中村正規の業界裏話 (2)

−日米半導体協定とJapan Passingを考える−

by MSC, LTD 中村正規(msc@st.rim.or.jp


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7月末の日米半導体協定の期限切れを前にして、さまざまな動きが表面化している。これまで、協定の延長には強硬に反対していた、通産省、日本電子工業会も何らかの形で政府が関与した新たな協定を締結する方向に方針を転換したとも云われている。

私は、「日本は新たな協定を締結すべき」という考えを持つ、日本人としてはいわば少数派に属している。これは、SIA (米国半導体工業会)の協定延長の主張とは裏腹に、米国系の中堅半導体メーカーを中心にした、いわゆる「Japan Passing 」が深く進行している気配が感じられるからであり、協定の期限切れ以降、彼らの日本市場への熱意がさらに醒め、日本の半導体ユーザーに不利益がもたらされることを危惧しているからである。

また、私は、外国系半導体メーカーが日本で成功できるようなビジネス環境の実現は、通産省やマスコミが待望している日本のハイテク・ベンチャー企業の誕生にも繋がると考えており、日本の産業構造の変革に間接的に役立つような新たな協定の締結を期待している。



1. 半導体協定の功罪

確かに、我が国の半導体市場における外国系半導体メーカーのマーケット・シェアを政府がコントロールするなどという行為は、自由主義経済の原則を大きく逸脱するものである。外国系半導体メーカーによる一定以上のシェアを政府が保証し、これが達成されなかった場合に米国側から何らかの制裁措置が取られるなどいう協定の締結には私も反対である。(私は数年前、米国政府が「日本市場の閉鎖性と非近代的なビジネス社会を象徴しているのが日本相撲協会である。年6場所のうち、2場所の興行権を外国系企業に開放し、外国人籍のままの親方や、英語名のしこ名を認めよ。」と要求した、というブラック・ユーモアを書いたことがある。)

現在の協定の発効以降、日本の大手半導体ユーザーは四半期ごとの購入実績を気にしながら、時には不必要な製品まで購入して、ポイント稼ぎを迫られる場面もあった。中には、国内で生産された日本製の半導体製品の捺印を外国メーカーに変えさせることで(勿論、合法的に)、数字上の実績だけを上げることに奔走したユーザーがいたことも事実である。

ただし、一方では現在の協定の発効以降、日本の半導体ユーザーが多くのことを学習したことは間違いない。日本の多くの半導体ユーザーは、協定の締結以降、それまで単なるマイナーな取引先のひとつであった海外の半導体メーカーとトレード・ミッション、共同開発やデザイン・イン活動など、様々なレベルでの交流を重ねることになり、こうした交流を通じて、彼らの組織の実態と能力、仕事の進め方と問題解決のプロセス、取引に対する考え方などを、これまで以上に理解し、彼らのエネルギや開拓者精神などを学んだことと思う。

また、これまであまり知られていなかった中小の半導体メーカーが日本で紹介される機会が増加し、日本の半導体メーカーやユーザーが彼らの開発した新しい技術を発見することができたのも半導体協定がもたらした「功績」のひとつであろう。そして、日本の半導体ユーザーがそれまで海外の半導体ベンダーに抱いていた誤った既成概念を払拭するのにも役だったとも言える。

一方で、この協定は参入する側の外国系半導体メーカーに対して「日本市場に対するサポートを強化する」という、一定の「担保」を取り付ける効果があったことも否定できない。



2. 向上しない対日本市場依存率

確かに、外国系半導体メーカーの日本市場におけるシェアは協定の掲げていた20%の目標を確実に超えるようになり、最新のデータでは30%のラインも超えるようになっている。

最近の外国系メーカーによる日本市場でシェア向上の主な要因としては、

などを上げることができる。

この外国系メーカーのシェアは協定の初期の目標を達成したが、私が問題にしたいのは、海外の各半導体メーカーごとに見た場合、彼らの日本市場に対する依存率は協定締結前と比較して、ほとんど増加していない点である。
即ち、彼らの日本市場向けの出荷は金額ベースで増加しているものの、最近の米国市場の成長率が著しいこともあって、日本市場への依存率(日本向けの出荷額が会社全体の売上に占める割合)は平均的に12~10% 程度の低水準にとどまっているのが実態である。(10%以下となっているメーカーも多い)

この日本市場に対する低い依存率は、各メーカーにおける日本側の発言権の重み、強さとなって反映されることになる。特に、昨年までのような製品の供給不足(Shortage)に伴う出荷割り当て(Allocation)が実施されると、基本的にはそれまでの各地域別の実績に応じた比率での割合での出荷分配が行われるため、全体から見て10-12%の比率でしかない日本市場のユーザには、それなりの分配しか行われないことになる。さらに、購入単価が安く、要求納期の短い日本ユーザーは、こうした供給不足の時期に製品を計画通りに入手することは、ますます困難になる。



3. 期待と現実のギャップ

今度の協定の発効の前後から、多くの外国系メーカーは、日本市場での売上増を期待して、さまざまな対日強化策を実施した。日本支社のスタッフの強化、デザイン・センタの開設、品質管理部門の強化、販売代理店の拡大や支援強化などである。こうした施策の多くは「日本市場では、こうすべき」といった有識者の意見や多くの日本ユーザーからの要望によるものであった。

ところが、彼らはこうした意見や要望に沿った多くの施策を実施したものの、日本市場の特殊性や多くの克服すべきや課題に直面することになった。こうした日本市場の問題点は、商売上の差し障りを恐れて半導体メーカーの首脳がマスコミの前で公言することは、まずない。(中には、いまだにこうしたことに気がついていない首脳もいるが.....)

彼らにとって日本市場を開拓する上でもっとも最初に直面した問題は優秀な人材の確保である。日本に進出した外国系企業が優秀な人材、特に若い技術系社員を獲得することは、依然として非常に困難である。日本TIや日本モトローラが大卒の新人を採用できるようになったのは、つい最近になってからの話しであり、中小の外国系企業は日本での人材獲得を依然として「Head Hunter」に頼っているのが実情である。こうした労働市場の閉鎖性、非流動性は日本市場の最大の非関税障壁なのかも知れない。(これは日本でベンチャ企業が育たない要因の一つでもあるが)
また、彼らの日本支社の責任者や幹部社員を採用するにあたっても、ドル・ベースに換算すると驚くべき高額報酬をオファーする必要がある。

次に問題になるのは、日本でのオペレーション・コストの高さである。前述の高額の人件費に加えて、事務所の賃貸料、通信費、交際費、広告代、どれをとっても米国の数倍は覚悟しなければならない。日本のユーザーの、彼らに対する技術サポート力の強化、日本語資料の充実、デザイン・センターの開設または強化、納期の短縮、品質保証体制の強化と不良解析要求に対する迅速な対応、などの要求(半導体交流センター、平成6年3月発行、「デザイン・イン促進のための外国系サプライヤへのインタビュー調査報告書」参照)を満たすためには、多額の追加コストを覚悟しなければならない。

外国系半導体メーカーの中には、こうした日本側ユーザーの要望を積極的に捕らえ、日本側の組織を強化したメーカーも多い。
ところが、こうした要求を実現するためにかかる高いコストの割に日本市場での売上の伸びや成果が数字としてなかなか現れないことに気がついたメーカーの中には、逆に日本支社の組織を縮小する決断を行ったところもある。
インテル・ジャパンや日本AMDのデザイン・センタの閉鎖がこれである。
日本AMDは厚木に品質保証部門やPLDのプログラミング・センタを含む大規模な技術センターを開設したが、これを数年前に全面的に閉鎖し、営業や技術サポート部門の大幅なリストラも実施している。

外国系の半導体メーカーのデザイン・センターが日本で機能しなかったのは、前述のように優秀な人材が確保できなかったことや、高いオペレーション・コストが原因だったと分析するのが妥当なところであろう。
こうしたことは、半導体に限らず、多く業種の海外企業が共通に抱えている問題点なのではないだろか。



4. 躍進企業の秘密

私が見たところ、最近米国で急成長している半導体メーカーには、ある種の共通した経営方針がある。それは、強烈な個性とリーダーシップを持ったCEO(最高経営責任者)による徹底したコスト管理である。極端に云うと、こうした会社では「鉛筆1本の購入もCEOの承認が必要」といった感じのいわゆる「マイクロ・マネージメント」が実践されている。

このような会社では、日本支社に対するコスト管理も徹底している。「コストが高い日本は例外」という甘い考えは許されないのである。したがった、こうしたメーカーの日本支社は最小限の人員と最低のコストで運営されることになる。かってように、外資系メーカーが都心の一等地の最高級ビルに日本事務所を構えるようなことは、見かけることがなくなった。最近では、日本の連絡事務所を九州の福岡に置いているカナダの半導体メーカーまである。
そして、彼らは日本の顧客を選別し、ごく一部の大手ユーザーにのみにより良いサービスを提供するようにしている。こうしたメーカーの対日依存率は、さらに多くの日本人スタッフを抱えるベンダーと大差ないのが現実なのである。



5. 空洞化とJpan Passing

多くの外国系半導体メーカーの首脳は依然として「日本は大切な市場」と公言し、半導体協定の延長を望んでいる。だが、果たして彼らの日本市場に対する「熱い期待」は現在の協定締結前から変化していないのであろうか?
私は、一部の外国系半導体メーカーの日本市場に対する熱い期待は次第に醒めつつあり、この期待は次第に日本を除くアジア市場へと移っていることを感じている。これは、日本ユーザーの生産拠点がアジアに移転している理由だけでなく、日本ユーザーの多岐にわたる多くの要求に対応するためにかかる高いコストも大いに関係していると思われる。

また、最近の日本市場の空洞化は生産拠点だけでなく、先端技術商品の開発拠点にまで及ぶようになっている。前述の徹底したコスト管理を実施しているメーカーのように、一部の大手ユーザーを除く日本のユーザーには、「それなりのサービス」しか提供しないベンダがさらに増加することは十分に予想される。四半期ベースでの業績でその力量を評価される米国企業の経営者は、何かと厳しい要求を出し、採用決定までの時間がかかる日本のユーザーよりは、より速い決断をする海外のユーザーに優先的にサポートを提供することになるだろう。いわゆる「Japan Passing」の進行である。

果たして、日本の半導体ユーザーがこうしたJapan Passingを行う半導体メーカーに依存しないでも十分に先端商品を開発できるのであろうか?残念なところ、プロセッサ、マルチメディア、通信デバイスなどの分野では、今後とも外国系の半導体メーカーの開発力と市場全体に及ぼす影響力は日本メーカーを凌いでおり、日本の半導体ユーザーが競合メーカーに先んじて先端技術商品を開発するためには、海外の半導体メーカーに依存せざるを得ないのが実情であり、その傾向は以前よりも強まっていると思われる。
結局、「Japan Passing」の進行で、もっとも不利益を被るのが、日本の中小半導体ユーザである。



6. Japan Passingへの対策は日本の国際化

この彼らの「Japan Passing」への流れを食い止め、彼らにとって日本市場が以前に増して「魅力ある市場」にするためには、どうしたら良いのであろうか?
私は、その答えは「日本市場のさらなる国際化」にあると考えている。
そして、「新たな半導体協定」の締結は、少なくとも「日本市場のさらなる国際化」を促すことに役立つと思うし、またそのような内容になって欲しいと願っている。

かって、日本でビジネスする外国人に対して、「Do in Rome as the Romans do」(郷に入っては郷に従え)ということわざが、日本での成功の秘訣のひとつであるようなことが語られていた。
だが、ビジネスの世界が、これだけグローバル化している時代に、日本だけが世界標準から離れた特殊なビジネス・ルールを維持していて果たして良いのであろうか? 

最近、某大手電機メーカーの首脳が「国際標準経営を目指す」という発言をして注目された。これは、いわゆる従来の終身雇用、年功序列の日本式人事制度から西欧式の年俸制、能力主義への移行を意図したものと思われるが、私は、この国際標準経営が、各企業の取引条件や取引形態でも実現されるべきと思っている。

インターネットを利用したエレクトロニック・コマンス(EC)が注目されており、このECの実現には多くの日本企業の技術が利用されようとしている。ただし、こうしたプロジェクトに技術の提供や端末機器の供給という形で参加する日本企業が、果たしてECを利用した資材購入という形態を自分の会社に導入できるのであろうか?これには、大いに疑問がある。

日本のビジネス社会が国際標準から最も遅れており、EC導入の障害となると思われるのが現行の「支払い条件」である。日本でのビジネスの開拓に携わったアメリカ人の多くは、日本で通用している手形による支払いや「支払い保証制度」などような、納入から現金化までに4〜5ヶ月以上も必要とする支払い条件や不透明な検収制度に驚かされる。
米国では、通常の物品の購入に対しては納入日から30日以内または60日以内に現金で支払われている。この支払い条件という、基本的な取引ルールの改訂は、単に日本に進出している海外企業だけでなく、日本のベンチャ企業を育成する上でも大いに重要な点であろう。

最近になって、日本の大手半導体ユーザーは、IPO(International Purchasing Office)を通じた海外での資材調達の金額を拡大している。この場合、各地のIPOは、当然のことながら国際標準に従った支払い条件で物品を購入しているわけで、日本国内の取引だけが「手形」や「支払い保証制度」のままで残っているというのは、いささか奇異に感じられる。「日本が真に開かれた市場である」と胸を張って言えるようにするためには、この支払い条件を国際標準に近ずけることが、まず第一歩なのではないだろうか。

次に、日本の半導体ユーザーが考えなければいけないのが、売り手と買い手の関係である。即ち、製品の採用にあたって発生するリスクをすべて売り手に負担させるような、ビジネス形態や慣習は少しずつでも改められるべきである。
日本の大手の半導体ユーザーは、新しい半導体製品の採用にあたって、さまざまなドキュメントの提出をベンダ側に要求するのが常である。こうした半導体ユーザーの要求に対して、国内の半導体ベンダはこれまで、誠実に対応してきたのであろうが、規模が小さく、まして生産を社外のファブに依存している海外のファブレス・メーカーがこうした要求に短期間に的確に対応できることは、まず困難である。私がかってつきあった海外の中小半導体メーカーの中には、日本ユーザーから次から次へと要求されると資料とデータの多さに、ビジネスに対する関心を喪失するところもあった。

問題は、こうした資料が購入側の部品採用にあたって、ほんとうに役に立つものなのかである。私の見たある大手ユーザーの提出要求資料は、彼らが過去に体験したトラブルへの対策がどう取られているか詳細に確認するためのもので、対象となる製品で重要と思われる肝心なポイントには全く触れられていないものであった。確かに、新しいプロセス、新しいベンダの製品を採用するにあたっては一定の情報をベンダ側から入手するのは当然であるが、要求する資料の内容は対象となるベンダの規模や、製品の性格に応じた柔軟なものでなければならない。重要なのは、要求する資料やデータの多さではなく、信頼できるベンダなのかどうかを見分けられるだけの購入側のセンス、能力なのではないだろうか? 

「解析だけのための不良解析要求」や、本来は購入側が解決すべき課題や内容にまで及ぶような「技術サポート要求」にも問題があり、日本のユーザーが考え直すべき項目であろうと思う。例えば、国際標準規格に準拠した新しいLSI製品を開発した半導体ベンダーが、自社のデバイスに関する技術サポートではなく、この国際標準規格そのものに対する解説やサポートを日本のユーザーから要求されるというのは良く聞く話しである。



7. 協定なき国際化を目指して

日米間の半導体協定を巡る政府間交渉は、ビジネスの実態を理解していない官僚同士の話し合い、大統領選挙を間近にした米国側の思惑、取り残される欧州からの圧力などの複雑な事情が絡み合っており、どのような決着が見られるのか依然として不透明な情勢にある。

米国の業界紙、EE Timesなどを発行するCMPパブリケーション社は、今年の初めからこの日米半導体協定に関する意見を読者から募集して、自社のホームページに掲載しているが、(http://www.cmp.com/cgi-bin/techtalk/icpact)あまり活発な意見は寄せられていない。寄せられた意見の多くは、この問題の本質を理解していない人達からのもので、米国側の関心は我々が思っている程、高くはない。また、日本電子工業会はホーム・ページ(http://www.eiaj.org)でこの問題を取り上げているが、掲載されているは米国の貿易コンサルティングの意見で日本側のはっきりとした主張は見えてこない。(不必要な摩擦を避けるための配慮とも考えられるが)

自由主義経済の原則からすれば、各市場のシェアは自由な競争で決定されるべきであり、政府が介入すべき問題ではない。また、対日戦略の一貫性に欠ける海外の半導体メーカが多いことも事実である。ただし、現在の日本経済の抱える問題点を総合的に考えると、私は新たな半導体協定の締結によって、外国系半導体メーカーの対日進出を間接的にサポートすることが、外国系企業の日本市場に対する期待感を引き戻し、日本の国際化にも役立つ当面の「必要悪」と考えている。

前述のように、日本の産業界の活性化のためには、海外の企業の対日進出をさらに促し、彼らや日本のベンチャー企業が十分に活躍できるようなビジネス環境を実現することが不可欠である。
今後、半導体協定のどのような政治決着がはかられるとは関係なく、「取引形態の改善」を含む日本の「さらなる国際化」が求められていることは間違いない。本来であれば、このような「半導体協定」のような外圧なしでも日本の国際化が促進されなければならないのは当然である。

この私の意見(異見)には、大いに反論のある方も多いだろう。
皆さんの率直な意見をお聞きしたい。


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