出来である。グリシャムは「もう書かない」と言っているようなので、最初で最後のノンフィクションになるかもしれない。
 米ニューヨーク・タイムズでNo.1ベストセラーとなったのも頷ける内容である。日本語訳もテンポよく仕上がっているので、スイスイ読める。ただ、小説のような盛り上がりを期待すると失望するかもしれない。意識的に淡々とした筆致で書き進めているので、グリシャムの作品としては少々物足りない気がする。
 本書は、米オクラホマ州の片田舎で起こったレイプ事件を丹念に追ったもの。信憑性の薄い証言や自白を頼りに犯人をデッチあげた事件で、陪審によって一人に死刑、もう一人に終身刑が下された。死刑執行が秒読み段階になた時点で、再審が認められ真実が明らかになった。上下2巻で冗長な気もするが、飽きさせない筆の力はさすがである。
 日本の冤罪事件をあつかったノンフィクションを何冊も読んだが、米国の検察・警察のひどさも日本と五十歩百歩。科学捜査を標榜しても、使う人間が邪悪だと無実の人間を死刑囚にしてしまうこともよくわかる。権力は腐敗すると言うことだろう。2009年にジョージ・クルーニー主演で映画化される。期待できそうだ。

 

ポアンカレ予想を解いた数学者
ドナル・オシア、糸川洋・訳、日経BP社、p.405、\2400

2008.3.11

 少し前のことだが、「ポアンカレ予想を証明し、数学界のノーベル賞とされるフィールズ賞の受賞が決まりながら、それを辞退した数学者」の話が新聞紙面をにぎわせた。本書はポアンカレ予想と証明までの歴史を、周辺状況を交えながら解説した書。ポアンカレ予想を解いたロシアの数学者グリゴリー・ペレルマンはかなり魅力的な人物なので、彼に焦点を当てた本を期待したが、この期待は裏切られた。少々残念である。
 ちなみに数式を使わずにわかりやすく説明しようとした努力は評価できるが、理科系の評者でも理解するのはかなり辛い。評者は理科系だが完敗である。

 

出版業界の危機と社会構造
小田光雄、論創社、p.283、\2000

2008.3.8

 ブックオフ、TSUTAYA、Amazon.comといった形態の書店、さらには再販制の維持が書店業界や出版業界に大打撃を与え、日本の文化そのもののを破壊していると警鐘を鳴らした書。エキセントリックな部分には付いていけないところがあるが、再販制の問題点の指摘など傾聴すべき論点も多い。この書評では佐野眞一「だれが本を殺すのか」を取り上げ高く評価したが、本書では「歴史的分析が足らず、出版界の危機の本質と真実を隠蔽している本」としてコテンパンである。
 本書は3章から成る。第1章では最近の出版業界の動き、第2章では出版業界の現状分析、第3章では米国と出版業界の関係を論じている。図や表、統計データを駆使して説得力をもたしている。それにしても本書の年表で改めて振り返ると、21世紀に入ってからの出版業界は、中小書店や出版社の疲弊や倒産など惨憺たる状況であることがよくわかる。著者は「出版社と書店はいかにして消えていくか」「ブックオフと出版業界」をすでに上梓しているが、取り寄せてみようという気になる。ブックオフはほとんど使わないが、ほとんどの書籍をbk-1やアマゾンで手に入れる評者は。
 もっとも第3章は、「米国資本の進出によって、出版業界さらにいえば日本文化は第2の敗戦状態にある」と説く。ただし紙面が少ない関係もあって論考が十分でなく、残念ながらかなりエキセントリックに感じる。

 

トヨティズム〜日本型生産システムの成熟と変容〜
野村正實、ミネルヴァ書房、p.336、\4000

2008.3.5

 岡山大学教授(執筆当時)がトヨタ自動車を学術的に分析した書。トヨタ自動車の「迷い」「試行錯誤」をきっちり書き込んでいる良書だが、トヨタが普通の優良企業だった15年前(1993年)に出版された本なので注意が必要。現状とのギャップは否めない。現在のトヨタ自動車の興隆にどのようにつながっていったのか、偶然なのか、経営者の力なのか、仕組みの問題なのか大いに興味がわくところである。強くなってからのトヨタに便乗した“ヨイショ”本や“ネガティブ”本ではない、歴史的な経緯を踏まえたしっかりした学術書が望まれる。
 著者は労働問題の専門家。最近も「日本的雇用慣行」といった専門書も上梓している。本書の切り口にもその特徴は出ており、生産システム、人事制度、労働環境、労働組合と会社との関係など、主に労務面からトヨタ自動車にアプローチしている。印象に残るのは、トヨタ自動車の仕組みがスキなく合理的にできていることと、ライン労働者を大量に淘汰・排出するメカニズムを構造的に組み込んでいるところ。経営者の執念を感じさせる。  それにしても勤務時間内だけではなく、オフJTによって規律、集団的協力、会社忠誠心を育てようとする、時間外も含めたフルサポートは凄い。「24時間の会社時間が労働時間と非労働時間に分かれている」という当時の状況が、幸せだったのか大いに疑問だが・・・。

 

2008年2月

ニッポン バブル遺産建築100
橋爪紳也、稲村不二雄、NTT出版、p.222、\1500

2008.2.29

 バブル期に建てられた建築物を、北海道から九州まで日本を縦断して撮影し、注釈を加えた書。見開き2ページで建築物の住所、名称、発注元、施工、設計、費用、写真、概要がコンパクトにまとめられており、暇つぶしに読むにはちょうどいい。
 バブルの傷跡というか成果物というか、奇妙な遺物(異物かも)の写真を見ていると、当時の狂乱のさまが思い出される。できれば建築物の写真はカラーが望みたいところだが、1500円という価格を考えるとコスト面で致し方ないところか。著者の奥歯に物が挟まったような書き口は少々残念である。チクリチクリと皮肉っぽい論評を加えているが、全体に歯切れの悪さが気になる書である。
 タイトルにあるように全部で100の建築物を扱っている。その建設目的や設計者の意図はさまざまだが、外見は妙に類型化しているところが笑える。とんがり屋根だったり、モスクのようなドーム構造だったり、いずれも周囲の景観とマッチしない。とくに田舎の田園や山林をバックにした様子はとても収まりが悪い。どうみても保守がしづらそうな造形とあわせて、いく末が見えるようで哀しい。タイトル通り、まさに遺産である。建築家の倫理観とセンスの不思議さを感じさせられる1冊である。

 

新聞記者 疋田桂一郎とその仕事
柴田鉄治、外岡秀俊編、朝日新聞社、p.294、\1200

2008.2.28

 朝日新聞の記者だった疋田桂一郎が残した新聞記事・天声人語・講演などを、後輩たちがまとめた書。本多勝一や辰濃和男、鎌田慧といった面々が短い囲み記事を書いている。基本的にはジャーナリストという職業に興味のある人向けの書である。新聞記者の面白さと同時に、背負っているものの重さ、サラリーマン・ジャーナリストの限界を感じるには打て付け。朝日新聞の宣伝臭さが多少気になるが、それを除けば一般の方が読んでも損はない。
 疋田については天声人語の著者だったことくらいしか知らなかったが、「管理職にするには惜しい」という評価はなるほどと頷かされる。50年以上も前の記事が掲載されているが古さは感じない。東大山岳部の北アルプスでの遭難に関する記事や、朝日新聞の誤報に関する検証報告書(社内報に掲載された)、社内研修の内容など興味深いものが多い。東大生の遭難記事は1959年のものだが今読んでも迫力があるし、誤報が生まれた過程を丹念に検証した報告書は現在でも十分通用する。後者は実に深刻。何十年たっても新聞は成長していないし、警察発表を鵜呑みにして体制側の情報を垂れ流す姿勢を改めていないことがよくわかる。
 それにしても疋田の天声人語は秀抜である。本書では1章を割いて4年間分から抜粋して載せているが、文章が流れるようで実にうまい。文末のバリエーションをみているだけでも勉強になる。新聞における文章が「安易に流れている。日本語として汚い」という社内研修での発言も掲載されているが、おっしゃる通りである。

 

聖徳太子と日本人〜天皇制とともに生まれた〈聖徳太子〉像〜
大山誠一、角川ソフィア文庫、p.284、\629

2008.2.25

 「聖徳太子は、藤原不比等や光明天皇が天皇制を確固とするために創作されたもの」。これが筆者の主張である。寡聞にして、これが学会で認知された学説かどうか知らないが、読んでいるとおもしろい。想像力を満開にして自説を組み立てていける古代史の世界はロマンにあふれている。
 筆者は聖徳太子、天寿国繍帳、憲法十七条など、日本史でならった事柄を次から次へと否定していく。儒教、仏教、道教をミックスした聖徳太子像の奇妙さをあきらかにしてく。その議論の進め方は小気味いほどだが、なんだかわだかまりが残る。妙な話だが、学校教育の影響力の大きさが実感できる書である。

 

Googleとの闘い〜文化の多様性を守るために〜
ジャン-ノエル・ジャンヌネー著、佐々木勉訳、岩波書店、p.166、\1600

2008.2.24

 Googleの検索エンジンに対抗すべく行われているフランスの国家プロジェクト「クエロ計画」の背景を解説した書。Googleが象徴する米国文化や資本主義への警戒感を書き込んでいる。資本主義や英語に対する警戒など、いかにもフランス人らしい価値観が随所に出てくる。
 著者が警戒するのは、「Googleの検索で引っかからないものは、存在しないも同様」という価値観の蔓延。そのGoogleがGoogle Book Searchによって書籍のデジタル化に踏み出したことで危機感が高まり、本書の執筆につながった。米国発の作品の支配性が強まり文化の多様性が失われることを恐れる。著者はインターネットの可能性や有用性を認めた上で、その傲慢さ、米国の価値感の押し売り、文化同化への圧力を問題視する。それにしても、フランスの「クエロ計画」やドイツの「テセウス計画」、ノルウェーの「ファルス計画」など、欧州各国でこんなに検索エンジン開発プロジェクトがあるとは知らなかった。

 

モサド前長官の証言「暗闇に身をおいて」〜中東現代史を変えた驚愕のインテリジェンス戦争〜
エフライム・ハレヴィ著、河野純治訳、光文社、p.453、\1800

2008.2.21

 タイトルからは“007”張りのスパイ活動が書かれていそうだが、その期待には応えることはできない。40年にわたって諜報官僚を務めた著者の手による回想録なので、ワクワクドキドキは少ない。むしろ淡々としている。とはいっても、それが本書の価値を下げることはない。イスラエルを中心とした虚々実々の中東外交の舞台裏やイスラエル政権内の権力闘争を垣間見ることができる。最後に登場する、テロと戦い続けた著者が考える、国際テロ組織への対処法は衝撃的である。
 特筆すべきなのはイスラエル-ヨルダン和平条約とパレスチナ和平協定の舞台裏である。締結されるまの右往左往ぶりは小説を読むようである。イスラエル-ヨルダン和平交渉成功の裏に、フセイン国王とのトイレでの会話があった事実などけっこう楽しい。中東情勢の背景について十分解説しており、少々知識不足でも読みこなすことができる。
 本書の特徴の一つに、中東諸国と米国、ロシア、パレスチアなどの首脳の人物評がある。アラファトに対する人物像などには、かなりバイアスがかかっているが、それはそれで興味深く読める。イスラエルをめぐるパワー・ポリティクスの有り様を知る上でも役に立つ。米国、ロシア、中国、北朝鮮だけでなくアフリカ諸国も登場するが、日本の影は薄い。外交能力の平和ボケは決定的である。これに関しては、文末の解説で佐藤優が取り上げている外務省の問題がありそうだ。

 

公認会計士vs特捜検察
細野祐二、日経BP社、p.431、\1800

2008.2.15

 最近、法務大臣の「冤罪」発言が話題を呼んだが、こちらも本書を読む限り極めて冤罪くさい。著者は、上場会社でシロアリ駆除のキャッツの株価操作事件に絡んで粉飾決算の容疑に問われた辣腕の公認会計士。その著者が東京地検特捜部との闘いを詳述したもの。著者は1審、2審とも有罪となり、現在は最高裁に上告中である。厳密性を追うあまり記述にダブリ感が多いが、さほど気にならないほど緊迫感のある手記に仕上がっている。
 筆者は190日の拘留中、粉飾決算の容疑を否認し続ける。このあたりの被疑者と検事の駆け引き、とりわけ自白を引き出すために検事が駆使するテクニックは、冤罪事件などでよく登場するパターンと同じである。2審では、粉飾ではないとの鑑定結果が会計学者から出されたり、キャッツの関係者から被告に有利な逆転証言を得たりという状況だったが敗訴。本書を読む限り、何とも不思議な判決である。

 

続・トヨタの正体〜マスコミが書けないエコな企業のエゴな顔
週刊金曜日編、p.140、\1000

2008.2.9

 この書評で以前取り上げた「トヨタ本」が月並みの内容だったので再挑戦。週刊金曜日の名前に釣られて購入した。世界一の生産台数(2007年)の企業に対する批判としては、しごく真っ当な内容である。衝撃的な事実が書き込まれている訳ではないが、わが世の春を謳歌するトヨタの影の部分を理解するうえで役立つ。
 タイトルの通り、本書は続編である。トヨタの労働問題や環境対策(ハイブリッドエンジン)の裏側、リコールといったトピックを取り上げている。環境問題については定説がなく、どのようにでも解釈できるところなので、「坊主、にくけりゃ」といった感があるが、押さえるべき所はきちんと押さえている。週刊金曜日らしい切り口でそこそこ読ませる本である。もっとも肝心なところに「推測」が入っていたりして迫力不足なのは残念。前編(部数から見るとベストセラーらしい)はマスコミのパトロンしてのトヨタ自動車を取り上げており、評者としてはこちらを読むべきだったかと反省。

 

The Big Switch:Rewiring the World、From Edison to Google
Nicholas Carr、W.W.Norton & Company、p.277、$25.95

2008.2.8

 もはやITは差別化のための有効なツールたりえないと論じて、数年前に話題を呼んだ“IT Doesn't Matter”の著者の第2弾。IT Doesn't Matterは米国のハーバード・ビジネス・レビュー誌に掲載され、翌年には日本語版でも載った。IT業界から総スカンをくったが、主張はそれなりに理解できた。ところが、うって変わって第2弾は迫力不足。インターネットについてそこそこ見知っている方にとっては読む価値は低い。
 論じているのは、コンピューティングのユーティリティ化である。World Wide Computingという言葉を使って持論を展開している。電力がユーティリティ化されるまでの道のりなどを引きながら、現在のコンピューティング環境やインターネット環境と対比している。本書の問題は、冗長で散漫な感じが強く、訴える力が弱いところ。話題も産業、社会、文化など大風呂敷でとりとめがない。結局、何を主張したいのかが最後まで分からない。

 

2008年1月

オープンビジネスモデル〜知財競争時代のイノベーション〜
ヘンリー・チェスブロウ、栗原潔訳、翔泳社、p.308、¥2300

2008.1.31

 評者はその昔、「Engine of Innovation」という本をシリコンバレーの本屋で見つけ感銘を受けたことがある(後に「中央研究所の終焉」という題名で日経BP社から出版された)。本書の主張はその延長線上にあり、一企業内で基礎研究から開発、設計、製造、販売のすべてをまかなうことが難しくなった米国の現状をつぶさに論じている。
 知的財産権、特に特許に関心のある人は読んで損はないかもしれない。もっとも一般の方にとっては、イノベーション仲介業といった最新の情報はそこそこ面白いが、NIH(not invented here)やファブレスの話が今さら出てくるなど、翻訳臭さが残る文体とあまって読み進むにつれて退屈度が増してきそうだ。事例が少々古いのも気になるところ。手書きOSの米Go Computerの失敗(Microsoftに情報を出し過ぎた)やIBMのLinuxへのコミットなどがかなり古い。

 

【一橋大学日本企業研究センター研究叢書 2】松下電器の経営改革
伊丹 敬之、田中 一弘、加藤 俊彦、中野 誠編著、有斐閣、p.350、¥3570

推薦!2008.1.28

 実によくできた本である。勝てば官軍的な部分や取材対象への感情移入が皆無とはいえないが、基本的に客観的な姿勢で、松下電器産業における経営改革の内容と過程を深堀りしている。松下電器という日本型経営の典型と思われた巨大会社を改革した過程はスリリングで読み応えがある。松下電器は2008年10月から社名を「パナソニック」に統一するが、そこに至るまでの過程を知る上で本書は格好の1冊である。ちなみにパナソニックに統一する話は、東洋経済の2月2日号に詳しい。松下電器の今を知りたい方には両方とも読むことをお薦めする。
 本書の主役は中村邦夫とそれを支えた役員陣(といっても数人)である。彼らに対する詳細なインタビューを柱に構成している。中村を改革へと駆り立てたのは、「傲慢、自己満足、内部議論、摩擦を恐れる」という衰退する企業の特徴を、松下電器がすべて備えていたから。当時の松下電器社内は顧客に向こうとせず、社内の論理で(原価中心で)意思決定がなされていた。こうした認識のもと、中村は網羅的しかも徹底的でスピード感ある改革へとひた走ることになる。
 筆者が繰り返し強調するのが「歴史は跳ばな