序言

知的財産とその権利とは、発明や考案、意匠や商標などといった従来の権利対象ばかりでなく、広義には著作、放送内容や映画など人間の創造活動の成果物に係わる権利を含みます。案外皆さんの身近に存在するものなのです。
昨年、知的財産大綱が発表され、知的財産への関心が高まっています。こうした世相を反映して、最近の特許法は、頻繁に改正が行われています。それも発明の考え方(概念)が変わるような根本的な内容も含まれています。例えば、プログラムは権利化できないということが通説でしたが、最近では必ずしもそうでもありません。関連する法律や制度も代わりつつあります。知財業務を仕事とする弁理士を規程する弁理士法などは80年ぶりの大改正です。この弁理士という資格は、便利屋さんの類と誤解される人もいて、まだまだ知的財産の社会への認知は道半ばと言えます。この連載では、知的財産の分野に関する知識を、今起きている、起きつつあるこうした知的財産を取り巻く様々な変化を含め、できるだけ、かつわかりやすく説明していきたいと思います。

第1 回知的財産を考える前に
あなたは、会社で特許出願したことがありますか。一度経験しておくと、おぼろげながら知的財産と言うもののイメージが湧くのではないでしょうか。知的財産が何故、法律体系の一部となるのか、それはこの知的財産の字の如く、財物だからです。ですから、その取扱は世の中に多大な影響を与えるので、法律で定めているのです。製品仕掛かりはお金が寝ているといった表現がありますが、同じような表現を使えば、あなたが行う技術活動総べてが知的財産の対象なのです。
でも、技術面と共に法律の仕組みを知らないと活用することはできません。法律の仕組み全体を説明するのは大変ですが、ある程度の仕組みや原則を知っておかねばなりません。そしてそれはかなり有益だろうと思います。ここで簡単に紹介しておきましょう。

1 )知的財産を取り巻く法律
(1 )民法、民事訴訟法が一般法
土地や車などと同じで形ある「モノ」=有体物を所有する権利以外に、特許権のように形の無い「モノ」=無体物を所有する権利があります。知的財産と言う言い方以外に、無体財産と言う言い方もされることがあります。こうした権利や義務、身分など日常生活を支える基本的なルールを定めているのが、一般法としての民法や民事訴訟法です。法人という言葉がありますが、これは、会社組織を擬似的な人間として扱うことによって、権利義務関係を明らかにしようとするものです。これに対抗して生身の人間のことを自然人と言います。例えば、発明者は自然人のみということは、法人が発明することはないと解釈されていることを表します。こうした権利義務や身分などの実体(内容)を規定しているのが、民法、それらに基づいて訴えを起こす時の手続きを定めたのが民事訴訟法です。
平成10 年に民事訴訟法が大改正されました。知的財産関係の法令も、手続きについては民事訴訟法を引用することが多々あります。今も、司法制度改革が言われ審議中ですので、内容もどんどん変わってくるでしょう。
気がついてみると、特許庁のHP の充実振りは、お役所の中でもダントツといえるほどですが、それと最高裁判所のHPでも、知的財産関係の判決は翌日には載ると言われるほど重視されています。

(2 )知的財産法は特別法
前項で説明した民法などの一般法に対し、特別法といわれる周辺の法律群があります。知的財産法とは、狭義には工業所有権四法、広義には肖像権のような純粋な著作権を除く隣接権利を含む言葉として使われ、この特別法に分類されます。特別法は一般法に優先して適用されます。
特別法とは、特定の人、事物、行為あるいは地域を限って適用される法で、一般法はそうした制限なしに適用される法を言います。ですから、特別法である特許法で規定されている内容が優先され、規定が無ければ民法の規定が適用されます。契約は、法律ではありませんが、約束事として最も優先されると考えればよいでしょう。

(3 )知的財産法は産業立法
法律としての成立過程から産業立法と位置付けられています。産業政策により立法も解釈も運用も決まるということです。従って、産業が、経済が正にその主体であるということを理解することが知的財産法を知る最初の第一歩となります。昨今の法改正が頻繁なのは、従来からの権利範囲を狭くするようなアンチパテント的な産業政策から、特許を奨励するプロパテント的な産業政策への大転換の結果ということができます。
従って、知的財産法の内容は、何をどう奨励したいのか、何を守りたいのかによって変わります。この改正が滞り、時期を誤ると逆に規制になってしまいます。これを示す典型例は、特許法第32 条です。
特許法第32 条は、特許を受けることが出来ない発明を規定しています。現行法では、公序良俗に反する発明が規定されていますが、以前は化学物質もその対象でした。それが外れたのには訳があります。物質が認められないということは、新規物質を発見しても、方法しか権利化できないわけです。誰かが物質を権利化して押さえてしまうと独占権ですから、他の人はどうにもなりません。ですから物に権利を認めなければ、皆が争って方法を考え化学工業が発達すると考えられたのです。しかし、これも行き過ぎると問題が生じます。例えば、米国で物質特許が認められたら、米国へ輸出できません。国内産業振興といっても貿易立国で
もある日本が貿易収支で不利益を蒙っては元も子もありません。知的財産権法は各国とも政策的に保護主義を取っていた時代に成立し始めており、こうした法改正が各国で自国産業レベルに合わせて行われているのは世界的にも共通した事柄といえます。

(4 )法律はシステム
(1)原則と例外
技術分類の一つに、システム技術と個別技術との分け方があります。これと同じ発想でいえば、法律はばらばらの法文が単に寄せ集まって構成されている訳ではなく、システムとして構成され、全体を整合する原則の上に、例外が認められています。これら法文が矛盾する時、最高裁判所が判断します。このように法律を構造的に理解する、これが法律理解の原点です。何故、原則と例外かというと、原則を適用できる範囲を考えてみると、一つの原則だけで全領域をカバーすることは困難でしょう。そして、原則を適用したら、不都合、不利益を蒙ることがあるとしたら、例外として認めて、全体を整合させているのです。「具体的妥当性」と言った言葉が使われますが、この具体的妥当性のある内容であれば、例外として認めようということなのです。
(2)自然科学と社会科学
法律は社会科学の領域にあります。自然科学のように、誰でもが同じ結論を得る訳ではありません。社会科学で重要なのは、理由を合理的に説明することです。結果の説明が論理的に正しければ総て正しいのです。
あとは皆が納得する社会的な具体的妥当性があるかどうかです。
ですから、条文を理解することも大事なのですが、それと同等に、法の立法趣旨、条文の立法趣旨を知ることが非常に重要です。実務的な手続きを知るより、むしろこうした趣旨を理解することがかなり有効だろうと思われます。法律の一部を見て自己流に解釈したりすることは誤った結論を導きやすいのですが、立法趣旨を知ることで、こうした弊害を防げるのではないでしょうか。技術者は先端を目指す性格上、独創的な考え方をしがちです。しかし、法律の世界では、独創性は排除され、誰もが常識として納得できる理由でない限り、社会的認知を得ることができません。技術開発などの日常業務のスタンスとは大きな違いがあるこ
とに、留意して下さい。

 

知財制度を知る上で、発明協会から特許に関する標準テキストが販売されています
「工業所有権標準テキスト 特許編 第3版 特許庁編」 (http://www.jiii.or.jp/denshi/f-nyumon.htm )。
600 円で、非常に良い本ですのでお薦めします。


萩本 英二

1973年早稲田大学大学院 理工学研究科修了 同年、日本電気(株)に入社。
集積回路事業部 第二製品技術部 容器班に配属される。
以後、封止樹脂開発、セラミックパッケージ開発、PPGAなどの基板パッケージ開発を経て、1986年スコットランド工場(NECSUK)へ出向、DRAM生産をサポート。
1990年帰任、半導体高密度実装技術本部にてTABなどのコンピュータ事業むけパッケージ開発、BGA、CSP等の 面実装パッケージ開発に従事する。
1998年、半導体特許技術センタへ異動、2000年弁理士登録。
現在、NECエレクトロニクス(株) 知的財産部 勤務
主な著作に「CSP技術のすべて」「CSP技術のすべて(2)」の著作(工業調査会刊)がある。
メールアドレス:hagimoto@flamenco.plala.or.jp