中村正規の「半導体業界を語る」
第13話 「インテルとモトローラ(その3)」
モトローラの変革と日本企業の未来

ヘクター・ルイズの大改革
下記の1990年代のモトローラ社の半導体事業部門(SPS)とインテルの半導体の売上推移を示す。


 単位:Mドル MSC調べ

1991年までモトローラはインテルを凌ぐ全米第一位(世界第4位)の半導体メーカであり、1992年まではインテルの好敵手だった。しかし、その後インテルとモトローラの売上の差は開く一方となり、特に1996年以降、両社の業績は明暗を分ける結果となった。とはいっても、モトローラの半導体部門が業界全体の成長率に比較して際立って悪かったわけではない。インテルの成長率がモトローラを含む他社を圧倒したとも云うこともできる。

1996年のDRAMを中心にした半導体不況(市場全体が前年比8%のマイナス成長)をきっかけにモトローラは、半導体事業の徹底的な再構築を開始した。このリストラの実施の先頭に立ったのは、モトローラの半導体部門としては初めてのヒスパニック系のリーダとなった、ヘクター・ルイズ氏であった。ルイズ氏は、TI社がTTLで世界の半導体業界をリードしていた時代にモトローラにスカウトされてきた人物である。同氏はモトローラの半導体部門で多くの要職を経験した後、通信機器部門のページャ製品担当副社長として大きな実績を収めていた。モトローラ本社からの強い期待を背に半導体事業部門へ復帰したルイズ氏は、停滞していた半導体部門の業績を回復させるために大胆なリストラ策を実施した。同氏は、従来からあったモトローラの「家族的な雰囲気」を一変させ、1万数千人以上の大幅な人員削減を含む大きな決断を次々に行った。その後、モトローラはルイズ氏の下で、DRAMやスマートカードのビジネスからの撤退、従来の製品別、顧客別の販売組織からアプリケーション分野別の販売組織への転換、外部ファンダリの活用などを決断、実行した。
我々をもっとも驚かせたのは、ディスクリート、汎用ロジックなどのコモディティ製品部門の分離、売却であった。モトローラは伝統的にこれらの製品に強い競争力を持ち、安定した収益を確保していた。このように高い成長が見込めないが、安定した収益源となるビジネスは、「Cash-cow」ビジネスとも呼ばれる。これら製品のビジネス・モデルと販売戦略は、DRAMのような汎用メモリとも、またMコアやPower PCコアを内蔵するような戦略的な最先端製品とも大きく異なる。モトローラはワイヤレス通信やネットワークを中心にした将来性が見込める分野のエンベデッド・システムをターゲットにした半導体とソフトウェアのソリューションを提供する企業への変身を図るため、敢えてこれらのCash-cowビジネスを捨てる決断をした。つまり、cash-cowビジネスを抱えている限り、企業文化を時代に合わせて変革することも、先端的な戦略商品で成功することはないと判断したのである。同様な決定は、National Semiconductor社でも行われ、かつて買収した名門、Fairchild社のコモディティ製品部門が分割、売却された。

モトローラは、1999年頃からDigital DNAという新しい統一スローガンを掲げ、エンベデッド・システム向けソリューション・カンパニーへの転身を目指してきた。しかし、長年にわたって蓄積された企業文化を換えるのはとても困難なことだったようだ。ヘクター・ルイズ氏が去った後も(同氏はその後AMD社のCOOにスカウトされ、あのジェリー・サンダース会長の後継CEOが約束されている地位に就いている)、リストラは継続して行われている。私は、コモディティ製品を現在のON Semiconductor社に分離、売却しても、昔からのモトローラの企業風土を作り上げたDNAは、すべてON Semiconductorに移った訳ではなく、モトローラ本体にも残されたと考えている。企業風土を変えることは、組織が巨大化するほど、困難な課題になることを実感される。


日本法人でも大きな痛み
ヘクター・ルイズ氏のリストラ政策は、モトローラの日本法人にも及んだ。それまで、モトローラ本社でレイオフが実施された場合でも、それが日本支社までに及ぶことはなかった。私がモトローラに在籍していた頃からの先輩達の一部はその後もモトローラに残り、米国本社のかつての従業員と同じように、日本モトローラでHappy Retirementを迎えるはずであった。しかし、1998年頃から、日本モトローラでも、従業員の大幅な削減が実施されてきた。これは、少なくとも半導体不況が本格的に表面化した今年の初めまで継続的に行われていたようだ。これによって、私が知る古くからの従業員のほとんどがモトローラを去る結果となった。コモディティ製品のON Semiconductor社への移管に伴って、東光から買収した会津工場の従業員、数百名が職場を去るという痛みも伴った。この間、日本モトローラの組織は安定せず、職場の雰囲気や社員の士気が悪化したことは想像に難くない。過去、日本では、外資系企業が優秀な大学新卒者を獲得するのは非常に困難であった。モトローラは長年の努力の末、ようやく日本でも新卒者を獲得できるようになったのだが、ここ数年の同社の大幅な人員削減に関する風評は業界や大学の関係者にも広く知れわたる結果となり、今後の新たな新卒者の採用に大きな障害となることが予想される。しかし、生き残りを賭けるモトローラにとっては、これらが避けられない選択であったことは十分に理解できる。

日本の半導体メーカの辿る道
最近の半導体/IT不況は、過去30年余にわたる私の経験の中でも、もっとも深刻な状況になってきた。このコラムを書く前にも、日本の大手半導体メーカの相次ぐリストラ計画が発表された。マスコミには人員削減の数だけがセンセーショナルに取り上げているが、重要なのは今回、各社からDRAMビジネスからの撤退、製品別への事業分割、または分社化などの事業の再構築計画が発表されたことだ。私には各社の戦略が依然として横並び的になっていることが残念なのだが、これら日本の大手半導体メーカが実施しようとしている施策は90年代後半からモトローラ社が選択してきた道に酷似しているように感じる。最近の日本メーカの決断はモトローラに比較して3年から5年遅れただけのように感じるのは、私だけであろうか?

日本企業では、すでに半導体事業の損失が会社全体の業績に大きな打撃を与える深刻な事態となっている。先日、モトローラから「今後半導体事業の収益が改善しなかった場合には、事業の売却まで視野に入れる」という幹部のコメントがマスコミに流れ、業界を騒がせた。前回も書いたように、日本の半導体メーカはかってのモトローラと多くの共通点を持っている。モトローラと同じような道を歩んでいる日本企業から何年か先に、「半導体事業から完全撤退」などというコメントが流れる可能性も完全には否定できない。私は、日本の半導体メーカには「業界再編」を含めたもっと思い切った「構造改革」と「選択と集中」が必要なのではないかと考えている。インテルが成功を収めたビジネス・モデルや経営は、日本の半導体企業には、ほとんど参考にならないが、90年代後半からモトローラ社が辿ってきた道と現在までの苦悩は、日本メーカにとって大いに参考になるはずである。
ただし、日本の半導体企業にとって、モトローラと同じ道を辿るのが必ずしも正しい選択になるとは限らない。モトローラの2001年前半の売上は前年同期比で30%減まで落ち込んだものと予想されている。日本の半導体メーカにとっては、これまでに前例のない新しい道を歩む選択肢もあることも忘れてはいけない。

2001年9月